デルフィン皇子
その後も「悪皇子」はその名に恥じないことをしては話題になった。
「ブルー様が領地の麦畑を焼き払ったって本当ですか?」
私はテーブルの向かいに座る人物に聞いた。
私は王宮での事務仕事をしている。
公爵家の一つ、シーノック家の次男、カルーア様と結婚することになったのだが、そのカルーア様は結婚の儀の翌日に開かれた披露宴の終わり頃、急に体調を崩し、そしてそのまま病床につかれ、そしてその後しばらくしてお隠れになってしまったのだ。
私は離縁をしてエイデン家に戻ることになった。
こうなると私の居場所はエイデン家にはなくなる。未亡人と結婚しようとする奇特な貴族はほとんどいないし。まあ、第二夫人としてなら声がかかるかもと思ってはいたけれど、そんなこともなかった。
さすがに4大公爵家エイデン家の者を第二夫人とするには勇気が必要だろうしね。
そこで私は王宮の事務仕事に就かせてもらうことになった。
それまでの公爵家の娘としての教育のおかげで、事務仕事はそつなくこなしていると思う。
様々な書類を処理するのだけれど、その中に、第7皇子が与えられた領地で麦畑を焼き払った案件があったのだ。
「そうらしいね。アノの方が詳しいんじゃないの?」
そう答えたのは第6皇子のデルフィン様である。
デルフィン様は第1側室の息子なので、栗色の髪をしている。その栗色の前髪をいつもの癖で指先でくいっと除けながら言った。
「書類にあるんだろう?」
「そうです」
私はテーブルの紅茶を一口飲んだ。
事務職に限らず、王宮で勤める者が休憩するスペースである。
皇子などは普通顔を出すところではないのだが、このデルフィン様は時折顔を出す。稀にブルー様も。
「収穫は半分終わってたらしいけどね」
「でも燃やすだなんて。どういうことですか?」
「さてね。こんな麦、いらないって言ってたらしいけど」
「意味が分からない。大事な麦を燃やされて、あの領地は飢えますよ」
「だから補助申請が出ているんだろう?」
「そうですけど、自分で燃やしておいて補助申請とか意味が分かりません」
「確かにねえ。ちょっと調べてみるかなあ」
そう言ってデルフィン様は小さく笑うと、ご自分の紅茶を飲み干して立ち上がった。
あ、私も戻らないと。
「すいません、失礼します」
「いやいや、話し相手になってくれてありがとう」
そう言ってデルフィン様は微笑んだ。
こういう人当たりの良い人が王になってくれればいいのにと思いつつ、王ともなるとこういう人では務まらないのかもしれないなとも思ったのだった。
◇
「デルフィン様」
「やあ、アノ。どうしたんだい?」
私は休憩所でトレイを持って歩くデルフィン様を見つけて声を掛けた。
私の前のテーブルにトレイを置いて、デルフィン様が座った。
今日も私と同じ紅茶なのね。
男性はコーヒーを飲む人が多いけれど、デルフィン様は紅茶派らしい。
先日の会話以来、私は休憩所で何度かデルフィン様と一緒にお茶を飲む機会を得た。
話せば話すほど、デルフィン様がとても優秀な方だと分かって来た。
だからこそ今も声を掛けたのだ。
「ブルー様が孤児院を潰そうとしているんです」
「孤児院を?」
「はい、主に戦争孤児を引き取っている孤児院です」
「書類が回って来たの?」
「はい、そうです」
この国では王族からの書類は基本的にすぐに判を押して次に回すのが常だ。
だけれど私は昨日からこの書類を止めていた。
「理由は?」
「コストに見合わない。孤児でも働けるはずだと」
「働く?」
「北の牧場で住み込みで働かせればいいとありました」
「孤児院は潰して?」
「はい、院長も解雇だと。ごく一部の職員だけ、牧場に世話係として異動させるとありました」
「そうか。でも第7皇子発の稟議書となると通さないわけにいかないだろう?」
「はい」
私は唇を噛んだ。
なんて理不尽な。
「じゃあさ、私の方からその牧場に補助金を出すような稟議書を出すよ」
「え?よろしいのですか?」
「ああ、牧場に行って働くことになる子供達が少しでもいい環境で暮らせるように」
「ありがとうございます。これでやっと判を押せます」
「え?まさか、稟議書止めてたの?」
「な、内緒にしてください」
私が小さな声で言うとデルフィン様はやれやれと言う表情で薄く笑った。
「偉いと思うけれど、よくないよ。王族の稟議書を止めたことが知れるとアノの立場も危ういし、エイデン家にも迷惑が掛かるかもしれない」
ああ、確かにそうだった。浅慮だったわ。
「すいません。以後は止めません」
「そうだね。ブルーの稟議書は特に止めない方がいい。目をつけられたら大変だからね」
「そうですね」
「悪皇子」にバレたらきっと大変なことになるだろう。
でもデルフィン様に話せて良かった。子供達が少しでもいい環境で過ごせるといいな。
あ、解雇された院長や職員のことも相談すれば良かったな。
その後、院長が自殺したという知らせを聞くことになった。
私はあの時、デルフィン様に彼らのことも何とかして欲しいとお願いできなかったことを悔やんで暗澹たる思いになったのだった。
「悪皇子」が間接的に殺したことになる、と思った。