開店!
「失礼。お伺いしたい事があるのですが」
「ん?」
地球がある世界軸とは異なる軸にある惑星。【テセル】。
この惑星は地球で言うところの中世時代までしか文化が進んでいない。
そんな惑星の最も大きい大陸、【テラ大陸】。そのほぼ中央に存在する王国【エイティ】の都市の1つ、【フィーナ】の石畳のメインストリート。そこかしこで店の呼び掛けや話し声、往来する人々の足音で大変な賑わいがある中で、執事然とした初老の男に話し掛けられた男は一見何処にでも居そうな男だった。
だが、一見普通に見られるのは地球の日本でだけであろう。
男は黒い髪を乱雑に切り揃え、髪の合間から見える瞳も黒。肌は薄いイエローと言える肌色。典型的な【日本人】である。
周りを見渡せば色とりどりの髪と瞳、そして肌は白人と言える肌の者が多く、少数に色黒の肌を持つ者も見かけられるが、日本人の様な黒髪、黒の瞳、そして肌の色は誰一人として見受けることが出来ない。
これは、見渡す限りの人だけではなく、この都市を始めとして、この国、さらにこの大陸、終いにこの惑星では見掛けることは出来ない。
唯一違和感の無いのはその服装だけ。一般的なやや茶色っぽい色合いの格好だけは周囲に馴染んでいた。
そんなこの世界では唯一無二と言って良い特徴を持つ男は、数奇な出来事により地球から来訪した異界人であった。生まれは勿論日本、年齢は文字通りの『永遠の25歳』である。
「何か用?」
「タイラ様とお見受けしますが、お間違いありませんか?」
「――――『開店』しろ。ってか?」
「お話が早くて助かります」
まるで日常的であるかの様に執事然とした初老の男の目的を言い当て、気負う事無く肯定する執事然とした男の返答を聞き、深々とそれはもう深い深い溜め息を吐く【タイラ】。
「申し遅れました。わたくし、【フィーナ王家】に忠誠を誓いし貴族が1つ。【ベイルー=ラルエ第一位貴】に仕える【マルディア】と申します」
「どうも。ご丁寧に――――【平】だ」
この国での上流階級が行う丁寧な自己紹介に対して適当に自己紹介をする平。その態度は終始面倒そうに映っているが、マルディアは眉1つ動かす事無く微笑を張り付けて平を見詰めていた。
「要望は?」
「今回は【食】と【湯】。更に【買い】を長時間依頼したく声を掛けさせて頂きました」
「―――――もうすぐ日が沈みだす。【食】と【湯】に関しては今日でも俺は良いけど、【買い】は時間的に明日だな」
「でしたら、本日【食】と【湯】をお願い致します。その後、当家にて宿泊していただき、明日に【買い】を御願いしたい。よろしいですか?」
「さっさとしてくれ」
「畏まりました。此方です」
マルディアは平の不遜な態度に反応すること無く優雅にお辞儀をし、その後にこれまた優雅に案内を開始した。そんなマルディアの後ろを本当に面倒そうに付いてく平であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
平。正確には【平 克也】。この王国エイティでは【カツヤ=タイラ】となる。
そんな彼はまだ日本に居るときは普通の25歳の青年であった。普通の会社員として、普通に生活を送る何処にでも居る青年。
そんな彼がこの世界に居るのは彼にとっては不幸な。一般的には不可解な。摂理から言わせればある意味幸運な出来事の末に世界軸を移動する事になった。
平にとっては不幸ではあったが、その中でも幸いだったのが世界軸を越えた事により宿った力であった。
その力は自覚するまで時間が必要であったが、平自身が自覚せずとも力の一端を行使していた。それは、ご都合主義とも言える【自動翻訳】であった。そのお陰で平は現地の全ての言語を理解し、己が発する言葉も自動的に翻訳されて相手に伝わるため流暢な会話を成立させることが出来た。
だからと言って楽に生活出来るようになったわけではなかった。
何せ、平が世界軸を越えた時に立っていた場所は見渡す限り何も無い『平原』だったのだ。
突然の平原に戸惑い、慌て、嘆くこと数時間。
何とか落ち着きを得た平は人、若しくは町を求めて延々と歩き始めた。だが、食料もなく、水すら飲むことが出来ないままであった為、当然と言える結果彼は倒れた。
そこを偶然通りかかった商人の馬車に拾われ、街まで連れられ、食事や水を与えられるまでは良かったのだが、その商人の行っていた商いは『奴隷』であった。異世界からやって来たばかりの彼には当然礼の仕様がなかった。その為、払えるものがないと判ると「体で払って貰う」と主張する商人。「狙い通り」と口元を歪めた商人だったが、奴隷と言われて困惑し、そして自分の身の危険に恐怖しパニックに陥った平は商人に対しての感謝など軽々と吹き飛び、商人の元を飛び出したのだった。
当然商人は平を追い掛けたが、途中から追い掛けるのを中止する事になった。理由は、『悪』を毛嫌いする驚異的な力を持つ人物がその街に来訪した為であった。
介入すらすること無く1つの悪事を救うこととなったのだが、当然と言えば当然ながらその人物はその事を知らないし、平自身も知らない。その時平は、偶々運良く助かったと認識したのだが、後々にその人物のお陰ではなかろうかと気付き陰ながら感謝した。
その人物に対しての恩返しを何時しか叶えることを夢見ながら、誰もやらないような仕事をこなし、命掛けの仕事をこなし、命を奪う仕事をこなし(勿論悪人)自らの命を繋ぐことに成功した。
これもかなりの苦労であった。何せこの世界には【魔法】が実在し、それとセットであるかの様に【魔物】も存在していた。それによりこの世界の一般的な人より命の危険が高かった。なにせ平には【魔力】が殆ど無く、この世界の人が頼る【魔法】を使うことが出来なかったのだ。
そんな事情があったが、平がこなした仕事はどれもこれも危険なもので、【魔法】を使える現地人ですら躊躇うものが多かった。身元もハッキリとしていない、顔の作りからして違う平には【魔物】や悪人を狩る仕事しか無かったのだった。
それでも何とかある程度の生活を送れるようになったときには5年の月日が流れていた。が、平の外見は全く変化していなかった。つまり、『老化』していなかったのだった。
その現象に首をかしげながらも「まぁ、良いか」と無視して生活を送っていた時に再び問題が起こった。
『老化しない』『永遠の若さ』『永遠の命』
これらが他人から見た平の価値だった。そんな価値が自覚もなしにその辺をコロコロと転がっていれば当然善からぬ者共に狙われることになる。
実際に善からぬ者共にその体を狙われ、長年住み慣れた土地を追われることとなった。
そこからは、丁度良い機会かとポジティブに考え、恩人に恩返しをしようと探し始め、旅人へとなったのだった。
そんな旅路の途中で平は己の特殊な力にやっと気が付くことになる。
平が旅で最も苦労したのは『食事』であった。
その食事をどうにか出来ないかと考え、適当に作ってはドングリの背比べ程度の向上に成功はするが、当然それに満足することなど出来なかった。
元々近代日本で食事していた平には街で食べれる一般的な食事ですら物足りていなかった。平が、と言うより近代日本人と同レベルの食事をこの世界でとなると貴族や王族の食事になってしまう。それさえも、近代日本では『底辺』と言える物である。
そんな食事事情ではあったが、我慢することは出来たのだ。が、そこから更に下の食事となってしまう野営では我慢すら不可能であった。
そして、ある日平は呟いた。
「カップラーメンとかあればな~―――――せめて作れれば――――!」
平が心から願い呟いた次の瞬間、地面に胡座をかく己の目の前に懐かしの、某会社の発売する日本で最も有名な【カップラーメン】が置かれていた。
その日カップラーメンを涙を流しながら猛然と食らいついた平は己の不思議な力を自覚したのだった。
その力をゆっくりとではあったが検証し、完全に己のモノとしていった。
そして、その時より数年の月日が流れた今現在。
恩人を探し求めてまだまだ旅を続けている。そんな旅の途中で特殊な力で色々とやらかした平は知る人ぞ知る有名人となっていた。
そんな名声は彼に色々な面倒を呼び込んだが、行き過ぎな行動、具体的に言うなれば『隷属』を狙った国を力を使い滅ぼした事により、『敵に回すべき存在ではない』と周知され、現在では『依頼』として金銭を対価に力を行使していた。
この依頼すらも平にとっては面倒な事ではあった。何せ「我も我も」と依頼数が半端な数ではなかったからであった。が、その依頼によって平は他に仕事をしなくても良い稼ぎを得る事となった。
そんな依頼をマルディアから請けた平が案内されたのは、これぞ【屋敷】と言える余裕のある敷地に建てられた邸宅であった。その風体は現代人である平から見ても感嘆出来るものである。が、残念ながら今まで散々色々な人に招待され見慣れてしまった今となっては軽く「デカイな」と思える程度にしか感想が出てこなかった。
「ようこそお出でくださいました。これより旦那様にご紹介致しますので、この者の案内をお受けください」
「よろしく御願いします」
深々と優雅にお辞儀するマルディアと屋敷に勤めるメイド。
これからメイドが案内役となる旨をマルディアから説明され適当に返事をする平。平の返事を聞いたメイドは「此方です」とこれまた優雅に道を示して先に歩き出した。
その後ろをこれもまた変わらずに面倒そうに付いていく平を見送ったマルディアは、いそいそとしかし悠然とその場を後にした。
「御待たせした。私が【ベイルー=ラルエ】。国王陛下より【第一位貴】を賜っている。この度は此方の依頼を請けてもらい感謝する」
態度では威厳を放ちつつも平への敬意を声音に乗せ、最後には軽く顎を引く程度ではあったが頭を下げた。この場を見ただけでも平の位置付けがそれなりの立場に居るのが伺える。
「私のような者に丁寧な歓待、恐れ入ります。【カツヤ=タイラ】と申します。拙い者ではありますが、精一杯努めさせていただきます」
先程までマルディアやメイドに対しては終始面倒そうな態度であった平は、ベイルーが入室するや否や背筋を伸ばし真摯な態度でもって応対している。平がベイルーに対してだけ真摯なのは何も権力や地位に対してではない。ではなぜ行うのか?
それは平なりの尊敬の現れである。
地位や名声、権力は後付けであると平は考えている。
地位や名声、権力があるから優秀だったり尊敬できる人なのでは無く。優秀で凄い人であるから、地位や名声、権力を持つことになったと考えている。とは言うものの別にこの国の貴族や王族が一世代だけであるわけではない。当然世襲性なのだが、地位を継ぐにはそれなりの教育を受けているだろうと言う平なりの予想である。なので、正確に言うなれば「『本当』は判らないが、『暫定的』に尊敬できる人」と位置付けしているのだ。
そんな理由であるから、もし、とても尊敬できる人物ではないと平が判断した場合即座に物言いや態度は不遜に変貌したりするが、判らない場合や、本当に尊敬できると判ればこの丁寧な対応が変わることはない。
因みにこの事柄には先程まで案内をしていた執事のマルディアやメイドは当てはめない。何せ彼らには尊敬できるだけの要素があっても具体的な地位などは持っていないためそのようになっている。
矛盾している様に思えることだ。結局は権力に靡いているように思えるが、平自身は自身の考えとして行動しているため、自分では矛盾しているとは思っていない。
「ん?【タイラ】が名前ではないのか?」
「良く間違えられていますが、正式には【カツヤ】が私個人を示す名です。【タイラ】は私の一族の姓ですね」
「ほぉ。そうだったのか。いや、これは失礼した。申し訳ない」
再び顎を軽く引くように頭下げるベイルーであるが、平が【タイラ】と周知されているのは平自身の失対である。
最近でこそやっと慣れることが出来たが、平は自己紹介の時についつい日本式に名乗ってしまっていた。つまり、【カツヤ=タイラ】と名乗るべき国風であるのに、【タイラ=カツヤ】と名乗ってしまうのだ。
それに伴い【カツヤ】が姓で、【タイラ】が名であると周知されてしまったのだった。
「お気になる必要はありません。どうぞ【タイラ】とお呼びください」
「そうか?ではそうしよう」
ベイルーにとっては知らぬ事柄であって軽い驚きがあり、礼を失した事象であったが平からすれば「どうでも良い」事だったりする。
「早速依頼について話を進めさせて頂きます。伺った要望は【食】と【湯】。それから【買い】と伺いました。お間違いありませんか?」
「ああ。それで合っている」
「ではそれぞれの【クラス】はどの様に考えているかお聞かせ願います」
「うむ。【魔石】は3級品を100個用意してある。その内20を【食】に、同じく20を【湯】に、残りの60を【買い】に回そうと思っている。これでどのような【クラス】になるか聞きたい」
平の特殊な能力とは『開店』として周知されている。一国を滅ぼした事の事実が周知されている件からしてそれだけが彼の力とは思われてはいないが、それは余計な事をしなければ使われることはないと考えられている。
実際には少し違うのだが、平もその辺の詳しい話は誰にもしていないので、訂正される事はなかった。
「そうですね――――あくまで私の基準になりますが、【食】は最上級の品が5品程、【湯】は上級、【買い】は物にもよりますが10品ほどかと思われます」
「ん?もしやそれは一人分か?」
「左様です」
「ああ、これは失礼した。用意して貰いたいのは、私と妻、娘の3人分だ。これを考慮してもう一度頼む」
「これは失礼しました。では説明させていただきます。―――――【食】はギリギリ上級品、若しくは中級品であればそれなりの量をご用意できます。更に下級品になれば3人では余るほどの品が用意できます。【湯】に関しては上級が1つか、下級を2つのどちらかになります。【買い】に関しては変わらずに10程度のものかと思われます」
「うむ。了解した。ではここから【クラス】の調整をしようと思う。よろしく頼む」
「心得ました」
それから二人は30分ほどの時間を使いそれぞれに使われる【魔石】の量を調節し、【食】は中級品が余るほどの量で、【湯】は上級が1つ。【買い】は6~8程度に落ち着く事となった。
彼らが決めた【クラス】とは言わば平が行う力の行使の度合いの事で、最上級~最下級までの5段階で用意されることになる。
この【クラス】を決めるのは【魔石】の量が関係する。
【魔石】とは【魔物】が体に有する宝石のような物で、その石には【魔力】が宿っている。
【魔力】が殆ど無い平は、この【魔力】を使って平は己の力を行使することになる。もし平自身の【魔力】のみで力を行使した場合は殆どの内容が最下級になり、種類によっては最下級すら行使不可能である。
因みにこの世界の一般論としては魔石の魔力を人が直接使用することは不可能とされてきた。魔石とは主に動力源、日本で言うなれば『電池』の様な役割を担うものである。『電池』を『人』が自在に使えるとなると不思議人間だろう。
「では準備に取り掛かります。どちらに御用意すればよろしいですか?」
「案内はマルディアに頼んでいる。場所に関しては彼に聞いてくれ」
「承りました」
その後ベイルーの呼び出したマルディアの案内に従って平はベイルーの元を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「さてと―――――――いっちょやりますかね」
均等に10個ずつ袋に魔石が入っていて、それは小さな山を築いていた。これはマルディアによって案内された部屋に予め用意されていたものだった。
案内された部屋は品の良い調度品が部屋を飾り付け、窓から指す赤めの日の光を仄かに反射していてまるで、物語に出てくるロマンチックなワンシーンの様な光景になっているが、それは部屋に小山の袋と気だるげな平が居るお陰で台無しになっていたりする。
勿論平は全く気にしていない。
「先ずは【湯】だな」
小山から袋を2つ取り、壁へトコトコと歩み適当に袋の中身をぶちまけた。空になった袋をこれまた適当に見向きもしないまま自らの後ろへと放り投げ、両手をダラリと力を抜き両目を瞑った。
数秒も数えない内に平の足元に乱雑に転がる魔石たちが、淡く発光をし始める。その発光はまるで自然的で、「光っている」と指摘されなければ気付けないものであった。
魔石の発光は淡く続いている中、平は瞑っていた眼を静かに開く。
「これでいいだろ」
軽い決定の言葉を呟き、右の手を己の胸の高さまで持ち上げると――――――「パチン」と指を擦られ、手首のスナップを効かせて音を鳴らす。所謂『指パッチン』と言われる動作だ。
その音が鳴り、辺りに再び静寂が戻る瞬間には平の眼前の何も無かった筈の壁に1つの扉が現れていた。
その扉は引戸の見た目を持ち、暖簾が掛けられていた。
その暖簾には日本人ならば誰でも一度は見たことがあるであろう【ゆ】の文字が掲げられていた。
「これで、【湯】は良いとして―――――「カラカラカラカラ」【食】の準備だな」
一人言を呟きつつ現れた引戸を一切の躊躇い無く開け放ち、その扉の中へと悠々と進んでいく平であった。
平の足元にあったはずの魔石はいつの間にか塵1つ、痕跡1つ残さずその姿を消していた。
暖簾を潜るとそこは見事に磨きあげられた白い床、鮮明な赤と金色で気品を漂わす様な縁取りをした絨毯。壁も磨きあげられた白、そして絵画の数々とその区間を淡く優しく照らすランプ。いったい全体どんな巨人が来るのかと問いたくなる高い天井には豪華なシャンデリアがあり、これもまた優雅に淡い光を放っている。
言うなれば『ホテルのロビー』と言える場所であった。それも、そこそこ良いところのホテルのロビーだ。
そんなホテルのロビー然とした空間に一般の日本人であればとてつもない違和感が襲ってきていただろう。何せこの場に入るための扉は木で出来た引戸。その先にある部屋は普通は和風と言える物を予想する。が、実際にあるのはホテル。所謂『洋風』的な作りの空間。違和感があって当然と言えるだろう。現に入ってきた場所を振り返れば今だ現存する木製の引戸があったりするのだが、そんな違和感には割れ関せずとズカズカと歩みを進める平。
「よしよし、想像通りだな。後は―――――」
ロビーの中をぐるりと一巡りし、ボソリと呟き進行方向を一点に変更し、迷うこと無くズイズイと進んで行く。
平が向かった先にあるのは1つの両開きの扉。豪華な金の取手を両の手で別々に取り扉を開け放った。
その先に見えるものは広々とした部屋。豪華なソファが部屋の中央を陣取り、休憩にはうってつけだろう。更に入って右手の壁際には洗面台が幅広く陣取り全てを反射するかの様な鏡があり、台の上には色々な洗面具や化粧品、ドライヤーと必要なものは充実している。
反対側の壁には色とりどりの飲み物を取り揃えたサーバーが設置されている。金銭を投入する箇所が見受けられないため無料だろう。勿論酒飲みにも嬉しい各種酒類も取り揃えられていた。
入り口にて靴を脱ぎ、部屋へと入るとソファを横切り、平は更に奥へと進んでいく。
そこには一面ガラス張りの壁があり、見える先には湯気が漂っているにも関わらず何故かガラスには曇り1つ、水滴1つ付いていない。そんなガラス張りの壁に平が立つと、自動的に一部分――――丁度人一人が通り抜けれる程度の箇所のガラスが無くなる。この様は『自動ドア』である。
そうして平は更に歩みを進める。
そこには広々とした湯船。全面石磨かれた造りの物だが、足下だけは滑らない様にと言う配慮の様に多少のゴツゴツがある。
そんな大浴場をも一通り自らの眼で確認をすると、元来た道を戻っていく。
一旦創り出した空間から出、魔石の入った袋を1つ掴み、中から4つ取り出す。それを手に再びロビーフロアまで戻ると、脱衣場の入り口よりそれなりに離れた壁の前に移動し、先程のと同じ様に魔石を床へと転がした。
先程創り出した時と同様の光景が直ぐ様描かれ、何も無かった筈の壁に両開きの扉が現れた。脱衣場へ続く扉より少しグレードが下がった様な扉。これは依頼のあったもう1つの【食】。様は『食事』提供する場に続く扉である。
今更ではあるが、【湯】とはその名の通り『入浴』を提供する事である。
これらの事により平がどの様な【力】を持っているか大抵理解されるだろう。
平の【力】は、『想像したものを創造する力』である。
しかも、空間や時間、生命すら創造する事が出来る。
先程創ったホテルの様な空間と今しがた創ったものは『空間』に干渉していて、ベイルー邸にはなんの影響も与えていない。壁が扉に変わっている様に見えるが、見えるだけだ。実際は『空間』が重なっていて、壁よりも扉を目立たせているだけだ。目立っているだけとは言うが、平が出入りしている様に実際にそこに有り、触れる事が出来る。
これだけでもとんでもない能力だが、先に述べた様に『時間』すら自由にする事が出来る。やろうと思えば今しがた創った空間内の時間経過を止めたり、遅らせたり、早めたり出来る。この場合の『時間経過』とは中に入った者や物の時間を操ることだ。 『停止』ならば時間次第で浦島太郎の様な状態に、『遅く』でも浦島太郎の様に出来るだろう。『早く』ならば外の者から見れば色んな意味で急成長したようになる。
勿論やろうとすればそれ相応の魔力――――魔石が必要になってくる。かなり消耗が激しく平は「現実的ではない」と考えているため『時間』に関する創造はしない。
生命の創造に関してもかなりの魔力(魔石)が必要である。
時間と同じく大量に必要であるが、時間は必要最低量が低い。勿論それでは一瞬だけの効果であったり、有っても無くても変わらない程度の時間操作しか出来ない。それに反して生命の創造は必要最低量がかなり高い。
だが、一度創ってしまえばその生命の寿命を全うするまで死なない。勿論ケガや病気は普通に負ってしまうため、それが原因で寿命を全う出来ない事もある。つまり、不死ではないし、不労でもない。生まれが特殊と言うだけの普通の生命。
不老不死として創造することも出来なくはない力ではあるが、何度も言うように魔力(魔石)の必要数が膨大で現実的ではない。故に、平はその様な余りにも逸脱した力を持つ生命は創り出さない。
そんな強大な力を有する平の行動は、金銭を稼ぐ事であり、一時とは言え『幸福』を他人に与えることに力を行使しているのは一重に『平の人間性』の成せる事だろう。
人とは『欲』に弱い。
平の様に特殊、且つ、強大な力を持ってしまえば欲望の赴くままに行動するだろう。想像しやすいのは世界を支配することだろうか?やり方次第では十分可能だろう。だが、平は一度も考えたことがない。いや、脳裏をかすめたことはあったが、そこにかかる『労力』『知識』『思考力』他にも必要と考えられる資質が自分には足りないと即座に、一瞬で、夢見る暇など無く『不可能』と断じたのだった。それよりも、ある程度豊かな生活が送れればそれで良い。と考えたのだった。
そうして、現在もベイルーの要望に応えるべく力を行使していくのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「おぉ――――――。す、すばらしい――――」
「「―――――」」
準備が整い、部屋の外で待機していた侍女にマルディアを呼んでもらう。そして、マルディアにこちらの準備が整ったことを伝えると、マルディアは直ぐ様主人であるベイルーに報告に向かった。
報告を受けたベイルーは妻と娘を連れて、待ちきれないと心情を顕にし、貴族としては少々はしたない早歩きにて、平の待つ部屋へと向かった。当然ながら妻も感情を抑えきれず、早歩きである。唯一娘だけが二人とは違う心情であった。
いや、二人よりも『重症』であった。と言うべきか。
二人の早歩きに対して「遅い!」と思いつつ、しかし、親と言えど目上の存在である父よりも先に向かう訳にもいかず、しぶしぶ二人の歩調に会わせて歩を進めた。
時間にすれば極々短い時間、二人にしてみれば『やっと』。残る1名に関しては『漸く』目的の部屋へと辿り着き、平の案内のもと木製の引戸を潜り、ロビーへと足を踏み入れ感嘆の声を漏らした。
もっとも、感嘆の声を漏らせたのはベイルーただ一人。妻と娘は声すら上げることが出来ずに僅かに口を開いたまま固まってしまっていた。
一緒に付いてきた執事であるマルディアはこの場では己が一番下の身分であると自覚していて(実際には平の方が地位は下)、何とか声を漏らすことも口を半開きにすることも無かったが、唯一眼だけが大きく見開かれている。
「先に【湯】にされますか?【食】にされますか?」
今まで提供してきた者たちで既に慣れてしまった平は、それぞれの感嘆の感情をスパッと無視して問い掛ける。
平の問い掛けに持ち前の自制心をフル動員し、それでも尚込み上げてくる感動の気持ちによって震える声でベイルーは返答をする。
「ゆ、【湯】ーは、い、1度入ってしまうと、き、消えてしまうのか?」
「いえ、今回ご用意した物は消費物―――具体的言うなれば、今回は【食】以外は明日の朝まで何度でも御利用できます」
「そ、そうかそうか!では、まず【湯】を楽しもう」
「承知しました。――――【湯】の場所と設備に関しての説明を行わせていただきます」
呆ける者たちをベイルーが現実へと戻した後、案内を開始すべく平はゆっくりと歩き出した。
「こちらは【カウンター】です。今回は関係有りませんが、【泊】をご利用の場合に利用されます」
「こちらは【休憩場】です。ドリンクとタバコのサービスを受けることが出来るようになっています。ご利用の際はこちらの箱形の設置物でご自分が欲しい物の下にある『ボタン』―――この部分を押してください。軽くで結構です。そうしたら、足下にケースにお選び頂いた物が御用意されます」
「こちらが後程御利用される予定の【食】の会場に続く扉です。【湯】の後に改めて説明、案内させていただきます」
「こちらの扉をくぐりますとお風呂である【湯】が御用意されています。設備等が少々特殊であるので、ご利用の前に説明させていただきます。不要ならば省略致しますが、どうなさいますか?」
一切淀むこと無く歩いては説明、歩いては説明と繰り返して行き、初めの要望となった【湯】である【大浴場】へと辿り着き、説明の必要性を問う平。
「も、勿論頼む。使い方が判らんのでは楽しめるものも楽しめまい?」
ベイルーの当たり前とも言える返事に他の者も頷き、肯定を示した。約1名。これらを使う予定が無い筈のマルディアまでも頷いていた。どうやら彼も本心としてはこの空間や設備、サービスを堪能したいようだ。
それはそうと、何故平がこの様な質問をしたのか?
普通に考えればベイルーの様に説明を求めるのが普通である。が、平が今までに依頼を受けてきた者たちの中には「説明よりも実際に味わいたい!一秒でも早く!」と言う感じの者たちや、「説明など受けずとも判る」と何を根拠に言ってるいるのか判らない傲慢とも言える者たちに幾度か廻り合い、その経験から平は説明の有無を求めるようになったのだった。
が、平のある意味心配とも言える事柄を普通の感性を持っていたベイルーは極当然の返事を貰えた平は不快な気持ちを抱くこと無く浴場や脱衣場の各設備の説明開始していく。
洗面台に用意されたドライヤー、髭反り等の『電気製品』。各種洗顔用品や美容用品。更に水やお湯の出し方まで事細かに説明していく。各種飲み物が飲めるサーバーを説明し、脱いだ服をかごに入れると言う日本特有の決まりとも言える文化。
頻りに感心し、声を漏らし、驚いてと、いっそ騒々しいとも言える一同を連れて浴場へ。そこでも、蛇口の使い方、シャンプー、リンス、ボディソープの使い方を説明。日本風呂のマナーである『掛け湯』も教えて一旦浴場をで、脱衣場にて予定を確認する。
「ご不明な点はありませんか?――――では、今から入浴してもらって結構です。入る人の順番などはそちらでお決めください。【食】を始められる準備が整いましたら、先程案内した『カウンター』にて呼鈴を鳴らしてください。直ぐにお伺いします」
「――――。た、タイラ殿。この【湯】に関しては魔石の追加なしでいくらでも利用可能なのだな?」
「そうですね。先程申しました通り、明日の朝までと言う時間制限はありますが、その間でしたら何度でもご利用頂けます。ただ、明日の朝、利用が出来ない状態になるときこの空間は全て消滅します。もしその時中に人が居たとしても消滅します。その場合中にいる人も一緒に消滅してしまいますので、その点には十分注意してください」
「わかった!マルディア!」
「はっ。」
「先に私たちが利用するが、その後に屋敷にいる使用人にも利用させよ。各々仕事があるだろうが、上手く回して皆が利用出来るよう計らえ」
「畏まりました」
『人も消滅する』と言う点に何の反応をすること無く、興奮したようにマルディアに仕事を言い渡した。仕事を言い渡されたマルディアは嬉しいのだろう。己の感情を御しきれず、口元が僅かではあったがつり上がっていた。
ベイルーによる普段己を支えてくれている者たちへの労いの行動を平は好意的な感情で見守り、その場を静かに離れた。