3−14 後始末
12月25日の14時頃、王領の騎士団とスペンサー侯爵の軽騎兵は港湾都市に辿り着いた。王領騎士団のコリン・ポーレット司令官は港湾警察のジョニー・ウォレス隊長に協力を仰いで、代官の館と聖堂を包囲した。聖堂には王都の大聖堂の代理人からの書簡が渡され、聖堂上層部は聖堂内に謹慎となった。
代官と繊維製品の三工場の工場長は逮捕された。人身売買の疑いだけなら、関係者がこんなに早く逮捕される予定ではなかったが、聖女殉教に対する大聖堂の指示により最短時間での逮捕となった。次いで王都からの早馬で王都から捜査員が派遣される事が伝えられ、代官の館、聖堂、繊維工場は基本的に閉鎖された。
工場労働者は年明けまで寮に待機する事になった。
ちなみに12月25日の早朝に代官の館を発ったポートランド伯爵の連絡兵は、隘路を警戒する王領騎士団に発見され捕らえられた。よってポートランド伯爵領への王領騎士団とスペンサー侯爵の兵の出兵は阻止される事なく、伯爵の迅速な逮捕に繋がった。
捜査はもちろん、聞き取りに対して関係者は消極的な回答を続けたが、謎の女が調査官に渡した人身売買帳簿と聖女アグネスの証言から、聖堂以外の関係者は厳罰に処される事になった。港湾都市の聖堂関係者の処分は、大聖堂から教皇へお伺いを立てているが、教会には処刑制度がないから辺境の修道院送りになるだろうという噂だった。
キアラは待機期間中、ケイの部屋で過ごす事が多かった。寮母はスペンサー侯爵が派遣した人物に代わっていたが、その寮母に頼んで針仕事の練習だけでも出来る様にしてもらった。キアラとしてはケイにも2年の学生労働期間が終わっても工場で働いてもらいたかったから、二人で腕を磨いていこうと思っていた。最初は怪訝な顔をしていたケイも、しつこく練習を勧めるキアラに折れた。
そうこうしている内に年が明け、1月3日にキアラは学校に呼ばれた。人身売買帳簿を騎士団の調査官に渡した女の指摘があったので、修道院は捜査の対象となっており、まだ修道院から工場への教師役の派遣は再開していなかった。だからキアラは個人的に呼ばれた。
学校では宗教関係の下働きらしき男に呼ばれ、面談室に連れていかれた。待っていたのは聖女アグネスだった。キアラが見るところ相変わらずの後光の差す美少女だったが、表情に多少の疲れと寂寥感が浮かんでいた。体の前で指を組んで最初の言葉を選びかねているらしき彼女に、キアラから話しかける事にした。公式には二人は学校で少し話しただけの他人だ。こちらからかけられる言葉など知れている。
「大変だったね。何も出来なくてごめんなさい」
その言葉を聞いた聖女は、少し目を見開いた後、前に進んでキアラに抱きついた。そうして嗚咽を漏らす彼女に、キアラは思った。
(私、この娘嫌いだ。後光が差す程の美少女で、他人の為に命を懸けられる聖女の心を持ち、そしてこんなに情熱的だ。男なら誰でもこの娘を好きになる)
等と思っていたが、気になるのはやはりこの娘の態度だ。
(これ、バレてるよね…顔も隠したし声音も変えたのに、何で分かったんだろう)
しばらく嗚咽を漏らしていた彼女は、やがて一歩距離を取った。呼吸を整えた彼女は、こう言った。
「明日、王都に発ちます。この街では本当にお世話になり、ありがとうございました」
感謝しないといけないのは私達工場労働者だよ。私達の為に命をかけてくれたのは10年前の修道院長フィオナ、このアグネス、そして、イライザだけなんだ。
「こちらこそ、ありがとうございました。お体には気を付けて」
聖女は泣き笑いの顔で、ぺこんと頭を下げた。そうして私達は別れた。
学校から階段を上って工場へ向かう。聖女アグネスと私に大した接点は無い。それでも彼女が港湾都市を去る、そう思うだけで胸が締め付けられた。流石に聖女の魅力は恐ろしい。
それでも、彼女の人生の中でこの港湾都市は通過点に過ぎない。彼女の人生はこの国の王都の大聖堂に向かい、その先は外国の総本山まで向かって教皇と話をする事になるかもしれない。そんな常人では体験出来ない様な未来を持つ筈の彼女が、こんな田舎町で人生を終わらせる事が無くて良かった。私達の様な、いつかこの階段を下りて街に出て、そこで人生を終える様な底辺の人間とは違うんだ。
…そんな底辺の私に夜の力を与え、そして太陽の下でその力を示させた存在の意思はどこにあったのだろう…そんな超常の力で正義の力を示せと言うのか。私には無理だ。
悪を倒し正義を示す為とは言え、私が行動した事で紡績工場の女が死んだ。彼女達を助ける為に修道女イライザが死んだ。自分がした事で人が次々と死ぬ…それだけで足が竦んでしまったんだ。死屍累々の先に正義の道を示す…それに耐えられるほど私は強くない。蝙蝠さん達も、その上司も、もっと強い人を選んでくれ。
やがて王都から来た権力者がこの地の悪事のいくつかを正すだろうが、王家の政策として貿易均衡がある以上、繊維工場は薄給のままだろう。人身売買が無くなっても、安く街娼を働かせるシステムは無くならないかもしれない。船員達に金を落とさせる、それも貿易均衡策の一つなんだから。
王家は貿易均衡という損得勘定しか考えない。この地の権力者は自分なりに利益を確保する事しか考えない。その策で泣く者の気持ちなどどうでも良いんだ。自分達の利益が最優先なんだから。
そして、都市住民にとっては隔離された工場労働者は異質な者で、やがて娼婦という薄汚れた仕事に就く疎外すべき者達だ。私達は誰にも同情される事も無く死んでいくしかない。工場に入れられた段階で逃れられない蟻地獄なんだ。
この世の地獄がここにある訳だが、他人事だからそれを救おうとは誰も思わない。良心とか宗教が救いになる筈だが、人は良心より金を重視する。坊主も寄進する者にしか祈らない。もう労働者自体が神に祈るしかない訳だが…神と来たら私によりにもよって蝙蝠の翼を押し付けやがる。せめて白鳩の羽根にしてくれればやりようもあったのに…
だからキアラとしては、ケイと二人で一日でも長生きする様に努力するしかない。
キアラはこの世の闇の中でささやかな人生の意味を探していたが、本件で王室がこの時決めていた事は、ポートランド伯爵と港湾都市の代官の極刑ぐらいだった。王室がこの悪事に係わっていない事を示すには極刑しかなかった。工場の今後の経営については、キアラの想像した通りに変革を考えられてはいなかった。担当者を変える以上、以前のやり方を踏襲するのが一番無難なやり方だったのだ。後は王都から多数の調査官達が差し向けられ、処罰の範囲を決める情報集めが始まろうとしていただけだった。キアラが想像していた通り、工場労働者を救う、その発想を持つ者は聖女アグネス以外にはいなかった。
娯楽性の少ない本作に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。本作ば今年のクリスマス小説です。昨年のクリスマス短編とテーマは同一です。そうは見えないかもしれませんが。
既存の排他的な宗教では人々を本当には救えないと、博愛の宗教を始めたメシアの誕生を心の底から祝福します。
…で終わったらあんまりだとは思いますので、続編でキアラだけは救おうというつもりはあります。2月を目処に続編を書く予定です。それまでは第三王子調査隊を2日に一度程度更新予定です。明日はお休み致します。お部屋の掃除が出来ていなくて…




