第一話:開戦前夜
この世には『レベル』が存在する。それは絶対に覆せない才覚を示す数字。生まれた瞬間から三桁を超える奴もいれば、数レベルから生まれて四桁に達する奴もいると聞く。
まあ、どんな仕組みになっていようが俺には関係ない話。だって俺は......レベルゼロなのだから。
「イレンを皆は馬鹿にするだろうけどよ。オレはお前のこと認めてるよ。他の誰より努力してるし、勉強だってしてる。そのうち報われるさ」
そう俺に言ってくれたのは、幼馴染のエルラだった。エルラは十八歳にしてレベル五桁を達成したまさに伝説の男だ。俺の数少ない......いや、唯一の友達と言っていい。
昔からゼロと万という数字を比べられてきたけど、不思議とこいつといるのは居心地のいいものだった。底抜けにいい奴というか......イケメンだしレベルは高いし人望もある。
どうしてこんな俺と一緒にいるのか分からない程だ。
パチパチ、と闇夜を照らす焚き火に俺は薪を放り込む。今は学園周囲の魔物討伐訓練の帰りだった。戦闘訓練は今の世の中を生きるには必須。二人一組になって指定された魔物を狩り、素材を持ち帰るのが課題だった。
「はは、お前はいつもそうやって俺を励ましてくれるけどさ。その全部をどれだけやっても経験値一つすら入らないんだ。俺はきっと神様に、ダメな奴って決めつけられてんのさ。今回だって言われてるぜ、『エルラが全部やってくれるんだから、イレンは課題クリアできて良いな』ってさ」
「雑音なんか気にすんなよ。くだんねー世の中だよな。どいつもこいつもレベルレベルって......もっとこう、あるだろ。性格だとか仕事っぷりとかよ」
それはエルラお得意の謳い文句。『この世はレベルじゃない』だ。俺にとってはありがたい話だけど、心の底から信じられてはいない。
実際、今の人間社会において重視されるのはレベルだからだ。どんな顔をしていてもレベル10か1000かでまさに百倍の扱いの差がある。それを、人類唯一の万超えを果たしているエルラが言うのだから、面白いものだと思う。
「なんだよ、恋愛話みたいなこと言いやがって。知ってるか? 最近は『レベル結婚』なんてものまであるらしいぜ。高レベル二人を強引に結婚させて、より高レベルの子供を産ませるんだとよ」
「知ってるよ。オレにだってそれこそ万単位で婚約話が来てるからな。片っ端から手紙破り捨ててやってるけどな......」
「そりゃ、羨ましい話だ。俺じゃそこらの子供相手にだって腕相撲で負けるからな。そんな奴と結婚したい奴なんていないだろうぜーーっ!」
と、そこで胸ぐらを掴まれた。若干厳つい顔つきをしたエルラが、怒気をはらんで俺を睨みつけた。
「イレン、オレはお前を親友だと思ってる。だけど、その言い草だけは気に食わないな。
なあ、オレが何度こう言ってもお前の心には届かないのかよ?」
「......エルラ」
それを言われると弱い。だけど。現実はそうなのだから仕方ないだろう、とも思う。いつまで経ってもレベルゼロの人間に、希望を持てなんて......。
ーー誰か! 来てくれぇ!
その時、そんな叫び声が聞こえた。聞き覚えのある、クラスメイトのものだった。俺たちはこんな事をしてる場合じゃない、と各自の武器を手に取り走り出した。
そして、そこにあったのは......地獄絵図だった。
「エルラ! 来てくれたか......やべえ、やべえよ。急に想定外の魔物があふれ出してきて......!」
「落ち着けよ、魔物のレベル帯は?」
「全部四桁超えだ! あり得ねえ!」
もう既に戦死したらしい遺体が転がり、魔法の余波か森は焼け始めている。それをものともしない、見たこともない魔物達。その頭上には確かに2000〜5000というレベルが見える。
「大丈夫だ、遅れて悪かったな。全部討伐してくる」
そのエルラの声がどれだけ頼もしかった事か。だけど同時に......俺の中には謎の不安があった。
群れで動く魔物にしては種がバラついている。しかも、この規模の魔物が通れば被害報告の百や二百は飛んできているはず。
そう、まるで何者かがゲートを開いてこの場に魔物を放ったみたいじゃないか?
「エルラ、俺も行く」
俺の言葉に、周囲は白けた視線や呆れたため息を漏らす。
「レベルゼロのお前が何の役に立つんだよ! 大人しくしとけよな!」
「エルラくんの邪魔になるだけでしょ。今がどんな状況なのか分かってんの!?」
そんな声達を無視して、エルラは頷く。
「ああ、お前が必要だ。行くぞ、イレン。最奥にきっとボスがいる。そいつを叩くぞ」
そうして俺達は魔物の群れの中へと突撃していったのだった。
◇
それからのエルラはまさに無双そのものだった。剣で撫でるような一撃で一匹を仕留め、血だまりの中でも衰える事のない足取りには周囲の魔物もついて来れていなかった。
「もうすぐだ、イレン!」
「ああ......って、あれは......ドラゴンシリーズ!?」
最奥にいたボス。それは巨大な龍だった。神話にしか、とまでは言わない間でも......魔大陸の深部にでも行かないとお目にかかれないだろう魔物だ。
「7800レベル......行けるさ、オレならな」
「待てよ、エルラ! シリーズの名を冠する魔物はレベルだけじゃ測れなかったはず!何かのユニークスキルを持っているはずだ」
「今さら悠長にしてる暇もないだろうが。とっととこいつを討伐しないと、後ろから討ち漏らした魔物がぞろぞろやってくるぞ」
それは確かにその通りなのだが......ああ、もどかしい。共に戦えない己の無力が。
俺にだって出来ることはあるはずだ。他ならぬエルラがそう言ってくれただろ。
諦めたような口ぶりして、ならどうしてここまで出てきた? 自分でも何かを成したいと思ったからじゃないのか? 探せ、探すんだ。いまの俺に出来ることを......!
「なんて、な......」
そう決意して目を開けば......もうそこには、瀕死のドラゴンが地に落ちていた。見れば、もう返り血にまみれたエルラがトドメを刺す所。
スーパーヒーローの目覚めなんて、ないもんだな。俺は結局、勇者エルラの傍観者Aに過ぎないのだろう。
ドラゴンさえ、ボスさえ殺してしまえば群れは散って行くはず・残党狩りは先生方や高レベルのクラスメイトがやってくれる事だろう。俺の居場所は......やっぱり、どこにもない。
俺は、この件が終わったら学園を去ろうと考えていた。俺は、どう足掻いても......。
と、そこまで考えた瞬間だった。瀕死だったはずのドラゴンの目がカッと開かれ、紫のオーラを発していたのだ。
「何だ......?」
「エルラ、魔眼だ! 龍の魔眼、まともに喰らうな!」
だが、時すでに遅し。光よりも速く動けるものがいない以上、魔眼からは逃れられない。
エルラはドラゴンと目を合わせた瞬間......ドロドロに溶けてしまった。
もはやゲル状と化したエルラを振り払い、ドラゴンは体勢を立て直そうとしている。だが、俺は真っ先にエルラの元へと駆けつけていた。
「エルラ! お前......」
「ごほっ......悪い、せっかく教えてくれたのにな」
「待ってろ、待ってろよ! いま治癒師を連れてくるから!」
「馬鹿、やめろ。オレはもうここまでだ......ドラゴンシリーズの魔眼の呪いを癒せる奴なんかいるかよ。それに......自分の体だ。もう心臓のすぐそこまで腐ってるのくらい分かる」
嘘だ。嘘だろ......あの最強のエルラが。幼いときからずっと一緒にいたエルラが。
死ぬ......?
「イレン......オレ、最後に謝らなきゃなんねえ事あるんだわ。オレの本当の力は、『格差ボーナス』つってさ......レベル差がある奴と一緒にいるとオレのレベルがその分跳ね上がるってもんなんだ」
「......そのために、俺と一緒にってか?」
「どう捉えられて文句は言えないけど......これだけは、死ぬ前、に......」
もはや蚊の鳴くような声で呼吸すらままならないエルラの肩に手を置いた。
「そりゃあ......ありがたい話だぜ。俺はちゃんと、お前の役に立ててたんだな」
「イレン......」
「レベルゼロでも、お前のためになってたなら良かった。俺は。無力を呪った事は死ぬほどあるけどさ......お前の友達だった事を悔いた事なんて一度もないんだぜ。今この瞬間もな」
「......たの、む。オレの後を、頼んだ......イレン」
もう、エルラは何も発さなかった。それどころか、全身がついにゲルになってしまってべしゃべしゃに消えてしまった。その原型が人間だったなんて、もう誰にも分からないだろう。
「頼まれたんじゃ、仕方ねえな......」
いくら瀕死といえども、ドラゴンにトドメを刺す事なんて俺にはできないだろう。それに、見てみろ。エルラという強大な存在が消えた事によって魔物達がぞろぞろと集まってきている。
勝ち目は、ゼロだ。
「それでも、やるしかねえんだよな」
俺はエルラの忘れ形見の剣を手に取り、歩き出した。そこで、妙な事に気がつく。
「......どの魔物も、俺を狙っていない?」
目についたものは全て破壊するはずの魔物達が、俺なんか眼中にないように......。眼球が焼き切れそうな怒りを感じた瞬間。ある声が脳内に響いた。
<アチブーメントシステムが、再起動しました>
<アチーブメント:陰を極めし者を獲得しました。貴方はいかなる魔物にも察知されません>
アチーブメント? なんだそれは......しかも、陰を極めって、馬鹿にしてんのか? いや、待てよ。
「目に入ってないなら......俺にだって、殺せる......」
ただ歩く。巨大な鎌を持った魔物の隣を、歩くだけで地を揺らす魔物の股下を、そして、ドラゴンの元まで。
「エルラの仇だっ......!」
完全に油断しきっていたドラゴンの眼球に剣を刺し、顎に至るまでを切り裂いた。どんな奴だって、気づけない敵からの一撃は防ぎようがないのだ。
防御力も攻撃力も無視した一撃が、これほど恐ろしいとは。
ーーGYAOOOOO!!
ドラゴンは血飛沫を噴水のように噴き出しながら断末魔をあげる。たった、これだけで。これだけの事で、何者でも死んでしまうのだ。
<アチーブメント:ドラゴンキラーを獲得しました。貴方は龍の一撃を使用する事が可能です>
それからは、単純作業の繰り返しだった。俺に気づいていない魔物を片っ端から殺していくだけだ。龍の一撃......右手を龍の顎に変えて食い殺す技はあまりに隙が大きかったけれど、今の俺には関係ない。
ただ殺し、ただ屠り......ただ泣いた。親友との別れにどうして今更になってこんな力に芽生えたんだという理不尽に。一番大事だったものを失ってしまった悲しみに。
「エルラ君! 大丈夫かねっ! ......って、お主は......レイン、か?」
そんな声が聞こえる頃には、周囲に生きている魔物はいなくなっていた。どうやら、我も忘れて殺戮の限りを尽くしていたらしい。
見れば。そこには恐怖に顔を青ざめさせた教師陣やクラスメイト達が揃っていた。もちろん、全員というわけには行かなかったらしいが......いや、もうそれすらどうでもいい。
「おっせえんだよ......」
そんな呟きと共に、俺は疲れのせいか意識を失ってしまった。最後に一つ、こんな声が聞こえた。
<アチーブメント:魔の天敵を獲得しました>