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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第三章 四節

   4 一九九九年 四月 二十八日 (木)


 


 僕が先生に現を抜かしている頃にも世の中は少しずつ動き出していた。


 今日の学校の帰り、ラッシュ時の電車の中で僕は偶然近くにいた女子中学生がこんな会話をしているのを聞いてしまったのだ。


 「ねえねえ、知ってる? 今日マミからメールがあったんだけどさ、オXム真理教がさ、一九九九年七月一日に人々を殺し始めるんだって……」


 「エッ、ホント?」


 僕は耳を疑った。来るべき日が来てしまったと思った。


 もしかしたら噂はこんなふうに広まってしまうのではなどと危惧はしていたものの、そうなってしまっている状況を知るということ自体が怖くて、僕は現状確認ーーチャットを見るということすらしていない有様だった。あんなゴシップ、すぐに消えていく運命にあると思ってたのが甘かった。


 まさか本当にオXムの仕業として広まっているなんて……


 いやそれだけじゃない。


 今、この会話がなされたのは一体どこだ?


 インターネットという皆が責任なく話し合える場所ではない。現実空間の、これも公共の場でだぞ?


 もはやそれくらい多くの人にそのデマは広まっているということなのだろう。しかもやっかいなことに今の話を少なくとも周囲の人間何十人かが聞いてしまった。会社員が多いので、まさか一度だけ聞いただけでその情報を鵜呑みにするようなことはないだろうが、違う場所で二度、三度と聞いていくうちに「おやっ」って気に留めるようになるだろう。勿論、一回聞いただけで、「これ電車の中で中学生が行ってたんだけどさあ……」などと嘘か本当かわからないこととして他人に話してみる人間だっている。その際、それを根掘り葉掘り誇張して、あたかも真実だというようにして皆の注意を引きつけようとしないわけでもなかろう。


 でも大丈夫だ。これだとここら辺だけに口コミで伝わるのが限度だ。他の地方の人間には全く伝達さない筈だ。


 都市部、それも東京地方だけにということであれば、いずれ声の大きい関西人辺りが「そんなん嘘に決っとるで!」といい切ってくれるだろう。それでみんな平静を取り戻し、事無きを得るに違いない。


 きっとどこかで歯止めがかかるさ。


 僕は安心して人混みの中から顔を上げて新鮮な空気を吸う。


 ゆっくり吐息を吐きながら視線を下ろしていくとふと車内に吊り下がっているものが思わず目についた。


 週刊誌の中吊り広告。


 もしこの週刊誌であの噂が取り上げられてしまったとしたら……


 以前、志村けんが死んだのではないかというゴシップが週刊誌に載ったことがある。その元ネタは小学生が面白半分で流した嘘であり、無論志村けんは生きていたのだから、それは冗談だったと誰もがわかった。しかし、その噂が流れた当初、志村けんのメディア媒体への露出度は低く、テレビを見ていた人たちは「あれ、どこ行ったんだろう?」と疑問に思っていた頃だった。噂が広まるには多少なりともそれを信じ込ませるだけの信憑性、いい換えるなら隙があるのだ。


 僕が関与したデマについてはどうか?


 オXム真理教の教典には『ハルマゲドン』なるものの存在があり、その『ハルマゲドン』とは、西暦一九九七年の七月に、世界で最終戦争が起こるというもので、オXムは自分達に宗教に入ればその戦いの最中でもあなた達だけは救われる、といった触れ込みで布教活動を進めていた。一九九五年、地下鉄サリン事件で日本中をパニックに陥れたオXム真理教であったが、教祖である麻原彰晃の逮捕や、自らが起こした事件の膨大な額の賠償請求、再三に渡る政府の宗教法人としての活動停止命令によってもはやとっくに解散がなされてもおかしくはない筈だった。しかし、今も尚、オXム真理教は教祖麻X彰晃の教えに従い、日々暗躍しているという。


 そんな彼らが、あの日本中に知れ渡った奇跡的なゴシップ、ノストラダムスの大予言のよる、アンゴルモアの大王が空から降ってくるという一九九九年の七月に『ハルマゲドン』の予告をしてもおかしくはない、などと人々は考えてしまうかもしれない。…というより、その『ハルマゲドン』とやらは明らかにそれを意識してつくられたものだ。皆がそう考えて当然だろう。


 また、strangerの考えた文では、ラジオの電波でその噂を流したということになっていた。これを、ノストラダムスの詩の部分、『アンゴルモアの大王が空から降って……』の行と照らし合わせ、電波が空から降ってきたのではないか、などといかにも予言は当たっていたという態度をとる人間だって現れてくるだろう。


 いずれにしても、馬鹿げた話であることには代わりが無いのだが。


 しかし、興味本位で責任はとらない、ゴシップ好きの客を集めるために、週刊誌は内容の信憑性が高い低いに関わらず、面白いネタなら好んで取り上げようとするかもしれない。そうなったら大変だ……


 ………


 …と思ったが、よくよく考えてみると何が大変なのだろう?


 皆、七月一日にオXム真理教をいっせいに吊るし上げれば事足りてしまうのではないだろうか?


 もともとオXム真理教自体、悪い宗教ではなかったではないか。僕らが困ることなんて一つもありやしない。


 だが、いまいちしっくり来ない。


 strangerは一体何を考えていたのだろう? もしかしてもっと深い意味があったのではないか?


 今はもうstrangerとは音信不通になっているだけに、僕は何かか無気味なものを感じずにはいられなかった。


 


 塾から帰ると僕は真っ先にモニターの前に座った。


 僕はあの日以来、久し振りにパソコンに触れる。


 僕はstrangerとだけしかメールのやりとりをしていなかった。だから彼がいなくなった以上、それはもはや中途で止まった。


 また、彼がいなくなってからインターネットをやる人間自体が怖くなってしまったということもあって、ホームページやチャットの閲覧すらしなくなってしまったのである。


 しかし、僕がそんな恐怖を押してまで、またそれに接しようと思ったのは他でもない。夕方、帰りの電車の中で女子中学生があのデマの話をしていたので、ここでは一体どうなっているのか気になったのだ。


 今、接続しようとしているのは、勿論、NIFTY SARVE、リアルタイム会議室。ここが僕とstrangerが流したデマの発信源である。


 世の女子中学生達が知っているくらいだから、ここではどんな有様になっているだというのだろう……


 案の定とんでもない事になっていたので僕は言葉を失った。


 僕がstrangerの話を脚色したのを、更に脚色されて、それがあたかも普通のことのように会話がなされているのである。


 僕が青いワゴン車と漠然と書いたものを、具体的な車種を特定したといい張る奴、俺はその声というものを実際に聞いた、その声は声優の誰某に似ていた、いや、俺が聞いたのは機械音だったなどと議論を交わす奴、実際にはその声がラジオの電波じゃなくて電話でかかってきたなどといい張るやつまでいた。


 どれもこれも嘘臭い。しかし、皆が本当だと思って発言しているわけだから始末に終えない。


 また、書き込み板では、オXムを激しく追求する奴や、逆に賞賛する奴まで現れるという状況。ここまで来るともはや唖然とするしかない。


 strangerはここまでの影響力があることを知っていてあれをやったのだろうか?


 いうまでもない。そうに決まっている!!


 strangerの目的は何なんだ?


 まさか、strangerはオXム教団の一員で、世の中を終わらせたいと願っている若者たちを自分達の教団へと入れることを目的としているのか?


 ではもしかして、あの怪電波もオXムが本当にやっていることなんじゃあ……


 ここまで皆信じているのだから、もしかすると本当のことなのかもしれない。そんなことまで思い始めてくる。


 僕は最初からこれがデマだとわかっていた筈なのに、何故こうも迷ってるんだ?


 それもこれも原因はstrangerにある。strangerは、strangerは一体どこへ行ってしまったのだ?


 僕にstrangerを探し出す術はない。


 最初からあっちが連絡をしてきて交流の主導権を握っていたのだ。僕はその必要がないと思っていたから、住所なんて訪ねるような真似はしなかった。チャットで会話した相手に彼の行方を訊こうにも、毎回僕らは違うハンドルネームで参加していたのだ。そんな事情を知らない人間に訊ねてみたことで何の意味もない。


 そう、プロバイダーがあるじゃないか。そこなら登録している人間全ての連絡先もわかるだろう。実は以前にも電話をかけてみたが、お客様の個人情報を教えることはできないとのこと。今回もう一度かけるにあたって、「どんな理由であってもですか?」などと、食い下がってみたが無論駄目。喉まで出かかった事情をグッとこらえて僕は受話器を置いた。


 頼む、stranger。


 君がオXム信者でもなんでもいい。出てきて僕に本当のことを教えてくれよ……


 


 それから数日後、ただのいたずらで始まった怪電波の話は、オXム教団の殺人予告にまで繋がった。そして、様々に飛び交う人々の噂に当然の如くマスコミ各社が飛びついてきた。


 strangerがつくった話にオXム真理教の云々を付け加えられたその内容は、まず携帯電話のメールで人々の話題としてやりとりが急増、直に週刊誌の記事のネタになり、さらにはテレビのワイドショーに飛火した。それが引き金になってオXム真理教バッシングが過熱し、教団の支部のある周辺住民はオXム信者の移住拒否を激化させた。


 そして、当のオXム真理教は日に日に高まる人々の疑惑の目に、やがて記者会見を開かざるを得なくなり、その場で「当法人はそのような電波を出してなどいません」と全面否定した。


 これを見て僕は確信した。


 オXムは本当に何にもしていないのだ。strangerはオXム信者ではないし、オXムのことにはいっさい関与していないということだろう。


 最初僕はstrangerがオXム信者で、布教のためにデマを流したのかと思ったのだが、実際にはそんな効果はほとんど無く、逆に教団は糾弾までされている。これならまだ何もしなかった方がマシだろう。


 どう考えても皆が騒ぎててている論理はおかしいのではないか?


 一度この噂をすれば、もしかするとオXム信者の仕業だと誰もが思う。しかし、よくよく考えれば、オXムにメリットはないことがわかる。それなのに、皆、オXム真理教が「やってない」といっているのを信じようとしないのだ。


 まあ、教祖が自分の関与した事件についていまだに黙秘しているわけだから、そんなことをいっても誰も信じようとしないのは当たり前のことかもしれない。しかし、余りにも皆よってたかって言及をし過ぎなのではないか?


 多分、殆どの人間はゴシップをいいように利用している。嘘かどうかもわからない情報を種にして半分は本気で、半分はただ単に面白いからという理由で、非難しようとしてるのだ。いいタイミングができたから、皆でよってたかって弱いものいじめをしようっていう、そんな風潮に差し掛かっているのではないか?


 strangerはそんなことがしたかったのか?


 確かにオXム真理教は悪いことをした。そのために数多くの人が傷ついた。傷つけたではすまない、人生そのものを破壊された人も決して少なくはなかった。


 でも、どうなんだ?


 strangerにオXムを嵌るような権利があるのか?


 地下鉄サリン事件の被害者ということが考えられなくもないか。stranger本人じゃなくても親族が被害者だということもありうるかもしれない。


 いや、違う、それだとしたらstrangerが僕の前から消える理由が説明つかない。デマを流し始める前に本当のことを話してくれたってよかった筈だ。


 それにstrangerはデマを流す夜「今日のは自信作なんだ」なんて漏らしていた。これは明らかな愉快犯である証拠だ。


 僕は風間達のことを思い出す。


 彼らは僕に煙草を吸っているところを見られて、僕をいじめるようになった。奴らは理由の無い因縁をつけて僕を詰り始めたんだ。


 strangerのやったことと風間達のやったことのどこが変わっていない?


 暗いことを考える奴をちょっと目に触るのでとりあえず集団で痛めつけましょう、っていうはいじめっ子の論理じゃないか!


 オXムだってもう何もやる気が無くっても、そこまで糾弾されたら、追い詰められて何かやらざるを得ないのではないか?


 そんなことになったらプレッシャーをかけた単なる興味本位で頭を突っ込んだ奴らは、「ほら見ろ、いわんこっちゃない」ってまた強気の態度に出て、オXムはまた不服感を募らせる。永久にその悪循環の繰り返しだ。


 やめさせなきゃならない。


 そのためには、僕がまず自分がやったことを白状する。そして、それにオXム真理教は関係ないんだっていえばいい。


 そうだ。そうするしかない。


 僕とstrangerとでデマ流しをしたチャット上で、自分のしでかしたことを告白して詫びを入れるんだ。


 近く警察がオXムに二度目の強制捜査に踏み切るとの噂も出てきた。その前になんとかしなくては……


 夜、僕はパソコンの前に座る。


 そして、再三に渡って繋げたNIFTY SERVEのリアルタイム会議室へ久し振りに接続する。


 間違いは正さなければならない。


 そんな切羽詰った状況でもモニター向かった僕だったが、そこに書き込まれた文字を見て、あんまりにも意外にで拍子抜けしてしまった。


 そこでは僕の出るまでもなく、その怪電波を流していた人物はオXム信者達ではないのではないかと、疑われ始めていたのである。




 >エッ、なんでお前そんなこと思うの?


 >だってさあ、あんまりにも意味がないじゃないか。そんな電波を流すこと自体にさ。  こんなに糾弾されてさ。




 そう、それが真実である。


 『怪電波を流したのはオXムじゃない』


 僕はここまでで話が終わると思っていた。


 だが、話は全く別の方向へと進もうとしていたのだ……


 


 >こんな怪電波を流すんだったらさあ、もっと別の奴がやるんじゃないのか? オXム  真理教に自分の罪を被ってもらっておいてさあ。


 >おいどういうことだよ。


 >…・だからさ、オXム以外の別の狂信仰宗教があるんじゃねえかっていてんだよ。


  その当日になって、警察も他の奴らもオXムに気をとられてるうちにその宗教の奴ら  がブスブスと人を刺してくんだよ。


  …・「バーサーカー」がなんとかっていてる別に誰も、オXムが何だっていってるわ  けじゃないんだろ?


  どっかのおかしい宗教でもいいわけだ。


 >ああそうだなあ。


 >だからオXムが強制捜査されたって、油断できないんだよ。


 >そうか、よかった。オXムが駄目になってこのまま何も起こらなくなっちゃうんじゃ  ないかって思ったよ。


 >おいおい(笑)


 >なあ、よく考えりゃ、あの予告はオXムじゃないかもしれないんだろ? どこの馬の  骨かもわからないねえ宗教の奴かもさあ。どこにどれくらいいるかもわかんねえよう  なさあ。


 >そうだろうなあ。


 >そこで俺、面白いこと考えたんだけどさあ。


 >何だよ。勿体ぶんなよ。何なんだ?


 >…・便乗しねえか?


 


 このときようやく、僕にもstrangerがこのデマを流した真の意味がわかったような気がした……





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