陰川流忍術譚(パイロット)
【あらすじ】
千葉の海岸沿いにある都市美降市。
人口約30万人、名産は漁港で水揚げされる鰯。
何の変哲もない街だが、近年、目を覆いたくなるような殺人事件が頻発。
それらはまるで犯人の流儀を示すように斬られ、飾られ、燃やされていた。
この街に古くから住むある一族と組織が原因という都市伝説もあるが、真相は闇の中である。
これは、陰に生きる忍と闇より生まれた邪悪との戦いであり、己が何者であるかを語る物語である。
忍者がいる。
観光名物とか例えの話じゃなく、目の前にいる。
ズゴゴゴゴゴーとストローでメロンソーダを飲んでいる。
いや、飲んでいるというか底に残ったそれを貧乏くさく飲もうとしている。
「ドリンクバーだからさ…注いでくれば?」
我慢できず声をかけると、彼女が顔を上げる。
「しかし唯華殿…この忍には勿体無く…」
そう言ってまたストローを吸い出す。
「いいよ、アタシもコーラ注いでくるから忍のそれ寄越しな?」
名残惜しそうにコップを渡され、席を立つ。
何の変哲もないファミレスなんだし、飲み放題なんだからいちいち気にしなくても…
そんなことを思いながら機械の前に立つ。
思い起こせば変な縁だ。
高校2年に進級した時、彼女、陰川忍が転入してきた。
ちょうど私の席の隣だったこと、自己紹介から時代劇みたいなことを言い出したこと。
そんな興味本位で声をかけたのが全ての始まり、なんだかんだこうして放課後にだべる仲だ。
「はい。メロンソーダでいいよね?」
「おお!かたじけないです!」
「大袈裟だよ、ていうかさ、忍って忍者でしょ?何で学校なんて通ってんの?」
前も聞いた気がする質問を投げる。
「はい?子供は学校に行くものです。」
当たり前だ。
「んでもアンタは本物?じゃないんでしょ?」
「はい、忍は分身です!本体様は屋敷におります!」
頭痛がしそうな話だが、事実らしい。
彼女の家は古くから続く忍者の家系で、その後継者である『本体』は訓練も兼ねて分身を遣わしているらしい。
どの辺まで聞いていいんだろうか…
というか個性が強烈すぎて付いていけなくなる…
「あ!でも本体様は所謂引きこもりです!」
わからん…本体様といいつつ引きこもり呼ばわりか…
「それより!唯花殿はどうなのですか?」
「どうって?」
「唯花殿のご家系です!忍は本体様の性癖で茶髪ですが、髪色は異国情緒あふれております!」
無意識に自分の金髪を撫でる。
「私のお父さんがイギリス系なんだだけだよ。」
「だけではございません!個性的と思います!」
思わず視線を外す。
今までこの金髪のせいで面倒に巻き込まれることも多かった。
何度言っても地毛だと信じてもらえず、同級生からも距離を置かれてきた。
それを個性的と言われた時、正直、照れくさい。
「んなの…ほら…面倒なだけだよ。」
ふと外に目をやると、日は沈み街頭に光が灯っていた。
「帰ろっか。」
「課題が済んでおりませんよ?」
そう言えばそのために来たんだっけ?
「いいよ、まだ提出期限先でしょ?」
唯花は伝票を掴むと立ち上がる。
この街は少しおかしい。
特に夜は殺人鬼がうろうろしているらしい。
実際、学校でも夜間で歩くことは控えるよう言われているし、昨日も辻斬り?された死体が発見されたという。
早足で会計を済ませると、2人で店を出る。
5月の連休明けだが、もう夏の気配が迫っているような気温だ。
そのまま特に会話もなく歩いていると、向こうからコートを着た男が歩いてくる。
明らかにおかしい…
息を荒げ、こちらをチラチラ見ている。
アタシは出来るだけ目を合わせないようにしていたが、男は私の目の前に立ち塞がると、コートを思いっきり開く。
そうすれば当然、その下に来ている服がみえ…
み…
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
変態だッ!
何も着てないじゃん!変態!変態!
悲鳴を上げ、混乱していた唯花の傍を忍がすり抜ける。
「せいっ!」
するとそのまま迷うことなく通学用の鞄を振り上げるようにして男を殴ると、蹴りを入れて追撃する。
「大丈夫ですか?」
「むり…ぜったいむり…夢に出るって…」
彼女の頭に焼きついたおっさんの裸体は簡単に消えてくれないだろう。
しかし、忍もまた面倒なことに予想外だった。
「では、コイツは警察へ突き出すとしましょう。」
忍が指を立てて印を結ぶと、文字通りドロンと煙が立ち上り、その中から、彼女と同じ姿をした忍が出てくる。
分身の術だ。
「忍は唯花殿を家まで送りますので、2人はこの変態を警察に連れて行ってください。」
「「はーい!!」」
分身たちは元気よく答えると、おっさんを担いで運んでいく。
いや、あの…その担ぎ方だと、おっさんの…その…アレ…丸見えだと思うんだけど…
その背中を見送りながらそんなことを考えていたが、すぐにパトカーがやってきて引き渡していた。
「この街は…楽しいですね!」
「どこがよ!」
その後、忍に家まで送られ、1日が終わったが、おっさんの裸体が夢に出て、途中2回も起きた。
やはりこの町は少しおかしい。
「陰川…忍…」
忍が変態を退治している姿を見ていた男は呟く。
長袖のジャンパーは少し季節外れだが、その下に着込んだアーマーを隠すためには必要だった。
「この街にいるとは聞き及んでいたが…ふふふ…なるほど面白い。」
男はゆっくりと歩き出す。
その目はまるで新しいおもちゃを与えられた子供のように輝いていた。
翌朝、朝食をとりながらローカルのニュース番組を見ていると、昨日の変態が逮捕されたという話題がサラッと出た。
それだけ。
さしてこの街では珍しくない。
彼女自身、この目で見たのは初めてだけどクラスメイトには同じような被害に遭った子がいる。という話を聞いたことがある。
まあ、見た。というか見てしまったというか…
ニュースは先週あたりから頻発している連続辻斬りの話題に映る。
昨日は死者が出なかったが、警察も犯人を把握できていないらしい。
巷では『鋭利な刃』と呼ばれているそうだ。
支度を済ませて家を出ると忍が待っていた。
「お早よう御座います!唯花殿!」
「迎えにくるなら言ってくれればいいのに。」
忍の家は私の家からさらに遠い。
だから途中までは一緒に帰るけど、朝は唯花の時間が安定しないのであまり会わない。
「昨日の今日ですから。本体様から護衛をするよう仰せつかりました!」
忍は元気よく答えると、唯花の手を引く。
「急がなくても間に合うよ…」
唯花は引っ張られながらぼやくが、忍の鋭い視線が遥か後方を睨んでいることに気づく。
「誰かいるの?」
「わかりませんが、危険な感じです…」
いつになく真剣な忍に戸惑いながらも歩幅を広くする。
「うーん…やっぱり巻き込んじゃいました…」
忍は申し訳なさそうにそう言うと立ち止まる。
彼女の視線の先にはジャンパーを着込んだ男が立っている。
年齢的には50近いのだろうか、短く、逆立った髪はそのほとんどが白い。
「陰川…忍さんかい?」
男は柔らかい態度で声をかける。
しかし、その態度は何とも胡散臭い。
「はい、忍は陰川の忍です。」
男は首を傾げると傘のようなものを取り出す。
「嘘だ。俺を潰した陰川忍はもっと冷たい目をしていたよ。」
唯花が傘だと思っていたものは日本でありながらまるで相応しくない。
「そっちの子のせいか?それとも…俺の見間違いかな?」
男はゆったりとした動作でそれを引き抜く。
濡れたように艶やかな光が目に刺さる。
日本刀だ。
忍もおかしいがこの男も狂っている。
「ま…まさか…」
唯花の頭に今朝のニュースがフラッシュバックする。
連続辻斬り犯『スリングブレイド』。
8日間の内に5人を斬殺し、逃走を続ける凶悪な殺人鬼だ。
「スリング…ブレイド…!」
「随分と格好の良い名前だが、どうやら俺のことらしい。」
スリングブレイドはゆっくりと距離を詰める。
「なぜ殺したのです?」
「メッセージだよ。俺なりのやり方ってやつだ。」
忍は唯花を守るようにして彼女の前に立つ。
「だとしたら伝わっておりませんが?」
「陰川の一族はこの街で殺しを起こせば反応する。それに骨ごと一直線に斬れるのは日本刀しかない。」
彼はそう言って刀を構える。
「そも、貴方が誰かわからないのですが?」
「くく…なら貴様を殺して本体を引きずり出すとしよう。そこの金髪も殺せば動かざるを得まい!」
「唯花殿は動かないで!」
スリングブレイドが飛び込むと忍もそれに合わせるようにして飛び出す。
忍は鞄を盾にするようにして刃を受け止めるが、回し蹴りで追撃される。
「忍!」
「けほっ…けほっ…し、心配御無用です…そこを動かないで…」
スリングブレイドは笑みを浮かべ一歩踏み出すが、動きを止める。
彼の足元に小さなテトラポットのようなものが転がっている。
それらの先端は鋭く尖り、踏めば足の裏に深く突き刺さる作りになっている。
「マキビシか…クラシカルな…」
スリングブレイドの視線が自身の足元に向いた僅かな間。
忍は影に隠れるようにして気配を消すと、彼の頭上を取る。
背後からの踵落とし。
脳天へ向け、真っ直ぐと落ちるそれを、スリングブレイドは片腕で受け止める。
「くッ…!」
忍の表情が僅かに歪むが、反撃の突きは上体を逸らして回避した。
「古典的ですな…鎧を隠し着込むとは。」
スリングブレイドは上着の脱ぎ捨てる。
そこには映画の特殊部隊が来ているような黒いアーマースーツが着込まれている。
忍の踵落としは、アーマーを壊すことすらできていない。
「仕方ありませんね…」
忍は制服の胸ポケットからボールペンを取り出すと、それを振る。
何の手品か、ボールペンは瞬時に刀へと変化した。
スリングブレイドの日本刀より短いそれはより取り回しを意識した忍者刀だ。
「すいません後ろなんです。」
スリングブレイドは慌てて振り返る。
目の前に忍はいるが、背後からも声がした。
分身の術。
踵落としの攻防の際に彼の背後に分身が回り込み、待機していたのだ。
「バカなッ!」
スリングブレイドは驚きつつも、分身の放った突きを日本刀で受け止める。
しかし、咄嗟のことで勢いを殺しきれなかったのか、バランスを崩した。
持ち堪えようと足を動かすが、その先には撒菱が待ち構えている。
足に刺さる痛み。
それは踏み込もうとすればするほどブレーキのように強く帰ってくる。
「すいません後ろなんです。」
彼が反転したことで先ほどまで正面にした忍が突きを放つ。
いくらアーマーを着込んでいても甲冑とは異なる。
最適に配置されたアーマーとアーマーの間には可動域を確保するために隙間が空いており、その部分はさしたる強度を持たないのだ。
スリングブレイドは、舌打ちしながら分身を蹴り飛ばすと、その場で回転しながら忍の胴を斬り払う。
「この!」
蹴飛ばされた分身も体制を立て直して突っ込むも、彼はそれを冷静に躱し、額を貫く。
「し…しの…」
「お気を確かに!分身です!」
目の前で友人が死んだショックを受ける暇もなく、次の分身が彼へ飛び込んでいく。
ぶつかり合う刃と刃。
しかし、腕力では敵わないのか、忍は押し込まれる。
「く…ええい!」
忍が懐から何かを取り出そうとした瞬間、スリングブレイドの蹴りが忍の腹部に深く突き刺さる。
忍は何とか距離を取るも、膝を突き、嘔吐する。
「だ、大丈夫?!」
唯花が駆け寄ろうとするが、いつの間にか近くにいた少女がそれを制する。
「まきびしがある。動かないで。」
「誰?!」
「気にしないで。」
スリングブレイドの冷たい目が唯花を見入る。
「お嬢ちゃんの相手は後でやるから、今はそこで見ておけ。」
彼の足元に何かが触れる。
そちらに目をやると、忍がズボンの裾を掴んでいた。
「ゆ、ゆいかどのに…手を…」
縋るような彼女を蹴り転がし、先ほど蹴り抜いた腹を踏みつける。
「さあ、本体を呼べ。お前の本体を殺すことが、俺の左足への慰めだ…!」
「へ…へぇ…左足ですか…」
息も苦しい状態だが、忍は不敵に笑う。
「だったら…何だ!」
強烈な踏みつけ。
それも一度ではない。
「俺は!貴様の!本体に!左足を!潰され!仕事を!失った!」
唯花は忍を見れなかった。
大人の男の体重をかけた踏みつけに、声らしい声を上げられず、悶えるだけの姿を見ていられなかった。
隙間風のような呼吸音だけが聞こえる。
「貴様を痛ぶるのもいいが…」
スリングブレイドは両手で刀を構えると、その切先を忍の喉に向ける。
「死んで本体を呼べ!」
全体重をかけての突き。
だが、それはアスファルトに突き刺さるだけだ。
「小賢しい…!そう何度も!」
スリングブレイドは苛立ちながら背後に刀を振るが、忍の姿はどこにもない。
「わかってる。代わるよ『忍』。」
先ほどの少女の前に跪く忍。
彼女の肩を叩きながら少女は男との距離を詰める。
「貴様…まさか…」
「そうだよ。私が陰川忍。御前試合で貴方の足を潰した忍よ。」
唯花はまじまじと少女の背中を見つめる。
背格好は自分の知る忍より幼い。
だが、ぎりぎり同級生と言われても受け入れられる程度だ。
「影の世界の人間がおいそれと表に出るべきじゃない。違う?」
本物の忍は動じることなくスリングブレイドの目の前に立つ。
「それとも、ただ剣を振るって快感を得る変態になったのかしら?天崎信泉殿?」
「黙れッ!」
煽られた男は風を裂くような勢いで横なぎに払うが、忍はそれを腕で受け止める。
「なにィ?!」
「よく見ろ。それは電柱だ。」
「え?嘘!?」
忍の言う通り、男の剣は電柱に食い込んでいる。
しかし、先ほどまではなかった。
それに道の真ん中に電柱などあるはずもない。
「分身と変化です。」
唯花の隣で待機していた分身の忍が小声で語る。
「分身であるこの忍にも見えませんでした…分身を呼び出し、電柱に変化させました…忍には変化しか見えませんでしたが、恐らく…」
唯花に忍術はわからないが、忍にも見えていないということは、それだけ高等技術なのだろう。
「龍泉華。」
忍の拳が、男の腹部にふれるとそこから円形に波紋のような物が広がっていく。
「お…ごァ…!こ…これは…」
男は何かに気づいたようだが、分身の忍もしらないようで、ただ呆然と見つめている。
「そう、気功。私の気を流して相手の体内を周回させている。」
段々と男の体が捻じれる。
背骨は彫像のように限界まで回り、指の1本1本が別々の指示を受けているように延び、反っていく。
「弾けろ、そして死ね。」
忍の拳がさらに深く入ると、男の悲鳴がさらに大きくなる。
「殺しちゃ不味いよ!」
唯花が咄嗟に叫ぶと、忍は拳を収める。
「え…?」
正直、自分がなんと言っても殺すのだろうという予感があっただけに、素直に対応された。
「こ…殺したら、だめ?」
突然話しかけられた唯花は曖昧に頷く。
どちらかと言うと死体を見たくない、殺人の立会人になりたくない。という思いが強かったが、取り繕う。
「だ、ダメだよ!どんな人でも…ほ、法の裁き?を受けさせなきゃ!」
忍はしばし思案すると、小さくうなずく。
「わかった。警察に引き渡す。」
そういって、スマホを取り出すと電話を始める。
「ど…どういう人なの?」
唯花が分身の方に聞くと、彼女は何か楽し気にニヤついているが、咄嗟に叫ぶ。
「本体様ッ!」
男が立ち上がり、忍へ刀を振り下ろさんとするが、彼女の裏拳が、顎を捉え、意識を閉ざす。
壊れたように崩れる殺人鬼、忍者を名乗る2人の忍。
なにが起きているのかよくわからないまま、男は警察に連行され、本物の忍は消えている。
「帰りましょうか。」
いつもの忍に言われ、我に返る。
「なんだったの?本当に?」
「本体様ですか?」
「いやもう全部。」
頭痛を抑えるように眉間を押さえるが、意味はなかった。
「本体様は唯花殿をご存じなんですよ。」
「だからなに!」
「いや、だから、本体様は唯花殿をご友人と思っておられるのです。だから嫌われたくなかったんですよ。」
わかるような、絶対にわからない感性だ。
そもそも今日初めてあったはずの相手だし、何より、唯花は忍のことをよく知らない。
「ま、本体様は引きこもりですからね!」
そう言って大声で笑う。
唯花にとって、非常に疲れる一日はこうして終わり、また、少し不思議な友人との日常が続いていく。
それが自然であるように。