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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第三章 八節

   8 一九九九年 五月 十九日 (水)


 


三月 七日 (日)




 私の生活はいつまで続くのだろう? いっそ、死んでしまったほうがいいのかもしれない。そうすれば、私は自分の呪縛から抜けられる。でもそれでいいのだろうか?


 私は今まで何もしていない。友達もいないから、その友達とショッピングに行くようなことも遊びに出かけるようなことも一度もない。私の顔からすれば一人前にファッションにこだわるようなことはもっての他だ。


 それに、人並みの恋もしていない。


 誰か、私のことを待っていてくれるような、そんな男の人はいないだろうか……


 ……いるわけがない。そんなの私が一番わかっているではないか。


 どうして、どうして私だけ、という感情が湧き出てくる。でもそれが、私の運命なのだ。それはもう仕方がない、仕方がないんだ……


 今私の頭をくっついて離れないものがある。それは半年前、偶然思いついたあれだ。


 ノストラダムスの大予言を利用したあの殺人予告に見せかけたデマ。人々が殺し合うという内容。


 幼い頃聞いて怖かった思い出があるその予言。ただこの生活に入ってからは、単なる虚仮威しでしかない、そんなので私の閉塞的な日々を終わらせてくれるわけがないと気づいて、もはや考えるようなこともなかったそれは、実は私自身が自由に操ることのできるようなものだったとはその幼い当初は思いも寄らなかった。


 私の人生はもう終わりかもしれない。ただひたすら続く、無為の生活に、私は耐えることができない。


 これを私が思いついたということはもしかするとこんな私に神様が送ってくれたプレゼントなのかもしれない。これを私がやるべきだという、ある種の使命なのではないだろうか……


 


 


三月 十日 (水)




 


 私はあのデマを流すことを実行に移すために計画を立てることにした。インターネットで、あの文章、「一九九九年七月に人々が殺し合う」といった内容の文を入れ、そこから人々に広めていく。


 その人々に広めるというのが問題である。ではどういう方法がいいのか?


 伝言板に書き込み、自分の手で一瞬の間に消してしまう。


 こうすれば、それを見た人が「何だ、何だ?」と思って議論が巻き起こるかもしれない。けど、私にはそんなプロバイダーにハッキングするほどの技術はない。


 ではどうするのか?


 私にできることはチャットに参加することと、ボードに書き込みをすることだけ。これだけで、デマを広める方法はないか?


 そう、ここは日本なんだ。オXムという狂信仰宗教として認知された存在がある。この教団が人知れず殺人予告をしていたということをデマで広めてみるのはどうだろう?


 それがいいだろう。そうすればいずれ、だれかが便乗しようとするだろう。そこから殺し合いが認知されるに違いない。そのためにはどうすればいい?


 私一人でやっても別に支障はないかもしれない。だが、仲間がいたほうが心強い。仲間を探そう。


 どうやって?




 何処か怪しいホームページでそのことを話して募集するのもいいかもしれない。しかし、それだとその噂が広まったところで、その募集要項から私の仕業だと足が付くかもしれない。なるべくなら私がやったという形跡が他の人間の目には残らないほうがいい。


 そう、例えばその人物にだけ手紙で連絡できるようなそんな方法が好都合だ。相手に不審がられることもなくただ、相手の住所を知る方法、そんなものがあるのだろうか……? 


 


三月 十三日 (土)


 


 私は、その一つの方法に気がついた。


 それはインターネットオークションみたいなところで、商品を送るためといって住所を教えてもらえばいいのだ。


 ……ただ、私にそんな売れるものがない。


 詐欺をするなら販売する実物は必要がないが、これはそんな類ではない。その人物とそれなりの信頼関係を築けないと意味がない。そのためには商品は絶対に不可欠だ。そこで私でも送れるものを欲しがっている人がいないか探してみることにした。


 そうしたら、ニフティーサーブのアニメ関連の伝言版で『彼氏彼女の事情』の今週分の放送の入ったビデオを欲しがっている人物の存在を見つけることができた。


 これは自分も好きな作品で全部ビデオに録ってある。この人はLordという名前らしい。イエス=キリストの呼び名をハンドルネームとする人物、この出会いはなんだか偶然とは思えない。


 私は早速彼にメールを送った。


 すると、おそらく数多くきたであろう、その応答の中からLordは私のものを受け入れてきた。これで一人の人物の住所を知ることができた。私は送るビデオの中に添える文章を煮詰めることにした。


 


 


三月 十六日 (火)


 


 Lordに送った手紙の返事がそろそろくる頃だと思う。


 手紙の内容はこんな感じだ。


 私は最初に送ったメールのときもそうだったが、自分は男であるものとしてその文章を書いた。なるべく私が本来持つイメージと遠ざけておいたほうがいいと思ったからだ。そして、そのメインのデマを流す前までに私は、彼に本当の目的について気づかれないように、また、デマというものがどれくらい広まるのかを調べておく必要があると思って、何回か準備期間を設けることにした。どうでもいいような話題を彼と一緒に広めてどういう反応があるのを調べてみるのである。ビデオは無料であげるから、そういう触れ込みで彼がそれに食いついてくれるのを待ってはみているもののそれでも断られるかもしれない。 一応私は、Lordには私の要求を断ってもいいというように手紙には書いておいた。それでもビデオはあげると。そう書く方のがかどうかはわからないけどの信頼を得れるのではないかと思ったのだが、実際にはどうなのか皆目見当がつかない。


 やっぱり、ビデオをあげるんだから強制的にやってくれとでも書いておいてもよかったのではなかろうか? 無記入メールを送り返してくれというのも今考えれば不自然だったかもしれない。別に私のパソコンなんかにハッキングしてくる人間なんていないだろうに。私は何を恐れていたのだろう?


 多分返ってこないだろうとは思いつつも私はずっと彼からのメールを待っていた。すると、本当に無記入のメールが私の元へ届いたのだ。信じられないような気持ちである。


 もしかして、あの文の中の、「友達になりましょう」という部分に魅かれたのだろうか?


 ……そんなわけはないか。私ではあるまいし。


 変なもんだなと思った。私も今までメールを送ったりしてきたが、やっぱりどこかでつくりものでしかないんじゃないか、私の顔を見れば彼らも去っていくに違いないなどと、そういう言葉を見るのさえも嫌になった時期があったのに、何処かで私はそれを求めている。


 これは多分私の本心から出た言葉なのだ。本音をいえば相手にも理解してもらえると思って?


 …馬鹿馬鹿しい。彼は多分社交辞令でちょっとやってあげようと思ったのだ。それだけなのだ。


 何はともあれ私に仲間ができた。これで、デマ流しを実行に移せる。


 


 


三月 十七日 (水)


 


 私は今日の朝早く、彼の元に詳細というほど細かくはないけれど、当日に彼が果たすべき大まかな内容書いた葉書を彼に送った。


 一応その中の内容を配達の人に見られないように紙で覆っておいた。ビデオを送るときもそうだったが、覆うのを青い紙にしたのはは太陽に透かしても中が見えないようにという配慮だ。それならば、別に黒でも茶色でも別に良さそうなものだが、まあ、それだとなんとなく素っ気ないかなと思った。なんだかんだいいつつも一言でいえば私の趣味である。


 それに青にこだわるっていうのはどちらかというと男っぽい感じがするし、相手も何処かで気に留めるだろう。某かで印象を持っていたほうが、相手も自分の個性がはっきりして会話が弾むと思うのだ。


 葉書には読んだ後に処分することなどと書いてみたがこの妙な部分を彼は一体どんな風に受けとめるだろう?


 こちらとしてはなるべく証拠が残らないように燃やしてもらいたいものだが、彼がしゃべらないというのなら、そのままでも構わない。まあ、どちらにしろ相手には雰囲気づくりぐらいしか思われないだろう。


 さて明後日はどうなるのだろう?


 


 


三月 十八日 (木)


 


 今日とんでもないトラブルが発生した。何と彼が急に断わりを入れてきたのだ。テスト勉強がどうだこうだいっていたが、結局思った通り彼は私と一緒にすると約束したデマ流しに、義務的な意味しか持たなかったのだ。


 どうしよう? どうすればいい?


 簡単だ。また仲間を探せばいいのだろう。


 しかし、どうだろう?


 彼は私がデマ流しをしているということを知っている。ということは、もし今後仮に私があのデマを流すことに成功したとして、彼の言葉から私の存在が足が付くようなことはないだろうか?


 …ありうるかもしれない。


 彼をもう一度仲間に引き入れることはできないだろうか?


 私はとりあえず彼にこんな感じのメールを送った。


 「君がいなくても僕はそのデマ流しを実行するつもりです。その際、また気が変わればきみも参加してくれないかい?」


 しかし、こんなことで到底彼が仲間に入ってくるとは思えない。ただ、彼が仲間に入ってくれなかったとしても、一人でやった場合のデマの広がり具合を確かめればいいことだ。案外一人で変なことをいっても人は信じるかもしれない。それならば仲間すらいらないだろう。まあ、どちらにしろ明日の結果次第だ。


 


 


三月 十九日 (金)


 


 今日はテストの一回目。私は英字郎という名前で参加してみた。


 その名前に別に深い意味はない。思いつきである。


 そもそも自分のハンドルネームにしたstrangerも大した意味がない。私がはぐれものだったからというその単語のまんまの意味だ。我ながらそのセンスのなさに呆れる。


 私はチャットに接続したとき、もう駄目だろうと思いつつも心の中のどこかではでは<トリカブト>を待ち続ける。まだ自分は一言も文字を送ってはいないのに、私は今日のデマは失敗するような気がしていた。


 その方がいいのかもしれない。私なんかの行動が成功してしまっては誰もが困るのだ。 本当に? 本当に困るのか?


 私はいじめを受けてこうして部屋に閉じ込もりっぱなしになった。そんな人間がこの日本にどれくらいいるのだ? 彼ら彼女らは、一体どうやったらその生活から抜け出すというのだ?


 私の行動は一つの救いかもしれない。だからやり遂げなければならないのだ。


 私はデマを流した。


 サザエさんのタマの声優がどうのこうのといった内容だ。別段、面白いというものでもない、ありきたりな内容だった。


 最初はやっぱり人に疑われた。しかし、なんと、Lordが急遽このデマ流しに参加してくれたのだ。その甲斐あって、あのデマはある程度の信憑性を持って人々に広まったと思う。


 彼はどうしてこれに参加してくれたのだろう? やっぱりビデオをただで貰って罪悪感があったのだろうか?


 私は「どうして参加してくれる気になったのですか?」と彼にメールを送った。だがしかし、今日は彼からの返事は返ってこなかった……


 


 


三月 二十一日 (日)


 


 一昨日のメールの返事がやっと返ってきた。最初にあの後にすぐにテスト勉強をしなければならなくてメールを見れなかったことを謝る言葉を書いたその後に、彼は私の質問にこう答えていた。


 「嘘をつくということについて抵抗があったから」


 私はそれを見て、何て馬鹿正直な奴なのだろうと、心の中で笑った。インターネット上ではそういう奴もたくさんいるであろうに。


 それに、それでも彼は結局は私のデマ流しに参加してくれたではないか。あれはどういうことだったのだろう?


 私が訊ねてみると彼は今度はすぐにメールが返してきた。


 「やっぱり面白そうだったから」


 面白い?


 まあ確かにこれが最終的にはどんなものになるか知っている私にはそれはそれはとても面白いものに思えるけど、彼はこんなのの何処に魅力を感じたのだろう?


 まさか、友達になってくれという言葉に釣られたのの裏返しでそんなことをいっているのではないだろうか?


 まあいい。Lordは「またやってくれるか?」という問いかけに同意してくれた。これで、ようやく私にも仲間ができたということになる。


 


 


三月 二十八日 (金)


 


 デマ流し二回目。


 今回私はルパン三世の最終回について噂を流してみた。


 実際の話、第一シリーズではこのルパン三世の最終回は野球中継のために放映されていないらしい。だからこそ、そこに付け入る隙があるのではないかと考えたわけだ。Lordのほうもかなり乗り気でいろいろ補足なんかもしてくれた。


 一回目に引き続きの成功。今のところ成功率百パーセントである。


 私はとりあえずあと二回は試してみるつもりである。


 そして、それがある程度の成功率の高い方法だとわかったら、いよいよあれを実行するつもりである。


 


 


三月 三〇日 (日)


 


 最近になって、彼、Lordとメールのやりとりをし始めた。


 彼とはほどほどの信頼関係を保っておく必要がある。その為にはメールでの交流は欠かせないだろう。もはや足が付くなどといっているときではないのだ。


 彼のメールを見る度に思う。


 これは多分全てが本当のことなんだなと。


 以前彼はデマ流しについていったん断った理由を、「嘘をつくということに抵抗があったから」などと答えた。


 馬鹿な奴だと思う。


 たった今、相手している人間はその性別すら本当のことをいっていないというのに。間違いだらけの人生を送っているというのに。


 


 


四月 二日 (金)


 


 三回目のデマ流しも成功。


 今回のデマはアンパンマンに関するデマであった。


 アンパンマンのストーリーでは通常、ばいきんまんとアンパンマンの戦いがあって、その途中にアンパンマンの顔が濡れるなり汚れるなりなんなりしてアンパンマンの力が抜けるが、その後ジャムおじさんがアンパンマンの新しい顔をつくり、それを受け取ったアンパンマンがばいきんまんを倒すというのがお決まりのパターンになっているが、今回のデマとして流したのは、そのアンパンマンの顔の材料が、ばいきんまんの妨害によってなくなってしまい、材料を無くすために代わりにたくさんつくられた春巻きによってアンパンマンの代替の顔をつくりばいきんまんを倒すというものである。名付けて、『春巻きアンパンマン』、である。


 どうしてこうもみんなあっさり騙されるのだろうか?


 一人がいった出鱈目と見ず知らずの人間達が合致させた様に見える言葉とでは全く意味が違うということだろうか?


 しかし、我ながらよくこんな方法を考えついたものだ。


 この流れで四回目も成功といこう。


 


 


四月 五日 (月)


 


 今日はどうしたことか彼からこんなメールが届いた。


 「strangerは女の人についてどう思いますか?」


 私は最初その文字を見たとき、ププッと思わず噴き出してしまった。


 さては恋の相談でもあるのか。彼も純情だな、などと思って続きを読むと実はそうではないことに気づいた。


 彼はどうしても女の人を好きになれないという。その理由は昔、クラスの女子にいろいろと嫌なことをされてそれ以来、完全に恋愛の対象からは外れてしまったのだそうだ。


 彼は今、男子校に入っており、そこで先日、学校に新しい女の教師が赴任してきて偶然自分のクラスの副担になったなったのだという。他のクラスの男子はそれを少なからず喜んでいるように見えたが自分はそうは思えないという。そんな周囲の状況を見て、そのギャップに悩んでいるらしい。


 おそらくこの質問は私が男と思って行ったものなのだ。


 本当は女である私はそれを見てなんだかぽーっとしてしまった。


 男はみんな女を性欲の対象としてぐらいにしか見ていないと思っていた。だから、私のことも化け物ぐらいにしか認識されない。


 しかし、彼は違うのだ。


 私はここまで彼とメールのやりとりをしてきて、彼のことはいい意味でも悪い意味でも素直な人だという印象を受けていた。そして、私と同じように他の人間から毎度のことのように煮え湯を飲まされてきた。だから私は殆ど他人とは関わらない、傍観の立場になったのに、それなのに彼はどうしてなのか私のことをこうして悩み事を相談してくれるぐらいまでに慕ってくれている。


 おそらく、そうやって訊ねてくるということは胸の奥底では女の人を信じたい気持ちがあるのだろう。私がどこかで人を信じたいと思っているように。


 もし私が実は彼の嫌いな女だといったら彼は私を受け入れてくれるだろうか?


 …駄目だ。そこまで彼が私のことを受け入れてくれる根拠がない。今まで素性を騙っていたのだから無理に決まっている。


 私は本当のことは書かず、こう答えた。


 <いつか君のもとに、君を受け入れてくれる女性がきっと現れてくれるんじゃないかと思う。だから、今まだ無理かもしれない。でも、いつか、その時の為に心の何処かで女の人を受け入れるを用意しておいた方がいいと思うよ。>


 でもそれは私じゃない。私なんかじゃないんだ……


 


 


四月 九日 (金)


 


 今回はこういうデマにつきものの童謡を使ってみた。


 『さっちゃん』や『しゃぼんだま』などには変な噂があって、『赤い靴』というこれほどまでに無気味な曲にそういった噂がないのはおかしい。そこをついてみたわけだ。


 そうして四回目も成功。いよいよ、来週には本番をすることになる。


 しかし、私は最近、迷い始めている。彼に全てを話しておかないであれを実行してもいいのかと。


 彼は……友達だ。


 そのまま何も告げずに行なってしまえば、彼を裏切ることになる。


 本当か?


 今の時点でもはや彼を裏切っているんじゃないのか?


 自分の本性を話さないで、上辺だけ繕っている。それだけでもはや裏切りだ。


 私は最低な人間だ……


 


 


四月 十一日 (日)


 


 今日もまた彼のことを考えている。


 彼に真実を話そうか、そう思い始めている。


 私の人生は今までずっとボロボロで、もはやこの世に失望している。だからこの世を滅茶苦茶にしてやるのだ。それに協力してくれないかと。


 私が彼にいいたいのはそんなことか?


 私は本当は彼とずっと仲良くしていたいのではないのか? 計画なんてやめて、彼に会いに行きたいんじゃないのか?


 駄目だ。


 私なんか誰も受け入れるはずがない。彼にああいっておきながら、本当にその心が必要なのは私なんだ。


 Lord君。


 私は君は顔に傷がある醜い女の子でも受け入れてくれますか?


 


 


四月 十三日 (火)


 


 私は彼がどうしてで私のデマ流しなんかに参加してくれたのかをもう一度改めて考えてみた。


 彼はわかっていたんじゃないだろうか?


 私がどんな惨めな生活を送っていたかを。


 自分では嘘をつくということに対し、ある種の後ろめたさがあった。だから彼は一度断わりを入れたのだ。


 でも、彼はそんなデマ流しなんて暗いことをしている人間には、おそらく友達がいないって知り得ていたのだ。だけど、彼は自分が断ることで、その人間がまた独りぼっちになるということに対して、それ以上に強い抵抗を感じたのだ。だから私なんかに友達になってくれようとしたんだ。


 どうしよう。


 私は彼のことをずっと騙し続けるの?


 でも私は……


 


 


四月 十六日 (金)


 


 今日、私はあのデマ流しを実行した。


 どうせ、どうせ、彼とは出会えないんだ。このモニターからの交信は相手のとても近くにいるようで、もの凄く大きな隔たりがある。その隔たりを超えることなんて私には赦されていないんだ。永遠に、永遠に……


 この環境下でいくら言葉で信頼しあうことができても、その姿を晒すことのできない私にとっては、単なる苦痛でしかないんだ。だから壊すしかないんだ。全てを、全てを…… 私は今回に限ってもう一人、昔知り合ったメールの友達にいって協力してもらった。三人の力でそれは成功した。


 これで私の計画の一段階は一通り遂行がなされた。だけど私はそれと引き換えに大きなものを失った。


 もう私は誰とも会話をしたくない。いくらそんなことをしたって私は傷つくだけなのだから。


 だから私はもうパソコンのモジュールを電話回線から抜いてしまった。こうなって心残りはただ一つ、彼に謝らなきゃいけないということ……


 


 


四月 二十日 (火)


 


 どうして、どうしてなのだろう?


 もう終わりだと思っていたのに、どうして彼のことが頭から離れないのだろう?


 もしかすると、私は彼に恋をしているのかもしれない。まだ一度も顔を見たことがないというのに……


 見てみたい。彼のありのままの姿を。突然そんな思いに駆られた。


 遠くからでもいい。その為にがっかりしてもいい。少しでも彼の存在が感じ取れればそれでいいのだ。それで私は……心置きなく死ぬことができる。


 私は久し振りに家の外から出て、彼の住んでいるというマンションを探してみた。顔には風邪の流行る季節でもないのに大きなマスクなんかして。


 多分口裂け女が実際に現れればこんな風貌なんだろう。自分の姿を想像して、大笑いをした後、ぴょっぴり泣いた。


 外ではやはり一目が気になったけど、彼のことを思って構わずに進んだ。私は三時頃に家を出て、五時頃に彼の住んでいるというマンションを探し当てた。


 ここが彼の住んでいるところなんだ……


 私はただそれだけで嬉しくなった。


 マンションに近づいてみて、オートロック式だったので中には入れなかったが、彼の家のものと見られる集合ポストを見つけ、意味もなく手を入れてみたりした。私は何をしているのだろうと心の中で思った。


 私は彼の帰りをマンション近くの公園で見守ることにした。


 私は彼の顔を知らない。だが私にはたった一つだけ彼を識別できるかもしれない方法があった。彼は男子校だといっていた。もしかすると私も知っているような学校の制服を来ているかもしれない。それだけを目印に私はその人を探し続けた。


 制服の人たちは通るものの集団で同じものを着ているのでどう考えても彼ではない。たまに高校生らしき人が変わった制服で前を通り過ぎたが、それは自転車に乗ってで、しかもマンションでは止まらなかったのでどう考えても彼とはいえなかった。時々そんな下校途中の学生達が私のことを遠巻きに怪しい奴がいるぞ、などと口走るのを聞きながら待つこと一時間半、一人の男の子が背中を丸めて歩いていきた。


 その制服はあの有名なK高校のもの。そこも確か男子校だったはずだ。


 髪の毛を刈り上げにしたその男の子は、確かに彼が住んでいるというマンションに入っていった。


 彼だったのかもしれない。ようやく彼の姿を見ることができた。しかし、初めて目の当りにした彼は、とても厳しそうな顔つきをしていた。ああ、私の入り込むような隙はないんだなと悟って、私はがっかりしながら、家まで帰った。


 玄関まで辿り着くと、そこでは珍しい私の外からの帰宅ということからなのか、何故か母親が私のことを出迎えていた。


 なんで、なんで、毎日毎日私のこと邪魔もの扱いしてたじゃない。どうしてこんなときにだけ、優しくしてくれるの? 私にはもう誰もいないと思ったから、そう思ったからあんなことしちゃったんだよ? それなのに余計辛くなるじゃない。私のしでかした行為のあまりにも取り返しがつかないことになっているという事実が。


 私はもうあなたの娘じゃなくなっているの。あの日、あんなことをやってしまったその時から……


 


 


五月 四日 (火)


 


 新聞に載った週刊誌の広告でいよいよ、私が流したデマがオXム真理教の起こした事件として記事で扱われているということを知る。


 遂にこのときがやってきた。このまま思い通りに進めば計画は全て順調に進んで行くことだろう。


 だがしかし、私は今このままでいいのだろうかと、後悔し始めている。私はこのまま何もないまま終わってしまって。人とまともに接することすらできずに終わってしまって……


 彼はこの記事を見たのだろうか? 見たとしたらどんな気持ちなのだろう?


 やっぱり私のこと、さぞかし怒っているんだろう……


 考えないようにしようと思ってもいつの間にか彼のことを考えてしまっている自分がいる。彼との関係を断ち切ったのは私だったのに……


 


 


五月 七日 (金)


 


 いよいよ、オXム真理教が記者会見を開くまでになった。


 ざまを見ろ、なんて微塵も思わない。私はただただ胸が苦しくなるだけだ。


 …やらなければよかったかもしれない。いや、絶対にやらなければよかったのだ。


 私は後悔していた。


 何が「これは神様のプレゼントかもしれない」だ。そんなもの神様が送ってくるわけないじゃないか!!


 どうすればいい? どうすればいいの?


 ……助けて、Lord君。


 私はもはや絶望的な感情がどう足掻いても心の中から拭い切れなくなっていた。


 


 


五月 十四日 (金)


 


 とうとう私はそれを見てしまった。


 チャットで交わされた文字の中に、「便乗しねえか?」という文字を。


  …計画は何事もなく無事に終わってしまった……


 これで思い残すことは何もない……


 …………そんなわけない。


 まだまだやり残したことがたくさんある。たくさんあるよ……


 …やり直したいなと思った。死んで全てをやり直したい。


 今はこんな顔で誰ともまともに目も合わせられないけれど、いつか生まれ変わって、きれいな顔になることができたなら、そのときは、Lord君も私のこと好きになってくれるかな……


 


 


 


 日記はそこまで終わっていた。


 きれいだよ。そんな傷があったって君の顔はきれいだった。


 そうだ、君が見たのは間違いなく僕だ。どうして、君は声をかけてくれなかったんだ? 君が会ってくれると事前から知っていればそんな辛気くさい顔、しなくて済んだだろうに。


 どうして、どうして、君は僕に何もいわずにそんな選択をしてしまったんだい? そんな苦渋の選択をしてしまったんだい?


 そんなんじゃあ、僕は君に何かしてやりたくても何もしてあげられないよ……


 目からは涙が留処もなく溢れ、僕の顔はすぐにぐしゃぐしゃになる。僕はもはや一つ起きてしまった取り返しのつかない事態を前ににただただ胸を詰まらせることしかできなかった。


 どうして欲しい? どうして欲しいんだい、stranger?


 君は手紙に書いてた通り、僕に世界を元に戻してほしいのかい? …でも、どうすることもできないよ、君や僕のちっぽけな後悔くらいじゃあ、間違って転がり出した世界は急に止まったりなんかしないんだよ……


 何でもいい。何か一つでもいいから世の中の混乱を食い止められる手立てがないと…… stranger、まだ他にこの計画のことで僕が知らない情報がないのかい?


 どんな些細なものでもいい。頼む。あったなら教えてくれよ……


 だけど、君に関するファイルは全て開いてしまったし……


 そこで僕はようやく一つのことに気がついた。


 そうだ、まだstrangerが最後に消したファイルがディスクの中に残っているかもしれない。


 僕はそう思ってstrangerのファイルを復活させてみた。


 すると、日記のほうでは何も出てこなかったものの、メールボックスの方から宛先の意味不明なメールが出てきた。


 名前はない。


 しかし、そのタイトルはこの僕にも見覚えがあった。


 チキューカンキョノカンゼンホゼノ


 これは、以前僕に届いた、いたずらメールと同じだ。日付は五月十五日、strangerの死んでしまう一日前だ。


 僕はこのメールに何かの秘密があるのではないかと思って、恐る恐る開いてみた。


 コンピューターウイルスかもしれない……以前にそう思って消したように今回もそんな危惧もしたが、その必要もなく、中身は結局、何も書いていない白紙の状態であった。


 僕はフーッと息をついた。


 だけど、これは僕とstrangerのパソコンに共通して入っていたメール、この偶然はもしかすると、何らかの意味を持つものかもしれない。今は情報不足でそれに結びつくようなことは何も思い当たらないが、今後僕がなすべきことを果たすためには、このメールのことを念頭に置いておく必要があるだろう。




 strangerのことをいろいろ知ることはできたものの、その他にはなんら現状の打開策も見つけられぬまま僕は彼女の家を後にすることになった。





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