無言の涙~御世と真琴~
部屋を暗くして読んでくださいね。ふふふ。ふふふ。ふわっははは。ゾー!!
御世は今の時代には珍しくなった乙女刈りのおかっぱ頭をしている。しかもその目は筆で書いたように細く頬はいつも赤い。その顔つきたるや昔話に出てくる女の童を想い浮かばせる。
御世の家は、木地をろくろで挽く木地師職人として椀や盆などの木製の挽き物を造り生計を立てている。
以前は観光地向けの品物が多かったが、段々と中国製のものに圧されて食器としての収入は殆ど無くなり、今ではやむなくこけし工房の下請け職人として食うや食わずの生活を強いられている。しかも造るこけしは所謂伝統工芸品ではなく、土産物屋での安価な玩具である。普通、玩具こけしというと、木地師にとっては手慰み程度のものであり、とても一家の生活を支える事など出来ない。
御世の家はこうして毎日の食事さえも儘ならぬ貧困な生活を送っていた。
御世の家には他に、小学六年生になる真琴という娘がいた。真琴は見た目も性格も御世とはまるで異っていて、目が大きく快活である。貧困のため一家は兎角暗くなりがちであったが、真琴の話題はその雰囲気を明るくしてくれた。対照的に引っ込み思案な性格の御世は、殆ど家の中で話題にならない。
しかし御世は真琴に対して妬み心を抱いたりした事は無い。御世は誰よりも真琴のことが好きで、いつも彼女の事ばかりを考えている。
ある日、御世は、真琴の学校帰りに彼女が受けている酷いいじめの現場を目にした。真琴は雨の日、女子中学生に囲まれ鞄をどぶ川に捨てられた上、傘を破られ背中を蹴られてその場に崩れた。
いつも家で明るい真琴を見ていただけに、目の前で繰り広げられる光景の中で涙一つ流さず気丈に耐える彼女の姿に御世は大きな衝撃を受けた。
御世は決意を固めた。
……私の真琴をいじめる奴らを断じて許してなどなるものか……。
◇◆◇
真琴が次の日学校へ行くと、机の上に手紙が貼られていた。
可愛い可愛い真琴ちゃん。
真琴ちゃんの家はとっても貧乏。
真琴ちゃんは可愛いけどちょっと生意気。
真琴ちゃんの家はこけしで一杯。造っても造ってもどんどん山になるだけ。
真琴ちゃんは本が大好き。でも買って貰えない。みんなに本を借りまくる。
おい。ただで読むなよ。この阿呆! お金が無いなら貸して下さいってみんなの前で土下座しろ!
明日、放課後一人で弁天三叉路に来い。弁天中学のお姉さん達と待っている。逃げるなよ。
岡野清美
その日真琴は何事も無かったかのように帰宅した。そして無言で御世にその手紙を渡した。
御世は手紙の主の岡野清美という子を知っている。その子の姉は手紙の中にある弁天中学校に通っている。
既に日は暮れていたが、御世は家を出て、手紙の主である清美の家へと向かった。
清美は、庭付きの大きな家で両親と姉との四人家族で暮らしている。
その時清美はベッドに横になりコミック本『子連れ狼』を読んでいた。
気が付くと机の上に高さ四十センチほどのこけしが置いてある。そのこけしは高さの割に妙に頭が大きくバランスが悪い。しかも、こけしは普通穏やかな目をしている事が多いが、そのこけしは目が狐のように釣り上がり、こめかみには怒ったような筋印が描かれてある。
清美は首をかしげた。
……何これ。お母さんが置いたのかな。頭でっかちで気持ちの悪いこけし……。
清美はこけしの頭を無造作に掴み、母親の所へこれを持って行った。ところが清美の母はこれを全く知らないと言う。清美は仕方なく玄関を出て、庭の隅の焼却用のドラム缶にこれを捨てた。
部屋に戻った清美は一瞬我が目を疑った。
ベッドの上に先程と同じ変な顔のこけしが有り、清美の枕に頭をのせて気持ち良さそうに横になっていたのである。寝息が辺りに響いている。
すや~すや~、むにゃむにゃ……ぐぐう。
……なっ何? たしかさっきはここに無かったよ……。
清美は気味悪く感じたが、こけしの頭を掴み再び庭の焼却用のドラム缶へ持って行った。清美が缶を覗き込むと、先程捨てた筈のこけしはそこには無かった。
……おかしい。さっき捨てたこけしが無い……。
不可解ではあったが、こけしを缶の中へ捨てて部屋へ戻った。
「清美。お湯取ったから、お風呂入りなさーい」
母の声がした。
清美はタンスの引き出しから着替えを取り出して部屋を出た。そして、浴場の脱衣所に入った。
服を籠に脱ぎ捨て浴室のドアノブに手を掛けた時、清美はあれ? と思った。
中から鼻唄混じりの声が聞こえる……。
しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん
し-とうぴっちゃん
んん~ ……。
父の仕事は 刺客ぞな~。
……お姉ちゃんかな……。
「お姉ちゃん?」と清美は確認した。
鼻唄がぴたりと止んだ。
「………………」
数秒間の沈黙。
そして次なる恐怖の予感。
脱衣籠を改めて確認すると、そこには姉の服が無い。
……中にいるおまえはいったい誰だ……。
清美は、恐る恐る浴室のドアを開けて中を覗いた。
そして、再び我が目を疑った。
バスタブのフタが開いていて、湯船の上には先程と同じ変な顔のこけしが仰向けに気持ち良さそうに浮かんでいたのである。
今度のこけしはうっとりとしたような目をしていて唇が尖っている。壁には文字が血のりで描かれている。
『あちきは、拝一刀でありんす』
白粉塗りまくりの子連れ狼。もはや恐怖を通り越して気持ちが悪い。
……ぶっ! ムカツク。誰がこんな悪戯を……! さては真琴の奴だな。くっそう……。
清美は浴室の窓を開け、湯船に浮いているこけしを掴み窓の外へ投げ捨てた。
ふぎゃあ!
突然の声に清美は驚いて足を滑らせ、浴室の壁に思い切り頭を打ちつけた。
「痛った--い!」
……野良猫に当ったんだ。真琴、許さないぞ! ……。
起き上がった清美は、急にもよおしてきて浴室の隣のトイレの個室ドアを開けて中に入ろうとした。
そして、清美は三度我が目を疑った。
便座のフタの上には、先程と同じ変な顔のこけしが有った。こけしの頭は大五郎カットで、その表情は先程とは打って変わって、きばったような真っ赤な顔をして目をつぶっている。
どこからともなく、おどろおどろしい声が響く。
うっうう~。父。
「ひっひい! ……」
掌で口を塞いで後ずさりする清美。
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うんち。
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……ええ!? ちょ、ちょっと待って! フタが閉まったままよ! まだよ。まだ! 今フタ開けるから。もうちょっと我慢して。えっ? いや、そういうことじゃあない! ……。
清美は思い出したように突然叫び声を上げた。
「ぎゃあああ!」
「清美! 何かあったの?」
意識が薄れゆく中、母の声が清美の耳に響いていた。
◇◆◇
真琴へのいじめは、清美の姉と数名の仲間によるものが殆どである。真琴はこれまで何度もその女子中学生仲間によって目を覆うような酷い写真を撮られて中学の男子生徒の間にこれをばらまかれている。
一人の生徒はこの写真を知り合いの大人の男に販売しており、真琴の写真はその男から大人社会へも流れてしまっている。真琴はこれに逆らうと先日の雨の日の様に制裁を加えられる。
翌日、御世は、校内でのこうしたやり取りに関わってきた生徒を執拗に追いかけ回し、大人の男に写真を渡していた生徒をつきとめた。そして、写真を渡していた相手が誰かを知って愕然とした。
……まさか……。
その男は真琴のクラスの担任教師であった。名を鱒坂という。
その日、鱒坂は、岡野清美の母親から清美の欠席連絡を受けいらいらを募らせていた。
清美はあれから興奮状態で一時心身喪失し、救急車で運ばれて現在入院しているという。
『頭の大きい変な顔のこけしが追いかけてくる』などと意味不明な事を叫んでいるらしい。
担当医師の所見……。
『脳みそが壊れてます』
……清美の奴、肝心のときに休みやがって。今回は写真の買い手が何人も付いているんだ。いったいどうしてくれるんだ……。
いらいらを最高潮にまで募らせた鱒坂は、既に常軌を逸した心理状態になっており、自分で真琴を捕まえ待ち合わせの女子中学生に写真を撮らせるという、最も危ない手段を選択した。
そうなると、これまでいじめにカムフラージュされていた一連の行為はそのベールを剥がされ、完全な刑事犯罪行為に該当してくる。
その日の午後の授業が始まる頃、御世は中学校から小学校へ行き、真琴に手紙を置いてからその足で所轄の弁天警察署へと向かった。
会議を終えて席に戻った警察署長は、ゆっくりと自分の席に腰掛けてから目の前のデスクの上の異常に目を丸くした。
デスクの上には、頭にメモ用紙を載せたおかっぱ頭のこけしが置いてあった。そのこけしは、高さの割に妙に頭が大きくバランスが悪い。しかも、こけしは普通、真面目な顔をしている事が多いが、そのこけしの表情は気色が悪いくらい、にこにこして媚を売っている。
署長がメモを開いてみると、そこには次の様な文字が書かれてあった。
『本日五時半、弁天三叉路にて児童虐待行為が行われます。興味が有ったら是非来てみてね! 犯人は金縁の眼鏡に太眉の男。助平顔だからすぐわかるかも。あと、頭がQRコードハゲよ。ヨロシク。 署長さんへ』
……児童虐待行為だと? 悪戯だな。しかし、QRコードハゲって何だ? まさか俺へのあてつけじゃないだろうな……。
警察署長の頭は、いわゆる『バーコード』状態では無かったが、偶然、鱒坂教師と同じくりくりの薄毛であった。署長は早速刑事課長を呼び寄せた。
「おい。怪文書だ。念のため指定時間前に現場に詰めさせておけ。あとの判断は任せる」
「はい。QRっパゲが現場に居たら、事前に職質しますか?」
「きゅうあ~るっパゲだとう? おい! 任せると言っただろう! あと、言葉には気をつけろ!」
「はっ、はい。署長」
真琴は帰宅前、鱒坂に呼び出された。彼女はその日は一目散に逃げて帰ることにしていた。しかし、鱒坂に付いて弁天三叉路まで行くようにと御世の名で書かれた手紙を目にし、真琴はこれに従うことにした。
真琴が本当に信じる事が出来るのは、今や御世以外にいなかった。
真琴は御世に言われた通り、弁天三叉路まで鱒坂に付いて行き、五時半前後に抵抗して逃げ出そうとした。これも御世の手紙に指示されていた通りの事だった。鱒坂は真琴を押し倒し、待ち伏せしていた女子中学生も集まってきた。
近くの木の陰に潜んでいた弁天警察署の機動隊員は、『助平顔のQRっパゲだ!』の声と同時に一斉に飛び出してきて彼女らと鱒坂を取り囲んだ。鱒坂は逃げようとした為、準現行犯逮捕され、女子中学生も同時に連行された。そして真琴も共に警察署へ移送されて行った。
この時彼女は、警察車両の中でこけしを胸に固く抱きしめていた。
◇◆◇
翌日、学校では、現職教師が逮捕された事で緊急保護者会が召集された。
学校は休校になり、生徒は帰宅することになった。
真琴のクラスでは、皆、見て見ぬふりをしていた真琴へのいじめが終焉し、明るさが取り戻されていた。
帰宅前に真琴はクラス委員の男子に理科の実験教室へ呼ばれた。そこへ行ってみると、殆どのクラスメートが既に集まっていた。
黒板には沢山の文字が書かれていた。
『真琴、誕生日おめでとう』
『いつも明るい真琴で居てね』
『そのドジ、テンネン記念物! 永久保存』
『人間だもの』
『誕生日オメデト』
『また本貸してあげるね』
『おめでとう! 真琴ちゃん』
『いっしょに勉強しよう』
『たまにはボクとも遊んで』
『ハッピーバースデー』
『山田一朗君、大好き! ←?』
それから……まだまだ。
『ごめんな真琴! 俺たち今日からフツーの友達だぁ』
黒板一杯のメッセージ。
驚きのあまり大きな目をさらに見開く真琴。
何が有っても人に決して涙を見せる事の無かった真琴は、その日とうとう目に涙を潤ませた。そして皆に背を向け堪え切れずに嗚咽を漏らした。
気が付くと真琴は胸にこけしを抱えていた。離してみてその顔を改めて伺う……。
真琴が物心付いた頃からずっと想いを寄せてきたこけし。
神のほんの悪戯か、はたまた意地悪か。そこには人としてこの世に『生』を受ける事を許されなかった御世の魂が宿る……。
真琴にとっての御世。
こわい御世。泣き虫御世。おどけた御世。変な御世。
全部御世だった。
そして初めて見る御世。こけしの顔に重なって、おかっぱ娘のにこにこ顔が真琴にははっきりと見えた。
黒板の横の鏡に目を移すと、そこにはクラスメートの沢山の笑顔が涙ににじんで揺れていた。
はい。
部屋を明るくしてください。
こけしには、人とも、人に非ずともわからない魂が宿ることがあると云われます。
頭でっかちのこけし、周りにありませんか?
【華】