保健室、私とキミの昼休み。
「あっ」
「あっ」
いつものように保健室で本を読んでいると、いつものように彼と目が合った。
「おはよう」
「……おはよう」
声をかけると、彼は少しだけ俯いて恥ずかしそうに挨拶を返してくれる。これもいつもどおり。
背中を丸めている様子がなんかの動物っぽくて可愛い。
時刻は12時台。
昼休みになると、私はいつも保健室に行く。
保健委員というやつだ。
ほとんどの人は嫌いだと言うけれど、私は保健室の匂いが好きだった。
小さいころに大きな病気にかかって、長い間入院していたときに病院の先生がとても良くしてくれたからなのかもしれない。
彼は鞄から教科書とノートを取りだすと、ほとんど彼専用になっている保健室の机に広げた。
空いている椅子を机の前に移動させて、私のほうを向く。
私はなにを言われるのかわかっているけど、彼の言葉を待つ。ちょっとだけ養護教諭の先生になった気分だ。
「……勉強、お願いしても、いい?」
たどたどしくて、けれど丁寧さも感じる口調で話して、彼は私の目を遠慮がちに見る。
もう少し慣れてくれても良いのにという気持ちと、これはこれで可愛くて癒される気持ちの半々を感じながら、私はいつものように笑顔をつくった。
「いいよ」
彼はいわゆる保健室登校だった。
理由は知らない。
私が彼の立場だったらあまり話したくないだろうから訊かなかった。
椅子を彼の隣に移動させて座ると、彼は私を避けるように少しだけ椅子を遠ざけた。
それがなんだか寂しくて、私はちょっとだけイジワルを言う。
「もう、近くじゃないと教えにくいでしょ」
本当はウソだ。
教えるのに不便なほど離れてはいない。
「ご、ごめん」
だというのに、彼は本当に悪いことをしたと言わんばかりの声で謝って、椅子を私のほうへ近づけた。
少しばかりの罪悪感を覚えながらも、乗り出せば肩と肩が触れ合う距離に私の胸は高鳴った。
この気持ちが友達の話で聞くような恋なのか、それとも別のなにかなのかは、よくわからない。
二人きりの保健室に、彼がシャーペンでノートに書きこむ音だけが響く。
「あ、そこ間違ってるよ」
「えっ……どこ?」
「えっとね」
ノートの箇所を指さしつつ、私はとぼけた顔で彼のほうに体を寄せた。
自然と肩と肩が触れ合う。
ドキドキして、恥ずかしくて、顔は合わせられなかった。
彼も同じ気持ちなのだろうか。
「こ、ここはこの計算式を当てはめて──」
「あっ、ホントだ……」
一通り解説し終えると、彼はノートに向かってシャーペンを走らせる。
集中していることを確認して、私は彼の表情を窺う。
保健室登校に、勉学は必須ではない。
元々は学校に慣れるためとか、一部の先生や生徒と交流することで孤立を防ぐとか、そういうのが本来の目的だからだ。
けれど彼の顔は真剣そのものだった。
「どうして、勉強頑張ってるの?」
シャーペンの動きが止まる。
「これ以上、親に迷惑、かけたくないから……」
顔と体はノートに向いたまま、彼は言葉を紡ぐ。
「ぼ、僕がマトモに学校通えないのに、すごく良くしてくれて……だから、ちゃんと勉強して、高校は良いところ受かって、その……ありがとうって、言いたい」
「……そっか」
覚束ない話し方のなかに、私は彼の本気を感じた。
比べるのはよくないし比べるものでもないと思うけど、クラスの男子よりもカッコよく見えた。
「浅見さん、にもっ!」
急に大声で名前を呼ばれて、私はビクッと肩を震わせてしまった。
というか、アレ?
「私、名前教えたことあったっけ……?」
「よ、養護教諭の先生に、聞いた。いつも勉強見てくれて、その、いつか、ちゃんとお礼がしたくて」
いつもは下を向いている彼が、私の目を真っすぐに見つめてくる。
……そういう一方的な不意打ちはよくないんじゃないかな。
「お礼なんていいよ」
「そ、そういうわけには」
昼休みに保健室だけで会う関係に、いままで名前は要らないと思っていた。
お互い名前を知らないのに交流する間柄が、不思議な特別感もあって心地よかった。
けれど、私だけが知られているのは、フェアじゃない。
「じゃあさ、キミの名前を教えて?」
「……名前?」
「うん」
それだけ?みたいな顔をしている彼に、私は微笑みかける。
彼はまた少しだけ恥ずかしそうにして、視線をそらしながら答えた。
「……吉田。吉田大志」
「ありがと」
彼の名前を聞いた。
ただ、それだけなのに、私はすっごくドキドキしていて。
「……じゃあ、これからは、大志くんって呼ぶね」
見てわかるほど顔を赤くした彼が、とても可愛くて。楽しくて。
時計の針なんて消えてしまえばいいのにと、そう思った。