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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第三章 九節

   9 一九九九年 五月 十九日 (水)


 


 strangerの家から出た僕は、近くの駅に辿り着くと、電車を待ちながら世の中の混乱を食い止める方法を考えていた。


 簡単だ。あのデマをなかったことにしてもらうしかない。


 では、それは一体どうすればできるのか?


 それが一筋縄でいきそうもないから迷っているのだ。


 例えば、どこか人のたくさん集まるような場所で、自分の仕出かしたことを告白してみる。一番僕にできそうなのはそんなところであろう。というよりもそれが全てかもしれない。


 皆の注目を浴びるところで、「あれは間違いでした! 全てなかったことにしてください!!」ということを、皆が納得するまで謝ればいいのだ。


 それは勿論、僕らがデマを流した根源である、インターネット上で、ではない。姿の見れない場所で謝ったところで僕の誠意は伝わらない。世間を前に堂々と自分の顔を晒け出し、素直な気持ちで頭を下げるのだ。


 では、どうやってそこまで話を持っていくのだ?


 それは……テレビ局に出向いて直談判だろう。自前の嘆願書でも用意して何度も土下座してニュースなりの時間をもらうしかない。


 しかし、もし、いくら額を地面に擦り付けたところで、ガキの戯言だと取り合ってもらえなかったら僕はどうすればいい?


 生放送中の素人参加番組にでも乗り込んで一瞬の隙を窺って目的を達成するしかないだろうか?


 だが、それだとあまり時間が割けない。僕が一生懸命しゃべっている間に取り抑えられて結局肝心なことは伝えられないままことは済んでしまうだろう。


 他にどんな方法がある?


 いっそのこと、カメラの方が僕に向かってくるようにすれば……


 そこまで考えて僕は首を振る。


 どんなことをすれば何でもない一般人の僕にそんなことができるというのだ? 犯罪でも犯そうっていう気か? ビルから飛び降りようとでもするつもりか!?


 そんなことをしたら相手は僕のことを頭の狂った危ない奴としか思わなくなる。僕は真剣に話をしたいんだ。狂人と認識された奴の話なんかまともに聞こうとする人間がいるかよ!!


 僕は一体何をすればいいってんだ!!


 僕がそう心の中で叫んだとき、僕の目の前に電車が通り過ぎる。


 ……変な想像が僕の頭を掠めて一瞬ひやりとしたが、僕は止まった電車に問題なく乗り込んだ。


 僕は車内で思わずフーッと長い息をつく。


 それだけは駄目だ。それだけはやっちゃいけない。僕は世の中をもとに戻すんだ。strangerのために、先生のために、何よりも全ての人々のために。


 本当にどこから手をつければいいのだろう?


 そんなのはわかっているだろ、さっき考えたことの一番初めのことを順繰りにやっていけばいいんだ。何を思いあぐねているんだ……


 そんな風に燻っていたところ、ふと僕の思考が止まった。僕の立ち位置近くの女子高生らしき人物達がこんな会話をしているのが耳に止まったのだ。


 「…ねぇねぇ、七月一日に地球終わっちゃうかもしれないの知ってたぁ?」


 「知ってる、知ってる。七月一日になんかみんなで殺し合おうってやつっしょ? あれ、マジ怖くない?」


 「怖え、怖え、メッチャ怖え。


 でさあ、あれでもしかして、本当に地球滅んじゃうのかなあ?」


 「…わかんない。でもそうかもよぉ~」


 「マジマジ? 私、チョー嫌なんだけど


 もっといっぱい遊んでたいしさあ」


 「そうだよねえ、思う思う。絶対嫌だよねぇ」


 彼女らの会話を聞いて僕はハッとした。


 そりゃそうだ。いくら、現実の世界に殺したい人がいる人間が多少いたところで、実際に人を殺す人間なんてほんの一握りに過ぎないのだ。


 便乗して人を殺す?


 それがどうした。ここは法治国家なんだ。そんな馬鹿が通用するわけがない。


 何も起こしたくない。


 そう思う人間が集まって七月一日に何かを起こそうとする奴を弾圧というか、説得してしまえば僕のやろうとしていることは事足りてしまうのではないか?


 そうかもしれない。だって、人を殺そうと目論む側は、殺さない側の人間よりも圧倒的に数が少ないのだから。まして、警察がそれをやってくれるだろうからその人達は集まる必要すらないのではないか?


 そうか、そうだよ。悩む必要なんてなかったんだ。


 …ハハハ…… なんだよ、僕の単なる取り越し苦労なのかよ。


 僕はナップザックを背負い直す。


 自分の思考が無駄だったとわかると急に体が軽くなった。


 馬鹿だなあ、本当、馬鹿だなあ……


 そんなとき、電車がトンネルの中を通り過ぎる。


 目の前のガラスに十五年間今だ見慣れない自分の顔が写り、僕はギクッとする。


 stranger、彼女はどうして死んでしまったのだろう?


 こんなよく考えればなんてことのないものなんかの所為で……


 本当に、本当に何もないのか? 彼女はその本当の危険性を知っていたから自ら命を絶ったんじゃないのか?


 例えばだ、もし、殺さない側の人間がよってたかって殺そうとする側の人間に文句を付けたらどうなるのだろう?


 いくら説得をしてみたところでこちら側の要求を受け入れないと、次第に苛立つ殺さない側。その言葉にも自ずと邪気が籠もってくるだろう。そしてその一方で、その強い口調に殺そうとする側の人間もだんだん怒りの感情を表に出すようになるだろう。そうなると、殺そうとする側の人間は殺さない側の人間を一体どうするだろうか?


 …殺して数を減らそうとするのではないのか?


 そして仲間の殺された殺さない側の人間達も、「こっちはやらないつもりなのに相手はやってくる。これじゃあ、こっちはやられ損だ」と思って、殺そうとする側の人間達につくことだって可能性としてあってもおかしくないのではないか!?


 やっぱり、一人でも殺人を便乗しようとする奴がいたら駄目なのだ。全員を説き伏せる必要がある。


 その為にはあの殺し合いの予告日自体が嘘の産物であるということを広め直さなければならない。一刻も早く、殺そうとする側の人間が次々に増えていってしまう前に。


 そうその方法は……


 


 その後、僕は「なんとかしなくては」という気持ちと、「自分なんかに何ができるのだろう?」という相反する感情が心の中で空回りして、意味もなく電車に揺られる時間を過ごした。


 strangerの家を出たのが十二時半で現在午後三時、かれこれ二時間半も電車の中を右往左往していたことになる。


 テレビ局に行こうなどとは思うのだが場所自体よく知らないということもあって、しかも人に聞いてみるということをするわけでもなく、大した考えもない癖にただこの場にしがみつくためにこうして電車を乗り回しているのだ。


 「さあ、テレビ局へ行こう!!」


 その決心で山手線に乗ったはずなのに結局肝心なところでいつもの対人恐怖症が出て、こうして同じ路線をグルグル回ることで一通り僕の冒険はどっちつかずの方向へ行き詰まってしまった。


 何をしているのだろう? いつまでこんなことをしていなきゃならないのだろう?


 そんなことをふと思う。


 僕の胸に湧き上がるのはただただstrangerに申し訳ないという感情だけ。こんな風に悩むくらいならさっさと道を聞いてテレビ局に出向いて体当たりで交渉した方が、いくらかとはいわず、相当増しってものだろう。それでも行動に出れないのは、僕が人前に出るのが怖いという、自分の欠陥の他に、もう一つ、いまいちことの重大さに切迫感が持てない状況が挙げられる。人々の様子を見ているとどう考えても危機感が希薄なのだ。


 誰もそんなマンガみたいなことがこの世の中で起こりうると思うわけがないと、どうも物事を真っ正面に捕えてしまう。


 無論、strangerは死んでしまったのだから、その日について何も起きないと断定するのは危険すぎる。ただそれはほんの一側面にしか過ぎないのである。


 社会全体がそれこそおかしくなっていないと、こちらがいくら真剣に発言しても、何人かにププッと吹き出されておしまいなのではないか、という人々の反応の予測が、僕の頭を掠めて離れないのだ。そんなこと、僕が自分のなすべきことを果たす上では気にしてなどいられない筈なのに。


 そう、そうなのだ。気にしてなどいられない。皆が「もしかすると大変なことが起きるかもしれない」と認識し始めてからでは、余りにも遅過ぎるのだ。笑われるのを覚悟で主張を続けないとまず間違いなく混乱は人々の中にどんどん広まってしまうだろう。


 しかし、それなのに僕は何にもできていない。こうしてただ意味もなくずっと長い間だらだらと立ち尽くしているだけだ……


 僕は何だか帰りたくなってきた。


 …いや、もういい。帰ろう。僕がこんなところで中途半端に足踏みしていたって世の中の何が変わるというわけではない。家に帰って作戦を練り直すのだ。どうすれば僕が大勢の面前で話す機会を得ることができるかを。


 …そうしよう。


 そうして、僕は自分の情けなさを痛いほど実感しながら、長々と揺られた電車の中から出ることにしたのだ。


 


 しかし、家に着いたところでどうこうなるわけでもない。ただぼけっとしながら内容のない思考を繰り返しているだけ。いたずらに時間だけが過ぎていく。


 夕方の六時を過ぎて、そうこうしているのに辛くなった僕は、何かに気を紛らわせようと、とりあえずテレビをつけてみた。


 もしかすると、ニュースでどんなふうに噂が広まっているか取り上げられているかもしれない。そんなことも漠然と思って。


 すると、つけたチャンネルのところで丁度僕の期待通り、あのデマを信じて暴走し始めている若者達のことの特集が組まれていた。 見るのも躊われるような映像が流された後、どこかの大学の教授が僕らの流したデマについていろいろ否定的な考察をしていた。


 ブラウン管に写し出されたその姿に僕は少し嬉しくなって身を乗り出した。


 「これは『集団性』がもたらしてしまったいたずらが偶然の産物によって肥大化してしまったものだと思われます。


 おそらく当事者は適当な噂を流せば、人やマスコミが興味本位だけで追ってしまうであろうというだけの単純な観測だけで凶行に及んだのでしょう。それを周囲が揃いも揃って、他の誰かもやっているじゃないかという理由でそれが正しいか間違いか、それを流すことによってどんな危険性があるかも考えずに周囲に同意、もしくは批評を求めようとしてしまった。多分本当はその元凶となる素因子はとても小さなものだった筈なんです。それが拡大する原因になったのは、私達の、周りがそうだからといって自分達が発する言葉に何ら責任を持とうとしない心構えにも責任がある筈です。


 もともとこのデマを流した人間も、単なるいたずらがここまで広まるとは思っていなかったんじゃないんですか? それが、オXム真理教という思わぬバックボーンがあって単なるいたずらがここまで広まってしまった。


 これを一人や二人の人間が計画的にやったとは思えません。おそらく偶然の産物なのではないでしょうか? その人物もきっと頭を悩ませていることでしょう。


 もし万が一その人物が仮に私達の想像を超えた発想力の持ち主でこれらのことを計画的にやったのだとしても、どうですか? 私達はその人物が笑っているのをただただ見過ごす形になる。


 こんなの非常にマンガ的な、子供騙しのお遊びでしかないじゃないですか。こんなものに振り回されるほうが馬鹿なんです。


 皆さん、実行者の思い通りの行動しかできない駒なんかになるつもりですか? ここは大人の判断を持って対処してくださいよ」


 時折笑い声も交えながら語る教授の顔を見て僕は安堵の息を吐く。


 そう、そうなのだ。多少細かい部分は目を瞑るとして、それが真実なのだ。


 やっと、僕のいいたいことを代弁してくれる人がテレビに現われた。これで多少は殺そうとする側にいる人間も現実に目を向けてくれることだろう。




 しかし、このときの僕の判断は本当にすぐ後になって甘かったと実感させられることになる。


 次の日の朝、あの教授が突然暴漢に襲われて殺されたとの報道がなされたのだ……


 




 僕は遂に見ることはなかったが、数日間の逃亡後逮捕された暴漢の少年はその際警察にこう証言したと後々の新聞に載せられていたという。


 


 「…んなたあ、こちとらわかってんだよ!!」





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