決意
そして、この森に来てから五日が経った。
状況は――「最悪」だった。
かろうじて水魔法のおかげで水は飲める。
けれど、危険すぎると言って、セリウスはゴブリン以外のものを食べさせてくれない。
正確にはセリウスの知識にあるもの。木の実でも何でも知らないものは食べさせてくれない。
ゴブリンも、この森には全然いない。だから、食料がない。
そのせいで、魔物の肉は食べたくないとか言ってた奴らも、いつの間にか当たり前のように食べるようになっていた。
不満の声が出ようとも、決して折れない。
ずっと、嫌な予感はしていた。
セリウスの、異常と呼べるほどの優しさ。
それは時に僕たちを癒すかもしれないが、また僕たちを苦しめることもある。
大体の指揮はセリウスが執っている。
いくらお腹が減っていても、一人で得体の知れない森に突っ込むのはリスクが高すぎる。
だから、みんなセリウスの元から離れない。
楽ができる代わりに、食料は少ない。
自ら大変な方へ歩ける人間はそう多くない。
このままでは、餓死の可能性が高い。
今の空腹度では、まだみんな正常な精神を保っている。
だが、このまま何も口に入れられなければ、冷静ではいられなくなるだろう。
――全く、ポンコツリーダーだな。
「セリウス」
「ん? なにかな…」
声は掠れて、息も乱れている。
「このままだと全員死ぬよ」
「……くっ!」
言葉が、彼の一番触れられたくないところを突いたらしい。
「なら、どうしたらいいかな…」
セリウスは本当に小さな声で、地面に落ちそうな言葉をこぼす。
僕はゆっくりと口を開き、はっきりと言った。
「確かに、この得体の知れない森で、知らない生物と戦って、それを食べる――なんて行為はリスクが高い」
「でも、このまま何もせずくたばるよりは百倍マシだ」
大きな声ではなかった。
けれど、太く、強く、心に響くように言った。
セリウスは驚いたように上を向き、僕の顔を見る。
その瞳には、動揺と驚きがはっきり浮かんでいた。
「君がそんなことを言うなんて…。正直、驚いたよ」
「それでどうするんだよ」
「お前、さっきから一歩も歩いてねーだろ」
「そんな調子じゃゴブリンも見つからない。それにお前のその顔、生きるのを諦めたやつの顔してるぜ?」
「まあ、お前の場合は歩かないんじゃなくて、歩けないんだろうけどな」
僕の言葉に、セリウスの体がビクリと震えた。
またも驚きの色が浮かぶ。
「本当に凄いな。ほんとにかっこいい。本当なら、君みたいな人がリーダーをやるべきなんだろうね…」
「ちゃんと細かいところまで見えてて、合理的な判断もできる」
そう言って、セリウスは下を向く。
「それは違うよ」
「確かに僕は合理的な判断ができる」
「でも違う。根本的に違いすぎる」
「僕は、まずそれ以前に誰かを助けようなんてしてない」
「そこまで、初めて会った奴らに情は湧かない」
「なのにお前は、初めて会ったにもかかわらず、まるで家族のように接している」
「守ろうとしている」
「それが、一番重要なことだ」
セリウスは顔を上げなかったが、その頬を伝ってぽろっと涙が落ちた。
「嬉しいな、ありがとう」
「でも、僕は結局何も守れてない……」
僕は下を向くセリウスの顔を両手で掴み、思い切り上へと持ち上げた。
手のひらに触れる肌は、冷たく、しかし微かに湿っている。
指先に伝わるその震えが、彼の消耗を物語っていた。
近づいた瞬間、森の匂いと汗の混じった空気が鼻をかすめる。
互いの呼吸が触れ合い、かすかな温もりが頬にかかる。
風が木々を揺らし、葉のざわめきが一瞬だけ会話を遮った。
しかし、目の前の彼の瞳は、森の景色を映さず、ただ僕だけを見ている。
「それが決まるのはこれからだ」
涙で濡れたその顔は、ぐしゃぐしゃで、酷く弱って見えた。
それでも――確かにまだ、消えてはいない光がそこにあった。
「え?」
セリウスの目が、まるで信じられないものを見たように揺れた。
僕はその顔をしっかりと見据える。
逃げ場はない――そう思わせるくらいの距離で。
「立てよ」
低く、押し込むような声を出す。
「……でも」
セリウスの声は、枝を踏み折ったときのように細く、不安定だ。
「今までお前が引っ張ってきたんだ、ちゃんと最後までリーダーやれよ」
別にここで立たせる必要なんてない。
セリウスは空腹や疲労でとても歩けるような状態じゃない。
でも、ここで立つやつと立たないやつとでは絶対に違いが出る。
「やるしかない。その結果悲しいことが起こってしまったとしてもね」
一瞬、風が止み、森が静まる。
遠くでカラスの鳴く声だけが響いた。
「こんな僕にできるのかな…」
「どうだろうね、でもやらないよりはいいんじゃないの」
セリウスは目を伏せ、そして大きく息を吸った。
胸が上下するたび、少しずつ迷いが薄れていくのがわかる。
「……わかった。やる」
その声は、先ほどまでの弱々しさが嘘のように、わずかに芯が通っていた。
そして、セリウスはゆっくりと立ち上がる。
その動きに呼応するように、周囲で休んでいた仲間たちが顔を上げた。
まるで森の空気までもが、少しだけ変わったように感じた。




