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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第二章 八節

   8 一九九九年 四月 六日 (火)


 


 今日から授業が始まるという。おそらく気を引き締めていかなくてはならないのだろうが、僕は朝からかなり憂鬱であった。


 何であんな若い女が教壇に立つというのだ?


 男子校なんだから男子校らしく男の教師ばかりにしろよ。


 教師というのは、口うるさくいわないオジサンか、オバサンが一番いい。まあ、確かに一時期はいじめから救ってくれるような正義感の強い教師を渇望したこともある。しかし本当に少しの間だけだ。そもそもそんな人の真ん前にずけずけと入ってこれるような奴を僕はまず受け入れられないだろう。変に気を遣われて始めたらますますやっかいだ。


 暗い性格はいけない。


 何故そんなことがいえるのだ? 何故そんな簡単に人を否定できるのだ?


 僕をこんな風に空に閉じ込めさせたのは間違いなくお前らなんだぞ!


 …あの教師、皆様の力添えになれるように頑張りますだあ? 誰もお前なんかの協力なんか必要としていないよ。


 教師なんてのは、ただ教科を教えさえすれば誰でもいいんだ。ましてこの学校ではそんな教科の学習さえも有効に機能していないからそれもいりもしない。


 そういえば、あの女、教科は国語だといっていた。


 誰かの主観で書かれたものを、そのまた誰かが主観で細かく分析する。しかもそれを皆違う筈の主観に当てはめさせるーーそれこそ無駄な作業じゃないか。


 何故そんなことをやらせようとするのだ? 自分の価値観は正しいんだ、てめえの価値観は間違っているんだとか、ただ単にひけらかしたいだけなんじゃないのか?


 それでも僕はその他人の価値観を意識して生きていかねばならない。表向きは平気な振りをして。


 わかっている。そんなことを考えること自体無駄だっていうことは。


 ただ僕は、あの女はこうして教師になるまであまり悩むことなくファッションや流行なんかに興味を持ちながら生きてきたんであろうっていう、パッと見だけで判断した彼女の人生と、自分のドス黒い生き様とを比較して、あんまり深い意味もなく僻んでたってだけのことなんだろう。まだ一言も話したこともないのに自分もよく人見知りする。


 関わろうとしなければ寄りつかれない。


 風間達の件に関してはしくじってしまったが、それは前から知っていたことだ。


 


 あの女の授業は二時限目にあった。


 クラスメイトの半分くらいは新しい顔なのに、今までとほとんど違和感を感じないのは、授業中の風景も、休み時間の雰囲気も大して中学のときと変わらないためだと思う。


 いや、活気がないという点では、前のクラス以上かもしれない。トップになりたくていくら頑張ってもトップになれない。もしくは、トップから抜け落ちたという人物達の溜まり場となっているのだから。そんな奴らが放つ、マイナスの空気が充満した教室の中にあの女はやってきた。


 彼女が入ってくると華やかな雰囲気になるなるのかと思えばそうでもなく、教室はいたって湿っぽい状況のまんまだった。


 最初に思った感じとはどこか違う印象を受ける。


 そこまでけばけばしいという感じではない。どちらかというと大人しい感じである。僕の目が、女といえば派手なものだと認識して脳の中で誇張して伝達されたためにそんなギャップが生まれたのだろうか?


 女は左手首の内側の腕時計を見た。その際上げた指に何かこちら向きに光るものがあった。


 …まあ、意味もなく愛だなんだとかいっている奴らと同レベルなのは確かだ。


 「…は、始めます」


 何だかたどたどしい。この時間があの女にとって初めての授業だということだろうか。 号令係が声をかけると、僕は一応、起立をして頭を下げた。


 席に着くと早速僕は一つ溜息をついた。


 さっさと終わっちゃえよ、こんな時間。


 しかし、僕はあの女に目をつけられないように、寝ることもなく普通の生徒として授業に参加しなければならない。本当は見るのも虫酸が走るんだけど、まあ仕方ない、僕は女のほうに目をやる。


 教師である女はまず黒板に自分の名前をでかでかと書いた。


 「皆さんに現代文を教えることになりました、岡崎千鶴です。よろしくお願いします」 教師は大声でいったが、クラスの反応は芳しくない。


 「どうしたの? みんな元気ないなあ…」


 教師は動揺していた。


 「…どこか、具合でも悪いのかな? ここのところ気温が上がったり下がったりが激しかったからね……」


 教師は生徒たちの反応の悪さをそうやって一人で勝手に決めつけた。


 なんでいちいちそんなどうでもいいことを口に出す? 同意を求めたいのか? 大体どうしていちいち生徒の機嫌をとろうとするのだ? そんなことをしたいんだったら、こんな私立じゃなくて公立の学校の教師になれよ。


 「…まあいいか、じゃあ早速授業始めましょう。えっと、今日は教科書の一番初め、六頁からね。じゃ、四月だから出席番号四番の宇野君読んで」


 宇野という生徒は微動だにすることもなくこう告げた。


 「何故ですか?」


 教師は目を見開いた。


 「えっ…? 何故って、教科書を読まないと授業にならないでしょ?」


 宇野はそれを聞いて鼻で笑う。


 「授業きちんとやれば、成績が上がるんですか?」


 教師はさらに驚く。


 「どうしてそんなことを訊くの? 上がらないわけがないでしょ。授業中にやったことがテストに出るのよ?」


 宇野はまた鼻を「ふん」と鳴らす。


 「学校の、じゃなくて塾の方のです。別に学校の成績なんてどうでもいいんですよ。きちんと大学にさえは入れればね。僕は塾の宿題があるので、教科書を誰かに読ませたいっていうんなら他の人に頼んでください」


 もはや教師は何にもいえなかった。少しうなだれた後、気を取り直してまた別の人間を指す。


 しかし、誰もがその申し出を拒否する。


 「意味がない」


 「他の奴と変わってくれ」


 「今は休憩の時間なんだから静かにしてくれ」


 などと、そのほとんどが身勝手な理由で。


 そんな状況に教師はほとほと愛想が尽きたらしく、「もういいです。私が読みます」といって一人教室に響き渡る声で教科書を読み始めた。


 それを見て、生徒たちは今まで通りだと安堵する。


 が、しかし、教師は何を思ったのか音読をしつつ、教室を回り始めたのだ。


 まず窓側近くを窓と平行に教室の後ろに進む。その間に寝ている生徒の肩を揺らして起こしたりしながら。起こされた生徒は不満そうな顔をしている。要するに朗読と同時に生徒たちの監視もやっているらしい。生徒達の大半が自分の授業に関心がないと心の中ではわかっているだろうに、よくやるもんだ。


 教師は教室の後ろへと回ると、今度は廊下側へと近づいてくる。


 僕の席は廊下側の一番後ろの席である。あの教師が近づいて来る。


 来るな、来るんじゃない。


 僕が震えながら立ち去るのを見送っていると、教師は僕の斜め前で突然悲鳴を上げ、音読をやめた。


 前の席の風間が左手を教師の尻へと伸ばしたのだ。


 「何をするのよ!」


 怒った口調で教師がいう。


 「…邪魔だから。触られたくなかったら教室キョロキョロ歩くなよ」


 いつも風間にちょっかいを出されている僕だがこのときだけはさすがに彼に拍手を送りたい気分になった。


 教師はそれを受けて教卓に早足で戻り、また朗読を始める。


 その後風間は勝ち誇ったかのように居眠りに興じ始めた。


 先ほどと変わって、教師の声がだんだん小さくなる。


 なんだよ、聞こえないよ。生徒たち全員に読んで聞かせるんじゃなかったのか?


 そんなすっかり調子のなくなった教師に窓際の一番前とその隣に並んで座っていた山岸と羽島が、ヘラヘラしながらこう訊ねた。


 「岡崎さーん、やっぱりやりたいからこの学校にやってきたんでしょぉ?」


 教師の口が完全に止まった。教師は声のした方に体を向ける。


 「そ、そんなわけないでしょ!!


 ほら、私、こうして左手の薬指に指輪しているし……」


 否定したいのならそういう風に弁解するのは逆効果ではないのか? 落ち着いた口調で話をしようとしているのだろうが、この言葉からもこの教師が動揺していることが手に取るようにわかる。


 「してるし……って、恋人がいるっていうことでしょ? じゃあなんで男子校なんかの教師になるんですか? 私は男に飢えているっていうことの表れじゃないんですか? どうせ今つき合っている奴は真面目過ぎて駄目よ。お盛んな私には欲求不満だわなんつって、それっぽい男を喰おうと思ってるんじゃないんですか?」


 羽島と山岸はプレッシャーをかける。


 教師は「それは…」などと口籠って答えようとはしない。


 …ということは図星なのか?


 「おいおい、こんな奴が教師をやってていいのかよ……」


 羽島が大声でいった。何人かが声を出して笑った。


 教師は立ち尽くしている。もう何にも語ろうとはしない。


 教師はしばらく肩をいからせ俯いた後、


 「じゃあいいです。私はあなた達とは無関係に授業をしますから」


 などと開き直って、黒板に向かってブツブツと呟きながら何かを書き始めた。


 早くもこの女はこのクラスでの教師としての尊厳というものを失ってしまった。それどころか、あちらこちらでこの教師の悪口が飛び交い始め、この場にいることさえ難しいであろう状態にまで陥った。


 授業を終えるチャイムが鳴ったが、もはやクラスでは号令係が挨拶すらもしなかった。 それでも教師は、帰るときにはピンと姿勢を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて教室を出ていった。


 僕は奴のそんな姿を見て思った。


 あれほど嫌だ、いらないと決めつけていた女の教師であるが、実際に授業を受けるとそうでもないことに気がついた。


 本当によかった。


 風間達の主ないじめの矛先が僕からあの教師へと移るかもしれない。





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