3−12 蒼天(2)
聖堂が9時の鐘を鳴らし始める。鐘の音が鳴り終わるのを待ち、聖堂前では殉教の儀式が始まった。
「これより、本年の冬至祭に代わり、聖女アグネス様殉教の儀式を始める」
司祭の中で比較的声の大きい、ヒュームという司祭が声を上げた。実際にはその声は聖堂前広場に集まった数万の人々のざわめきにかき消されていた。
「聖女アグネス様はこの港湾都市の工場労働に就く女性労働者にいたく同情され、その苦難を背負って、神に祈願されたいと仰られた。その言葉に従い、ここに殉教の儀式を行う」
そうして既に聖女アグネスを縛り付けた棒を四人の司祭達が聖堂の中から運び出し、既に作られていた台上の棒に縛り付けた。聖堂前広場の聖女が見える様な前の方にいた観客はきつく縛られている様に見える聖女の痛々しさに悲鳴をあげたが、殆どの観客はそんなものは見えなかったから普通に歓声を上げた。
そして、聖堂の長であるリンジー司教が説法を始めた。
「人は皆、神の前では等しく隠し事も出来ずその罪が詳らかにされる。罪を自覚する者は神に祈る時にこれを懺悔し、自覚なき者も気付かぬ罪を教え給えと謙虚に望みなさい。今年は冬至祭の代わりに人々の罪を背負って聖女アグネスが贖罪の火に焼かれる。自覚ある者も無き者も等しく我らの罪を背負う聖女に感謝し、
殉教の儀式の間は悔い改めて祈りを捧げるべし」
司教の言葉が終わる寸前、司教ら聖堂の指導部が居並ぶ上を黒い影が過ぎった。雲一つ無い空が陰る、その不思議に思わず上を見上げた人々の頭上を、黒い風が通り過ぎた。その風は聖女アグネスを縛り付けた棒を掠め、棒は途中から折れて聖堂側に倒れこんだ。聖女の隣に舞い降りた風は人の形をしており、聖女の手の近くと足の近くで二度手刀を振り下ろした。聖女は処刑台の戒めから解かれ、演台にへたり込んだ。
そうして黒い翼を背に持つ人影は、口を開いた。
「やあ、良い空の色だね。罪深き聖堂の面々が清らかな聖女を焼き殺すには丁度良い空の色かな?」
その声は決して大きくなかったが、不思議と聖堂周辺にいる人々に響き渡った。我に返ったヒューム司祭が声を上げた。
「貴様、何者だ!?」
「天から舞い降りたんだから天の使いに決まっているだろう?」
「その様な禍々しき翼を持つ者が天の使いである訳が無い!悪魔の使いが何をしに来た!?」
その時、黒い翼を持つ者の両側に蝙蝠が飛んできた。
「こんな蝙蝠すら神の創造物の一つだよ。何をもって神の創造物を貶めるのか、理由を教えて欲しいね」
「経典に忌むべき生き物と書いてある!」
「誰がそれを神から聞いたんだい?」
答えられる者はいなかった。要するにそれは旧教以前の偏見以外の何物でもないからだ。
「悪魔の言葉を話すな!神の怒りを知れ!」
聖堂の中から修道士らしき男が出て来た。男は帯電した右腕を払って、黒い翼を持つ者に雷撃、つまり「神鳴り」を打ち出した。
それは黒い翼を持つ者に届かなかった。蝙蝠がそれを地面に反らしてしまったから。
「神鳴りねぇ…そんな物は蝙蝠にも使えるし、私にも使えるよ」
黒い翼を持つ者は、先ほどの修道士の数倍ある帯電の輝きを右腕に宿し、振り下ろした。
「ぎゃっ」
雷撃使いの修道士どころかその周囲にいた教会関係者にも着電し、数人が泡を吹いて卒倒した。
「さあ、神は我が右手にも宿られし。我と君とどちらが悪魔の使いか、誰か教えてくれないか?」
「経典を学びし我々が神の代弁者でなければ誰が神を代弁できるというのか!?」
「あははは、経典通り喋っていればどんな悪事も神は許すと言うのか!?」
これ以上悪魔の言葉を喋らせるのは不味いと階上の弓隊の隊長は思ったらしい。
東側から八射の弓矢が演台に飛んできたが、来る事が分かっていたのだから意味は無い。右腕を振り下ろした黒い翼を持つ者は、暴風を起こして弓矢を吹き飛ばした。
続いて右腕を帯電させながら振り、弓が飛んできた方向へ雷撃が飛んだ。複数の悲鳴が上がり、矢はもうそこから飛んで来なかった。逆側の西側から八射の弓矢が飛んできたが、これも翼持つ者の左腕の一振りで吹き飛んで行った。続いて帯電した左腕から雷撃が飛んだ。そうして弓隊は沈黙した。
そうして、翼持つ者の声が朗々と聖堂前広場に響き渡った。
「代官の弓隊は演台の聖女も気にせず弓を放った!元々、聖堂の糞坊主どもは神の使わせた聖女を何のためらいもなく殺そうとしている!つまり、聖堂の坊主どもも代官達も、ぐるになって神と敵対している事が今明らかになった!」
観衆も確かに今、見境なく射られた弓を見ていた。少なくとも代官は聖女の生命を気にせず攻撃した事は明らかだった。
「元々噂にはなっていたが、代官達は工場の女達を売り払い、金品を得ていた!
今回、騎士団の調査が来ると代官の館から紡績工場に移した人身売買台帳が盗まれ、騎士団の調査官に渡った!これが分かると代官達は紡績工場の女達を拷問して盗んだ者を捕まえようとしたが、拷問している女達を聖女と修道女が総領事館に逃した!そうして代官からの寄進で今まで悪事に目を瞑っていた聖堂もそれを明らかにされるのを阻む為に修道女を殺し、聖女をこうして口封じの為に殉教と称して焼き殺そうとしているんだ!聖女を遣わした神の意思は無視され、背徳の街に毒された悪人達が自分の都合で神から人々への贈り物を害しようとしているんだ!」
観衆は言葉の意味を咀嚼出来ずに沈黙していた。
「悪魔の言葉に耳を貸すな!神の代弁者は教会だけだ!」
聖堂の司祭達が口々に叫んだが、そもそも聖女を焼き殺す事に何の意味があるのか観衆は疑問に思っていた。だから司祭達の言葉に説得力を感じなくなっていた。
「まあ、百歩譲ってお前らが神の代弁者であるとしよう。だが十年前に修道院長フィオナを焼き殺し、今日も聖女を焼き殺そうとしている。その間に毎年餓死・凍死していく繊維工場を解雇された女達を見殺しにし続けている聖堂はいつ、聖女や女達を殺す許可を神に貰ったんだ?」
司教、司祭達は口々に喚く以外出来る事は無かった。彼らに神の声を聞く能力などありはしないし、人々を見殺しにしろ等と言う神などありはしない。
そろそろ時間が来た。街のあちこちから聖堂の上空を目指して黒い影が飛んできていた。太陽の角度からして、観衆に届く光を隠す事は無かったが、上空に黒々と集まる影に観衆は不安を覚えた。
「言葉で理解しないなら、神のご意思を明らかにしようではないか!我が悪魔の使いで聖堂が神の代弁者だと言うのなら、その悪魔の使いの一撃など神が防いで下さるだろう。我が神の使いなら、悪魔の代行者に落ちぶれた聖堂を叩くだろう。さあ、聖堂の住人たちよ、神に祈れ!神がお前達を守ってくれると思うのならな」
黒い翼を持つ者は翼を広げ、聖堂の尖塔の上、神と人の契約を示す、円と楕円を繋ぐ棒の飾りより高く舞い上がった。聖堂の上空に集まる数百匹の黒い影、蝙蝠達は皆、帯電していた。黒々と上空に佇む集団は正に聖堂を覆わんとする暗雲で、帯電する様は正に雷雲そのものだった。その集団の外側に小さな稲光が何度も飛び続けた。
そんな上空から翼持つ者の叫ぶ言葉は、聖堂から聖堂前広場まで広がる人々の耳に届いた。
「落ちよ神鳴り!主の敵を打て!」
翼持つ者の振り下ろした右腕に従い、蝙蝠の群れの発する発雷は一つに纏まり、紛う事無き天の技である雷撃となり地上に落ちた。
ここで明日は第三王子調査隊です。続きは木曜に。




