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おばさんの名前はマーサさんと言って、マシューさんの叔母さんだそうだ。マシューさんのお父さんの妹さんで、元はマシューさんと同じ冒険者。旦那さんも冒険者だったそうで、怪我が元で亡くなってしまった。
この店は旦那さんを亡くした後、一人では冒険者を続ける気にはなれず、かといって故郷に一人戻る気にはなれずに、この地で暮らしていくために始めたそうだ。
カウンター席が5席と、二つの窓側に二人席がそれぞれ一つ、カウンター席の反対側に四人席が一つと、小さなお店。
店の入り口のカウンター席に飾られた、写真立ての中にはかなりの男前な剣士と、ほっそりとした赤毛の美人魔導師が並んで微笑んでいる写真がある。
素朴な木の椅子とテーブルで、白いテーブルクロスがよく映える。テーブルの上には小さな人形や、色鮮やかな、奇妙な形の空の小瓶が飾られている。
カウンター席の上段には籠がいくつか置かれ、中にリンゴやオレンジといったフルーツ、名前は分らないけれど緑の野菜や、細長いフランスパンのようなパンが中に入ってる。
流行とかお洒落とかは無縁で、昔と変わらない、懐かしい温かさを感じる店内で、それはマーサさんそのものなんだろう。
「お前、なんか雰囲気変わったな」
「?」
カウンター席に並んで座る私とマシューさん。
しげしげと見つめられつつ感慨深くマシューさんにそう言われ、私は更に詰め込もうとしていたサンドイッチを、とりあえず止めた。
止めて、口の中のサンドイッチを咀嚼し、飲み込む。
掃除のお礼にと、マーサさんが作ってくれたものだ。
やや堅めの食パンに、しゃきしゃきレタスとトマト、厚めのハムと炒り卵のソースがたっぷりのサンドイッチ。卵ソースはタルタルソースに似ているが、味は甘い。
マーサさんがいれてくれた温かいコーヒーを一口飲み、
「そう、ですか?」
と、答えた。
しかし昨日会ったばかりなのに、変わったな、と言われても……。
確かに別人ですが。
「ああ。昨日はなんつーか、まあ初対面だけどよ、昨日は暗かったのに、今日は脳天気に見える」
開き直ったA型人間は強いのだよ。
なんていうのはまあ、冗談だ。
実の所、私にある昨日の記憶はあやふやだ。
キャラの登場イベントは強烈だから、まあまあ覚えているけど、それ以外は朧気だ。どんな話をしたていたのかも、忘れた。
それに、昨日の私は私じゃないし。
「……お伴の妖精はどうした? その魔導具は妖精の代わりか?」
「妖精さんは、ちょっとお使いに」
ラビの事を意識すれば、今日の悪夢がフラッシュバックしかけるが、コーヒーのんで、苦い味に集中する。
「まあ、色々ありまして……」
ごにょごにょと誤魔化す。
「聞いてもいいか?」
「……ええと」
マシューさんは興味津々だ。
研究者だったらしいし、フェアリーマスターって珍しいそうだし、うん。
私もさっき根掘り葉掘り聞いちゃったし、私だけ隠すというか、答えないのはフェアじゃない。
だがしかし。
異世界から来ました☆ って、いきなりカミングアウトするレベルじゃないよな……むしろ下手な嘘だと信じて貰えなさそう。あ、でも考えてみれば異世界から来たのは元の私で、今の私は身体は魔導師製、心もコピーしたものなんだよねー……。
よねー。
よ、ね。
……。
……。
……。
ええと。
……。
……。
あ、やばい。
……。
やばい。
あえて考えないようにしていたけど、やっぱり無理だ。
イベントラッシュで息つく暇がなかったけれど、一息ついたら、見ざるおえない。
唐突に、痛烈に突き刺さる。
足下にはぽっかり穴が空き、現実感が無くなる。
いや、初めから現実感なんてない。
起きた時からずっと非日常で、時折思い出す日常も、遠い遠い想い出だ。
今私にあるのは、私は紛い物だということ。
にんげんもどき。
私は、作り物なんだ。
この心は叶 克己という人間の複製で、身体は魔導師特製の材質不明のゴーレム。岩や鉄じゃないのは確かだけど……もしかしたらプラスチックやゴム製かも。
わたしは――
「ちょっとどうしたんだい?! どこか痛いのかい? それともまさか、そのサンドイッチが口に合わなかったかい?」
「……」
マーサさんが慌ててカウンター内から、私の傍に駆け寄る。
マシューさんは大きく目を見開き、びっくりして固まっている。
駆け寄ったマーサさんが、エプロンのポケットから薄緑色のハンカチを取り出す。
そのハンカチを、私の目元にあてがう。
そして目の端を交互に、それぞれ軽く拭く。
私はされるがままだ。
ハンカチが目に触れるか触れないか微妙な所を動くので、瞬きしてしまう。
瞬きすると、目の端から水滴が零れるのを感じた。
涙だ。
ゴーレムでも、涙は出るらしい。
心を持ったゴーレムやロボットが涙を流すのは、SFの鉄板ネタ。
潤滑油が何故か過剰に分泌された結果。
「……ええと、」
ふるふると小さく頭を横に振り、サンドイッチはとても美味しいと述べる。
じゃあどうしたの、というマーサさんに、私はもごもごと、
「少し、突然にビックリする事があって、それでええと、その、今まで実感がなかったんですけど、今唐突に実感……というか、やっと頭が理解したというか……ええと」
「誰か亡くなったのかい?」
違う。
さっき旦那さんを亡くした、と言わせたばかりなのに、私の馬鹿。
「そんなんじゃないんです。ただ、私ってなんなんだろう、って」
いかん。
言葉に出すと馬鹿丸出しだ。
思春期か。
私って、ここに居るじゃないか。
居るよね?
我思う、故に我あり。
ね、単純な事ですよね?
何を戸惑う事がある?
何を怯える事がある?
私は、今ここで、ちゃんと自分の頭で考えてる。
「お、男なんていくらでも居るからね!」
「あー……」
あ、なんか勘違いされてる。
「ええと、男女間のもつれ、じゃないです。違いますからね?」
ふられるも何も無い。
私には、何にも無い。
何も無いと思うと、気が楽になった。
何も無いっていうのは、失うものも無いってこと。
ものは増えるばかり。
何を怖がる事があろうか。
いや――
「ゴーレムって、分ります? 私はそれなんです」
ない。
マーサさんは目を見開いて、何も言わない。
驚いて、言葉も出ない様子だ。
そりゃそうだ。
いきなり泣いていた子が、「自分は実は人形なんです」って、なんの病気?
マシューさんは、
「ゴーレム? お前が?」
研究者魂が疼くのか、無遠慮に触れてきた。
頭をわしゃわしゃして、ほっぺをつねる。そして首筋で脈を計った。
マシューさんの手は大きくて、指も太い。微妙に冷たくて、首筋に触れられるとひゃっとなる。それに悪夢がフラッシュバックして、身体がすくむ。
「こらマシュー、何さわってんだい!」
マーサさんに怒られて、マシューさんは手を引っ込めた。