無能と追放された薬師ですが、祖父の革手袋が勝手に魔物を殴り倒すので困っています ~じいちゃん、報われたよ~
「お前のような無能、Sランクパーティーには不要だ。出ていけ」
そう言われた瞬間、俺の右手にはめた古い革手袋が、ぴくりと震えた。
……はいはい、また俺のせいですか。
俺は内心で乾いた笑いを浮かべながら、目の前の男──パーティーリーダー、ガレオ・ファン・ヴェルダーを見上げた。
貴族出身の剣士様は、磨き上げた剣を肩に担ぎ、豪奢な装備を見せびらかすように仁王立ちしている。
ちなみにその装備、ぜんぶ俺がメンテしてるんですけどね。
「ガレオ。ここはダンジョン最深部の手前ですよ。魔物の密度も最悪だ。今、俺を切り捨てるのは……」
「黙れ。お前の薬がなんだ。お前の『戦術』がなんだ。所詮は戦えない雑用が、口だけは一人前か」
なるほど。回復薬の精製も、罠の解除も、撤退ルートの確保も、全部「口だけ」だったと。
背後の仲間たちは、誰一人として俺と目を合わせない。
ああ、見て見ぬふりですか。知ってました。
この一年、俺がどれだけこのパーティーを陰で支えてきたか。
鑑定結果で戦闘スキルがすべて『F』だと判明した日から、俺の居場所はずっと薄氷の上だった。
唯一の固有スキルは【継承】──効果、不明。
役立たずの烙印。
だが俺には前世の知識があった。
皮革職人の祖父の工房を継ごうとしていた青年・須藤一護として培った、薬学、なめし革の加工、衛生概念、そして何より──冷静に物事を観察する目。
それだけで、俺はこのパーティーを生き延びさせてきたつもりだった。
「今ごろ理解したか。だがもう遅い。お前の居場所など、最初からなかったんだよ」
「……わかりました」
俺は静かに頷いた。
喚いても無駄だ。こういう手合いに感情をぶつけるのは、自分の品位を下げるだけ。
ただ、右手の革手袋を、無意識にそっと撫でる。
飴色に経年変化した、使い込まれた一点物。祖父が遺した、肌身離さず持っていた手袋。
──じいちゃん。
「ほう、喚かないのか。物分かりがいいじゃないか。精々、そこで野垂れ死ね」
薄暗いダンジョンの最深部。突き飛ばされ、地面に転がった俺の背中に、ガレオの嘲笑が降ってくる。
足音が遠ざかっていく。松明の光が一つ、また一つと消えていく。
完全な暗闇と、湿った魔物の気配だけが残された。
……まあ、想定の範囲内だ。
俺は懐に手を伸ばし、ある『物』に触れて確かめた。
結晶映像の魔道具。真実を記録する、ギルド支給の証拠装置。
あの男が俺を追放した瞬間から、ずっと起動させていた。
こういう日が来ることくらい、半年前から読んでいた。冷静に物事を観察する目、と言ったろう。
それから、ゆっくりと立ち上がる。
その時──手袋が、再び震えた。今度は、はっきりと。
「……じいちゃん。震えてるな。何か来るのか」
地の底から、地響きのような咆哮が聞こえた。
────
巨体だった。
血のように赤い体表、振り上げられた丸太のような腕。上位魔物『ブラッドオーガ』。
ガレオに突き飛ばされた拍子に、最悪の相手の縄張りに転がり込んでいたらしい。
「ブラッドオーガ……上位魔物か。なるほど、逃げる準備だけは一流のあの男が、ここを通らなかったわけだ」
俺は冷静に状況を分析する。
だが冷静に分析したところで、戦闘スキル全Fの薬師に、こいつを倒す手段はない。
オーガの腕が、唸りを上げて振り下ろされる。
──ああ、死ぬな。これは。
少女をかばって死んだ前世に続いて、二度目の死。
そう覚悟した、その瞬間だった。
右手が、勝手に動いた。
「は……? 右手が、勝手に──」
革手袋が俺の腕を引き、ありえない角度で身体をひねらせる。
ブラッドオーガの一撃が、紙一重で鼻先を掠めて空を切った。
だが手袋は止まらない。
まるで熟練の武術家が乗り移ったかのように、俺の身体が滑らかに踏み込む。
握り込まれた拳が、オーガの顎を下から打ち抜いた。
ゴッ、という鈍い音。巨体が、ぐらりと揺れる。
「この動き……古武術か……? でも、誰の──」
受け流し、いなし、最小限の動きで急所を穿つ。
それは攻撃というより──『守る』ための動きだった。
決して前に出すぎず、ただ俺を生かすためだけの、洗練された技。
「受け流して、いなして……攻撃じゃない。これは『守る』ための動きだ。俺を生かすためだけの──」
その時、頭の中に祖父の声が蘇った。
『一護。お前は不器用だからなぁ。けど心配すんな。この手袋がいつかお前を守ってくれるからよ』
皺だらけの手で、俺の頭をくしゃりと撫でた、あの笑顔。
若い頃に古武術と護身術を極めていたと、酔った時にだけ語っていた祖父。
皮革職人としての確かな技術。そして、不器用な孫を案じる、深い愛情。
スキル【継承】──効果不明だったそれが、今、確かに発動していた。
「スキル【継承】……効果不明だったそれが、今……。じいちゃん、お前の『手の記憶』が、ここに宿ってたのか」
この手袋には、祖父の『手の記憶』が宿っている。
技術が、武術が、そして何より『大切な者を守りたい』という意志が。
最後の一撃。手袋に導かれた拳が、オーガの心臓を貫いた。
地響きとともに、巨体が崩れ落ちる。
静寂。
俺は荒い息のまま、自分の右手を見つめた。
飴色の革が、まるで仕事を終えたように、ゆっくりと震えを収めていく。
気づけば、頬を涙が伝っていた。
「じいちゃん……ずっと、そばにいてくれたのか」
声が震える。
借り物の力だ。俺自身は、何一つ強くなっちゃいない。
でも──。
「俺、もう逃げない。これは確かに、俺を信じてくれた人の力だ」
俺は涙を拭い、立ち上がった。手袋を、そっと撫でる。
暗闇の奥に、まだ進んでいない最深部への道が口を開けている。
誰も到達できなかった、未踏の領域。
「……行くか。じいちゃん。誰も到達できなかった、未踏の最深部へ」
手袋が、応えるように、ぴくりと震えた。
────
冒険者ギルド本部。受付の奥で、一人の鑑定官が眉間に深い皺を寄せていた。
リネット・ガルムント。長身に鋭い目つき。新人冒険者が震え上がる、強面の女だ。
「……ふん。また無能扱いか。見る目のない連中だ」
彼女は手元の記録に、素っ気なく毒づいた。
その記録には、ある青年の名が几帳面に書き連ねてある。
イチカ。戦闘スキル全F、固有スキル【継承】効果不明。
──だが、彼が調合した薬の質、立案した戦術の精度、装備の整備状況。
それらの『本当の貢献』を、彼女だけが地道に公式記録へ残し続けていた。
(あの坊主の右手の手袋……鑑定するたび、妙に震えていた。あれは、ただの革製品じゃない)
鑑定官としての観察眼が、ずっと引っかかっていた。
その時──ギルドの扉が、勢いよく開かれた。
「聞いてくれ! 我がパーティーが、ついにダンジョン最深部を制覇したぞ!」
ガレオだった。仲間を引き連れ、英雄面で胸を張る。
「報奨金と、爵位を要求する。最深部のボスを討伐し、古代遺物を持ち帰ったのはこの俺だ!」
リネットの眉が、ぴくりと跳ねた。
「……ほう。ならばその目で確かめさせてもらおう」
重々しい声が、ホールに響いた。
ギルドマスター・ボルドー。歴戦の傷を持つ初老の大男が、貴族議会の面々を従えて現れる。
「結晶映像を、ここに。──制覇したというなら、記録があるはずだ」
ガレオの顔が、わずかに強張った。
「そ、それは……っ、記録など、戦いの最中にいちいち残せるものか!」
そこへ──。
「結晶映像なら、俺が持っています」
静かな声とともに、一人の青年が歩み出た。
黒髪黒目、細身の体つき。右手には、飴色の革手袋。
「イチカ……!? なぜお前が生きて──」
ガレオが目を剥く。
イチカは、ちらりと男を見て、淡々と告げた。
「野垂れ死ね、でしたっけ。残念ながら、まだ息をしてまして。──ボルドーさん、起動します」
イチカは無言で結晶映像の魔道具を起動した。
空中に光が躍り、映し出される。
──『お前のような無能、出ていけ』とイチカを追放するガレオの声。
──ボスを前に、一人も戦わず逃げ惑う仲間たちの姿。
──そして、たった一人でボスを討伐していく、イチカと『手袋』の一部始終。
ホールが、凍りついた。
(追放された直後に……いや、その前から証拠の確保に動いていたのか。この坊主、ただの薬師じゃない)
リネットの胸が、熱くなる。
「ま、待ってくれ! これは……っ、その映像は捏造だ!」
ガレオが青ざめて喚く。だがボルドーの声は無慈悲だった。
「結晶映像は偽れん。それはお前が一番よく知っているはずだ。──虚偽報告。パーティーメンバー遺棄未遂。爵位の不正要求」
「そ、それは……っ」
「ガレオ・ファン・ヴェルダー。貴様の手柄も爵位も剥奪。冒険者資格、永久剥奪とする」
「そんな……っ! 待て、イチカ! お前の薬がないと、俺たちは……!」
イチカは、ゆっくりと革手袋を撫でた。そして、静かに告げる。
「どのツラさげて言ってるんですか」
冷たく、淡々と。
「あなたが捨てたのは、俺じゃない。──俺を守ってくれた人の想いです」
ガレオが、崩れ落ちた。
ざわめきの中、リネットだけが、イチカの右手をじっと見つめていた。
仕事を終えた手袋が、安心したように、ふっと震えを収める。
なお、種明かしをしておこう。
この手袋の革が、なぜ意志を持ったのか。
ボルドーが後に語ったところによれば、飴色の革は、この世界『ガラディア』の最高級素材『竜革』と酷似していたという。
転移の際、世界の魔力と祖父の遺した想いが結合し、『意志ある魔道具』へと昇華した。
スキル【継承】が『不明』とされていたのは──この世界に、前世の遺品に宿る意志という概念そのものが、存在しなかったからだ。
つまり、誰にも鑑定できなかった。
じいちゃんの愛情は、異世界の常識の外側にあったらしい。
強面の鑑定官の目に、じわりと涙が滲んだ。
彼女は不器用に、それでも確かに、口元を綻ばせる。
「……ねえ、あなた」
「はい?」
「あなたの手袋……今、笑ったわよ」
イチカは、目を見開いた。それから、泣き笑いのような顔で頷く。
「……ええ。きっと、そうですね。じいちゃん、報われたよ」
その時だった。
穏やかだった革手袋が、突然──ぴくりと、鋭く震えた。
それは、危機にのみ反応する震え。
イチカの顔から笑みが消える。
「……リネットさん。あなたの故郷って、もしかして」
「!? なぜそれを──」
窓の外、遠い空の彼方。
不穏な黒雲が、湧き上がりつつあった。
(じいちゃん。また、誰かを守れって言うのか)
イチカは、震える手袋をそっと握りしめた。
「……はいはい。わかりましたよ」
乾いた呟きとは裏腹に、その目は、もう逃げない男のそれだった。
──じいちゃんの手袋が、次の誰かを守るために、また震えている。
────
【後書き】
お読みいただき、ありがとうございました。
スカッと追放ざまぁ×祖父との絆、楽しんでいただけたでしょうか。
実はこの『じいちゃんの手袋』、作者の実体験がちょっとだけモデルです。
よく聞かれるので先にお答えしておきますね。
Q:手袋は喋りますか?
A:喋りません。でも──『伝わる』んです。
リネットの故郷を巡る次なる物語も、いずれお届けできれば。
手袋は、きっとまた震えますから。




