悪皇子
「エイデン家アノは第7皇子ブルー様を次代の王へと推挙します」
そう言い放つと会場が一気にざわついた。
中でも第二側室の一団が目立っている。思わず立ち上がっている者までいるもの。
「待ってくれ、アノ」
そう声を発したのはディングル家代表のカンジャインだ。
「準備会議で一番反対していたのはアノではないか。あんな人の道から外れた者に、この国を任せられないと」
「そうですね、カンジャイン」
私はにこりと微笑んだ。
「でも、今は違うのです」
そう言って私は、素知らぬ顔で成り行きを見守っている当人、第7皇子のブルー様を見た。
◇
「アノ様、聞きましたか?またあの悪皇子がやらかしたようですよ」
「聞いたわ、リットル」
私はお茶を持って来てくれた侍女のリットルに答えて、読みかけの本を閉じた。
「料理人を首にしたのでしょう?」
「ええ、なんでも毎日同じような料理を出しているからと文句を言ったらしいですよ」
「前に伺った時に食べた料理はとても美味しかったわ。腕のいい料理人なのに」
まだ私が結婚する前に、第7皇子邸で開かれたパーティーに招かれたことがある。
いわゆる嫁候補を探すためのパーティーである。
当然4公爵の一つである我がエイデン家にも招待状が届いて、私が出向くことになったのだ。
何しろ評判の悪い皇子だったので、いろいろ理由をつけて断った家も多かったようで、それまでにも招かれた他の皇子のパーティーに比べて出席者が少なくてびっくりした覚えがある。
普通は他愛のない話をして交流するのに、第7皇子は参加者に質問ばかりして奇人ぶりをいかんなく発揮していた。
「好きな色は?」
「なぜその色が好きなんだ?」
「その色の家具を一つ手に入れられるとしたら何をもらう?」
「その家具が別の家に横取りされたとしたらどうする?」
終始こんな感じだったので、参加者の女性達はパーティーの後で意味が分からないと非難の嵐だった。
私はと言えば次々と質問に答えつつ、第7皇子の人を値踏みするような視線が嫌だったことをよく覚えている。早く終わってくれと思いながらどんどんと質問に答えていったのも遠い思い出だ。
そして彼は何度かパーティーを開いたものの、嫁候補を決めることはなかったのだった。意味が分からない。
元々第7皇子の評判は王位継承者の中でも最悪だった。
12歳になるまでは「使い物にならない俗物」「10人いれば1人はいるうつけ」。ひどいのになると「王様の外れ種」なんて呼び名もあった。
10人いればというのは、王位継承者が10人生まれたら、それ以上は王は子を設けないというこの国のしきたりによるものだ。
「皇子の食事中に小さな咳をしただけで、無礼だと言ってあの家をずっと仕切って来た執事を首にしたこともありましたしねえ」
「あったわねえ、そんなことも」
あれは皇子が確か15歳の時ね。
「死に戻りなんだから、性格も生まれ変わればよかったのに」
「こら、リットル。口が過ぎますよ」
「失礼しました」
そう注意するが私もちょっぴり笑顔である。
第7皇子が死に戻りと呼ばれるのは、彼が12歳の特に熱病で死にかけたから。
実際医師は一度彼が死んだと判定したらしい。
その後息を吹き返したという。
心身にダメージがあったのか、その後彼はしばらく大人しくしていた。
そのような経験をした後、人は性格が変わることがあるらしいけれど、彼はそうはならなかった。
いや、ひどくなったと言っていい。
「悪皇子」
15歳になってまた表舞台に姿を見せるようになると、いつしかそんな呼ばれ方をするようになったのだ。
今は18歳。
私と同じ年である。
私はと言えば、この年で未亡人である。
「アノ様、そう言えば、仕立ててもらった服が出来上がったので取りに来てほしいと連絡がありました。私が行ってきましょうか?」
「そうなのね。いいわ、一緒に行きましょう。リットルの娘さんにも服を買ってあげたいし」
「この前いただいたばかりですよ、アノ様。あまり甘やかさないでください」
「あら、この前のはお誕生日のよ。今日のは入学祝い」
「ああ、ありがとうございます」
リットルの娘はこの春、王立学校へ無事入学することが決まったのである。
とても利発な子で、私が少しだけ勉強を教えてあげた時もとてもよく理解していた。
王立学校の庶民枠は狭き門だけれど、無事に面接と試験を通ったのだ。
4大公爵家の侍女をしているというステータスももちろん影響が無かったとは言えないだろうけれど。
私とリットルは一人の護衛騎士ミッチオを連れて城下町へと出た。
我がエイデン家は城下町の北東の域にあるので、目当ての南東のビイデル家が仕切る域の服屋まで歩かなければならない。
「そう言えば、ミッチオの息子さんも入団よね?」
「はい。おかげさまで」
18歳の成人を迎えて、晴れてミッチオの息子さんも騎士という仕事に就くことになった。
庶民は兵団に、貴族は騎士団に入団するのが普通である。
ミッチオも貴族で、二等貴族という地位にある。
お目当ての服を手に入れて、ついでにリットルの娘さんの入学祝いの服、さらにミッチオの息子さんにも手袋を買って差し上げた。
ミッチオとも長いつきあいだし。
そもそも護衛騎士は騎士の中から選ばれる。とは言えそれぞれの貴族と長い付き合いになることが多く、ミッチオも我がエイデン家に、父も祖父も護衛騎士として仕えてくれている。
私が小さい頃はミッチオに肩車をしてもらったこともあったっけ。
「アノ様。馬車が来るようです」
ミッチオがそう言って、私達を自分の後ろに下げて道の端に寄った。
城下町の中を走る場所ということは、王族か、あるいは公爵家のものである。
馬に乗った護衛騎士が先導し、その後ろを馬車がゆっくりとした速度で走って来る。
「あの紋章は王家ですね」
リットルが言った。目がいいわね。
私もミッチオの後ろから首を出して見ると確かに馬車の紋章は王家の者だった。そしてその下にある印はその馬車が第7皇子の乗る馬車であることを示していた。
「危ない」
突然ミッチオが言った。
道路わきに積まれた荷桶が何の弾みか崩れ落ちた。
その荷桶にぶつかったのか、あるいは避けようとしたのか、一人の花束を抱えた町娘が道路に転がり出ていた。
馬に乗った護衛騎士が慌てて馬を止めた。
馬の前足が上に上がる。
ぎりぎりだったかもしれない。
「何をしているっ」
護衛騎士が下馬して町娘に詰め寄った。
「も、申し訳ありません。崩れた荷桶を避けようとして転んでしまいました」
「王家の馬車の前だぞ。怪我はないのか」
「はい、大丈夫です。失礼しました」
護衛騎士と町娘の会話を遠くから聞きつつ、まずいことになるのではと危惧していたら案の定だった。
「何事だ、キーファス」
馬車から降りて来たのは第7皇子のブルー様その人。
「申し訳ありません、ブルー様。この娘が道路に飛び出して来たので」
「何だと?王家の馬車の前に飛び出したのか」
「荷桶が崩れて来たので避けようとしたようで。すぐに出発しますので」
「待て、キーファス。何を言っている」
「ブルー様、どうかご慈悲を。この娘に他意はありませぬ」
ああ、やっぱり。
王家や侯爵家の馬車の往来を妨害するということは重罪。
でも今のは本当に不可抗力なのだ。ブルー様が「許す」と言えば済む話なのに。
そう言わないだろうな「悪皇子」は、と思ったらもっとひどかった。
「キーファス、その女を斬れ」
「は?ブルー様、どうかご慈悲を」
「お、お許しくださいっ」
町娘は地面に頭を擦りつけて謝っている。
「キーファス、俺は斬れと言ったんだ」
「ブルー様」
「斬れ」
キーファスが剣を抜いた。
「ミッチオ」
「無理です。ここは自重してください」
「ダメですよ、アノ様」
私はミッチオとアノにそれぞれ手を掴まれた。
でもひどすぎる。
キーファスが剣を抜いたけれど、町娘を斬れずにいる。
「キーファス、斬れと言っているんだぞ、俺は」
「ブルー様っ」
私は叫んだ。二人が頭を抱えるけれど、言わずにはいられない。二人の手を振り払って人混みから出て行く。
「なんだ?」
「エイデン家のアノです」
「生娘未亡人か」
「な」
なんてことを。
こんな往来で侮辱されるなんて。
事実だけれど、そう言うのは陰でひそひそいうものじゃないの?
「荷桶が崩れるのは私も見ました。この娘に非はありません」
「非はあるぞ。王家の馬車の前に出て止めたのだ」
「ブルー様がただ許すと言えば済むだけの話です」
「ふん」
ブルー様が鼻で笑った。
その名の由来の通り美しい青い瞳だけれど、そこからは性格の悪さしか伝わって来ない気がする。
「アノ様、これは」
「黙れキーファス」
「は」
ブルー様がキーファスを一喝した。
そして私を上から下までじっくりと見た。
膝が震えそう。
「分かった。許そう」
「ブルー様」
「ただし」
ブルー様がキーファスを見た。
「キーファス。お前は責任を取ってこの娘と結婚しろ」
「え?」
「ちょっと」
護衛騎士は貴族だ。庶民とはその身分に明確な線引きがされている。
「そして俺の護衛騎士は首だ。そうだな、次の赴任地は北のゴリンガムがいいだろう。あそこでモンスターの退治でもしてろ」
「無茶苦茶です、ブルー様っ」
「うるさい、部外者が口を出すな」
確かに私は部外者だけど。あまりにもひどい仕打ちだ。本人達の意志をまるで無視しているし。
「キーファス。どうする?それとも斬るか?」
「分かりました。仰せの通りにします」
キーファスと言う護衛騎士が悲壮な表情で頷いた。
「え?」
町娘が顔を上げた。
「すまない。こんなことになってしまった」
「あの、私は庶民です。護衛騎士様は貴族です。身分が違います」
「皇子の命令なのだ」
「そんな」
そりゃそんな顔になるわよね。でも斬られるよりはましよ。思い人でもいたのなら可哀想だけれど。
「キーファス、その馬は俺からの餞別だ。やる。その女を乗せてすぐに屋敷に戻り、荷物をまとめて明日までに発て」
「分かりました」
キーファスは観念した顔で町娘を馬に乗せるとそこから去って行った。
「なんだ?何か文句でもあるのか?」
ブルー様が冷たい表情で私に向かって言った。
「いえ、ありません」
これ以上何を言ってもこの「悪皇子」には無駄に違ない。逆に私やエイデン家に何か文句を言ってくる可能性もある。
「失礼しました」
「ふん。出しゃばりな性格は変わらないな」
「はい?」
ブルー様は私に背を向けてさっさと馬車に乗ってしまった。
もう一人の護衛騎士が馬車の御者の横に座って、馬車がゆっくりと走り始めた。
「アノ様、無茶は止めてください」
「あの方の気まぐれで、何かよからぬことが言い渡される可能性もありますぞ」
その後、私はリットルとミッチオの小言を聞きながら家路を歩いたのだった。