セコイと言われることは策士にとって、最高の褒め言葉である
今日はその悪夢の球技大会である。
憂鬱度百パーセントの俺の足取りは非常に重かった。重力が何倍にも増えたかのようであった。精神が病んでいると、その影響は身体にも及ぶと聞いたことがある。その意味を今実感しているのだ。
「ついに始まってしまうのか・・・」
俺は運動の出来る体操着に着替えながら、波野に愚痴をこぼしていた。
「そんな悲観的になるなよ。今日は授業はないんだ。楽しもうぜ」
俺は勉強が大嫌いだ。しかし、協同作業はもっと嫌いである。他者と力を合わせて何かを成し遂げる。俺には波野のような興奮は覚えてこない。湧き上がるのは絶望だけである。
俺やモテない組のような、行事にうんざりしている生徒は他に何人くらいいるのだろうか? そういう人間たちは言葉を表では出さないから、分からない。
また、教師たちはこのような行事に対し、どのような気持ちで参加するのだろうか? 教育の一環として割り切るのか、時間の無駄だと思うのか、リフレッシュ気分になるのかもしれない。
しかし、俺にとって、この行事はただの遊びであり、何も生み出さず、無駄な時間そのものである。この高校が体育専門ならそれもいいだろう。しかし、あくまで進学校の端くれなら、こんな行事は無意味だ。運動は続けることに意味があるのだから、一時的に行われるこの行事はただの遊びに他ならない。
進学校の成り損ないであり、体育会系の高校でもないこの普通化は一体何を目指しているというのだ。こんなことをしていて一体何の意味があるのだ?
「ああ、休みてぇ。無意味なことから解放されたい」
俺は最近、声を少し大きくして自分の不満を口にするようになってきていた。
「もっと、高校を楽しめよ!」
波野の助言は確かに正しい。人生は楽しむためにあると言う考え方を、俺は否定するつもりはない。しかし、その正しさはこの社会の『常識』から見た正しさであって、俺にとっての正しさではないのだ。
学校を変えるには一体どうすればいいかを最近考えるようになってきた俺は暇があれば、そればかり考えている。本当なら、モテない組の話し合いに持ち込めばいいのだろうが、あまりモテない組とは関係のないことを議論したくはないし、この答えは俺一人で出してみたかった。
単純に、文部省が悪いで片付けることはできるが、漠然としすぎていて面白くないし、短絡的だ。もっと、根深い所をついていかなければ、俺が納得するような答えは見つからないような気がする。
「高校生活を楽しむことは俺にとって難しい課題と同じなんだよ!」
俺は波野に本音をぶつけた。
「だから、お前はモテないんだよ!」
波野も本音で返答する。
「モテない組万歳だな」
俺は平気で開き直る。
「いつまで続けるんだよ。その痛い部活を?」
「この世界が変わるまでと言いたいがそれは無理だろうな。ま、高校生活が終わるまでじゃないかな、たぶん」
「不安定な部活だな」
「その不安定さが売りなんだよ」
「本当にモテねーな」
「そうさ、俺たちはモテない組さ。俺はそれを誇りに思っている」
「痛すぎるぜ!」
俺の数少ない友人内で唯一彼女のいる波野だから言える台詞なのだろう。それが、高校生活で重要視されている世の中を俺は否定する。そんな異性を手に入れなければ、喜びを得られないなんてむしろ悲しいことだと最近思うようになってきている。世間一般では、俺の考えは到底受け入れられないだろう。否定され、馬鹿にされ、排除される。それがこの世界だ。そして、今俺のいるこの『学校』と呼ばれる空間世界もまた俺を否定するだろう。
「いつか、痛いと思っていたことが変わる時代が来るさ。俺の理想とする世界が」
その時代が来ることを俺は本気で信じているが、問題は時間が。価値観を変えることは難しい。伝統を否定することに等しいからである。もし、新しい価値観が誕生しても俺が死んだ頃ではないだろうか。俺が生きているうちにその新世界を見ることが出来ないのは非常に残念である。
「そんな時代来るものか。残念だけど、社会はお前の厳しく出来ているんだよ!」
波野はさりげなく、厳しいことを言ってきた。
「確かに、それは正しい。この社会は俺にとって、非常に生きにくい。だから、変えるんじゃないか。俺のいや・・・・俺たちモテない組たちが住みやすい世界に。すべての人間がモテモテの世界を作れれば本当はいいのだろうけどな。しかし、そんな世界に俺は興味はないし、不可能だ」
「楽しみに待っているぞ。お前の新世界を」
波野からの言葉は俺の目標を馬鹿にした態度を示していた。それもまた仕方がない。彼は今の悪しき価値観に囚われているのだから。俺は攻めることはしない。時代の最先端を行く俺に世界が追いついていない証拠だ。
「未来を先取りしすぎた自分が辛いよ」
「何馬鹿なことを言っているんだ?」
そんな幼稚な会話も終わり、生徒全員は校庭に集められた。開始予定時間を五分ほど送れて、球技大会の開会式が始まったのである。
全校朝会の時と同じで生徒たちの集まりは悪く、並ぶにしても互いのおしゃべりが続いたために開会式が遅くなる。それは俺をさらに鬱へと追い込む。そして、何より気分を悪くするのは開会式と閉会式の存在そのものである。なぜ、こんな無意味なものが未だに続いているのか俺には理解できなかった。こんなものを廃止して、とっとと始めてほしかった。
その後、校長の挨拶や説明等々を聞かされ、三十分くらい経過してようやく開会式が終わった。説明など聞かずとも前もって配布されていた用紙にすべてが書かれている。今更説明する必要性はないのだ。
そして、俺と波野はいっしょに行動を開始した。
野球のグラウンドでの試合のため、俺たちはグローブを持ちながら、歩き始めた。
俺たちのソフトボールチームのメンバーは比較的中間層のメンバーたちであり、多少の野球経験を持ったメンバーばかりである。不良や問題児と呼ばれる生徒はいないので、人間関係的には比較的恵まれたのである。しかし、そういう生徒たちの集まりにはあまり活気がなく、試合に勝つために放課後に練習などをすることは一切しなかったのである。もちろん、俺はそういうのが大嫌いなのでかまわないのだが、クラスの上層階級の生徒たちや女子たちが、意外と本気モードなのがネックだ。この球技大会のルールはクラス団体であり、各競技にクラス代表の生徒たちが勝利し、得点を得て、その総合得点で勝利するクラスを決める。だから、俺たちが初戦で敗退すれば、下層階級である俺たちは当然攻められるわけだ。
こんな遊びで攻められるいわれはないが、それがこの学校の人間的レベルの低さなのだ。
そんな生徒が学校を支配しているのだから、この高校も地に落ちたものだ。
グラウンドへ向かうと、すでに最初に試合が始まっていた。三年生対二年生の対決である。
「俺たちは第二試合だったよな?」
俺は波野にいくと、そうだよと即答された。
「この試合を見ているか」
「そうだな」
本当はモテないメンバーの試合を見たかったが、ソフトボールの試合がどのくらいかかるか分からなかったので様子を見ることにしたのである。
グラウンドから少し離れた場所の芝生のベンチに座りながら、第一試合を眺めることにしたのだ。
そして、高学年同士の試合が開始された。審判は体育教師たちが勤めている。今回のルールは五回までであり、延長はなしで引き分けだった場合はじゃんけんで勝敗を分けるというモテない組同様の手法で行われる。時間通りに進めるには仕方のないことである。
なら、球技大会なんてやめちゃえばいいのに
そんな言葉が俺の頭の中に浮かんでしまっている。
他のクラスメンバーたちも集まり、第一試合を見ることになった。
三年生と二年生の試合はとても清清しい試合であった。スムーズに試合が運んでいったからである。小学校時代の野球経験しかない俺はフォアボールが一種のトラウマになっていたのだ。フォアボールの連発は試合をしらけさせ、モチベーションを下げる行為である。特に小学生はコントロールが悪いのでフォアボールによる押し出しだけで決着がつくことなど日常茶飯事であった。しかし、今試合を行っている両ピッチャーはコントロールが安定しているのでそういったしらける戦いは存在しない。しかし、この高校にはソフトボール部は存在しないので、両ピッチャー人は下投げには慣れていないので、ボール自体のスピードは極めて遅かった。
「スムーズに進むことはいいことだ。早くこんな茶番を終わらせて家に帰りたいぜ」
試合を見ながら、俺は隣に座っている波野に愚痴をこぼした。
「長岡、もしお前がエラーして負けたら、一生言ってやるからな」
「何だと!?」
波野は俺のやる気のなさを理解して、わざとプレッシャーをかけるようなことを言ったのだ。
「カードゲーマーの分際でこの俺に圧力をかけるとは生意気な」
「カードは関係ないだろう」
「まだ、彼女に話してないのか?」
「それは・・・・・そうだけど・・・・」
「彼女に隠し事は良くないな。面倒くせぇから別れちまえ」
俺は実に身勝手なことを平気で言ってしまった。
「お前、何わけの分からないことを言っているんだよ! 俺は彼女一筋だからな」
「最初は皆そう言うんだよな」
「恋愛経験ゼロのお前が言うことか!」
「恋愛経験値がゼロだからこそ、客観的に物事を見ることができるんだよ。この俺のスペックを舐めてもらっては困る」
「この・・・知ったかぶりが!」
「どうも、ミスターシッタカです」
支離滅裂なことを言いながら、時間を消費していき、気がつけば第一試合は終わっていた。三年生のクラスが勝利し、俺たちの出番がやってきたのである。
「ああ、やる気しねぇ」
そんな不満を吐き出しながらも、俺たちのクラスはグラウンドに集合し、一列に並び始めた。そして、同じ学年の別クラスの生徒たちと対面する。
「これから、第二試合を始めます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
俺たち全員頭を下げて挨拶を交わした。
そして、試合が開始されたのである。
俺たちのチームは後攻で俺はレフトに守備を構える。ボールが来なければ、俺はただ、そこに立っていればいい。外野は大変そうで意外と楽なのだ。基本的にボールは飛んでこないし、内野のように忙しくはないのだ。
後は丸投げして俺はたが、傍観していればいい。所詮は球技大会レベルの試合。公式戦ではないのだから。
案の定、一回表には俺の方にボールは飛んでこなかった。内野のミスが目立ち、二点取られて表の攻撃は終わった。次は一回裏の俺たちの攻撃が開始される。しかし、慌てる必要はまったくなかった。なぜなら、俺は九番バッターだからである。つまり、一番打席が少なく、最も打てない打者の順番なのだ。俺は自ら志願してその打順を選んだのだ。理由は簡単。試合に貢献したくないからである。それに俺はバッティングセンスがないので、結局そういう結果になってしまうのだ。
すると、あることが起こり、俺たちのクラスは完全に窮地に立たされることになる。敵チームに女子たちの応援団がやってきたのだ。これが何を意味するのか。答えはすぐに出すことが出来た。女子たちの応援で敵チームの機嫌が良くなり、盛り上がっている。モチベーションの上昇。その裏には女子の前でいいところを見せたいという下心が働いているのは、モテないオーラ全開の俺でも分かる。
「おい、何か俺たち負けてねぇか?」
ベンチに座っている波野が俺にそっとささやいた。
「二点リードされているからな」
「そういうことじゃねーよ。応援だよ。俺たちのクラスの女子たちは誰も見に来てくれないのが残念なんだよ」
その発言に対し、この歩くモテないマシーンである俺は鼻で笑った。
「女子に応援されないだけで何を落ち込んでいるんだ。これだから、凡人たちは。お前も俺の境地にくれば気にしなくなるぞ」
俺は一切気にしていない。もし、気にしているとしたら、敵チームの女子たちの応援が単純に『うるさい』くらいだ。それは嫉妬から来る感情ではない。普段から、騒音を授業中に出されているので女子たちの甲高い声が異常にイラついている自分がいる。単なる騒音を聞いている不快感。これで俺たちを応援するために女子たちが着たら、むしろ最悪だ。俺の精神に異常をきたしてしまう。
「お前はどこまで青春を捨てる気なんだ?」
そんなことを言いながら、波野は笑っている。
「生まれる前から俺に青春なんてないんだよ。それにそんな考えは日本特有の悪しき言葉だ。俺にとって、青春という言葉は脳内麻薬のように感じるし、悪意すら感じる」
「長岡、悲しすぎるぜ! 正気に戻るんだ!」
「俺はこの上なく正常だよ。異常なのはお前たちの方だ!」
「・・・・・・・」
俺の反社会的発言を聞いた波野は絶句してしまった。
「それに波野には大事な大事な彼女がいるだろ。それでいいじゃないか」
そう言った俺は辺りを見渡したが、波野の彼女は現れていない。彼氏の応援に来ないのか。はたまた、試合が重なりこれないだけか。しかし、確かなことは・・・・俺には一切関係ないということだ。
「それはそれ、これはこれだ。女子に応援されてうれしくない男子はお前くらいのもんだ」
「どういたしまして」
敵チームの応援ありなしで、俺たちのチームはすっかり『チームモテない』になってしまった。しかし、もちろん俺のせいではない。誰のせいでもないのだ。悲観する必要はないが、男子たちのうらやましいオーラは全開であった。
「つまり、あれか・・・・・・アウェーでの戦いってやつだな」
サッカーについては良く分からないが、たぶん使い方は正しいだろう。
「まあ、そうなるかな」
波野は納得してしまった。
試合は一点を取って二回表へと進んでいった。しかし、敵チームは女子たちからの熱い声援に押され、楽しそうにゲームを楽しんでいる。一方俺たちのチームは精気を失っているような感じだ。ただ一人、俺だけがこの状況に対応できていた。その歪んだ優越感に浸ることに快感を抱いている俺であるが、それも最初だけであった。女子たちの応援は俺にはただの雑音にしか聞こえないのだ。それは普段授業中に聞いている騒音と同じであった。それは俺をさらにイラつかせていた。そして、この脱力試合の中で一人、反骨精神が生まれた俺に『やる気』が生まれ始めていた。
センターやライトにボールが飛んで来ていたが、レフトを守っていた俺の所にボールが飛んではこなかった。そして、2回表を無失点で押さえた俺たちは2回裏の攻撃へと転じた。
「じゃあ、行ってくるぜ!」
波野の打席が回ってきた。あいつはカードゲームオタクのはずなのに勉強もでき、運動神経もいい。しかし、カードゲーム仲間と毎回戦うために、部活には入らなかった。それだけ、カードゲームを愛している証拠である。そして、オタク=運度音痴ではないことを立証している。
身長が一番低い俺にとって、明らかに大柄である波野は打席に立ってもまったく違和感がなかった。
モテない要素を持ちながら、同時にモテる要素を兼ね備えた存在である波野とよく友達になれたと俺は思っていた。同類の臭いを吹きつけながらも、別の種類の性質を持つ。それを両性と区別したい愚かな自分がいる。しかし、そういう決め付けは狭い考えであり、両性ではなく、単純にそれが波野なのだと思うことにする。
そんなことを考えながら、波野のバッティングを俺は目の当たりにする。完璧なスイングでバットの芯で分厚いボールをミートし、左中間へとボールが飛んでいった。
「ナイス、バッティング」
「よっしゃー」
メンバーたちに活気が蘇ってきた。波野は全速力で走り、ツーベースヒットになった。ノーアウト二塁ランナーがいるというのは非常に有利である。一点は取れるだろう。
俺の予想通り、次もまたヒットを打ち、一点を返した。そして、波野はベンチへと戻ってきた。波野は皆にハイタッチしながら、最後に俺のところに来たので俺はハイタッチをすると見せかけて腹パンするしぐさを見せた。
「何をするんだ!?」
「お前が活躍するのは気に入らないんだよ」
もちろん、ふざけているだけだ。
「こういうことしかしないからモテないんだ」
「これ以上俺を褒めるなよ」
「褒めてねーし」
そして、俺まで打順が回ってきた。しかし、すでにツーアウトであり、今の俺の技量ではランナーを返すことができる可能性は低かった。
俺はバットを持ってバッターボックスへと向かっていった。すると、敵チームの女子たちの応援声が更に大きくなり、俺のイライラがよりつのっていく。
不愉快極まりない。
ただの騒音に何の意味もない。公害もいいところだ。
集中力が完全に欠如し、怒りだけが俺を支配していた。
よく、騒音での隣人トラブルで殺人事件まで発展してしまうニュースを聞くが、今なら分かる。授業中から騒音に悩まされ、さらに今も敵チームの女子たちからの騒音を受けんがら、やる気のない行事をしている。これがどれだけの苦痛であるか理解できる人間はそうはいないだろう。モテない組のメンバーですら理解できない境地に俺はいるのだ。
集中するんだ。このアウェーは俺にとってむしろ有利のはずだ。怒りが俺の原動力となって戦えるはずだ。
そして、第一球が投げられ、俺はバットを強く握った。しかし、ボールは外角低めにそれ、俺は見送った。
「ボール」
審判が大きな声で言った。
俺は一旦バッターボックスから離れ、深呼吸をした。バッターボックス内は緊張に包まれており、やる気にない俺でもその緊張に飲まれている。
この俺が緊張しているだと・・・・・・・そう、その絶対的空間がバッターボックスなのである。
そして、俺は再び緊張世界へと足を踏み入れた。
小学校時代、出塁方法のほとんどがフォアボールであった俺には制球眼が発達しているので、ボール球には絶対手を出さないようプレイしていた。その癖が今も残っていることに俺は驚きと喜びを感じていた。
バットを構え、俺は再び戦場へと戻る。すると、また女子たちの応援という名の騒音が俺の邪魔をする。それは俺の集中力を更に減退させ、モテないオーラが増加する。そして、憎悪が増し続けていく。
第二球が投げられ、今度は高めの内角にボールが来たので振らずに見送った。
「ボール」
他の生徒なら、打ちたいと願望に負けて振ってしまうだろう。しかし、バッターボックス慣れしている俺はその願望を完全に制御している。すると、予想外の出来事が俺の身に起こった。
「バッター打てないよ」
「ビビリだよ」
「どうせ九番バッターだよ」
この罵声は守備をしている男子たちからではなかった。敵チームの女子たちからの野次であったのである。
まさか、顔もろくに知らない女子たちからこのような制裁を受けることになろうとは思っても見なかった。この俺はどこまでもモテないのだろうか。これはもはや宿命だ。俺はそれを受け入れ、孤独死するまで独身でいることを改めて誓った。
モテないロードが改めて築かれたこの世界で俺は今、あらゆる妨害に耐えながら戦っているのだ。それはくだらなく、陳腐で痛々しい。もし、俺ではなく田辺であったならば、精神的に耐えられず、一生のトラウマになっていただろう。この状況に耐えられるのは『モテない』の極みを手にしている俺だけである。それは欠落ではない。新たな力と言っていいだろう。新しい価値観。それが染み付いている今の俺の心は傷一つつかない。
青春など否定してやる。俺にそんな思い出など必要ない。後悔する理由もない。俺は自分が正しいと思うことに進むまでだ。
さあ、かかってこい!
俺は心の中で叫び、バットを再び構えた。歪んだやる気は俺の血液を通して全身をめぐっている。普段のストレスと融合し、頭に血が上っている。
そして、第三球が投げられた。真ん中高めのボールが飛んできた。俺はそれを大根切りでボールに当てた。すると、そのボールはピッチャーに向かって飛び、足に命中し、変な方向にボールは転がり、その隙をついて、俺は一塁ベースへと走り、ヒットになった。
よっしゃ!
俺は俺らしいヒットが打てたことに満足し、怒りが放出される感覚に見舞われていた。しかし、それをぶち壊す罵声が飛んでくる。
「うわぁ、最低」
「かわいそう」
「えげつないわ」
「キショ」
何で俺ばかりこうも言われなくてはならないのだ。
俺はベンチにいる波野を見ると、彼は笑っていた。そして、俺の顔を見るなり、哀れみと馬鹿にした顔を見事に成し遂げている。
これが俺の星回りなのだろう。モテないを通り越し、完全に嫌われている。こんな高校の頭が悪く、性格も悪い女子たちから好かれたくはないのでそれはそれで構わない。育ちの悪さを俺は目撃している。
あういう女たちが結婚して子供を産んで同じような人間を生産する。実に悲しい負のスパイラルである。
結局、俺はホームベースを踏むことなく、二階裏の攻撃が終了した。グローブを取りにベンチに戻った俺に波野が声をかけてくれた。
「長岡、いろんな意味でドンマイ」
「え?」
波野の『いろんな意味』という言葉が最初理解することができなかった。ホームインすることができず、同点という意味が入っていることは分かる。しかし、それでは単品だ。他の何を意味するのか今の俺には分からないまま、俺はグローブをはめてレフトへと走っていく。
その後、俺たちのチームは一点を失い、交代となった。未だに俺の所にボールは飛んでこない。暇はいい。自由で清らかで清清しく感じる。
再びベンチに戻った俺は改めて、隣に座っている波野に俺は先ほどの疑問を問うてみた。
「おい、波野。さっきのいろんな意味でドンマイってどういう意味だ?」
すると、波野は笑みを浮かべながら、言葉を発した。
「女子たちからそうとう嫌われてたな。お前だけだぞ。あんなに言われているのは。お前、何かしたんじゃないのか?」
波野は俺に一切の同情も哀れみも示していない。この俺の理不尽な状況を楽しんでいる。なんというやつだ。
「俺は無実だぁ!」
俺はどこかわざとらしく言ったが、本当に心当たりがないのだ。
「怪しいな。まあ、お前は嘘はつなないからな。しかし、究極のKY、空気を読めない、読まないをモットーに生きているお前だからな。知らない間に女子たちを傷つけているんじゃないか?」
「分かっていないな、波野は。俺という人間を」
「何だと!」
実にわざとらしい言い方であった。
「俺が女子生徒といつ話しをしたんだよ。女の話すらしてねー俺がなぜ、女子たちを敵にまわす必然性があるんだ? 俺はこの高校に入ってまだ一度も女子たちと会話すらしたことがないんだぞ!」
完璧な解答であった。女子と話をしたことがない。これはあらゆる意味で絶対的である。モテない男の証とも言える発言であると同時に、この学校での地位が底辺であることを示したことにもなる。異性に興味を持つこの年頃に、この発言をどうどうとできるのは世界でこの俺だけであろう。世界とは実に狭いものだ。
「長岡、すまなかったな。余計なことを詮索してしまったようだ」
「何だ、その態度は。気に入らないな!」
「お前がここまでかわいそうなやつだとは思っていなかったんだ。お前がモテない組を作った時もどれだけ哀れんだが・・・・・お前は本当にかわいそうなやつだ。だが、救う気はない!」
最後の言葉を強調し、波野はこの俺を馬鹿にする態度を改めて示したのであった。
その後も、波野はグローブを外しながら、この俺批判を続けた。
「だいたい、女子たちからブーイングを浴びせられてよく平気な顔でいられるな。俺なら一生に傷になるけどな」
「まあ、普通の男子たちならそうだろうな。女子たちから嫌われることは死活問題だろうから。でも、俺には関係ない。それにこんなクソ高校の女子たちから好かれたいとは俺は思わないね。もし、俺がモテない組に目覚めていなかったとしても、きっと同じことをいうはずだ」
俺はこの高校の女子たちが大嫌いであった。偏差値が低い学校なので女子たちの大半は馬鹿ばかりだ。しかも、学級崩壊を起こすような自分勝手な連中の集まりなので、好きになる要素は皆無なのだ。
「本当にさびしい男だな。お前は」
「さびしさなどとうに忘れたよ」
俺たちの途方もない会話と同時進行で試合も進んで行った。
そして、気がつけば4対3で一点リードされた状態で五階裏の最後の俺たちの攻撃になっていた。しかも、すでにツーアウトで俺の番が回っていた。しかも、雰囲気というやつがこの俺に告げている。『お前で終わりだ』と。
雰囲気、空気が俺の可能性を奪っていく。俺たちのチームたちからは精気の抜けた顔をし、敵チームは勝った気でいる。
空気が俺を縛り付けている。俺の自由を奪っていく。そして、そんな澱んだ空気を俺はぶち壊したい。俺の中にある反骨精神がそう言っている。
俺はバットを持ちながら、バッターボックスへと歩いていく。すると、空気に更なるどよめきが走った。
「あと一人!」
「早く試合終わらせて!」
「がーんば」
敵チームの女子たちの応援はまだ終わってはいなかった。勝利空気の濃度が更に高まる。これは、俺にとって耐え難い苦痛であり、俺に反骨精神、信念がそれを許さなかった。そして、俺は自分『モテない濃度』を究極的に高めてしまう一言を言ってしまったのだ。
「うっせーな。女子の声。生理的に不快だわ!」
俺のこの怒鳴り声は辺り一面に漂っていた空気を一斉に変えてしまった。この俺的に言い変えれば、空気を浄化したのだ。
女子たちは俺の発言で急に何も言わなくなってしまった。それだけ、俺の言葉に影響されたのだろう。他の男子たちには絶対できないことが俺にはできてしまうのだ。
バッターボックスに入った俺はピッチャーが投げた初球から狙い、バットを振ったが芯にボールを捕らえることができず、ファールボールになった。
まずいな。小学生からのくせで体に力が入りすぎている。今の精神状態ではヒットは打てない。
俺はバッターボックスから離れ、一度頭を冷やして考え始めた。
このまま、俺がアウトになれば、波野に馬鹿にされ、女子たちからの罵声の蘇る可能性がある。それは気に入らない。周辺に漂っている清潔な空気をより浄化するにはここで俺のヒットが必要だ。どうすれば・・・・・・・・・そうか、その手があった!
俺は再びバッターボックスに戻り、構えた。
見せてやる! 空気を読まない男の真髄を!
この作戦はたぶんうまくいくだろう。しかし、デメリットも存在する。波野からの突っ込みは覚悟しなくてはならない。そして、もう一つ。それはこの試合を白けさせる可能性があるということだ。もし、そうなれば俺の責任だ。だが、俺は気にしない。それが自由を愛する俺なのだから。
そして、第二球が投げられた。ボールは真ん中低めに落ちている。普通ならストライクゾーンからは外れ、見送るが俺はこのボールを待っていた。
俺は構えを変更し、バントの構えに切り替えたのである。そして、うまい具合にボールをバットに『コン・・・・』と当てたのだ。ボールはコロコロとサード側に転がり、やる気のない俺の魂が宿ったかのようにボールは勢いなくただ転がっていくだけだ。バントとはそういうものだ。ただ転がる。それだけでヒットになってしまう。しかも、バントの処理は意外と難しい。野球経験者でなければうまく対処することはできない。だから、誰もこのバントをやろうとはしないのだ。それに男子たちはバントのような小細工より、打ちたがる。だから、誰もバントの存在を忘れてしまっていたのだ。今回の球技大会ソフトボールのルールにバント禁止はない。禁止ではないが、暗黙の了解とう空気が生徒の脳に働き、抑制を働きかけていた。そのある種のタブーを俺は破ったのである。俺に暗黙の了解という概念は存在しない。日本人の悪しき伝統に興味はないのだ。
俺は全力疾走で走り、そして一塁ベースを踏み、ヒットになったのだ。これがKYセーフティーバントである。
そして、すべての空気が浄化された時、俺たちのチームに活気が蘇ってきたのだ。
「長岡、ナイスバント」
「やべぇ、あいつ」
「最高だぜ!」
まさか、俺たちのやる気のないチームがこれまで活気付くことを俺は予想のしていなかった。もしかしたら、逆転できるかもしれない。
その後、空気の流れが変わった試合で俺はホームインすることができ、全員とハイタッチしている。本当はこのハイタッチというのが嫌いなのだが、ここだけは空気というやつを読むことにした。そして、波野の所まで行ってハイタッチしようした。すると、今度は波野が腹パンをする仕草をしたのである。
「何をするんだ?」
「お前、本当にセコイな」
「セコイ? 頭脳プレイと読んでくれ!」
「まあ、結果オーライだけど、女子たちにあの言葉はないだろう」
「これが俺の力だ!」
「お前の痛さは尋常ではないということか」
そして、試合は終了した。俺たちのチームはこの回で逆転し勝利した・・・・という展開だと思っていたが、普通に同点のまま終了し、まさかのじゃんけん対決になった。
メンバーの九人全員が一人ずつじゃんけんし、勝った方が多いチームが勝利する。9名ずつの奇数なのでもう引き分けはない。そして、メンバーたちは一人ずつじゃんけんをしていく。俺はこの前のモテない組リーダー決定戦に勝利した自信を糧にしていたために、根拠のない自信を持っていた。
じゃんけんは続き、波野はこの対決に勝利した。そして、4対4のまま俺の番を迎えることになった。俺はこのチームにだけは負けたくないという願望があったため、絶対に勝つ気でいた。
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
そして、運命は決したのである。
俺は勝った・・・・と思ったが、俺はグー、相手はパーを出していたので普通に負けたのである。
「うわぁ、長岡」
「負けたー」
この俺があんなクソ女子たちが応援するチームに負けた。しかも、俺が最後の希望だったのに。俺が希望どころか絶望を手に入れてしまったというのか。
「長岡、お前は本当におもしろい男だな。どこまでも痛くておいしいやつだ。いろいろやっちまったしな。俺は決してお前を攻めたりしないぜ。絶対お前の攻めたりしないぜ。お前のせいで負けたなんてちっとも思ってないから。絶対思ってないから。最後にお前が」
「おい、どう考えてもお前、俺をこの上なく攻めてるだろ!」
「いやいや、セコイ手使って負けたなんて思ってませんよ」
「このノロ気やろうが!」
そんなたわいのない会話をしながら、俺たちはモテないメンバーたちの試合を見に行くことにした。もう、このグラウンドに何の用もないからだ。
閉会式が始まるまで、完全に暇になってしまった俺たちは、田辺や生沼、大久保や同じクラスメイトの試合を見ながら、このどうでもいい一日をやり過ごした。