王位指名の儀
遅くなった。
王位指名の儀のまでにやらなければいけない仕事が多過ぎる。
喪に服している間に滞っていた仕事を何とか片付けても、後から後から稟議書が回って来る。
「ふう」
すぐにでも帰宅したいけれど、喉もカラカラになっていた。
私はいったん休憩所に寄って紅茶を飲んでから帰ろうと思った。
「アノじゃないか」
「ふぁいっ?」
誰もいないと思っていたのに突然声を掛けられてびっくりした。
危うく零しそうなったカップを手に振り返ると、テーブルにひっそりとデルフィン皇子が座っていた。
「こんな時間まで仕事かい?」
「は、はい。もう終わりました」
「なるほど。仕事の後の紅茶を一杯ってところだね」
デルフィン様の言葉に頷きつつ前に立つ。
「ご一緒しても?」
「どうぞ」
促されてテーブルに座る。
「デルフィン皇子もこんな時間に。お仕事ですか?」
「まあね。こう見えても王位継承権があるので忙しいんだ」
そう言ってデルフィン皇子は栗色の前髪を除けて笑った。
「あの聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「まだ王になりたい気持ちがないことに変わりはないですか?」
「そういうこと聞いちゃうんだ」
「ダメならいいです」
「内緒ならいいさ。そうだね。変わりない。私は宰相向きだよ」
デルフィン皇子の表情は平然としていた。嘘をついているようには見えない。
「この前の戦技披露の儀で」
「うん」
「ブルー様の相手はキーファスでした」
「そうだね」
「あれは一体どういうことですか?」
「え?」
「キーファスはブルー様が町娘と無理やり結婚させて地方へ飛ばした護衛騎士です」
「その場にいたらしいじゃないか」
「そうです。そのキーファスがなぜあの場に?」
デルフィン皇子が少しだけ意地悪っぽく笑った。
「それは自分で調べたらどうかな?」
「え?」
「仮にも公爵家の筆頭、エイデン家だろう?調べる方法はいくらでもあるじゃないか」
「調べる方法ですか」
「そうだなあ。例えば侍女を務めるリットル夫人。彼女はとても顔が広いんだよ」
「ええ、まあ、そうですね」
娘を入学させた王立学校で、庶民枠なのに父母会の役員を務めていることも知っている。
「それに護衛騎士のミッチオ。彼も人望が厚い。騎士団にも兵団にも彼を慕う者は多いよ」
「それも知っていますけれど」
「アノが知りたいと言えば喜んで調べて、そして教えてくれると思うけどなあ」
「そうかもしれませんが」
デルフィン皇子がそう言うならば二人に頼んでみようかしら。
「ぜひアノ自身が調べてみてくれ。人からもらった情報は、そこに情報提供者の思惑が潜んでいることがあるからね」
「確かにそうですね」
「ああ、でも」
デルフィン皇子は自分の手帳を出してそこから一枚の紙を取り出して机に伏せた。
「これは私から」
デルフィン皇子から?
「私もアノの信頼は得ていると思うから、あげるよ」
そう言ってデルフィン皇子が笑った。
「えっと。ありがとうございます」
一応お礼を言った。
「じゃあね。早く帰りなよ。寝不足や疲れはお肌の天敵なんだろう?」
そう言ってデルフィン皇子が笑顔を浮かべて去って行った。
何なんだろう。
私はテーブルの上に残された紙を手に取って表にひっくり返した。
「バーレ芋?」
その紙にはバーレ芋の流通量の変化がメモされていた。
バーレ芋が何の話になるの?
私はまるで謎解きのようなその紙を手に、しばし呆然としたのだった。
◇
「知らなかったわ。リットルがそんなに顔が広いだなんて」
「別に自慢することではありませんし」
侍女のリットルは謙遜するが大したものだと思う。
王立学校の父母会役員は聞いていたが、詳しく聞いたら城下町の商工会の婦人会にも所属していると言う。リットルの弟が城下町で商売をしているけれど、独身なので婦人会に人を入れたいということでリットルが入っているのだそうだ。
さらに侍女の会もあるようで、公爵家だけでなく大きな貴族の侍女を務める者達で集まる会もあるのだそうだ。
これは思い切り非公式な会で、くれぐれも内緒にと念押しされた。
確かに公爵家の侍女が繋がっているとなればいろいろな心配が出てきてしまうだろう。
「では出来る範囲で調べてください」
「分かりました。アノ様のためなら全力を尽くします」
「出来る範囲でいいんだからね」
何だかリットルの意気込みがすごいので心配になってしまう。
「では、私も調べて参ります」
「ええ、お願いします」
こちらはミッチオ。
私は小さい頃から普通にミッチオがいたので護衛騎士としてもミッチオしか知らない。
今回、ミッチオが昔、騎士団長を務めていて、近衛騎士団長にも推挙されていたという話を初めて聞いた。
私の護衛騎士になることを優先して、その近衛騎士団長の話を断ったと聞いた時には、本当に申し訳なく思った。
近衛騎士団長は騎士の最高到達点音一つである。一等貴族の身分も与えられるし。
それを蹴るってどういうつもりなのだろうか。
「アノ様に頼られるだけの価値のある自分で良かったです」
そう言って笑うミッチオのつるっとした頭部を見ながら、今日はいつもよりも肌の艶がいいわねと思ったのだった。
◇
いよいよ王位指名の儀の日が来た。
王宮の広間に集められた王族、貴族がそれぞれ並んでいた。
いよいよ三人の上位の王位継承権をもつ者から次代の王を選ぶのだ。
まずは私達4人の公爵家代表が指定の席につくことになる。
「公爵家代表入場」
その声が掛かったところで近衛騎士団長に話しかけられた。
「これを渡してくれとお付きの者が」
「ありがとう」
私は近衛騎士団長が差し出した封筒を受け取った。
間に合ったのね、リットル。
私は素早く封筒から紙を取り出してその中身を読んだ。
ああ、やっぱりそう言うことだったのね。
私は納得しながら指定された席に座った。
「皇子入場」
呼ばれて3人の皇子が広間に入って来る。
席に座るブルー様を見つめた。
このインチキ男め。
私の視線にブルー様が気付いて肩を竦めた。それを見ていたデルフィン皇子が栗色の前髪を除けながら笑っていた。
「ほんと腹立つ」
飄々としたブルー様の顔を見て思わず呟いてしまった。
隣のビイデル家代表ホンラインが怪訝な表情で私を見た。
「何でもないわ」
彼に言って私はいったん目を閉じた。