みんな違ってみんな良い
「そう……オレガノはそれくらいで……塩をもうちょっと足したほうがいいわね」
深めの鍋の中でオレンジ色のソースがぐるぐる揺れている。
そのスープに浸かったおたまの指示を受けながら、ユエは味の最終調整をしていた。
「これくらいかしら」
「うん、そうね。……よし、出来た!」
嬉しそうなムッカの声を聞いて、ユエも味見をする。おたまにすくったスープに息をふうふうかけて冷まし、口に含んだ。
「ん、おいしい」
ことこと煮込んだおかげでトマトの酸味が和らいで肉の旨味が染み出している。ムッカ曰く、少しだけ入れた砂糖が美味しさの秘訣だそうだ。
ぺろり、と唇を舐めてユエは笑う。ふと窓の外を見ると、東の空が明るくなってきているのが見えた。
「いけない。もう出ないと」
あの湖でティハと食事を共にし、それからバルバに頼まれた薬草も摘むとなれば、いつもより早く出発しないと日暮れまでに村に戻れない。
陶器の器に料理を詰め、蓋をする。いつもは薬草を入れている籠に布を敷いて、揺れないようにそれを収めた。
今は温かいが、ティハの元に着く頃には冷めてしまっているだろう。やっぱり料理は温かい内が美味しいので、それを味わえないのは少し申し訳ない気もするが、こればっかりは仕方ない。
ユエは料理用のエプロンを外すといつもの前掛けに付け替える。自らを台所の流しで洗っていたムッカがそれを見計らって、待ってましたとばかりにポケットに飛び込んだ。
ムッカはおたまだ。もちろん包丁は使えないが、美味しい味付けを知っているし、流しに置かれた桶の中で自らを洗うこともできる。ちゃぷちゃぷと跳ねるように踊るその姿を初めて見たときは笑ってしまった。
まだ朝も早く、家の外に他の村人の姿は見えない。周囲に音が響かないように、ふたりはそっと玄関の扉を出た。
今日もあの木々が案内してくれるのだろうか。ユエはあの恐れを感じる動きを思い出して少し不安になったが、ぶるりと頭を振って気合いを入れ直した。
*****
草地で横になっていたティハは、目を開ける。
時は夜明けすぐ、意識を凝らせば、ユエとムッカが森に入ったのが分かった。ふたりを出迎えるために力を使い、木々を操る。そして自分もいそいそと湖に向けて移動を開始した。
そんなティハが先に湖に着き、太陽が昇るさまを眺めつつ待っていると。
ワサワサと枝葉が揺れてユエが運ばれてきた。少し髪が乱れているが、怪我は特になさそうだ。
ふむ、とティハは満足する。獣道を使う時間の四分の一ほどで湖に来られるのだから、我ながら便利な技だと思う。
したり顔のティハを余所に、籠をしっかり腕に抱えたユエの顔は固く強ばっている。ぴょん、と飛び出したムッカがなぜかユエを慰めているのが聞こえて、ティハは不安になった。きょろと目を巡らせる。
「どうした。けがでも、したのか」
はっとした表情でユエが顔をあげた。どうも動揺しているようだ。
「……い、いえっ、大丈夫です。慣れれば、平気だと思います……」
はて、この技に慣れなど必要だったか、とも思ったが、ティハも深くは考えずそうかと相槌を打つ。
怪我がなければそれでいい。何と言っても移動速度はこの森一番なのだ。これに勝るものは無いと思う。
そう思案しながらちろりと舌を出すと、何やらふくよかな香りがした。はっとして周囲を見渡す。
どうやら出所はユエの腕の中のようだ。その正体に思い当って、ティハはぱっと期待に金の瞳を輝かせた。
「それ。においが、する。りょうり、か?」
森では嗅いだことのない香りだ。だしだしと地に前脚を打ち付け、出してくれとせがむ。
「まだ朝ごはんの時間にもなってないわよ!」
呆れたようなムッカを、森では食べられるときに食べるものだと拙い言葉で一生懸命言いくるめ、ユエに再度催促する。自らすすんで食事を取るのは久しぶりなのだ。
「構いません。どうぞ」
急に積極的になったティハに苦笑しながら、ユエは器の蓋を取る。まだ完全に冷め切っていない料理から、ふわりと先ほどよりも強い香りが漂った。
ぺろり、ぺろりと何度も舌を出し入れすると、喉の奥がぐうっと動くのを抑えられない心地よい匂いが迫ってくる。目を細めながらのぞき込むと、夕暮れの色のような液体に、丸いものがごろごろと沢山入っているのが見えた。少し浮かんだ油分が丸いものを艷めかせていて、実に美しい。
「では、おひとつどうぞ」
ユエが固まりをひとつと液体を木匙ですくい、差し出してくる。
ぱかりと口を開けると、彼女はそれを舌の上に載せてくれた。液体がとろりと喉をすべり、ごくりと飲み込むと固まりがほどけてまた違った深い香りがする。馴染み深いものに似ている気がするが、断然こちらが上だった。
……はて、何だったか。
「いかがですか」
ユエが伺うようにティハを見ている。
「……いい。かおりが、はじめてだ。この、かたまりは……」
そうだ、とティハの脳裏にあるものの姿が浮かんだ。
「『かえる』に、にている。が、こっちのほうが、すきだ」
「「……かえる」」
ユエとムッカの声が重複する。
複雑そうな顔をするユエに、まあ鶏肉って蛙肉に似てるっていうわよね、と気を取り直したムッカがフォローを入れている。
「かえるもおいしいぞ?」とティハが答えると、じっと料理を見つめていたユエがひとつ固まりをすくい自分の口に運んだ。複雑そうな表情をしながら、何かを確かめるように食材を噛み締めている。どうやら自分には一飲みで終わってしまうものが、ユエにすれば咀嚼するだけでひとときかかる大きさだったようだ。
長く楽しめているようで羨ましい。
ティハが羨望のまなざしで眺めていると、気づいたユエがまた料理を差し出してくる。それをまた一飲みで食べてしまい、ティハは悄然となった。もっと楽しみたいのに、この自分の口の大きさが憎い。
「ねえ、ねえ、味はどう?」
ムッカがうきうきした様子で話しかけてくる。
ティハはそういえば、と思う。前回ユエは「味付け」がどうのと言っていなかったか。自分は香り=おいしさなのだが、ユエは違うのだろうか。
「かおり、と、あじ、ちがうのか?」
えっとユエが声をあげる。ムッカも分からない、といったように身を傾げている。
「じぶんは、したに、ふれた、かおりが、おいしい、とおもう。ユエは、ちがうのか?」
教えるようにちろりと舌を出すと、ユエが困ったように頬に手を当てた。
「……人間は、香りを鼻で感じて、味を舌で感じます。ティハは、その、トカゲですから体の作りが違うのかもしれません」
ティハは愕然とした。それでは、一番重要な『味』が理解できない。ユエが「おいしい」といったムッカの「味付け」を、そもそも自分は感じることができないのか。
体の中がぐるぐるする。
人間と違うのか。なら、人間を、ユエを真似れば、おいしさを感じることができるのか。
思い悩むうちに、ぐるぐるしていたものが体内に広がって脚先まで熱くなった。太陽を浴びるよりも熱い、と驚きに目を回す一方で、冷静な思考がこれは木々に使っていた力だと判断する。
ぐらぐらと脳内が沸騰する。ちかちかと白い光が瞬いて、ティハは次第に自分の在り処が分からなくなっていった。
次に気づいたときには、ティハ自身の体が地に伏していた。
体を起こそうとして、戸惑う。手の感触がおかしい。いつもより地面がちくちくする。いつだったか、小枝が口内に刺さってしまったことがあったがその時に痛みがそっくりだ。
「……ユエ、そっくり……」
頭上からムッカの声が聞こえて、頭をあげる。何がそっくりなんだ、と思い周囲を見回すと湖面に写った景色が目に留まった。
固まっているユエと、その肩に乗っているおたま。ここまではいいだろう。
それから、何時の間に近くに居たのか、ユエにそっくりな人間の女がいた。ただし頭は黒い。そしておかしなことに、ティハ自身の姿が映っていなかった。
「……女の子、だったん、ですか……」
戸惑いを隠せない様子のユエを見ると、視線はティハを向いている。女の子、という発言の意図が分からず、首を傾げてもう一度湖面を見る。
すると湖面に映るユエは黒髪の女を見ている。まさか、と思い確かめるように腕を動かすと、その女も同じように腕を上げた。
ユエの言う「女の子」が自分を指していることにやっと気づいて、むっとする。
「ちがう。じぶんは、オス、だ」
「えっ、オスなの」
今度はムッカの戸惑う声が響いた。