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幹事長 川端朝日くんの性春コンプレックス  作者: 七篠 康晴
Chapter 1.4 叫んでしまいたいだけ

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第二話 いちごミルク


 ありふれた話だった。


 田舎に左遷されてきた東京のエリート家族が、娘に失敗してほしくないという、嘘で塗り固められた理由で、少女に勉強をするよう教育虐待を続けた。不幸なことに、彼女はそれに応えられるほどの力を持っていた。周囲は、大学受験をするということだけで物珍しがり、その経済的優位と知性に嫉妬した。



 (『ねえ、朝日。きっと、大学って良いところだよ』)

 (『それは、どうして?』)




 (『だって、誰かにバカにされるようなことでも、くだらないと思われるようなことでも、私はその意味を肯定できるから』)




 彼女の近くにいたのは自分だけだったのに、彼女の本音を、見抜くことができなかった。ただ、私は頑張らなきゃいけないから、と言い残して俺から距離を置いた彼女の背を、追いかけることができなかった。


 明るい未来が待っていると病的なまでに信じていた少女は、家族に強要される受験勉強に疲弊し、未来に意味を見出せず、どこかへ消え去った。誰にもその行く先を告げず、もう、二年以上彼女の居場所が分からない。女一人で長期間外に居続けるための方法など、ごくわずかだろう。そう周囲は邪推し、ゴシップとして捉え、俺をその登場人物として扱っていた。


 だから自分は、この大学という場所の意味を探している。彼女を奪ったこの場所の意味を。




 ここからは、丹波茉美耶には語らない話。


 恋愛(セックス)はもう、絶対にしたくない。

 俺は月葉との間に、肉体関係を有していた。

 高校生のリビドーに身を預け、溶けきった。


 彼女が消えてから二週間、夢精した自分の体が、彼女を夢で犯した性が、信じられなかった。カピカピと乾いたような感触、刻まれた快楽、べっとりと体に張り付く寝汗塗れの服。あれから彼女との性愛の記憶がトラウマになって、その全てを欠落させたみたいに忘れた。そんなことがあったのに、引っ張られていく自分の肉体が信じられなくて、寝食を忘れ勉強に没頭し、彼女の言葉をただ唯一のコードとして、新天地を目指した。


 その新天地でも、自分は性に引っ張られているし、周りはそれに支配されている。だから、自分は性愛を敵と見なしているし、越えなければいけない障害だと、そう確信している。

 理性を以てして惹かれる精神性がなくば、ミューズに顔向けできない。

 だから、俺は心に惹かれたい。



 ただそれを忘れて俺が別の何かになるのなら──



「だから、忘れられるのなら俺は死ねる。忘れるということ自体が、自分という存在への死の宣告だから」



 丹波茉美耶は何故か泣いていた。咽び泣いていた。声にならない声を発しながら、泣いていた。

 一度冷静になった俺は、静かに泣いている。もう、自動販売機の輪郭ははっきりとしてきて、気が落ち着いてきた。


 地元に比べると、ずいぶんと汚い空だと思う。そんな空の下で、後輩の少女を相手に号泣し、精神の自傷に浸っている。


「先輩。私、悲しいです」


「……どうして?」


「貴方はその……月葉さんを忘れれば死ねるって言っているけれど、決して、そんなはずはないから」


 彼女はこちらを見ている。


「私、さっき言ったこと、全部本音なんです。そして、私が捉えている貴方の姿は、そんな、その人を忘れちゃっただけでなくなっちゃうものじゃありません。私の中で、貴方は変わらず生きている」


「…………」


「だから、今貴方に何をしたらいいかも分かります」


 バッグから何かを取り出した丹波茉美耶は、何かを刺すような素振りをした後、いきなり俺の口元へ何かを運ぶ。


 プラスチックの感触が、唇に触れた。パックのような何かを持っている彼女が、それを押し込むと──甘ったるい、粘り着くような何かが口内を満たしていく。


「……???」


「いちごミルク、です。甘いでしょう? 先輩が知らないくらい、あまーい味がします」


「…………」


「先輩、誰かに甘えることとか、苦手でしょう? 正直、煙草吸ってる人嫌いなんですけど、先輩が一人で耐えるために、依存してるのかと思ったら、可愛く見えてきました」


 彼女はまだ、いちごミルクを流し込んでいく。大泣きする二人の男女。少女にいちごミルクを飲まされる先輩の姿というのは、一体周囲からどう見えているのだろうか。



「甘えることって、こんなに甘やかなんです。先輩。分かりますか?」



 彼女は今なお、俺へ尊敬の眼差しを向け続けている。雀野であれば、確実に軽蔑しただろう。堀江は俺を神格化しすぎているきらいがあるから、きっと分からなかっただろうし、宵原の前では俺がかっこつけなせいで、こうはなれない。


 情けない涙を流してなお、年上の権威性によって尊敬を捨てない。


 丹波茉美耶という少女だけに、俺は甘えることができると彼女は言っている。


「だから、先輩。こうやって、いちごミルクしてもいいですけど……」


 彼女は自販機の方をちらっと見た後、満面の笑みを浮かべる。



「また私も泣かせてください。実は今、本当に寂しいんです。隙見て貴方の近くに行って、ヘラってやろうと思ってたんですけど……堀江さんとかが邪魔で。先輩。また、私に砂糖とミルクを沢山入れた、コーヒーを飲ませて?」



 彼女はそう言って、ほのかに笑った。




 それからというもの、独特な距離感を保ちながら、会話を続けた。

 先ほどのことは決して忘れないけれど、絶対に触れないという暗黙の了解を作り上げながら、俺たちは二人、並んで立っている。


「しかし、先輩。私、まだ大学に入ったばかりなので、正直、先輩の悩みとかには共感しにくいところがあります」


「……そりゃあ、そうか」


「お家帰ってゆっくり考えた後、それでも結論が出なかったら、サークルの人たちに相談したらどうですか」


「……そうだなあ。まあ、全員がやんわり感じていることだとは思うんだ。俺たちが、このモラトリアムを使って、何をするかって」


 涙で腫れた目に気恥ずかしさを覚えながら、丹波の方を見る。


「今日は、ありがとう」


「いえいえ。また何かあったら、声かけてくださいね。じゃ、私もお家に帰ります」


 屈託のない笑みを浮かべて、彼女は手を振りながら、場を走り去った。




 随分と後輩に助けられてしまったな、と考えながら、大学近くのアパートへ帰宅する。駅前の繁華街から、自分の家まで向かう道のりの間。サークルの集まりであろう、多くの大学生が集っていて、彼らはこの時間を、どう捉えているのだろうかと沈思していた。


 宅飲みをしたおかげで、少しだけ整理整頓された部屋の中、布団を敷こうとかがむような姿勢になる。その拍子に、腰が机にぶつかって、平積みにされていた本が崩れ落ちた。


「チッ……めんどくせえな」


 一冊一冊本を拾い直し、戻していく。堀江と悪ノリをしてサークル情報を掲載させた、大学情報誌を手に取った。


 一年生のときは隅々まで見たこの本も、今となってはそこまでの熱意を持って読むことはない。


 パラパラとめくっていき、目を通す。


 アカデミック、趣味、芸術、音楽、スポーツ、その他────そう大きく分類されたサークルたちには、どれほどの物語があるのだろう。


「知らないのも結構あるなあ、すげえな……」


 紹介欄が無数に並んでいる。


 いきなり、軽音サークルに入ってみれば、この感情を表せるような歪んだ音を掻き鳴らせただろうか。映画製作のサークルや出版関連のサークルに入って、創作をしてみたら、どんな物語を自分は紡ぎ、どう表現しただろう。スポーツの楽しさを改めて知るというのも、良かったのかもしれない。自分はあまりガツガツしていないが、ビジネスやマーケティングのサークルに入り、自分のプロジェクトを立ち上げたりすることも、できたのかもしれない。


 学年問わず、二入可、など加入のための条件が記されていて、自分がここで過ごす可能性の時間というのは、刻一刻となくなっていっているということを痛感した。


 一年生のとき、意味を探していた自分はこの無数の選択肢の中から、学生研究会を選び、堀江に出会った。


 サークル研究会、と記された紹介欄が、こちらをじっと見ている。今日、俺に眼差しを向けた丹波茉美耶の姿を、俺は思い出した。自分は、彼女たちの自由時間モラトリアムに対する責任がある。軽率に彼女を引き入れた自分が、憎らしかった。


 自分たちは取り返しが付くなんて、どんなに愚かな発想だったろう。時間を作るのは環境じゃなくて、自分だというのに。冷静な観察者のように振る舞うこと自体が、自分に逃げ道を用意するだけの行為だということを、痛感する。


 スマホを手に取り、ディスコードを開いた。深夜であるのにもかかわらず、オンラインになり、ゲームをしている堀江にDMを飛ばして、明日、部室に彼が来るかどうかを問う。すると、親指を立てた美少女キャラのスタンプが返ってきた。



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