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「へえ、じゃあ水が冷たいのは、樽に魔法がかかっているからなんだな」
「それってつまり、魔法をかけ続けてるっ事よね? 無駄じゃない?」
「フン、妖精のオレ様と卑小な人間のてめぇ等と一緒にすんなよ、これくらい楽勝だっつの!」
「妖精は存在自体が魔力の塊だっていうから、そういう事なのかな?」
「そうだ、人間とは比べもんにならねぇくらいの違いだ!」
「……なんか、妖精のイメージと違うわね」
「そうだな、なんか裏切られた気分だよな」
「失礼だよ、二人とも」
お前は余計な事を言うな。
最初にそう目でラビに言われて、それ以来黙って克己は後ろの会話を聞いている。
元々、三人以上の会話に混じるのは克己にとって、剣と弓を同時に扱うぐらいに離れ業だ。一対一の対話なら気後れする事は無いが、それ以上になると、どのタイミングで口を挟めばいいのか計りかね、極端に口数が減る。
「……」
御者台に座ったまま、格好だけ手綱を握り、克己は辺りの風景を目に焼き付けていた。
都会育ちの克己にとって、自然は珍しい。身近な緑と言えば道路の街路樹。アパート暮らしの家では庭もない。
それが、今、克己の目の前に広がるのは。
何処までも広がる草原。所々に丘があり、丘の上には城壁のようなものが。また丘には様々な色を持った畑があり、まるで色とりどりのタイルを組み合わせたようだ。
遙か遠くには鋭く尖った山々が見える。街の方向とは逆方向で、確か住んでいる魔物のレベルも桁違い。
そして、今スタインと共に歩いているこの道。
所々舗装がはげているが、間違いなく白い石で造られた街道。兵士の休憩所兼早馬の乗り換え所を通り過ぎ、街にだんだん近づく。
克己が拠点としている街の名は『ロゼット』。大山脈の向こうに広がる未開地域への中継都市として、冒険者達で賑わう街だ。
ロゼットも丘の上に建つ街で、二つの城を持つ。
一つは街をぐるりと囲む城壁の門の上に建つ城で、もう一つが街の一番上に建つ領主の居城。
城壁の城は役所のようなもので、各種手続きはここで行われる。左右に尖った細長い塔があり、そこから街に入ってくるものを全て見張っている、らしい。
領主の居城は街の名物でもあり、一部は無料で開放されている。勿論克己もゲーム内で散策した。庭と廊下が綺麗だったのが印象的。
門をくぐる。
馬車には登録済みのシール、ではなく紋章が描かれた布を、目立つ場所に貼っている。
この紋章には色々種類があり、公用、商用、最も数が多い冒険者用とがある。克己の物は勿論冒険者用。
紋章の獲得にはそれなりの対価が必要だが、この紋章があれば門をノーチェックで通過出来る。紋章を持たない者はその場で面倒なチェックを受け、街に入る為の入場料を取られる。税の一部として。
門の先は長い。真上には元の世界でいう市役所、県庁のような建物がある為、ちょっとしたトンネルのように長い。距離にして多分百メートルほど。 車の車線のように点線で通路は四つに分けられ、右側通行を義務づけられている。早い馬車は真ん中を走り、遅い馬車は右側を走るのも、車と一緒。
この大きな道は、領主の居城がある頂上まで一直線に繋がっており、街のメインストリートでもある。
「ありがと、ここまででいいわ」
門を抜けた先は広場に出る。
乗合馬車の駅でもあり、ここから街の至る所へ、反対に街を出て様々な場所に旅立つ人々で賑わっている。
そのとある一画で、克己は彼らを下ろした。
「助かったよ、お嬢ちゃん」
「いえ、こちらこそ……」
「またね、ガラの悪い妖精ちゃん」
ばちんと、女性が片目をつぶる。
確かアンジェラさんだっけ? ウィンクがこうも似合う人を、克己は初めて生で見た。
「うっせー」
ラビは克己の頭に乗ったまま、悪態をつく。
「こらラビ、」
態度の悪いラビを、手で追い払う。ラビはぱっと三人の前に逃げ、からかうように三人の間をふらふら舞う。
「あはは、やっぱり面白いね、君達」
「そーだな」
「変な妖精よね、ホント」
「ほっとけ」
「所で今更だけど、君の名前は? あ、俺はリアン・マルフォ。こっちがマシュー・カッターで、」
「アンジェラ・ポーターよ」
これはご丁寧に。
克己は小さく頭を下げた。
で、
「……ええと、私は叶 克己といいます。で、こっちはラビです」
「カノー? 変わった名前だね」
あ、違う、それは名字で、名前は克己で……まあいいか。大して変わらない。
訂正するのを克己は止めた。
「また今度、カノー」
リアンが手を振る。ちょっと可愛い。
また小さく頭を下げて、克己は馬車を進めた。
「……」
スタインは迷いなく進む。
克己は格好としては手綱を握っているが、何もしていない。
スタインが賢いのか、それともこれもラビの魔法の一つだろうか。
そわそわと、克己は落ち着きなく辺りを見回した。
広場はとても広い。門を底辺とする半円型の広場で、門の近くは馬車や人でごった返しているが、丸みを帯びた部分からはカフェのテラス席がたくさん並んでいる。カフェは色鮮やかな看板をそれぞれに掲げ、克己の目を楽しませた。
陽は沈みかけている時間で、これから賑やかになりそうだ。
石畳の街並み。メインストリートは緩い坂を作りながら丘の上まで昇っていく。所々にはあおく茂った街路樹が植えられ、歩道と車道をなんとなく分けている。
道沿いにも様々な店がある。
武器、防具、馬車、薬屋、食料品店など。どれも背の高い建物ばかりで、一階部分がお店になっていて、他は住居なんだろうか、と克己は想像する。
と。
ふと、看板の文字が違和感もなく読める事に、克己は唐突に気付いた。
勿論見えている字は日本語ではない。アルファベットがぐにゃぐにゃになったようにしか見えない、何語とも言えない文字だ。
でも、読める。
文字だけではない、言語もだ。
ゲーム自体が日本語だから、ラビが日本語を話している事には全く違和感がなかったが、彼らが日本語を話している筈がない。
これもやっぱり、魔法なんだろうか。
そうだとすれば――十中八九そうだろうが――、魔法ばかりで少し恐い。
「……ナニ落ち込んでだ、お前は」
何も出来ない、己の情けなさに。
というか、落ち込んでいる訳じゃない、多分。
「別に、なんていうか……少し不安なだけ」
小さく息を吐き出しながら、克己は答えた。
そして思う。
肩の辺りで浮かんだまま、こちらを見やるラビの方がずっと、なんだか不安気だと。
さっきもそう、盗賊を倒してくれた時。
ラビがああしてくれなかったら、どうなっていた事か。
敵に倒されてゲームオーバーになっていた時。今までも何度かある、ゲームでは自宅に強制送還で住んでいたが、本当はラビが倒してくれていたんだろうか。
感謝しかない。
なのに、ラビは、どうして……。
「……ふん」
鼻をならして、ラビは克己の肩にとまった。
なんだか拗ねているようだ。顔は見えないが、克己はそう感じた。
急に、ラビが小さい存在に感じられる。
小さくて、くすぐったくて。
克己の心は唐突に軽くなった。