料理におたまは必要です
『おたま』がぴょんぴょん跳ねまわる。
「それでね、ユエってば、薬草採るだけって言ってたのに、おもしろそうな獣道があるからってこんな奥まできちゃったの!」
鈴々鳴るように、甲高い音で怒ったようにしゃべっている。
「しかも、いきなりこーんな大トカゲに出会ったら、ふつうの女の子は逃げるものなの!なのに、『鱗ください』なんて、信じられない!」
こーんな、というところで、ぐるりと黒蜥蜴の周りを回るムッカは、随分ご立腹のようだった。
「うろこ、は、むりだ。まるはげは、しんでしまう」
鱗の件を思い出して、ティハは嫌そうに頭を背ける。
魚のように一枚一枚独立しているならまだしも、トカゲの鱗はヘビと一緒で皮が変質したものなのだ。剥がれたらずるずると脱皮するかのように一緒くたに剥けるに違いない。
「あっ、そのっ、忘れてください!こんなに大きなトカゲなら、すごい薬効がありそうだなーと思っただけで、その……」
真っ赤な顔をぶんぶんと振って、死んじゃうなら、いりません、と蚊の鳴くような声でユエが否定する。
「薬のことになると、すーぐ周りが見えなくなるんだから」
ムッカが柄の部分でこんこんとユエの額を小突いた。
ティハはこんな森の奥に若い女がいることを不思議に思っていたので、それを聞いて納得する。
「くすり、をさがしにきたのか」
「はい。この森は薬効に優れた植物が多いことで有名で。私も、森はずれの村にいる薬師の弟子なんです」
よく見ると、ユエの籠の中には草の根や、緑の葉がこんもりと盛られていた。
森の浅い所で同じようなものを採っている人間がいたのは知っていたが、これは薬だったのかとティハは頷いた。
「なら、ムッカも、くすりをとるのか」
わざわざ森の中まで連れてきているのだから、薬を採る道具に違いないと推測する。他の人間も、草を効率よく刈るための道具を持ってきていた。
ユエは「えっと……」と言いよどむと、困ったように眉を寄せる。
すると、ムッカがティハの鼻先で怒ったように跳ねた。
「違うわ!あたしは『料理』のための『おたま』よ!」
「りょうり……」
『料理』という言葉を聞いたことはあったが、人間の生活を知らないティハにはいまいち理解できない。それに気づいたユエが補足する。
「人が食糧を食べやすくするために、切ったり、火を通したり、味付けしたりすることです」
ほう、とティハは関心する。自分など、果実や虫をそのまま丸飲みするだけだ。人間は随分食事に手をかけるらしい。
「いろいろ、するんだな。ムッカは、ぜんぶ、できるのか」
それを聞いたおたまが一瞬ひるんだように後ろに傾いて、ややあって自身を励ますかのように、その身を反る。
「あたしは――っ、……あたしは、そう、混ぜるのよ」
「そうか、まぜる、のか」
「そう、そうよ。……だって、火にかけたものに直接触れると火傷しちゃうでしょ。その点、あたしは金属だから熱いのは平気なの。混ぜたり、味見するのにも使えるし、料理を温かいままお皿に盛ったりもできるのよ」
怒涛の『おたま活用法』について、ほうほうと関心したように目を瞬くティハ。ムッカもそれを見てちょこちょこと嬉しそうに跳ねる。
「ムッカは、味付けを指導するのが上手なんですよ。料理がおいしくなるんです」
そっと後ろからムッカを取り上げたユエが言い添える。私味付けが下手で、と笑った顔は、困ったような、愛おしいような、そんな感情をない交ぜにしたような表情だった。
「おいしい、のか」
それを見上げて、ティハは料理に興味を持った。ユエがあんな顔をするくらいだから、素晴らしいに違いない。久しぶりに食欲を感じる。
「ムッカの『りょうり』、たべたい」
ティハの言葉に、ユエがきょとん、と目を丸くする。
「ムッカの、ですか」
呆けたようなユエとは対照的に、ムッカは喜びをあらわにする。
「いいわね!ユエと、たまにババに食べさせるくらいで、最近はり合いがなかったのよね!」
持ってきてあげようよ、と興奮するムッカをなだめながら、ユエがティハを見る。その瞳は不安気に揺れていた。
「……また、会っていただけるのですか」
ティハは、金の瞳に不思議そうな光を宿して瞬く。なぜユエが不安を感じるのか理解できないのだ。が、ややあって悟る。
鱗をあげるのを嫌がってしまったから、自分が「ユエにもう会いたくない」と思っていると勘違いしているのかもしれない、と。
「もんだい、ない」
そう言えば、ユエがほっとしたように目を緩める。
「では、またこの湖まで来れば会えますか」
ティハは少し考えた。
もう、陽がずいぶん傾いている。他の人間がふだん分け入る場所よりも、ここはかなり森の深いところにある。今からユエたちが獣道をたどっていれば、森を出る前に夜になってしまうだろう。
……木々に力を加えて、道を引いておこう。これで少しは早く行き来ができるはずだ。
「ユエとムッカ、もりに、はいれば、わかる」
力を使ったティハが、これでよし、とばかりに答えれば、ユエは「わかりました」と微笑んだ。
そうして。
森を抜けるのは陽が落ちた頃だろう、と決意して湖を出発したユエが突然うごめきはじめた木々に悲鳴をあげたのだったが。
予想外の出会いに浮つく心を押さえられないティハに、残念ながらその声は届かないのだった。