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ドラゴンマスター  作者: 杉井流 知寄
オープニング
6/13

 4

「――」

 口を開く。

 開くと、外の空気が口の中を乾かす。

 その渇きは喉の奥まで一気に浸透して、一瞬呼吸が止まる。

 そして、

「!っ」

 お腹の上の部分、胃の辺りに、強烈な存在感。

 昼ご飯は食べたばかりだった。

 ナニ食べたっけ? 確か、うどんと親子丼だ。うどんは一番安いメニューだけど、少し足らない。だから丼物の中で一番安い親子丼をプラスして、満腹。大満腹、ちょっと食べ過ぎなくらい。

 

 ソレガイケナカッタナァ……。


 あえてのんびり、思考を言葉にして、克己は現実逃避する。

 今、まさにこの瞬間に迫り上げる、込み上げてくる、なにかから。

 いや、分ってる。

 そのなにが、なにかって。

 分っているとも。

 ぱっと肩を掴まれていた腕を右手で振り払い、口元に左手を当てる。

 覚悟を用意しておこう、大丈夫、大人だもの。嘔吐ぐらい慣れている。

 さあ、行くぜ。

 

 ゲロゲロゲロゲロ。


 男に背を向け吐きたかったが、そうすると血だまりとご対面。それは無理。なので、90度回転で膝をつき、だばーっと、強烈な存在を主張する奴らを吐き出す。

 と。

 出てきたのは胃液だけだった。うどんと親子丼はどこに行ったと怪訝に思いながらも、吐く事に集中する。

 喉が胃液にやかれる。痛い。

 あの独特の刺激臭が、鼻をつっつく。

 口の中が気持ち悪い。

 だがしかし、中にあったのは胃液だけだったので、吐く事については覚悟していたよりもずっと、楽だった。

 飲み過ぎなどで吐く度に思い出されるのが、子供の頃、家で吐いた時。何で吐いたのかは忘れた。多分食べ過ぎとか牡蠣にあったんだろう、好物だけど今でもたまにあたる。

 ともかく、あの時は大泣きしていた。わんわん泣きながら、廊下で立ったままゲロゲロしていた。祖母に優しくトイレに連れて行かれ、背中をさすられながら、トイレの便器に向かってゲロをする。背中をさすってくれる祖母の手は小さかったが、とても心地よかった。

 もう吐く事で泣くことはなくなったから、強くなったとゲロする度に懐かしく思う。

「っち」

 舌打ち一つ。

 男の存在感が消える。

 口元をぬぐいながら男の方を見ると、そこには小さくなったラビが羽を羽ばたかせ、浮かんでいた。

「てめぇ、人の顔みて吐くなよな!」

 悪態をつくラビは、最初よりも小さくなっている。声も少し甲高いし、喋り方もちょっと幼くなったような。

「……ごめん」

 こっちの大きさぐらいが好みだな。

 怒られながらも克己は、呑気にラビの大きさについて思う。

 最初の大きさが二十センチほど、リカちゃん人形ぐらいなのに対して、今の大きさはおよそ半分。手と手で作る檻で閉じ込められそうで、まさに妖精という、克己にとって理想の大きさだ。

「……水ってある?」

「……樽の中にある」

 馬車の中にあった樽か。

 口の中に溜まった、胃液と混ざった唾を吐き捨て、立ち上がる。

 身体は血だらけで、手も胃液で汚れた、綺麗に洗い流したい。

「のんびりするんじゃねぇぞ、こっから街までまだ遠いんだからな!」

 仏頂面で、さらに偉そうに腕を組んでこっちを睨むラビは、可愛い。

 あれだ、小さい子に本気で心配させて怒られている、そんな気分。本人に言ったら怒られそうだが、そう思うと克己の心は軽くなった。

 馬車を覗き込むと、水の入った樽は馬車の御者台の近くにあった。血で汚れた鎧、籠手は一旦地面に置いて、なるだけ他の物を触らないように樽に近づく。水を入れる桶もあり、木製のコップもあった。桶に水を入れ、御者台から降りる。桶は御者台に置いて、コップに水をすくって、汚れた腕を流す。それから口に含んで、何度かすすぐ。それからまたコップに水を入れ、汚れた手を今度は丁寧に洗い流す。

 水は冷たく、ひんやりとしていて、濡れるのは気持ち良い。心地良かった。

 その冷たい水で汚れた鎧を洗い流す。

 鎧の下は茶色の厚手の服を着ている。ちょっとごわごわとした、固い布地。

 血で汚れた部分にそのまま水を流し、裾を絞る。

 ひどい血の臭いは和らぎ、少し克己も慣れた。

「……ふう」

 もう一度水を口に含んで、今度は飲む。

 冷たくて、ごっくんと喉を通っていくのが、腹まで真っ直ぐに芯を通したようで、しゃきっとする。

 冷たい水。

 きんきんに冷えてはいないが、常温の水のように生ぬるくない。

 ただ樽に入っているだけなのに、不思議だ。入れた飲み物を冷たくする、魔法の樽なのだろうか。

「……」

 御者台に座り直し、ぼんやりと克己はスタインの後ろ姿を眺める。

 細長く、先に筆の先のように毛がある、まさしく牛のようなスタインのしっぽ。

 そのしっぽがふらっ、ふらっ、と、速いような遅いような不思議な感管で揺れている。細長い部分が揺れるのには素早く見えるが、大きな穂先のような部分がふんわりと揺れるので、妙な感覚になるのかもしれない。

 柔らかな日差しは暖かく、吹き抜けていく風は涼やか。

 ……。

 さてと。

 いつまでもぼんやりとはしていられない。ラビが言うように、早く街に着かないと。

 しかし、その前に――

「……お前、何してんだ?」

「……このままにはしておけない」

 地を這うような低い、ラビの声。内心ビビりながらも、克己ははっきり自分の意思を口に出した。

 血だまりの中、仰向けに倒れたままの盗賊。目も見開いたままだ。 

 両手を合わし黙祷を捧げ、恐る恐る盗賊の死体に近づく。

「……装備でも剥ぐか?」

 いつもしている事だしな。

 言外にそう言われているようで、ずどんとまた胸が重くなる。確かにそうなのだけれど、胸が痛む。胸が痛む自体、甘えだ、偽善だと更に許せなくなる。が、痛いのは痛いのだからしょうがない。

 そんなの知らなかった、なんて馬鹿げた言い訳だ。ちょっと想像すれば分かる事。

 矢を射って当たれば、矢が突き刺さる。剣で切れば、裂けて傷となる。

 身体も心も重くなるけれど、止めない。このままにして置いたら、後でずっと引っかかる。

 そんなのは嫌だ。絶対に、もう二度と。

 思い出していつまでも凹むよりは、今すっきりとやりたい事をやって、整理したい。

 それが自己満足だの偽善だの、他人から、自分自身からも罵られようと、やらないよりはずっとマシ。よく言ってるじゃないか、やって後悔する方が、やらないで後悔するよりも良いって。

 当たって砕けろ!

 時間がかかっても大丈夫、前よりは丈夫になっているはずだ。

 多分、おそらくは。


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