1−6 夜の街(1)
寮母室で燭台につけてもらったロウソクを寮の自分の部屋の燭台置き場に置き、ロウソクを消す。私にとって暗闇はもう暗黒の世界ではない。室内程度なら白んで見える。窓を開けて窓枠にぶら下がり、外に降りる。静かに林の中へ入り、上が開けた場所に立つ。胸の前で両手を軽く握り軽く目を閉じ、手の中に蝙蝠を思い浮かべ、握った手の中で体に溶け込んでいくイメージを思い浮かべる。
体の周りがそよ風で包まれた様に感じて、目を開けるとこの前の恰好になっていた。背中に翼が伸びているのを感じる。
二・三歩駆け出しながら背中に伸ばした翼を大きく羽ばたくと、両足が地面から離れていく。翼には、流れる空気の速度がないと下降してしまうのはこの間に分かったから、斜め上に上がっていく様に羽ばたき続ける。ある程度速度と高度が上がったところで羽ばたきよりも翼に流れる空気を上手く操る様に意識して飛ぶ。そうしてこの間に見かけた大岩の上でタイミングを合わせて、姿勢と翼を立て気味にして失速を起こし着地する。着地の方法から感じるのは、空中で飛行中にやってはいけないのは迂闊に体と翼を立てて失速する事だ。翼に流れる空気の速度が飛行の鍵だから、上下左右の急旋回がご法度と言う訳だ。空中で争う猛禽達をしっかり観察すればもっと飛び回るテクニックを得られるかもしれないが、普段の私達は高い壁で切り取られた空しか見えないから、そんな機会は無いだろう。
さあ、どうしよう。一度あの繁華街の明かりの近くまで行ってみるか。日中ならともかく暗くなってからは繁華街以外の明かりはまばらだ。金の無い者は家に帰り、金のある者だけが出歩いている時間だ。ちょっと遠いから急降下で速度を上げた方が良いかな。速い速度で飛ぶ鳥と言えばつばくろだ。彼等は猛禽が空中に浮かぶ時の様に羽根を横に広げずに斜め後ろに構えて速い速度で飛んでいく。だから大岩の端で翼を広げて斜め下に滑空し、姿勢が安定したら翼を斜め後ろに移動してみる。ちょっと姿勢がぐらついてしまったが、最終的には斜め下に滑空して行く。
ちょっと、ちょっと速過ぎる!顔のマスクの目の周りに当たる風が冷たい。目は細めれば良いが、口の周りはマスクが無い。我慢出来ずに翼を真横に広げて水平飛行に入る。まだ速度が速いが、何とか我慢出来る風の当たりになった。
高台寄りの家々は住宅と何かの工房だ。港寄りの商業地域に働く人々の中でも貧しい人達の家や都市に住む人々の道具を作る工房は港湾都市の外側に作られていったんだ。当然都市の重要地帯はお金持ちしか住めないし、裕福な商家しかお店を構えられない。商売に有利になる様な場所は次々と大枚をはたいて買われていった。そんな土地高騰とは無縁の明かりもまばらな町の上を飛んでいく。
すると、二匹の蝙蝠が飛んでくる。いや、間に合ってますから噛まないでよ。一匹の蝙蝠が先導する様に建物の間に広がる林へ飛んでいく。仕方ないのでついて行く。噛まれてまた何か妙な物を押し付けられては堪らない。蝙蝠がくるくる回って滞空し続けられる程度の空間に連れていかれる。ここに降りるのはまだあまり飛ぶのが上手くない私には辛いけど…何とか枝にぶつからないで降りた。私の顔の少し上で止まる様に浮かんでいる蝙蝠の瞳が煌めいた気がした。すると、この蝙蝠の見ている私が頭に浮かんでくる。黒いマスクをした黒い髪をした小柄な女の背中から黒い大きな蝙蝠の様な翼が広がっているのが見える。何というか、正に悪魔の手先の小悪魔という感じだ。これを見せてどうしろと言うのか。こんな姿は教会どころか一般人にも見せられない、そう自覚させたいのか。それなら白鳩の羽根をくれれば良かったのに。
そうすると1匹を私の下に残して、その1匹が飛んでいく。もちろん、頭の中にその蝙蝠の見ている画像が映っている。上空から見る暗い住宅街から、繁華街の外れが見えてくる。服の上からでもがっしりした体形と分かる男達が店の外のテーブルで飲食をしている。中心部に入っていくと店外のテーブルなど無い、高級店らしき飲食店の窓から明かりが漏れている。中心部を通り過ぎると、所謂飾り窓の店があり、2階の窓から男達に愛想笑いを振りまいている。
そう、農家なら寝静まる時間に都市の繁華街は人が沢山行き交っていた。それが羨ましい訳じゃないが、その差に絶望した。生きる世界が違うんだ。もちろん、もっと違う世界もこの国にはある。王侯貴族の世界だ。それはもう平民には知る事も無い世界だし、知らせない様にしているのだろう。何も分からないから恐れひれ伏す事しか出来ないんだ。同じ事が私達の工場にも言える。農家から来た者は都市を知らない。逃亡してもそこでどうしたら生きていけるか分からないから逃げようとは思わない。
…すると逃亡する者は都市を知る者という事になる。
そんな事を思っている内に、蝙蝠は繁華街の外れの公園に入っていく。公園の入口から少し入ったところに女達が並んでいる。数人の男が品定めをしながら歩いて行く。男が気に入った女に顔を近づけて価格交渉をする。つまり、公園の入り口は立ちんぼの客引きの場なのだ。そして二人で公園の中に入っていくが…ガラの悪そうな男が付いて行く。
「おい、兄さん、そいつはショバ代も払わない女だ、病気持ちかもしれないから、安全な女を紹介するよ、こっちに来な」
何とか明日に続きます。日曜はクロちゃん達の明るめドラマを投稿します。