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第4話 数字は嘘をつかない――止まった一台

春の午後。

曲町の道路は穏やかだった。

だからこそ、油断が生まれる。

パトロール中の黒城と朝倉。

改装中の店舗跡地を見つける。

朝倉「何ができるんですかね?」

黒城「…肥田部長なら知ってるかもな」

朝倉「肥田部長、食べ物の情報すごいですもんね」

黒城「飲食店ならな」

※※※

進む先に交差点。

「右の道路に一時停止標識、確認」

黒城の低い声。

白いワンボックスが交差点へ近づく。

止まらない。

そのまま進入。

朝倉の声が弾けた。

「止まってません!」

黒城がゆっくり頷く。

「運命の分岐点だったな」

「何のですか!」

サイレン。

※※

車を停止させる。

運転手は四十代の男性。

窓を開けるなり、面倒くさそうに言った。

「何?」

朝倉、深呼吸。

「一時停止違反です。標識手前での完全停止が必要です」

「いやいや、徐行したでしょ」

「停止は“止まる”ことです」

「はあ?」

男の声が荒くなる。

「こんなとこで捕まえてさ。もっと悪質な違反あるだろ?」

朝倉の表情が固まる。

「公平に取り締まっています」

「税金泥棒が。暇なんだろ?」

空気が凍る。

朝倉の指先が、白くなるほど力を込めていた。

黒城が一歩前に出る。

「違反点数は点ではない。積算だ」

「何言ってんだよ!」

その時。

パトカーがゆっくりと止まった。

交通課の芝野巡査部長と、野間口巡査長。

野間口は黒城の同期である。

別現場からの帰りだった。

「どうしました?」

芝野が穏やかに尋ねる。

朝倉が簡潔に説明する。

男は鼻で笑う。

「お仲間増やしてどうすんだよ」

芝野は笑顔のままだ。

「一時停止は、事故防止の基本なんです」

「だから徐行したって言ってるだろ!」

芝野はゆっくり頷く。

「もしもの話です」

男が眉をひそめる。

「この先から、思いがけず人が飛び出してきたら?」

「……」

「あなたは急ブレーキをかける」

芝野の声は柔らかい。

「その時、完全停止していなかった車は、止まりきれますか?」

沈黙。

野間口が続ける。

「私たちは、いろんな事故を見てきました」

芝野。

「悲惨な事故も」

男は目を逸らす。

「……」

芝野は笑顔を崩さない。

「文句を言われることもあります。でも」

一拍。

「それで事故が一件減るなら」

少しだけ目を伏せる。

「構いません」

空気が変わる。

男は舌打ちをした。

「……分かったよ。書けばいいんだろ」

朝倉が違反切符を差し出す。

男はサインをする。

去り際、小さく吐き捨てる。

「融通きかねぇな」

車が走り去る。

※※※

静かな道路。

朝倉は唇を噛む。

「あんな人、いつか本当に痛い目に合ったらいいんですよ」

芝野が苦笑する。

「過激だなぁ」

朝倉は俯く。

「だって、悪いのはあっちなのに」

芝野は道路を見つめる。

「でもね、朝倉ちゃん」

声の温度が少し下がる。

「俺たち警察官が文句を言われるだけで、悲しい事故を一件減らせたならさ」

朝倉が顔を上げる。

「私たちが苦しいだけじゃないですか」

芝野は穏やかに言う。

「いいんだよ」

風が吹く。

「本当に悲しい思いは、誰にもさせたくない」

沈黙。

朝倉は深く息を吸う。

「……はい」

黒城が静かに呟く。

「防げた未来は、存在しない未来だ」

朝倉

「それは分かりづらいです」

芝野が軽く肩を叩く。

「慣れないうちはきついよな」

「はい」

野間口が笑う。

「電話鳴ったら誰より早く出るでしょ?もう警察官だよ」

朝倉は少し笑った。

黒城が道路を見つめる。

「横断歩道。白線は文明の境界線だ」

「いきなり何ですか!」

芝野が吹き出す。

「惜しいなぁ」

※※※

夕方。

交通課のデスク。

芝野が違反処理の報告書を提出する。

「課長、例の交差点です」

小久保警部が眼鏡を押し上げ、目を通す。

「……あそこか」

朝倉が少し緊張しながら立っている。

「去年、死亡事故が三件あった」

朝倉の顔が上がる。

「全部、一時停止絡み。一件はこの交差点」

小久保は静かに続ける。

「今年はゼロだ」

部屋が静まる。

「数字は嘘をつかない」

淡々とした声。

だが責める響きではない。

「事故が減った理由は、派手な取り締まりじゃない」

報告書を閉じる。

「今日みたいな一件の積み重ねだよ」

朝倉の胸に、言葉が落ちる。

「……はい」

小久保は少し笑う。

「怒鳴られるのは慣れないよね」

朝倉は苦笑する。

「はい」

「でもね」

小久保は窓の外を見る。

「文句を言われる代わりに、誰かが泣かずに済むなら」

一拍。

「それで十分だ」

芝野が小さく頷く。

黒城が静かに言う。

「未然は最大の正義」

小久保が黒城を見る。

「記録に残らなくても、意味はある」

朝倉は背筋を伸ばした。

「次も、止めます」

芝野が笑う。

「それでいい」

春の夕方。

曲町の交差点は、今日も静かだった。

数字には残る。

だが、誰も知らない“止まった一台”が、確かにそこにある。

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