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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第四章 一節

  第4章


 


   1 一九九九年 五月 二十日 (木)


 


 昨日は仮病を使って休んでしまったので、今日はきちんと学校に出席することにした。 というのも、その夜、先生から電話がかかってきていたのだ。先生はいつもよりも思いつめた感じの声でこんなことをいっていた。


 「河原君、授業に出席しないと単位あげないんだからね。…そしたら、君が一番困ることになるんだから……」


 何でいきなりそんなことをいうのだろう? なんで、急に生徒の成績だけが大事な教師みたいな科白をいうのだ?


 デマのことも勿論僕の念頭に常にある。


 だけど、だけど……


 先生のいつもとは違う暗い声に僕は何だか気になったのだ。


 そうして僕は通うべき所へと出向き、終わるまでの時間をこの狭い場所で過ごすことにした。


 こうして、自分がこうして向かっている間にも予告日に殺人を実行しようとする人間は増え続けているのだ。しかも今朝のあの教授が死んでしまったという報道を聞いて、世の中は変な方向に進んではないかという漠然とした空気を感じている人々も絶対に少ないない筈だ。


 「あれはデマだ! そんなのには乗ってはいけない!!」


 そんな風にいい切った教授が殺されてしまった。


 一国の国立大教授という地位がある人間の話すこと、明らかに意味を持つ言葉に、殺す側の人間は耳を傾けずに、しかもその中の一人は「うるさい、黙れ!!」とその教授を殺すまでに至ってしまった。


 そんな有様だったら、何の地位も能力もない僕が何ができるのというのだ?


 いや、そんなことはない。僕がデマを流した張本人なのだ。懸命に謝れば許して……


 その時、突然、誰かが自分をナイフで襲ってくる姿が脳裏を掠めた。


 …駄目だ。怖い。


 僕は頭を抱え込む。周囲の人間の声がやけに耳に触る。


 僕は、僕は一体どうすればいいのだろう?


 改めて冷静になって考えるとそんな恐怖に駆られた自分は情けなくなる。


 どうせ、何もやらなければ同じことなのだ。だから僕は絶対に何かしなければいけない。


 その何かを意味もなく躊っている自分が情けないけど……


 相変わらず自分のおかれた状況に苦しみ悶えた僕であったが、その横でこんな奇妙な会話がなされているのも聞き漏らさなかった。


 「なあなあ、七月一日のことだけどさあ、あの変な会合知ってるか?」


 「ああ、知ってる知ってる。あの長ったらしい名前の会合だろ? 俺、初めて見たとき滅茶苦茶ブッたまげたね」


 「なあ、なんかあれ、面白そうじゃねえか? 入ってみっか?」


 「入ってみんのかあ?」


 「ハハハハハ……」


 会合……


 一体、何のだろう?


 新手の暴走族が名乗りを上げたのだろうか?


 そこまで奇妙なものならばいずれ僕の耳にもおかしくなかろう。ぼくは、その情報を一応心の中で受け止めておくことにした。


 


 先生の授業がもうじき始まる。


 僕は今の今まで馬鹿な授業拒否を繰り返してきたのだ。先生の現代文の時間に参加するのは本当に久し振りになる。


 一昨日、先生をこれ以上困らせないと誓ったはずなのに昨日で早々にそれを破ってしまった。もはや先生には合わせる顔がない。


 しかし、実際に会わなければ先生にもっと迷惑をかけることになる。だから僕はもう保健室に行くようなまねはしない。学校もなるべく休まない。


 こんな状況で世間の混乱を止められるかといったら僕は口籠るしかない。


 しかし、先生は今の僕の心の支えなのだ。僕は先生がいるからこの世を終わらせたくないと思ったのだ。先生を悲しませるようなことだけはもう二度としたくない。


 そんな決意を改めて固めた僕であったのだが、そのとき入ってきた先生の姿を見て僕は言葉を失った。


 先生は一昨日見たときと様子が変わっていた。


 先生はファッションとして左腕にスカーフを巻いているのだが、その下にチラリと白いものが見える。それは、どうみても……包帯だ。


 そして頬にもまたファンデーションで隠してはいるが、殴られていたような痕あり、少し青くなって腫れていた。strangerのことを思い出す。


 怪我だ。怪我をしている。この傷は誰かに暴力を振るわれたのだろう。助けてあげなきゃいけない。そんな思いに駆られた。


 誰がそんなことをしたのだろう?


 もしかして、風間達が何かしたのだろうか……


 僕はそう考えると自分の体の中に襲撃が走った。


 そうか、先生からの昨日の電話、そういう意味を持っていたんだ……


 先生は僕に単位をどうこういいたかったわけではない。ただ、教室にいて欲しかっただけなんだ。四面楚歌で味方となる人間もいない、そんな状況下で先生はずっと孤独に耐えていたんだ。僕が傍にいてあげればそんな怪我もせずに済んだだろう。


 それを僕は先生と話す時間が欲しかったとかいう理由だけで今まで授業を抜け出していた……


 僕は俯き深く目を瞑る。噛んだ唇からやがて血の味が吹き出す。 何でそんな単純なこと気づいていなかったんだろう? どうして支えられなかったんだろう?


 自分自身が嫌になる。自分で自分の心臓を抉り出して潰したいような気分だ。そんな風にいくら僕が後悔したところで、今までの先生の苦しみの十分の一さえ分かち合うことなんてできない……


 いつもよりも暗い顔の先生、そんな酷いことがあった後でにも関わらず先生は僕の姿を教室で確認すると、僕に向かってにっこりと微笑んでくれた。僕は心底申し訳ないという気持ちでいっぱいでもはや顔も上げられなかった。


 そしてその後すぐ授業というのは名ばかりの先生の地獄が始まった。


 授業では以前の様に、先生が黒板の前でぼそぼそっと内容を説明して、生徒達がそれを茶化すという悲惨なものだった。


 中でも、羽島の先生の怪我の痕を見ていった、


 「先生、SMプレイですかあ? その左腕は火傷の痕でしょう? ろうそく熱かったですかあ? そんなのが気持ちいいなんて、先生も変わったご趣味をお持ちですねぇ~」


 という言葉には僕も体の中からフツフツと湧いてくるものがあった。


 しかし、僕は奴らに対して何の抵抗もできない。


 ずっと奴らにいじめられてきた。ずっと奴らに虐げられてきたんだ。


 何だよ、馬鹿!! おまえは先生をもう悲しませるようなことをしないんじゃなかったのかよ!!


 僕は何をしてあげるのだろう?


 好きになった人に何をしてあげるのだろう?


 …何もできない……


 本当か?


 何かできるんじゃないのかよ。黙ってみるつもりなのか? もしかして、お前、この場所にいるだけで先生の味方になったつもりなのかよ!! そんなの黙って見過ごしている奴と同じじゃないか!!


 僕は体もでかくないし、強くもない。人を一人守るほどの勇気もない。でも何かできる筈なんだ。何か、何かを。


 ………


 先生の罵声の飛び交う教室。


 僕はこの教室で「えいっ」と立ち上がった。突然の僕の行動に、皆の視線が集中する。 静かになった教室で僕はゆっくりと廊下に出た。教室はざわめき出すが、僕は構わず廊下で立つ。先生にその意味が伝わることを信じて。


 俯きながらしばらくその場で待っていると、前の扉から先生が出てきた。


 「どうしたの? 河原君」


 僕はずっと下を向いたまま口を噤む。怒らせた肩が自然に上下に震える。


 「どうして、どうして……」


 やっと出た言葉も顎が強ばってうまく話せない。そんなときでも伝えなきゃいけないことがある。


 「どうして、毎日あんなところに立っていられるの……」


 僕は先生の顔をまともに見ることもできない。


 それから、どれぐらいの時間が経ったのだろう?


 いつからか先生のすすり泣く声が聞こえてきた。


 「ありがとう、大丈夫だから、大丈夫だから……」


 先生はいった。


 僕は驚いて先生の顔を見る。


 僕への謝礼を繰り返す先生の目からは大粒の涙が流れていた。


 しばらくして涙のおさまってきた先生は僕にこんなことをいってきた。


 「河原君、本当にありがとうね。でも、教室には戻れないでしょ? 私、君が私なんかのために他の子達からいじめられるところなんて見たくない。私も、あとで行くから保健室で待ってて、ね?」


 僕は嫌だと口に出した。


 先生はまたあの中に戻らなきゃならないんだ。しかも今度味方はいない。孤立無援の状態なんだ。


 だけど、先生は僕に無理矢理行くように命じた。


 僕は、……仕方なく、それに従った。


 …僕は……無能だ……


 


 またいつもの保健室のベッドに入った僕は一つのことを考えていた。


 強くなりたかった。失いたくないものを守るための、正しい意味を持った力が欲しかった。しかし、その願いは叶いはしないだろうことも僕にはわかっていた。


 先生はどうしたのだろう?


 あのまま奴らのいる教室で授業を続けているのだろうか?


 こんなに心配するくらいだったらやっぱり教室に残っていればよかった。


 僕は先程自らがつくった口の中の傷を舌で嘗めた。


 心配といえばもう一つ気になるものがある。


 先生の怪我。


 昨日僕が休んでいるうちに先生は怪我をしてしまっていた。もし、風間達がやったのであれば、その場にいれば僕はなんとかしてあげられたかもしれない。


 ただ、あの授業中の言動からすると風間達がやったものではないような気もする。


 いや、あいつらはそういうことを平気でできるような奴なんだ。もしかすると、先生は今、あの教室の中でもっと酷い仕打ちを受けている可能性も考えられる。


 そう思うとますます先生に謝らなければいけないという感情が高まった。


 そろそろチャイムがなる頃だ。


 先生は無事に授業を終わらせることができたのだろうか……


 保健室の開く音がした。


 先生だ!


 「先生、何もやられてませんか?」


 僕が急に叫ぶと、先生はびっくりしたような表情を浮かべる。


 「先生…」


 僕がいつもの声で呼び掛け直すと、先生の強ばっていた表情がだんだん穏やかになる。 やがて先生は苦笑いを浮かべた。


 「ごめんね、心配かけて…」


 何故か僕に詫の言葉を入れる先生。そんな先生を見ているとなんだか悲しくなってくる。


 どうして先生が謝らなければならないのだろう?


 悪いのは奴らじゃないか。奴らはなんで簡単に人を苦しめられるんだよ。


 自分がやられている分には半ばやけっぱちで、もはや完全に心の痛みすらも麻痺していた筈なのに、いとおしい人が誰かに何かをやられているとなると、どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。


 先生の顔を見る。


 先生は僕の顔を見てやっぱり微笑んでくれる。僕にはその笑顔がとても痛ましいものに見えて、至ってもいられない気分になった。


 スカーフ。このスカーフの下に傷口がある。先生の左腕、どうして怪我をしたのか訊かなくちゃ……


 しかし、僕は怖くて何も言葉を切り出すことができない。


 先生はそんな僕の態度で何かを察知したのか、わざと明るくこういった。


 「河原君、これ、やっぱり気になる?」


 先生は右手でのスカーフの部分をゆっくりと撫でた。自分の心が見透かされているようで本当に申し訳なくなる。


 「それ、まさか風間達がやったんですか?」


 僕が低い声で訊ねると先生は首を振った。


 「…じゃあ……」


 誰? と口にしようとしたところで一つ気づくことがあった。


 「…彼……私の彼氏がやったの……」


 やっぱり……


 僕は先生の顔を一瞥して、それでも笑っている先生の顔を確認すると、どこか違う方に視線を逸らした。


 「…どうして平気でいられるんですか……?」


 僕は恐る恐る問いかける。


 「…信じてるから…… 彼のこと、本当はああじゃないって信じてるから……」


 そんなこといったって、現実にそうやって暴力を振るわれているじゃないですか……


 その言葉が出かかって止まる。


 先生はそのろくでもない男のこと、真剣に愛しているんだ……


 「…ねえ、先生?」


 最後に一つだけ質問してみたかったことがある。


 「…それでいいんですか……?」


 先生は少し躊った後、「うん」と大きく頷いた。


 どこかでやりきれない思いが僕の心に宿る。


 でも先生がそれでいいというのなら、僕は強要はできない。


 先生はその後、次の時間の準備があるからと、保健室を後にした。


 僕は何か大きなものを失ったような気がした。


 先生の小さな背中が去っていった扉をじっと見つめる。


 自分の正しいことを行い続ける……


 先生はそういっていた。そうしていればきっとたくさんの人たちが幸せになれるって。 でも、先生は幸せ? 本当に幸せなの? 僕が先生を幸せにすることはできないの?


 …僕は、やっぱり、無能だ……





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