とある考古学者の考察
娯楽と平和の神【カトゥーヤ】
娯楽と平和の守護者【リカク】
両名は実際に下界へと降り立ち、この世を漫遊したと云われている。
その漫遊では多くの者を幸せにしたと数多の文献に記されており、当時の名乗りは【タイラ】。守護者である【リカク】は目撃の報告は遺されていたが、人前には多くは登場しなかった様でその名が登場するの酷く少ない。
娯楽と平和を司り、神として信仰され始めたのは凡そ100年ほど前だと考えられている。カトゥーヤを信仰するタイラ教はこの事に反論し、『この世界の成り立ちに関わる大いなる神である』と声明しているが、残念ながらその様な文献は発見されておらず、世の常識としては『新しい神』と周知されている。
そんな神であるカトゥーヤは何故この下界に舞い降りたのか?と長く論争を繰り広げている。
発見られた幾つかの当時の人間の日記によれば、『尋ね人』がいたらしい。
探し人は【レレーヌ・サイリアス】
とある国の第7王女で、別名【光の剣】と呼ばれた女傑である。
戦いでは王女とは思えぬ戦いぶりをし、剣を愛用していた。
【光の】と呼ばれていた理由は、どうやら光系統の魔法を使っていたり、剣が光っていた訳ではないようで、世の悪を赦さず、まるで光の様な人であり、剣にて悪を断罪する様から呼ばれるようになったようである。
そんなレレーヌはカトゥーヤの漫遊が始まる少し前から世界中を旅していた。
何故王女が?とは思うのだが、文献は遺されておらず理由は定かではない。が、文献が遺されていないと言う事柄から『王族の汚点的な出来事が発端ではないか?』と言われている。
では、汚点とは何かと考えたり、調べたりとしてみてもさっぱりわからず。結果的にレレーヌの旅の理由はわからない。となっている。
そんなレレーヌは正に【光の剣】と胸を張れる行いを幾つも各所で行っていた。
レレーヌとカトゥーヤが何処で出会ったのかは定かではないが、極々短い期間、共に旅をしていた痕跡が幾つかの街で発見されている。その後何故かレレーヌは自らの国へと帰った後に置き手紙にて王位継承権を放棄することと、名を棄てることを記し再び国を出た。これは実際にレレーヌが書いたと言われる手紙が発見されている。
その手紙の最後には『愛する者と過ごす』と書かれており、それはカトゥーヤの事ではないかと言われている。
この後からはパッタリと二人の姿を追うことが出来なくなっている。
唯一この二人のその後を伺うことが出来るのは、とある噂だけ。
『二人はひっそりとその後を過ごし、幸せになった』
これだけである。
願わくばそうであってほしいと只の人間である私が、神であるカトゥーヤへ思ってしまうのは冒涜だろうか?
最後になるが、今でも守護者である【リカク】の巨大な姿は時おり遠くの空に見掛けることがある。
故に【カトゥーヤ】も神としてこの世界すべてを見守るのではなく。人としてこの地におり、暮らしているのではないかと言われている。
カトゥーヤの平穏な生活を祈る。
そして、神をも恐れぬ愚かなものがカトゥーヤを探しだし、神の怒りに触れぬことを心の底から祈っている。