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蒸気船の船着場  作者: 田中 遊華’s
2025-04-01
2/5

天命の剣(パイロット)

【あらすじ】

時は現代。

みやこは東京。

妖魔と呼ばれる不可思議な悪鬼悪霊が跋扈し、人の心に付け入り、悪事を働く。

その妖魔を斬って祓う巫女の剣客集団あり。

そして奇怪なる剣術、『山斬やまぎ一刀流』。

山斬の巫女と組織は形を変え、隠れるようにして、今もなお、戦い続けている。

これは天命を授かった剣客達の物語。


戦国乱世の世から早500年。

その歴史の中で討ちて討たれ成仏できぬ魂の成れの果てにして、悪鬼悪霊へと変容した悪しき存在『妖魔』がおった。

経を唱え、陰陽の札で陣を敷こうとも再び現れる妖魔。

しかして、それを斬ることを天命として授かった巫女。

山斬やまぎ 太二たいじを名乗る女剣客。

かのもの、一刀握りて、妖魔を斬り、祓う。

江戸の時より山斬がけんは3つの型として受け継がれゆく。

この令和の時代まで。

その業は、修練を積んだものが、継承者としてその剣を振るう。

『天眼』と呼ばれる特殊な眼ですべてを見通し、妖魔を斬る『天』。

山斬一刀流特有の概念である刀気を撃ち放つことで妖魔を殺す『地』。

刀気をその身に宿し、人域を遥かに超えた身体能力で妖魔を滅する『人』。

すべては妖魔を祓い、人を守るため。

人に取り憑き、人を傷つける妖魔を斬るため。

その業と心は受け継がれているのだ。


渋谷の裏路地に少女は1人佇んでいた。

電話スマホで話している内容は雨音に消され通りを行くものには聞こえない。

いや、興味も示してすらいない。

少女は通話を終えたのかスマホをポケットにしまい、足に力を貯めると、音も立てずに消える。

少女は神隠しにあったのではない。

貯めた力によって跳躍し、15階はあろうビルの屋上へ移動していた。

「よっと…」

彼女が屋上に降り立つと、そこには、黒衣を纏った男とも女とも言えぬ人物が座して待っていた。

「お待ちしておりました。佐吉さきち様。」

黒衣の厳かな声によばれ、少女はようやく気づく。

「その男の子みたいな大層な呼び方はやめて。」

「ではさき様。こちらを。」

黒衣は咲に80センチほどの細長いものを渡す。

それは現代に恐ろしく不釣り合いなそれは、日本刀である。

「咲様ってのもなぁ…あ!サキちゃんってのはどう?」

「そういうわけにはまいりません。」

いつもと変わらぬ対応に、肩をすくめながら黒衣から刀を受け取ると、腰に刺し、屋上に設置された手すりに飛び乗る。

「風邪ひくから次からは傘持ってきたら?」

咲は振り返って黒衣にそう言ったが既に姿はない。

虚空に向かって話しかけた自分が狂人のように思え、虚しさを覚えるもすぐに切り替えると、小さく息を吐き、再び跳躍する。

その目には会社員サラリーマンを食わんとする5メートルほどの鬼の姿が映っていた。

彼女がその場に到着すると、鬼もまた、彼女を視界にとらえ、大きく見開く。

知っているのだ。

自身の天敵となる剣客が持つ独特の雰囲気を。

「名乗らせてもらうね。」

咲はそう言って腰に刺した刀を抜く。

「私は合札あいふださき。山斬一刀流、人ノじんのかた第十代継承者…の候補ってとこかな?」

その目は殺気を孕むわけでも怒りに燃えるわけでもなく、ただ恐ろしいほどに落ち着いていた。


10時間ほど前、咲は、自室で眠っていた。

障子の隙間から差し込む朝日が瞼を叩く。

彼女は体を起こすと、スマホで時間を確認する。

3月も終わりになりつつあるが、朝はまだ肌寒い。

「やば…くは…ないのか?」

時刻は昼過ぎ。

学生である彼女にとって、この時間帯まで寝ていることは致命的ではある。

今が春休みでなければ、遅刻は必至。

担任からは大目玉を喰らい、罰として課題を貰うことになるだろう。

欠伸を噛み殺し、いつものように布団をタンスに仕舞ってから着替え、私室を出る。

本宅に向かうと、良いにおいが漂っている。

テンポよく包丁がまな板を叩き、油の香ばしい音が手拍子のように鳴り響く。

キッチンで調理の音楽を奏でる指揮者は咲の方を見ずに声を掛ける。

「あーら、咲ちゃん、もうお昼よ?」

「ん。春休みだからいいの。」

咲はぶっきらぼうに答えると、炊飯器のご飯を茶碗によそう。

「ルカねえはどんぐらい食べる?」

咲はキッチンの女性に声をかける。

「うーん、咲ちゃんと同じでいいわよ。」

「ほーい。」

咲はルカの茶碗に山盛りのご飯をよそう。

明らかに自分の量よりも多いが、それもいつもと変わらない。

「あ、味噌汁も持って行ってちょうだい。」

咲は、指示通りに味噌汁を2人分用意して、茶碗と共に盆にのせると、隣の茶の間にあるちゃぶ台に配膳していく。

ルカの分を置き、その向かいに自分の分を置く。

「あ、お箸ないや…お姉ちゃーん!」

「はいはい。持っていきますよー。」

ルカの気の抜けた返事を受け、テレビの電源を入れる。

『昨夜未明、渋谷区にて原因不明の爆発事故が発生しました。現場はヨモギ町のオフィスビル駐車場で、車両が爆発した模様です。なお、爆発による死傷者は現時点で確認されていません。警察はテロの可能性も視野に入れ、捜査を続けるとのことです。』

ニュースキャスターが簡単そうに原稿を読み上げ、次のトピックへと進んでいく。

しかし、咲の目には十数秒映った現場の様子から人ならざるものの気配を感じていた。

謎の爆発は確かに珍しい。が、不自然だった。

「今の現場、車1台だけが爆発していたわね。」

皿を腕に器用に乗せたルカが違和感の正体を指摘する。

「やっぱりそう思う?」

咲はルカの腕から自分の分の皿を受け取ると、手元に並べる。

「コンクリートもそうだけど、隣の車の窓ガラスが割れていなのは…」

「妖魔…だよね。」

その結論に同意するようにルカは頷く。

「ええ、山斬寺やまぎでらはもう動いているようね。」

「お食事中、失礼いたします。」

ルカの言葉に呼ばれたように黒衣の人間が現れる。

黒衣衆くろごしゅう…」

咲が彼らの名を呟くと、黒衣は淡々と説明を始める。

「昨夜、渋谷区で発生した爆発は妖魔によるものです。位は中級。これを受け、山斬寺は継承者候補である咲吉さきち様を指名されました。」

「中級にしては力をはっきり使えるようだけど?」

ルカの指摘に、黒衣は表情を変えず、答える。

陰陽衆おんみょうしゅう忍衆しのびしゅうの見解では中級だと。おっしゃる通り力はあるようですが、これは憑かれている人間の問題のようです。」

「人に憑いた妖魔なら…」

「大丈夫だよ、ルカ姉ぇ。」

咲は言葉を遮るように言うと、手を合わせる。

「中級でも上級でも関係ない。寺側が指名しているのなら、おばあちゃんがアタシの力を認めているってことだし。」

咲は、焼き魚に箸を入れ、一口大にしてから頬張る。

「では、後ほど、お迎えに上がります。」

黒衣はそう言うと、音もなく消える。

「陰陽衆と忍衆が動いているのよ。わかっているの?」

ルカの厳しい口調に、咲はとぼけて見せる。

「陰陽衆も忍衆も寺の調査部門ってだけでしょ?」

ルカは大きなため息を吐く。

「確かに対妖魔の組織である山斬寺を司令塔として、現場で調査をするのが彼らよ。でも、彼らが両方動くということは寺はこの件を可及的速やかに解決したいってことよ。」

()れだけ危険って?」

「ええ。」

咲もそれは理解している。

陰陽衆は妖魔の捜索、忍衆は妖魔に協力する人間を探すのが使命だ。

それが、同時に動いている状況はそれだけ、事の重大さを物語っている。

咲は味噌汁を啜りながら、そんなことを考えていた。

それに呼応して、心臓が高鳴る。

緊張が、心臓を締め付け、鼓動が高鳴るたびに小さな痛みを伴う。

味のしない昼食を食べ終えた後、ほとんど無意識の内に彼女は修練用の木刀を手に、庭へ出ていた。


咲は庭に植えられた大木に向かい立っていた。

手にした木刀には傷が目立つ。

彼女は眼を閉じ、意識を剣に集中する。

それは、自身の気を剣に注ぐようなイメージに似ている。

己の気で剣が満ちたとき、それは手足のように自由な力となる。

「はっ!」

掛け声と共に咲が眼を開くと、大木が揺れ、深緑の葉が舞い落ちる。

山斬一刀やまぎいっとうりゅう千歯せんば砕き…!」

咲が刀を振るうと、落下する葉が砕け散る。

それは、木刀の軌道上のみならず、その周辺まで及んでいる。

木刀を振るう剣圧が葉を飛ばしてしまう前に、砕けてゆく。

彼女が十数度、刀を振るい、もとの構えへ戻ると、周囲には葉の一枚たりとも落ちていない。

すべて砕かれたのだ。

「やるようになったな。」

その技を見ていた短髪の女性が拍手を送る。

つかさ姉ぇ、帰ってたんだ。」

咲は息を整えながら、義姉の名を呼ぶ。

ルカと咲は血のつながった姉妹であり、養女として迎えられた。

年齢的にはルカ、司、咲の順になる。

「聞いたぜ?渋谷の妖魔を斬るんだってな?」

司は忍衆のトップでもあり、内情には非常に詳しい。

咲が今回の役目を担当することなど、真っ先に知っただろう。

「心配してくれてるの?」

「ん?んー…してほしいか?」

誤魔化すような司の態度に笑みがこぼれる。

「ふふ、してくれてありがとう。」

「お迎えは20時だ。鍛錬もいいが、休んでおくことも考えておけよ。」

咲はわざとらしく敬礼する。

「承知しました!継承者様!」

「なんでぇ。余裕そうだな。」

司は呆れながら頭を掻く。

しかし、調子に乗ったり飄々とした態度の時は、咲が心配を掛けまいとしている時のそれだ。

「ウチは近くで待機しておくから、大船にのったつもりでいたらいい。」

家族に隠し事はできない…か…

それでも咲は飄々とした態度を崩さず、元気よく肩を回す。

「さーてッ!まだまだ頑張りますかァ!」

再び木刀を振り始めた咲の様子は昔から変わらない。

口では軽口をたたき、余裕をもった軟派な態度を見せるが、その裏で、誰よりも真摯に剣に向き合っている。

だからこそ、継承者候補に選ばれ、少々危険な任務も任された。

司はこの家に連れてこられた頃の姿を重ねる。

夜、不安になって泣いても、修行では決して泣くことはしなかった。

今も咲の態度はあまり変わらない。

いや、年々、軽口の悪さは拍車がかかっているが、それさえも、どこか頼もしく見える。

がんばれ、咲…

口にはしたことはなかったが、司の本音も、昔から変わっていない。


咲は夕暮れ時まで剣を振るい続けた。

分厚くなった掌からは出血こそしていないが、力が入りすぎているのか、赤くなっていた。

ルカに一言告げると、シャワーで汗を流す。

冷水が体の熱を奪っていく感覚が、緊張を呼び戻す。

剣を振るっている時だけ、思考をやめることができた。

いや、今日に限って言えば、そうしていれば、考えなくて済むと思って剣を振っていた。

泣けばいいのか、笑えばいいのか、叫べばいいのか、黙っていればいいのか。

自分の感情をどうにか処理したかったが、その方法がわからない。

この日のために鍛錬を続けてきた。

この日のために技を磨き、力を付けてきた。

ひとえに、自身の天命のために。

だが、それが正しかったと、誰も証明できない。

これまでのことが本当に意味のあるものだったのかは、彼女にさえ証明できないのだ。

「咲ちゃん、夕餉ゆうげのしたくが出来ましたよ。」

ルカの声で、我に返る。

シャワーの水を止めると、身震いする。

流石にこの時期に長時間冷水を浴びるべきではなかった。

そんな小さな後悔を持ちつつ食べた夕食は昼に比べて、比較的、味のするものだった。


食事を済ませた後、居間でスマホを眺めていた。

特に何かがあるわけでもない。

ただ流れるテレビとSNSの情報が気を紛らわせてくれるわけではない。

なにも気にならなかった。

単に落ち着かない。

部屋の隅で膝を抱えていると、ルカが梨の乗った皿を机に置く。

「お向かいさんからよ。たべたら?」

咲は生返事を返すと、爪楊枝の刺さったそれを口に運ぼうとしてやめた。

「ルカ姉は、さ。緊張した?」

「ええ。それはもう緊張したわ。」

いつも余裕を持っている彼女らしからぬ話に、咲は興味を示す。

「そうなの?」

「生きるか死ぬか。山斬の剣客である以上、そういうものは避けられない。でも、自分がその現場に行くって言われて、混乱というか緊張したわよ。」

ルカはそう言うと、小さく笑う。

「慣れは油断を生む。でも過度な緊張は自分を殺す。難しいわよね。」

咲は答えに窮する。

場慣れした姉でさえ、そういう感情で動いているのなら、自分は果たしてどうすればいいのか。

「緊張はたくさんしたらいいのよ。実際の現場では無我夢中で剣を振るうだけなんだもの。」

「それでいいのかな…」

山斬の本家に養子として迎えられたのは、ひとえにルカの才能ゆえだ。

その彼女を目標に自身も剣客となる道を選び、鍛えてきた。

彼女の底にあるルカへの憧憬はそのまま劣等感となって彼女についてきた。

「でもね。」

俯いていた咲にルカは優しく声を掛ける。

いつの間にか、自分の真横に移動してきていた。

「みんなが貴女を認めているのよ。だからこそ、1人で任せられる。」

そういって、優しく頬を撫でられる。

むず痒いが、不思議と安心できる。

「私も貴女を認めているの。咲ちゃんが頑張ってきたこれまでと、その実力をね。」

視界が潤んでいた。

「だから信じられるの。そして、もし失敗しても、私は貴女を見捨てたりしないわ。」

うん…うん…と、涙ぐみながら頷く。

信じている。

ありきたりな言葉だが、その言葉を自分が一番欲しかったのだと理解した。

誰かに背中を押してもらうことがこんなにも心強いものだと、初めて知った。

「ほらほら、泣かないの。そろそろ出発でしょ?」

袖で涙を拭うと、立ち上がる。

「ありがとう、梨、置いといて、帰ったら食べるから。」

咲は自信に満ちた目でそう言うと、迎えの車が到着する。

ルカは彼女を門まで見送り、車に乗り込む前に切り火をする。

「行ってらっしゃい。」

咲は頷き答えると、車に乗り込む。

そのあとは、自分の方を見ることもなく、車は走り出す。

「頑張ってね。天命に呑まれることのないよう。」

ルカはそうつぶやくと、部屋に戻る。

大人になった咲にとって、これからの道は険しく、彼女には普通に生きる道もある。

それでも、自分で魔を祓う剣客として生きる道を選んだ。

「すべては天命ですか…おばあ様…」

ルカは静かに洗い物を始めた。


「20分ほどで到着します。」

運転手からそういわれ、咲は座席にもたれかかる。

彼もまた、半ばボランティアに近い形で山斬の活動に協力している忍衆の1人だ。

忍といっても黒装束で忍術を使う訳ではない。

無論、そうしたイメージ通りの忍もいないわけではないが、その大半は妖魔退治に無報酬で協力する彼らが占める。

情報収集や山斬の剣客への経済的支援、それぞれがそれぞれの立場でできる支援をする。

そうした意味では、剣客である咲たちへの期待も大きい。

街並みを眺めつつ、車の振動に身を預けていると、僅かに眠気が襲ってくる。

単調なリズムのラジオがそれを強くしているようにも感じられる。

「到着しました。」

浅い眠りに落ちかけていた咲は、彼の言葉で覚醒する。

「ん?着いた?」

「ええ、ここだと聞いています。」

咲が車のドアを開けようとすると、運転手から傘を差し出される。

「小雨が降っているようなので、良ければ。」

「うん、ありがとう。」

ビニール傘を開き、車を見送ると、スマホに着信が入る。

陰川かげかわさん、久しぶり。」

『咲殿、妖魔の位置が変わりました。』

老人の声を聞き、咲はビルを見上げるも、特に変化は見られない。

『そのまま直進して下され、『川内せんだいビル』の屋上が現場になりまする。』

咲は、その指示の通りに歩き出す。

「ていうか陰川さんって忍衆のトップだよね。私なんかの相手してくれるの?」

『忍衆は人ノ方継承者がトップであり、その候補である咲殿には期待している。というだけのこと。』

「プレッシャー掛けるのうまいね。」

咲の言葉は陰川にとって意外だったらしく、乾いた笑い声が返ってくる。

『いや、失敬。想像以上にいつも通りな様子。この陰川、感服しましたわ!』

陰川に愛想笑いで返しながら、川内ビルの近くについた咲は、裏路地に入る。

「一応、路地に入ったけど?」

『その向かいになるようです。』

「ここじゃないの?」

『どうも逃げ回っている様子、ご存じかと思いますが…』

「わかっているよ。」

咲は、ビルを見上げながら陰川の言葉を遮る。

「人に取り憑いているから、まずは弱らせて分離させる。」

『左様にございます。陰陽衆は待機しておりまする故、即座に追撃に出られて問題ございませぬ。』

「ん。じゃ、何かあったら連絡するよ。」

咲はそう告げると、電話を切り、スマホを仕舞い、息を吐く。

気を集中させているのだ。

丹田から沸く気を足元に集中させ、地面と反発するように踏み切ると、彼女の体は15階はあるビルの屋上まで、一気に上昇する。

路地裏で起きたその一瞬の出来事に誰も気づくことはない。

「よっと…」

咲が屋上に降り立つと、そこには、黒衣を纏った男とも女とも言えぬ人物が座して待っていた。

「お待ちしておりました。佐吉さきち様。」

黒衣の厳かな声によばれ、彼女はその存在に気づく。

「その男の子みたいな大層な呼び方はやめて。」

「ではさき様。こちらを。」

黒衣は咲に80センチほどの細長いものを渡す。

それは現代に恐ろしく不釣り合いなそれは、日本刀である。

継承者ではなく、学生でもある彼女は帯刀の許可を得ていない。

それ以前に、町中で刀を刺して歩けば怪しげなコスプレか狂人にしか見えないという事情もある。

「咲様ってのもなぁ…あ!サキちゃんってのはどう?」

「そういうわけにはまいりません。」

いつもと変わらぬ対応に、肩をすくめながら黒衣から刀を受け取ると、腰に刺し、屋上に設置された手すりに飛び乗る。

「風邪ひくから次からは傘持ってきたら?」

咲は振り返って黒衣にそう言ったが既に姿はない。

虚空に向かって話しかけた自分が狂人のように思え、虚しさを覚えるもすぐに切り替えると、小さく息を吐き、再び跳躍する。

その目には会社員サラリーマンを食わんとする5メートルほどの鬼の姿が映っていた。

彼女がその場に到着すると、鬼もまた、彼女を視界にとらえ、大きく見開く。

知っているのだ。

自身の天敵となる剣客が持つ独特の雰囲気を。

「名乗らせてもらうね。」

咲はそう言って腰に刺した刀を抜く。

「私は合札あいふださき。山斬一刀流、人ノじんのかた第十代継承者…の候補ってとこかな?」

その目は殺気を孕むわけでも怒りに燃えるわけでもなく、ただ恐ろしいほどに落ち着いていた。

鬼はその単眼で咲を見下ろしながら距離を詰め、大きな腕を振り上げる。

始めるよ…お姉ちゃん。

咲が小さく息を吐くと、鬼の腕が切り落とされる。

彼女は鬼が怯んだ隙に会社員を抱えると、屋上の端に向けて走り出す。

「陰川さんッ!」

咲は混乱の最中にある彼を屋上から投げ捨てた。

その悲鳴が都心の夜に響くが、数人しか気づくことはない。

そして、彼の体を、何かが空中で拾い上げ、別のビルに着地する。

白い髪と髭の老人は、会社員を丁寧に置く。

老人の体躯は筋肉に覆われており、年齢的な部分から非常にかけ離れた印象を受ける。

「お前たちはこやつを。」

黒衣の集団が男を受け取り、闇に消えると、老人は川内ビルの屋上へ眼をやる。

「お手並み拝見と行きますぞ…咲殿。」

火花散る屋上にその声は届かなかったが、彼の目にはその太刀筋がはっきりと見えていた。


咲は、鬼の攻撃を刀で丁寧に捌いていく。

本来、日本刀とは横からの力に弱く、歪みやすい。

それでも、彼女が刀で攻撃を受けられるのは、やはり『気』だ。

刀身に流し込まれ続ける刀気が強度を高めている。

「ウッガァ!」

鬼の前蹴りを回転しながら回避すると、そのまま懐に飛び込む。

「山斬一刀流『縄断なわだち』…!」

咲が大きく刀を振るとその軌跡は鬼の関節を捉え、跪かせる。

縄断の指す縄とは腱である。

その腱をまとめて断つが故に縄断。

咲は、そのまま縦一文字に鬼を斬ろうとするが、視界の外から飛んできた何かに飛ばされる。

他にもいる…?いや、違う…

鬼は最初に切り飛ばされた腕を再生させ、殴ってきたのだ。

咲の体はまっすぐに飛び、コンクリートの壁に叩きつけられる。

腱を間違いなく断ったはずだが、それ以上に鬼の再生能力が高かった。

それは単純に咲の見込みが甘かったともいえる。

息が詰まる。

痛い。

だが、鬼にとって、それは好機だ。

大きく踏み込んで放たれる拳。

咲は刀で受け止めようとするが、刀身は硝子細工のように砕け、拳が鳩尾を捉える。

呼吸。

酸素。

吸え。

内蔵がそれを求めているが、体が追いつかない。

投げ飛ばされ、右半身を擦りながら着地する。

刀を支えに立ち上がろうとしたが、刀身がなく、空振りする。

ヤバ…い、なあ…

咲は膝に手を置きながらゆっくりと立ち上がる。

眼前の鬼は魂を震わせるような雄たけびを上げる。

下にいる人には聞こえない妖魔独特の声は、気を確かにしなければ、失神しそうなほどだ。

「ようやく緊張がほぐれてきたよ。あなたは?」

敢えて不敵に笑い、煽る。

それは、自身のダメージを誤魔化すためではなく、普段通りの言動に過ぎなかった。

鬼はその言葉を理解してか、理解せずか、雄たけびを上げて突進してくる。

咲は呼吸を整えるように深呼吸すると、鬼へ向かって走り出す。

両者が交錯する瞬間、咲はスライディングの要領で鬼の股下を抜けると、居合の構えを取る。

「山斬一刀流人ノ型『半神一閃はんしんいっせん』…!」

人ノ型は刀気による身体強化を業に用いることが多い。

人の域を超え、現人神に近いその身体強化で放つ居合。

それは鬼の肉体を裂き、中に取り込まれた人間を露出させる。

咲はその人間の腕を掴むと、強引に引き出す。

しかし、鬼の肉体は触手のようにその人間を再び取り込まんとする。

「いい加減に…しろッ!」

咲は触手を切り落とすと、そのまま取り込まれていた人間をビルから投げ捨てる。

「陰川ァ!」

咲の叫びが届いていたのか、影がそれを受け止め、離脱する。

「ヲヲヲヲヲヲヲ…」

鬼は人に近い形を保てず、スライム状のなにかへ崩れていく。

「まさに骨抜きって感じ?」

咲は屋上から逃げようとするそれへ刀を向ける。

先ほど砕けたはずの刀身は、刀気によって代替されており、それが、半神一閃や触手を切り落としたのだ。

何千、何万回と握り、振るってきた刀剣のイメージが、そのまま形になっている。

スライムは咲を取り込もうとしたのか、その体を大きく広げる。

それは苦し紛れの策でしかなく、今の咲にはやや滑稽に映る。

「斬り捨てる…」

咲はそれを粉々に斬り伏せ、破片が消えていくのを見送る。

「千歯砕き…練習通りってね。」

緊張の糸が切れた咲はそのまま倒れる。が、もう1人の姉が、優しく受け止める。

「よくやった…咲。」

司は咲を抱えたまま帰路に就いた。


朝の日差しが瞼を叩く。

そのうっとおしさに辟易しながらスマホを探すが、見つからない。

「昼過ぎにございまする。」

老人の声で、咲は跳ね起きた。

「なんで!なんでこここッここにいるの!」

陰川は顔を上げる。

「世間は月曜にございます。ルカ様、司様はおりませぬ故、ワシが。」

「変なことしてない?」

陰川は首を傾げる。

「老体をからかっておられるので?」

軽口を真面目に返された咲は答えに詰まる。

そして、段々と記憶を取り戻していく。

「昨日どうなった!」

「立派にございました。この陰川も涙腺がゆるみましたぞ。」

世辞だ…お世辞だ…!

下手な言葉を受け、咲は昨日の戦闘を反芻する。

鬼の耐久力を見誤り、刀を砕かれ、自分の足で帰ることもなかった。

初陣とはいえ辛勝という以外にない。

「では、これにて失礼。刀については、追って山斬寺より連絡がありまする。」

陰川はそれだけ告げると、煙とともに消える。

忍らしい行動だが、寝顔をずっと見られていたのかと思うと、恥ずかしいものがある。

咲は、頭を搔きながら居間へ向かうと、皿に盛られた梨を見つける。

本当に…戦ったんだ…

梨を縁側でかじりながらそんなことを考えていた。

体の痛みはほとんどないが、至る所に絆創膏や包帯が巻かれている。

春の陽気はまだ遠い。

しかし、庭の桜が蕾を付けているように、その訪れは近いのかもしれない。


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