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幹事長 川端朝日くんの性春コンプレックス  作者: 七篠 康晴
Chapter 1.2 純粋不純性愛同盟
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第一話 ネカマとバイトと箱入り少女


 自分の時間が動き出して、それが手を離れたような感触がある。

 知らない道を行こうと漕ぎ出した自転車が、坂道に入って、そのままブレーキを掛けることもなく、突き進んでいく。その速度にだんだん怖くなってくるけれど、頬を撫でる風とその音が気持ちいい。


 俺を狂わせたあの少女がいた高校のときと違って、命に運ばれていくような感覚を取り戻したのは、二年ぶりだった。

 大学という場所で得られる時間は、自分の力でどうにでも変えられる。その希望を信じて、がむしゃらに走った。


 全て、自分次第の場所。

 それは良いことのように思っていたけれど、それは自分が刻んでいく時間に責任を持たなければいけないということだった。だから雀野は全力でバイトに励んで、経験をただひたすらに追求するし、俺は独り、それをモラトリアムの思索に頼っている。



 自転車を漕ぎ、街を行く。新宿区の外れ。その雑居ビルに着いた俺は、チャリを停めた。扉を開け、靴を脱ぎ、オフィスに上がる。

 雀野に紹介されたバイト。それは、学生主婦大歓迎のデータ入力のバイトだった。俺は事前に雀野から話を聞いていたから驚かなかったものの、いきなりその業務内容を告げられたら、きっと誰もが困惑するに違いない。


 玄関の右手、面接や来客用の別室に、明かりが点いているのが見えた。


「そう、そのデータ入力のバイトは実はもう埋まっちゃっててー。学生さんだとオフィスソフトのスキルを持っていることも少ないっていうのがあるからさー。代わりに学生でもできるやつがあるんだけど、どう?」


「え、えっと……それでお願いできるなら、お願いします!」


「はーい。じゃあ……そうだな、マッチングアプリとかって、知ってる?」


「マ、マッチングアプリ……?」


 自分もあそこで、全く同じやり取りをしたことを思い出しながら、タイムカードを切り、空いている席に着く。イヤホンを耳に挿したまま、宵原が語っていたインディーズロックバンドの曲を聴いていた。PCの電源を点ける。俺は、事前に社内SNSで共有された今日の担当──重課金の相手をすることになった。


『遠藤さん! こんばんは♡♡♡ 今日は何してたの?』

『かおるちゃんこんばんは! 今日は仕事終わった後、車いじってた』

 *

『ねえ、会わない?』

『いつも会いたいって言ってくれるのはすっごく嬉しいんだけど、最近仕事が忙しくて……遠藤さんは仕事が忙しいときどうやってストレス発散してた?』


 必ず質問で返事を終わらせること。それがこのバイトの鉄則である。


 職場で鍛え上げられ、獲得したブラインドタッチを用い、複数の会話を同時に進行していく。折りを見て、管理者権限を用いユーザーのポイント数を確認した後、600ほど残っていたそれを0に下げた。彼は今から、トークを送信するために課金をする必要がある。もはや罪悪感は死に、化け物をこの世に解き放たぬよう自分が押さえつけている、という納得の仕方をしている。


 主婦やフリーターの姿が多いこの職場では、学生は珍しい。バイトのグループとは区切られた席に座っている社員さんがこちらに歩いてきて、声を掛けてきた。一度、イヤホンを外す。


「川端くん。ちょっといい?」


「あ、はい。何かありましたか?」


「いや、そのさ。さっき面接に来た子なんだけど……ちょっとあんまり話通じないからさ、代わりにお願いしてもいいかな?」


「えっ……そんなこと、今までありました? 基本社員さんがやっててくれたと思うんですけど」


「それがさ……本当に分かってないみたいで、なんか川端くんと同じ大学みたいだから、相手してほしいなって。最悪、追い返しちゃっていいから」


「はい、分かりました」


「女の子だし、いいでしょ。川端くんも」


 社員のそれとない一言に、イラッとくる。


 別室のドアが開くと、そこには少女が立っている。濡羽色の長髪は、トリートメントの広告に出てきそうなくらい、艶があった。しどろもどろした様子の彼女は、それだけでも所作に品があり、箱入り娘、という感じがする。


 そりゃあ、社員さんたちも手こずるわけだ。


 こちらを見た彼女は、あ、と何故か声を出して、俺を知っているかのような素振りを見せている。


「もう、言いにくいこととかも言っちゃって大丈夫だから。あくまでも、バイトの川端くんの勝手な解釈で言うってことだからね」

「はい……」


 別の社員さんが、俺の隣へ座るよう、少女に促した。

 おずおずとこちらにやってきた彼女は、着席する。彼女の代わりにパソコンの電源を点けてやって、準備をした。


 スイマセン、と小さな声で彼女は言う。


「こんばんは。同じ大学なんだって?」


「は、はい……えっと、法学部一年の丹波茉美耶(たんばまみや)です……よろしくお願いします」


「ん、俺は川端朝日。政経二年。こんなところだけど、よろしくね」


「は、はい……その、お兄さん、新歓で会いませんでした?」


「え? どうだったかな、応対した記憶はないけど……」


「い、いやその、私が十号館までの道聞いたら、あっち通った方がいいよって教えてくれて……」


「……ああ!」


 確かに、そんな新入生の相手をした気がする。そしてその後、なんだったかは覚えていないが失礼なことを考えていたのを思い出した。


「あ、あのときは本当にありがとうございました。助かりました。そ、その、周りに勧誘してくる人ばっかりで、怖くて……」


 彼女は深々と頭を下げる。


「いやいやいや、全然大したことないよ。先輩の役目だからなー。それで、本題に入るんだけど……このバイト、何するか聞いた?」


「えっと……それが、全然分からなくて。ごめんなさい。大学生になったんだし、お金のためじゃなくて、社会勉強としてバイトしなさいって親に言われて、ネットでなんとなく応募したんですけど……」


「……そっかあ」


 きっとこれは、親の想定している社会勉強をはるかに上回る内容だろう。



「あの、端的に言うと、これ、マッチングアプリのサクラのバイトだよ」


「みゃ……?」



 呆気にとられた顔をしている。

 バイトマスターの雀野曰く、このバイトはもっとも労働環境が良いが、法的に怪しいものである。


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