3−3 異変(3)
聖女が指を組んで口を開く。
「お望みのままに。何を憚る事もございません」
憚ってないよ!怖がってるんだよ!
「総領事館へ連れて行く事は私共が責任を持ちます」
イライザまでやる方向で話してるよ!でも救出は私一人でやるんだよね?とりあえず侵入経路と遭遇人数を考える。重装の者はいなかった。打撃でなんとか黙らせる事は出来る。こんな風に背中を押されれば、そりゃあ助けたくなるよ。あそこにいるのは私と同じ工場労働者なんだ。明日の私なんだ。
「ちょっと慎重に進むから、時間がかかる。一人は代官の館近くに来て欲しいが、もう一人は離れて隠れていて欲しい。出来るか?」
イライザが言う。
「私が近くでお待ちします」
蝙蝠が上空から代官の館を見た視界を送ってくる。さりげなく蝙蝠達も救出する方向で行動している。でも救出に動くのは私一人。私はいつの間にか蝙蝠の下僕だけでなく、修道院の下僕にもなっているらしい。超下っ端…
牢屋代わりに使っている倉庫は通用門と思われる小さな出入口の近くにあった。通用門は内側から閂をかけて外付けの錠を付けて閉鎖している。ここの内外に歩哨はいないから、逃がすとしたらここだろう。但し、ここもかがり火に照らされ、かがり火近くに監視が立っている。こいつを行きに倒すべきか…もう少し検討したい。倉庫は東西方向に伸びており、両端に大きめの扉があった。当然、両方でかがり火が焚かれ警戒の兵がいる。先ほど蝙蝠が入ったのは倉庫の東側だ。通用門に近い。あいつら最初から私に救助させるつもりだったな。多分。
よし、経路は決まった。
「あそこの通用門から何とかして逃がす。だから女達が出てきたら速やかに総領事館に逃げ込んでくれ」
「お任せ下さい」
とは言え、流石に修道女に蝙蝠の翼を見せる訳にはいかない。身軽な奴、と見せかける事にする。代官の館を囲む堀にかかる小橋を走り、壁の中で通用門の隣に伸びる木に近いところで壁を三歩で駆け上がる。つまり三段の空気の台を作り、その間を空気の後押しで軽やかに駆け上がったのだ。ぎりぎり体調を崩さない程度の食事しか食べていない工場労働者にこんなジャンプ力がある訳が無い。
木に隠れて壁の中に滑り降りる。空気の斜面を作って滑ったんだ。
ここまでは気付かれていない。女達を救出するまでぎりぎり気付かれたくないので、近くのかがり火の近くに立つ監視を倒すのは後にしよう。まばらに生える木々の一番低い枝より高いところを風の後押しで飛び跳ねて行く。監視のいる中で羽ばたくのは不味かろう。音で気づかれる。こうして倉庫の東側に近づく。こういう時はあれだ、陽動だ。風を動かして倉庫の東側近くの枝を揺らす。
「おい、ちょっと見てくる」
「気を付けろ」
かがり火の近くにいた二人の兵の内の一人が今揺らした枝を調べようと歩いて行った。その隙に北側から地面直上の空気を滑る様にかがり火の近くに残った兵へ近づく私。もう一人の兵を見つめていたその兵は、のこり4ftに近づいたところで気配に気付きこちらを見るが、もう遅い。奴の剣は私の方にぶら下げてある。ワンアクションでは私を攻撃出来ないんだ。相手の抜剣動作の途中で斜め後ろから脇腹を叩く。相手は前につんのめって倒れていく。風の後押しがなければこうはいかない。悪いがあんたの身内がさっき罪なき女を叩き殺しているんだ。容赦なんか出来ない。倒れかかる男の顔の下から渾身のキックで蹴り上げる。
「がはっ」
浮かび上がる男の後頭部を両手で同時に殴る。これでこいつは黙った。
もう一人の男は物音に気が付き、振り返って私が男の後頭部を殴るところを見た。ここは速度優先で風に乗り二歩でその男に対して踏み込む。
「て」
それ以上の言葉は喋らせない。横から振り回す拳でそいつの横っ面を叩き、そのままの勢いで半回転する。振りぬかれた格好になった拳で顎を揺すられた男はもちろんもう喋れず、また倒れこむ男を蹴り上げ、殴り倒す連続技で黙らせる。
後はもう隠密行動より速度優先だ。倉庫の扉を開けてさきほど見た廊下を女達が入れられた部屋まで走る。見張りの男は兵の恰好をしていない。裏家業の連中だ。風の後押しで最後の一歩をあり得ない速度で近づき、問答無用で鼻っ面を殴る。分からない程度の距離で空気の壁を拳に付けて殴ったんだ。ステップとパンチの両方で一瞬づつタイミングの早い攻撃に男は対処出来ず、壁に後頭部をぶつけて倒れ、動かなくなった。扉には閂しかかけていない。これで中から開けられなくなるのだから錠をかける必要はないんだ。閂を抜き扉を開ける。
女達は身を寄せ合いすすり泣いていた。
「逃げるぞ!急げ!」
女達は口と目を広げるだけで動かない。
「全員、もう工場には戻せないんだ。後は殺されるだけだぞ!逃げるんだ!」
まだ女達は戸惑っていたが、一人だけ頭が回る奴がいた。
「私達は本当に殺されるの?」
「簡単に一人殺したのは、生かして返す場所がないからだ。代官が裏で不味い事をやってる事を知った女をこの世の何処にも行かせられない!」
「逃げられるの?」
「経路は作ってやる。あとは手引きしてくれる奴に渡すからそいつを急かせろ!」
「分かった。あたしは逃げるよ」
その女は立ち上がって残りの仲間を見る。残りの三人も立ち上がった。
「黙って付いて来い!」
「うん…」
女達はまだ全体的に戸惑っている様だが、もう残りの時間は一瞬も無駄に出来ない。早足で扉を抜けて東側の出入口に進む。正規の通路ではなく木々の間だ。女達は掛け布団代わりにボロ布を与えられただけで裸で裸足だったが、ボロ布を被って付いてきた。警備は正門側に厚くなっている様で、裏側は先ほど見たかがり火の監視の二人くらいだった。監視から距離のあるところで女達を木陰に誘導し、小声で指示する。
「俺があいつらを倒してる間にあそこの通用門まで走れ。倒した後で錠を開けてやる」
「分かった」
そこから通常の館内の道に戻り、風の後押しで高速で監視に近づく。監視は20ftで気付き、すぐ笛を吹いた。
「侵入者だっ!」
もう一人が大声を上げた。もう本当になりふり構っていられない。笛を吹き続ける一人と抜剣する一人の内、抜剣した方に棒状に固定した空気を握って首を殴りつける。ふらついたその男の太腿に膝蹴りを加える。顔を上げられなくなった男の後頭部を力いっぱい殴りつける。倒れていく男を目にして笛を吹いていた男も抜剣する。この倒れた男の剣を奪いたいが…重さで速度が遅くなるだけだ。
残りの男に踏み込み、相手が斜めに切り下ろすのを風で自分を押して後退し、迂闊にも剣を振りぬいた男に大股で近づき、右腹に左拳を叩きつける。
「ぐはっ」
呻き声を上げる男の右側から後ろに回り込み、戻しの剣から逃げつつ後頭部を両手で殴りつける。気絶はしていないがとりあえず立ち上がれなくなったからこれで良い。
通用門まで風に乗って走り、門を開けなくしていた外付け錠を空気を固めて開錠する。閂を抜いて門を開ける。
「行け!外で女が声をかける!」
「ああ!」
女達は小橋を渡っていく。ここで一仕事が完了だが、次の仕事が待っている。
これはバトル小説じゃない筈なんだけど…
明日に続きます。




