第五話 べーべきゅー
「いやあ、ひっさびさに最高なもの見れたわ。何あの空気。最高。よくやるねえ川端」
少し笑い泣きしたのか、涙を拭う雀野が、戻ってきた俺たち三人を出迎える。意気揚々と出撃した宵原は、戻るときは静かだった。いきなり別のグループに拉致された中指さんも、しどろもどろしている。俺はまだ息が荒れていて、喋ることができない。
「だからさあ。朝日を止めてって言ったじゃん。雀野さん」
「いやー……でも、絶対何か面白いこと起きるなって思ってさあ」
「はぁ、はぁはぁ、ふぅ──はぁ」
出迎える側はというと、まあ川端はあんな感じだよなというサークル継続組の慣れた視線、笑いすぎて俺のことを直視できない雀野、俺の保護者ぶる堀江、そしてこんな奇行に走ってもなお何故か尊敬の眼差しでこちらを見る丹波ちゃん、といった感じだった。
「うーん、ぼくはてっきり、ジョジョの真似をして煙草を五本咥えながら走ると思ったんだけど、違ったね」
「え……? せ、先輩って、喫煙者なんですか?」
「あ……いや……なんでも……」
丹波ちゃんのヤニカスに対するヘイトを隠さない姿勢に、俺と宵原がグサッとくる。宵原はこちらを軽蔑するような尊敬するような不思議な視線をこちらに向けていて、ゾクゾクした。
「ふぅ──疲れた」
やっと息が整う。
「その……助かったという気持ちと……シンプルにキモいと思う気持ちが同居してるっていうか……その、もっとかっこいい助け方なかった?」
「アレがベストだった。かっこつけたら、向こうの男から反感を買う。見るからにヤバい奴を演じるべきだ」
「あ、あの……助けていただきまして、ありがとうございます……」
「あ、いえいえ。大丈夫ですよ全然」
向こうのグループは先ほど起きた出来事についてまだ消化する能力を有していないのか、変な空気になっている。ただ、一部の女子がケラケラと騒いで、楽しそうだった。彼女たちは携帯を弄っていて、他の人にそれを見せている。
「ほら、分かります? 彼ら粋じゃないんですよ。普通、目の前でいきなり腕立て伏せされたら、それを酒の肴にするくらいじゃないですか。なのにすぐ携帯でカメラを構えて、映像に納めようとする。まったく、嫌な時代ですよ」
「あ……だから朝日は腕立て伏せにしたのかあ。顔が映りにくいしね」
「浅いツイッター漫画みたいなこと言ってる……」
雀野が刺し殺しにくるのも、もう慣れたものだった。
「あ、あの……申し遅れました、私、鹿崎りんと申します……政経二年です」
グレー系のゆるいパーカーに、ショートパンツを履いて足を出している。
改めて見ると、とてもグラマラスな人だった。胸がドンと出ていて、どうしても視線が行きそうになる。タダ酒を飲んで回っていたというが、その成功の秘訣は他者のワンチャン行けるか……? を刺激できたからなのかもしれない。そんなことを推測して考えている自分が、心底嫌いだった。
「あ、どうも……同じく政経二年の川端朝日です」
「えっと、私、宵原瑞規って言います。災難でしたね。こっちで飲み直しましょ!」
ニッと笑った宵原が、酒を差し出す。
助けに行った割には容赦がなく、ストゼロだった。
それを見た鹿崎さんは、感涙しそうなくらいの勢いで、感極まった声を出す。
「もう私……このサークル入る……」
腕立て伏せでなんか釣れた。
一名、確保。
それからというもの、一年生の前で羽目を外しすぎないようにしながら、酒を飲み、肉を喰らい、大変楽しい時間を過ごした。喧嘩した人が隣のグループで楽しそうにしているという状態に、最初は嫌悪感を示していたお隣のサークルも、最後は気にせずに楽しんだもん勝ちということに気づいたのか、盛り上がりを取り戻していた。
鹿崎りんは飲み会スキルが異様に高く、オチのついたトークを数々と展開していく。宵原や雀野とはすぐに意気投合し、大盛り上がりをしていた。寂しく冷たい都会の中で、こういう温かさを持つことができるのは、大学の良いところだと思う。
喧噪から一度離れたくなったというか、なんとなく煙草を吸いに行きたくなった俺は、場を離れようとした。しかし、そこを丹波ちゃんに捕まえられて、ヤニを吸いたいのに吸えない状態になる。彼女と二人椅子に腰掛けながら、会話をしていた。
「はー。楽しいねえ。丹波ちゃん」
「はい、先輩。お茶、飲みますか? 欲しかったらお水も買ってきますよ?」
泥酔した情けない先輩の姿は晒したくない。そろそろまた、腕立て伏せをしたくなってきた時間帯だが、なんとか耐える。一度煙草を吸って、落ち着きたい。後輩の女の子をパシリにして水を買ってきてもらうなど、言語道断である。
「あ、ありがとう。ごめんね、気遣ってもらって」
「朝日ー。水持ってきたよって……あれ」
キョトンとした堀江が、丹波ちゃんのことを見ている。
「あ、堀江先輩。お疲れ様です」
すでに調教済みの親友が、自らパシリとなり水を買ってきた。
「すまん、ありがと」
「ううん、全然?」
ケッと何故か誇らしげな堀江が、丹波ちゃんの方を見下ろしていた。カァカァとはやし立てるようなカラスの声が聞こえる。堀江と丹波ちゃんは何故か、見つめ合っていた。
陽が暮れてきている。
「そろそろ、解散の準備するか」
スペースのレンタル時間がそろそろ終わってしまうので、片付けをしなければならない。会費の回収をした後、宴もたけなわですが、と全員を集める。
「えー、皆さんお疲れ様です。じゃ、一本締めしましょー。お手を拝借」
「いよぉー」
パン、と皆が手拍手をする音が鳴る。初めてやる丹波ちゃんは、太鼓の達人だったら不可になるくらいタイミングがズレていた。本当は、一回だけするのを一丁締めと言って、一本締めはリズム良く叩くものらしいが、大学生はこんな細かいことに区別は付けない。
主語がデカいのは、自分の悪い癖だなあとか、考えていた。
一本締めを終えた後、トイレに行ってくると嘘をついて、喫煙所にやってきていた。そんな嘘は見え見えだったのか、宵原が付いてくる。
オーバーサイズのレザージャケットを着た彼女が動くたびに、黒のネクタイの剣先とスカートのプリーツが揺れた。ベルトが幾つも絡みつく厚底ブーツのスパイクが、ザリ、とコンクリートを擦った。
仕切りがあるだけの公園の喫煙所に立ち、オタクZIPPOで火を点ける。無言で口に咥えた煙草を差し出してきた宵原に、火を貸した。ダークレッドの唇をすぼめた表情に、心臓が跳ねる。
ああ、煙草の先と煙草の先を付けて、シガーキス。ちゅーしてみたい。
俺キモッ。こんな自分ツッコミも、キモッ。宵原の横顔を眺めながら、キモいの永久機関。
アークロイヤルを一服した宵原が、こちらを見ている。
「いやー、久しぶりに楽しかった。ありがとう」
「いいのいいの。宵原が来てくれて、こっちも楽しかったわ。ギター、余興で弾いてほしかったけど」
「へへへ。確かに。そしたら、私が伴奏で朝日くんに歌ってもらったんだけどなあ」
「一人では行かせないという強い意志を感じる」
「それだったら良いよ。まあ、今度ね」
煙草を吸っているもの同士の、独特な間が心地良い。
一本、煙草を吸い終えて、お互いににやっと笑う。ずっとサボっているわけにもいかないので、皆の元に戻り、片付けを手伝った。




