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幹事長 川端朝日くんの性春コンプレックス  作者: 七篠 康晴
Chapter 1.4 叫んでしまいたいだけ

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第一話 海のない街 ミューズ



 海のない街の出身だった。


「ねえ、海とか都会って、どんな場所だと思う?」


 受験の息抜きのために、海と少しでも繋がっている場所に行きたいと言った彼女の要望を汲み取って、二人乗りをし到着した河川。その堤防に座り込みながら、月葉は笑っていた。


「さあ。なんだろう、きっと、ここよりもっと賑やかな場所なんじゃないか」


「それは、海も?」


「都会をイメージして言ったんだけど……海かあ。俺も、見たことがないなから分かんないな」


「結局、想像で物を語るなんて不可能だからね。なんか、田舎は静かだって向こうの人は思ってるらしいけれど、蛙の声で死ぬほど五月蠅いって知ったら、きっとびっくりするだろうね」


「確かに、知らなかったら分かんないか。そういうこと」


「そう。じゃあ、どうすれば知れると思う?」


 小野月葉(おのつきは)はこうやって、問いかけるのが好きだった。


 彼女の容姿はよく思い出せず、その言葉だけが、こうやって俺にこびりついている。


「そうだな、やっぱり、実際に自分で言ってみたり、経験してみないと分からないんじゃないか」


「あら、朝日くん。その解答は五十点だよ」


「……正答例は?」


「それこそ、小説や漫画を書く作家とかってのは、体験したこともない世界を強烈に描いてみせるでしょ。朝日の理論だと、それを説明できない」


 いきなり立ち上がった彼女が、こちらを見ている。


「きっと、追体験なんだよ。私たちは沢山、実際に経験をすること以上に、追体験をしなきゃいけない。それは、本読んで誰かの物語を共にすること。お隣のおじいちゃんの経験談を聞いて、考えてみること。とにかくいろんなものに触れて、考えて、誰かの世界を何度も追体験をしていく。そうすれば、頭の中で戦争だってできるし、無敵になれるし、地獄にだって行ける」


「……確かに。戦闘シーンとか書いてる人って、戦っている人の物語を、何度も追体験した人たちかもしれない」


「そ!」


 月葉が勝手に、俺の自転車へ跨がった。

 彼女が恥ずかしげに、こちらを見ている。


「ね、朝日。その、さ。今日、そっちの家にご両親、いる?」


「いや、いないけど……」


「じゃあさ、遊びにいってもいい?」


 思い出せない。




 何奴 @Naniyatsu 6/21

 久しぶりに旧友と眠らない街東京で再会し、飲むなどする

 結局馬場


 送信先:@Naniyatsu

 天ちゃん @TeN_1031

 飲みなら参加してもいい?


 送信先:@TeN_1031

 何奴 @Naniyatsu

 帰れ




「よう、久しぶり。お前ももう二年生か、早いな」


 そういって、スーツ姿が似合うようになった高橋は笑っていた。高校時代に仲の良かった彼は、同級生の中では珍しく、東京の専門学校へ通い、卒業後IT会社に勤めている。


「マジで久しぶり。しかし、地元から出る奴は少なかったなー」

「まあ、岐阜県で地元出るって言ったら、名古屋で十分だからな。東京に来たのもそっちの方が金稼げそうって理由だし。ま、とりあえず行こうぜ。大学の話、聞かせてくれよ。あんな死ぬ気で勉強してたんだからさ」


 彼と一緒に、たこ焼きチェーンが経営している居酒屋へと入る。

 たこ焼きを数種類、そしてつぼきゅうや揚げエビを頼んだ後、乾杯をして彼と酒を飲んだ。


「仕事の調子はどう?」

「悪くないよ。正直、楽しくはないけれど、金にはなるからな。やっぱり、専門に行って良かったと思う。まあ、お前みたいに頭の良い大学には入れないから」


 ごく、と彼が酒を飲む。俺たちはこういう、大学名ばかりが先行する会話が好きじゃなかったし、プレッシャーを感じていた。


 彼は通った専門学校で、確実なスキルを磨き、仕事を獲得した。しかし理系の学部にいるわけでもない俺は、ただ役に立つかも分からない学問を修め、有り余る時間を無為に過ごし、にもかかわらず称賛され続けている。


「ま、お前はまだ学生だしなー。好き勝手何しても大丈夫だろ」


 社会人であるかどうかというのは、随分と重要なことみたいだった。

 ついこの前まで専門学校に通っていた彼が、同じく成人済みの俺に対して、何かを知ったような口をきけるようになるのだから、不思議なものである。


「就活とか、俺とは全く違うだろうけど頑張れよー」

「おう、ありがとう」


 意味ばかり立つ未来を見せられている。


「どうなん、やっぱり、サークルとかの人付き合いとかってのは、激しいのか?」


 何度も消費し続けた会話だけれど、前幹事長の話を今ここでするのは、本当に嫌だった。旧友の彼に、そして自分の過去を知る人に、この話をすることの意味は全く違う。


「いいじゃんいいじゃん、聞かせてみてよ」


 今のサークルの状態は全く違うということを念頭に置いた上で、できる限り痛快に、彼に話をした。


「うっわそんなことできんのかよ! いや、お前がやんないってのは分かるけどさ。せいぜい俺なんて、風俗行くくらいだよ」


 隙間を埋めるように、性の話が差し込まれていく。


「いや……さ。こんなこと聞くのも何だけれど、あれから、彼女できたりしたか?」


「全く」


「そっかあ。まあな……せっかくの大学なら、遊べばいいと思うけれど。俺は専門で遊べなかったからなー」


「…………」


「まあ、色々お前が考えるのも分かるけれどさ、その、そろそろ前を向いてもいいんじゃないか」




「月葉ちゃんが、失踪して行方不明になっちゃったの」




 こいつとは、もう二度と会うことはないだろう。

 今この瞬間を彼にとっての取り返しの付かないことにしなければ、彼は何も分からない!


 彼女が言うから、俺は大学を目指した。


 彼女が言うから、そこには何かがあると思ってこれまでやってきた。

 彼女がいなくなったから、俺はなんとしてでも彼女が見せたかった景色を見なきゃいけないと思って、がむしゃらにやりきった。


 でも、そこには分かり易い何かが用意されていたわけではなくて。

 彼女はこんなもののためにどこかへ消えてしまったのかと、悲しみにくれている。





 駅で彼を見送ったその瞬間に、彼のSNSを全てブロックする。振り返って歩き始めると、道行く人々が、俺のことをチラリと見ていた。


 東京の街では、泣いているやつなんて別に珍しくない。夜風に当たりながら、家まで帰ろうと、歩き出した。


「……あれ、川端せんぱーい! 偶然ですね!」


 後ろから、最近聞き慣れるようになった声がした。やっぱり、駅の近くだと、どうにも知り合いに会ってしまう。


 振り返ると、濡羽色の髪の毛が、空を泳いでいた。


 青い時間を謳歌する、丹波茉美耶が立っていた。


「……せ、先輩。え、嘘。ちょ、ど、どうしたんですか?」


「……丹波ちゃん、ごめん。今、ガチ泣きしてる」


「え、ええええええええ! ちょ、え、ど、みゃ、ちょ、ちょっと先輩! な、なんか外れまで行きましょう!」


 よく分からないことを口走った丹波茉美耶が、俺の手を引く。

 彼女は繁華街の通りを抜けて、静かな路地裏に俺を連れ出した。



 彼女を慰めたあの雑居ビル前のような、雑多な雰囲気が路地を満たしている。自販機の白い光が涙に反射して、視界を歪ませていた。知らない家の、知らない車がこちらに目を向けているような気がして、身が竦む。


「……丹波、ちゃんは、駅の方で何してたの」


「あっ……仲良くなった女の子のお友達と、夜ご飯食べてて。その……先輩は?」


「俺は、そうだなあ。友達と飲みに行ってたんだけど、泣いちゃった」


「……ど、どうして泣いちゃったんですか? そ、その、先輩が泣くようなことなんて」


「……もう、俺にもわかんねんだよなあ」


 彼女へ自己開示をするような勇気は、俺にはなかった。

 思い出したくもなかったことが頭の中を駆け巡って、ぐしゃぐしゃになっていく。感情に身を任せてしまえば、壊れてしまう。だから論理を味方に付けた。


「なあ、丹波ちゃんはさあ、大学に来る意味って何だと思う……?」


「えっと……意味、ですか?」


「そう」


 その論理が今、袂を分かとうとしている。


「わ、私は……一度地元以外も見た方が良いってお父さんとお母さんに言われて、頑張って勉強してきました。高校時代、犬猫の里親ボランティアとかしてたんですよ。それで、動物倫理と法に興味があって、法学部に」


「そっか……いいな、そういうの」


 彼女たちは、未来を見ている。未来なんて見えるはずがないのに、未来を見た気になれる人たちを、心底羨んでいた。


「俺には……ねえなあ」


「先輩は、政治学科でしたよね。その、公務員とか?」


「そういうの、ないんだよ。そもそも、大学に就職しにくるっていうのも分かんないしさ。そんなもののために、あの人がこの場所に行こうとしたとは思いたくない」


「…………」


 なんのこっちゃか分からない話をしても、丹波茉美耶は耳を傾けている。


「なんだか、よほどの事があったんですね。先輩。私、今、大学の意味ってこと言われて考えてみたんですけど、もう一つありますよ」


 議論と言葉が、自分の精神を安定させる唯一のものだと、彼女は気づいていた。


「大学に入ってよかったって思ったときって、私と全く違う人に出会えたときなんです。や、もちろん、悪い意味でじゃないですよ? 私、その、新歓が苛烈すぎて、ちょっと怖くて。なんですけど、先輩であの例のバイト先であったとき、私よりずっと大人びてて、私よりずっと考えていて、まだ知り合っても間もない私を諭してくれて……そんな人に出会える場所は、もうここだけなんだろうなって思いました。部室で、いろんな話をするじゃないですか。先輩たちが議論していることとか、まだ私には全然分からないですけど、私もああなりたいって思います」


「そんなことないよ? 考えたくないことから逃げるために、考えているだけだ。将来のことを考えなければいけないのに、自分が何になるかも分からないし、どうするのかも分からない。就活だインターンだ面接だなんだ言って、今言ってくれたみたいな、無形なはずだった思い出の全てを、意味に回収しようとする」


「先輩……」


 丹波ちゃんが悲しげな眼差しを、こちらに向けた。

 彼女は自分が悪口を言われたみたいに、傷ついた顔をしている。


「なあ。君は、自分を完全に捨て去ることができると思う?」


「いいえ。私は、そうは思わないです。私はどこに行っても、私だと思います」


「俺は、絶対に変われるよ。絶対に。月葉を忘れれば、俺はもう俺じゃなくなる。ここまで来た自分を完全に捨て去れば、彼女を忘れられるなら、俺は絶対に幸せになれる……だから、俺は消えるんだ。苦しんでいるのが、俺だから」


「何、言って」


「俺は忘れ去るか、忘れ去らないか。それで俺の死を俺は握っている」


 丹波茉美耶はいきなり、俺の手を掴んだ。


「先輩。私にも分かるように、話してください。聞かせてください。貴方の物語を」




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