第二話 シガーちゅっちゅ
ギターをケースにしまい、颯爽と部室を去った宵原を見送った後、課題を終えた丹波ちゃんが部室を出て、雀野と二人になった。
「そういや貴方、いつも基本手ぶらだけど、講義とかどうしてんの」
「家か部室に荷物置いてる。いつも何も持たないで講義受けるかも」
「大学近くで一人暮らしすることのメリットだ~羨ましいね」
「おーん」
一息吐く。少し、むずむずしてきた。
「でも貴方どうせ、煙草は持ってんでしょ。さしずめ、今から喫煙所に向かおうと思ってたところかしら。連れてきなさいよ」
何故分かった。
「まあ、別にいいけど……」
「ちょっと興味あるのよ。じゃあ、一緒にいこ。もう戻らないだろうし、荷物は持ってくわ」
腰の重い俺を急かすように雀野は歩き出して、エレベーターのボタンを押した。
なんとなく、普段使っている喫煙所とは別の場所へやってきた。
灰皿スタンドの前に立ちながら、先に自分の煙草に火を点ける。煙を一度吐いた後、雀野に一本手渡し、口に咥えるよう促した。
「あ、私あれやってみたい。あのー、煙草から煙草に火移すやつ。シガーキスってやつよ」
「腐女子の二次創作みたいなことを……」
「違うよ映画で見たのよ私は」
「第一、なんで吸いたいんだ」
「いやなんか、川端はともかく瑞規ちゃんも喫煙者みたいだったからさ。なんとなくどんなもんなのか気になって」
「ん、火。吸わないと点かないからな」
「どうやって吸うのさ」
「ストロー吸うみたいに」
ジッポで火を点ける。彼女も本気で、俺とシガーキスをするつもりがあったわけではなかった。
「げ、げっほうぇっほげほ、げほ、けほ。あ、あんたらこんなの吸ってるの」
「そうだよ。阿呆だと思うだろ?」
「退廃することに誇りを抱いたら終わりだと思うんですけど」
「うるせえ。言論統制!」
初めて吸うなら咳き込むだろうなあと思いながら、無視して煙草を吸う。
「……でさ、私、貴方に言いたいことあるんだけど」
なんとなく、そんな気はしていた。彼女がわざわざここまでやってきたのは、時間を確保し、俺を詰めるためだろう。彼女が何かを言いたげにしていたのはここ最近ずっと感じていたし、逃げられないということも分かっていた。
「貴方、意外と立ち止まるタイプ? いいからまずはさっさとなんか書きなさいよ……もう」
「本当に、おっしゃるとおりだと思う」
「貴方が幹事長なんだからにー。私、個人的にサークルの幹事長ってサークルで一番働く人間がなるものだと思っているの。なのに今、堀江くんの方が頑張ってるじゃん。でも、私も彼も貴方が幹事長だなって思ってるんだからね。頼むわよ、本当に」
「……ありがとう」
「まったくー。丹波ちゃんと楽しそうにしちゃってさあ。あの子とあんたの間に何があったの? 正直気になるんだけど。あ、でもかと思ったら、瑞規ちゃんが弾くギターというか……ギターを弾く瑞規ちゃんに釘付けだし。面白いわあんた」
「やかましい。それだけはない」
「やれやれ、またこれよ。素直に認めなさいよ心が浮き足立ってるって。同性から見ても二人は可愛いもの」
慎重に煙草を吸う彼女が、ケ、とこちらをバカにするように俺を見る。
「まあ、悩んで考えているからこそ、貴方みたいに言葉が出来上がっていくのよね。どっちかっていうと私、経験主義だからさー。多分、川端ほど考えて生きてないわ」
「まあ、似ているところはあると思うが、根本からは違う人間だと思うな」
「そーそ。それを私は言いたいわけ」
彼女は煙草で俺のことを指差している。危ないからやめてほしい。
「……正直、分からないんだ」
「何が?」
「サークルを研究する、というかサークルを取材し纏めることによって、そこから何を導出しようとしているのかがさ。ただ、サークルの活動を纏めるだけだったら、それはサークル紹介じゃないか。大学生の意味ってなんだろうということを考える、という宵原と話したことがメインになるというのは分かるんだが、それぞれの記事にどう共通点を持たせるのか、とか。きちんと人が読む物になるわけだから、考えないと」
「……きちんと考えてるわけね。でも、今は立ち止まらない方が良いと思う。後からでも修正は効くからさ」
そう言った雀野は煙草を口に咥えながら、スリングバッグを漁った。
「はい。これ」
「なんだ……? これ」
「どっかの教授が書いた、学外で活動する大学生を取り上げた本。もしかしたら、役に立つかと思って。古本屋で見つけた」
「…………」
「勘違いすんじゃないわよ、ただ、いつまでも私に仕事が回ってこないとなんか嫌だし、やっぱり私も、やりたいと思ったことだから」
「雀野……」
「何、じろじろ見ないでよ」
彼女に向き直る。なんとも言いがたい、独特な雰囲気が場を包んでいて、互いがどう口火を切るか悩むような、そんな静寂がある。
居心地が悪そうにした雀野は、口に咥えた煙草を右手で取って、それを下ろした。
「わっ」
右腕の肘の辺りに、鋭い痛みが走る。
「えちょアッ! アッツ!」
跳び上がる俺の足元に、灰がぽろぽろと落ちていった。
「え、ちょ、ご、ごめん。見てなかった」
「おいお前嘘だろ! うわ、普通にヒリヒリする。これ根性焼きってやつか?」
少し、痕になっていた。数秒間押しつけたりしたわけではないので、傷にはならないと思うが、単純に皮膚をやけどした状態なので痛い。
肘を必死にさすり、傷跡を確認する。
「……く、ふふふふ、あはははははははははははは!」
「お前、笑い事じゃねえよ!」
「ひーっ! あははははは! え、ごめん。でもウケる」
「いや、まあ、別にいいけどさぁ!」
雀野に根性焼きをされたというエピソードトークができたと思えば、安い物だった。
「まさか根性焼きを雀野にされるなんて……サークルのやるべきことを放置した結果、彼女にこんなことをされました……」
「なにいってんのよ」
スタンド灰皿に煙草を押しつけ、それを捨てた雀野が笑う。
「シガーキス、って言ったでしょ。こんな可愛い女の子から肘にチューして貰ったんだから、喜びなさい」
「肘にキスってなんだよ、唇かほっぺたにしてくれ」
「あら、可愛いところを言うのね。今、セクハラを抜刀するには格好のタイミングよ」
「……だから困るからやめろって言ってるだろ」
キレ気味に返す。ピンク色の妄想を木っ端微塵に破壊することによって、俺は肉体を捨象し、身体性に依存しない美しき精神性の恋をする。
「川端はどこ想像したのかなあ」
「うるせえ。黙れ」
苛立っているようにしてみせてるのは、演技だと簡単に気づいた彼女が追撃をする。
心底面白おかしそうにしている彼女を見て、少し、ドキッとする。こういう、気の置けない人というのは魅力的だと思う。
青春要素の入った野球漫画の展開の一つとして、トミージョン手術を行った肘にキスをするという展開はギリあり得るかなと、くだらないことを考えていた。




