3−11 蒼天(1)
12月25日の未明、港湾都市の聖堂は相変わらず修道騎士と代官の兵、そしてマフィアの手の者が厳重な監視を行っていたが、マフィアとしては空振りとなった二日間で皆疲れていた。今日は皆、家へ帰って寝ていようと決心した。そういう訳で聖堂の警護はそれまでと比べて三分の二になった。
そんな時間に代官の館からポートランド伯爵の伝令兵が出発した。緊急事態が伯爵に伝わっていない事が分かった為、急いで出発する事にしたんだ。一方、王領とスペンサー侯爵の間の騎兵集結地点ではかがり火の元に多くの兵が集まりつつあった。王領の騎士団司令官のコリン・ポーレットとスペンサー侯爵の間で取り決めをし、全軽騎兵は速度優先で南下し、脱落部隊毎に休憩時間に集結して所属に関係なく再編成する事、脱落部隊の一部を隘路に警戒の為に残す事とした。一方で歩兵主体の部隊はポートランド伯爵の領主の館の包囲に出発した。ポートランド伯爵の大聖堂と王家の軽視は既に明らかと考えられたので、聖女殺しの共犯として逮捕監禁は必須と考えたのだ。
そして、聖堂に囚われている聖女アグネスについては、その世話は修道女達が行っているとはいえ、前日の昼からは『身を清める』と称して食事を止められていたし、夜には喉を焼く薬を飲まされ、言葉を失っていた。それでも修道女達に依れば、
「聖女様は朝晩の主への祈りを忘れずに、毅然とされていた」
と後日伝えられた。
繊維工場の朝は概ね日の出頃に始まる。もっとも朝食を用意する寮の食堂の準備は当然日が昇る前に始まるから、各所の兵達と同じ時間には動き出していた。そして、キアラが食事にありついたのは空が白み始める頃だった。これが最後の食事になるかもしれない。何故なら代官の兵達は私を弓で狩った経験があるから、当然弓隊が待ち受けている筈だ。その対応が間に合わなければ聖女共々処刑される事になる。まあ、上司に出し惜しみを要求されている訳では無い。能力を全部曝け出しても目的が叶えばよい。そして食事を終えればもう今日、工場での時間の制約は無い。部屋に戻って出かけるだけだ。
部屋の窓を開けると、ぐるん、と蝙蝠が窓枠を軸に半回転して現れた。上下逆の姿で。そうして私を見つめる。もう視界の転送を始めて、確実に行動しろ、と言うのだ。分かっている。かかっているのはもう唯一、この世界で私達工場労働者を気遣ってくれる聖女の命だ。必ず助けないといけない。
窓枠に足をかけて外を見ると、寮の建物から近い位置に生えている木々に蝙蝠達が何匹もぶら下がっていた。連中が揃って口を開く。寮の誰も窓を開けていないから、安心して出ろ、そう言っている様だ。全く頼りになるよ蝙蝠先輩方は。
もう戻れないかも知れない。だから窓は閉じて、内側の閂をかけておく。風魔法で閂を動かせればなんということもないのだが、私が風魔法を使える事は誰も知らない。もし戻らなければ工場の上層部で適当に処理するだろう。逃げた、という確証がないのだから。
寮の近くの林の中で黒蝙蝠が右手の中に入り込むイメージを浮かべる。蝙蝠の翼が生えてくる。そして灰色蝙蝠が右手の中に入り込むイメージを浮かべる。黒いマスクが顔の上半分を覆い、服装が黒のミニスカートになる。ははは、この悪魔の使いの様な姿で聖堂の司教達に立ち向かえ、と言うのだ。まともじゃないよ、私と蝙蝠達の上司は。
戸惑う暇などない。もう聖女殉教の儀式の開始まで二時間を切っている。蝙蝠達は先行して二匹が大岩の方に飛んで行く。私の周囲にも二匹が二組飛んでいる。先行する二匹は大岩から南下し、この間まで立ちんぼ達が客を取っていた公園に向かう。…今、南の国への直行便の船は止まっている。沿岸航路はまだ細々と運航している様だ。そういう訳でもう廃屋の女達は収入をほぼ絶たれている。
…こちらも何とかしてあげたいが、とりあえず教会の悪事を暴く為には聖女が中央から来た人間に証言をする必要がある。今は聖女救出が急務だ。
公園の木々には多数の蝙蝠達がぶら下がっている。私達はとりあえず公園に着地し、時間まで身を隠す事にした。そうした私達の後を追う様に、高台側から低空飛行をして蝙蝠達が飛んでくる。公園が大分賑やかになった為、繁華街の建物の軒下にもぶら下がり始めた。
繁華街の公園側は大分怪しい店達だ。夜間しか営業していないし、何ならそういう事も出来る店だった。だから早朝の今頃は店内は寝静まっていた。私に視界転送をしている蝙蝠は、繁華街を東に進んで聖堂に近づいて行く。街が目覚める前に動き出す烏達も蝙蝠に手を出さない。縄張り意識も強く、普通は蝙蝠より強い筈の烏がだ。この蝙蝠達が特殊である事に今更ながら気付く。そして、聖堂近くの二階建ての建物のベランダ近くに代官の弓兵らしき者達が潜んでいる。まだ8時にもなっていないのにご苦労な事だ。道を歩く者に気付かれない様に、まだ人の集まる前に上に登ってしまったのだろう。それでも上から見下ろしてしまえば丸見えだ。…聖堂の尖塔以外からは普通は見えない高さなのだが。
裏通りのマフィア達は撤退した。代官の兵達は一部の道路の閉鎖をしている。混雑を避ける為、と言い訳をするだろうが、つまり破壊工作を行う者の進入路と退却路を限定する為だ。
一方、南の国の総領事館への通路を閉鎖する事は出来ない様だ。代官の館で拷問されていた女達を総領事館に届けた聖女が焼き殺されるのである。普通に考えれば口封じだと思われる。だから聖女が黙って焼き殺されるのを総領事館員に見せる必要があるのだろう。そもそも総領事館はこの都市で重要な建物の一つだ。そこに至る道路を完全に封鎖する事はできまい。それは数少ない、心温まる話題だった。
そして8時を前に、聖堂前広場の木の板で囲まれた殉教の舞台の前に、人が集まり始めた。聖女様が現世の人々の罪を背負って殉教されるのが有難い風景だと思う者がいるのか、ただ女が焼け死ぬイベントを楽しみたいのか、それとも私の言葉を聞いて聖女を助けようと思う者もいるのかは分からなかった。人々が増えるに従い、朝の街に現れていた烏達は人気の無い方へ去って行った。そして、聖堂の近くの家々の軒下にぶら下がる蝙蝠の数も増えていった。空はどこまでも青く、雲一つない朝だった。
朝9時を示す鐘の5分前に、短い鐘が叩かれる。それが合図だ。私は公園側から廃屋側に飛び立ち、ゆっくりと高度を上げる。小さな円を描きながら高度を上げていく。高度を上げてから一気に降下して速度を得る。それが他の蝙蝠達と違い重量級の飛行物体である私の利点だ。とは言え、聖堂の尖塔よりずっと高い地点まで上昇するのは時間がかかる…もう少し早く跳びあがればよかった、と多少の後悔はあった。まあ、良い。糞坊主どもの口上が終わってから聖堂前広場に舞い降りればいいのだ。
高度的には高台の大岩より高い地点に上がった。聖堂が9時の鐘を鳴らし始める。鐘の音が鳴り終わるのを待ち、降下を始めた。
ちょっと難航中。明日の投稿は後日差し替えしたくなるかもしれないです。




