PROMISE
カチ、コチ、カチ……腕時計をじっと見つめていたリッセはカウントを始めた。三十、二十九、二十八、二十七……。少女の――ひとめで少女だと判断するにはいささか難があったけれど――細い腕には不似合いな、ごつい時計を見つめながら。
ゼロ、と彼女がつぶやいたと同時に、遠くから合図の音が響いた。それは、汽笛。出発のときを告げているのだ。
きっと駅の内部では人々のざわめきやアナウンスが響いている。泣いている人や出発を喜ぶ人、別れを惜しむ声と、旅の無事を祈る声がホームを覆っているはずだ。――こんなところじゃ聞こえないが。
さわ、と風が吹いてリッセの上着を膨らませた。その瞬間、右から左へ真っ黒な影が少女のはるか頭上を抜ける。ここはレールの途切れ目だ。「羽ばたいていく」場所なのだ。空の彼方へと、星をわたる列車が。
リッセはかぶっていた帽子をいつものように振り回す。列車を追いかけてしばらく走り続けた。いってらっしゃい、と大声で見送るのだ。やがて列車はぐんぐん空へ向かって伸びていく。雲のない青空に真っ黒な筋が一つできあがった。
「安全な、良い旅でありますように」
最後にぽつんとつぶやくと、草原に倒れこんだ。仰向けになっている瞬間も、どんどん列車は見えなくなっていく。腕を伸ばせば掴めそうなぐらい、あっという間に巨大な列車は小さくなってしまう。
月に二度、列車は空から降りてきて、ここを旅立った。あれは夢をつなぐ列車だ。別の世界へ導いてくれる、大人にも子どもにも夢を与えてくれるモノ。
転がった足元から、誰かのやってくる気配がした。
「やっぱりここかぁ。リッセは星間列車が好きだねぇ。世の中には、宇宙船ってものもあるのに立場なしって感じぃ?」
語尾を延ばしてしゃべるのは、幼馴染の千鶴だ。リッセは傍らにやってきた少年を一瞥せず、草原に寝転がったまま目の端で笑った。列車の姿はもう豆粒ほどになっていたころだ。
「いつ戻ったの」
千鶴はこの一週間ほど姿が見えなかった。出かけていたらしいが、行き先をリッセは知らない。千鶴はあいまいな笑顔で空を仰いでいた。返事がないのも深く気に留めず、少女は空の青さに目をすがめる。
「あれの良さがわからないなら、チィもまだまだだね。船も好きだけど、列車だからロマンを感じるんだって。アレだから憧れるってもんでしょ」
「旅するならなんだって一緒だよぉ」
「一緒じゃない。ぜんぜん違う。あたし、星間列車に乗ってここを出るって決めてるの。次の列車を生み出して、世界をひとつに繋げるんだ。そのために資格を取るんだから」
「"戦争なんて起こらない世界への、架け橋として"?」
言うはずだった台詞を奪われて、リッセががばりと起き上がった。千鶴は面白そうにリッセを見つめてくる。髪の毛に草をくっつけた少女は、つまらなそうに唇を尖らせ、もう一度ばたりと倒れた。
「いっつも同じこと言うよねぇ、リッセは。そんなにアレが好き?」
「好き。何度も言ったよ。あたしは父さんを誇りに思っている。ただそれだけ。その夢を継ぐことがあたしの夢」
リッセの父は、列車の路線を拡大させた一人だった。次々に航路を見つけて、道を引いていった。『路線図』は徐々に、確実に広がりをみせた。そのたび、新たな発見が生まれた。人々の住める星や、異種族たちや、見たことのない鉱物や資源……。新たな道は、新たな何かを運んでくる。
列車ではなく船で帰ってこれるかわからない旅へいく父を、いつも少女は見送ってきた。その父が、一度ぽつりと零したことがある。――戦争をするために、道を切り開いたわけじゃなかったのになぁ。
子どものようなところを持った父の、悲しいつぶやきは今でもリッセの耳に残っていた。便利な世界を夢に見て、豊かになることを願っていた、はずだった。
しかし現状、異種族とは対立し、戦争を行っている地域もあった。別の銀河へ飛び火するのも時間の問題だ。新しい技術や新しい考えかた、新しい存在。そんなものを人間は受け止められずにいる。自分たちより強い存在を、当然のごとく認めない。それを求めて、父さんは宇宙を目指したのに。
そんな父も、今はいない。行方不明の状態が六年続いている。絶望的だと言われ、解雇通知が届いた四年目に葬儀を行った。でも、好きなことを追い求めて消えた父は本望だったんじゃないかと思う。形見になってしまった腕時計は、リッセの腕にずしりと重たい。
千鶴は理解不能、とでも言いた気な顔だ。
「女なのにぃ?」
「どこがいけないの」
父の遣り残した意思を継ぎたいと思うのは、何が悪いのだろう。そこに性別は関係するのだろうか。機械油にまみれて働くリッセは、伸ばしていた髪をバッサリ切ったときに甘さを捨てたはずだった。それでも望みどおりに進めない。わかっている。だから余計に苛々が募るのだ。こうして列車を見送ったって虚しいのに、やめられないのも。
「茨の道をあえて選ぶよねぇ。楽な道なんてごろごろ転がっているのにさぁ」
ちらり、とリッセは千鶴を見た。黒い髪で白い肌をした、切れ長の目の少年を。間延びした口調そのままのおっとりした彼は、ぽつりとこぼした。
「俺はココを出るよ」
リッセは息を呑んだ。どこへ、という問いかけはすぐに出た。
「学都へいく。列車に興味はないけど、そこでなら何かを見つけられるんじゃないかって」
「今まで誘いを蹴っていたのに」
学都とは、都市丸々が学校になっている地域のことだ。ときに星が丸ごと学業を志すものたちで埋められる。学生都市を略して学都と呼ばれていた。リッセの知る限り十は存在していたが、だれでも気軽に進学できる場所ではなかった。入学を許可された成績優秀者のみが、進学できるのだ。あちらこちらの星々から志願者を募るので、人気の学都は競争率が高い。
地元の学校では、成績優秀者を送り出した見返りを政府から約束されていた。街の出身者が学都へ進学するのは誉れ高いことで、入学費もろもろは負担してもらえた。その代わり学都で学び終わったなら、戻ってきて星のために尽力して欲しい、ということだ。有能な人材を欲している企業はいくらでもあった。それらの引き抜きにあわないよう、今のうちから契約を交わそうという魂胆である。星の発展に有能な人材は欠かせない。
そんな理由もあって学都ほどではないが、ここも学業は盛んだ。とくに技術屋を目指す人々が多く集まっている。機械音の途切れる日はないほどだ。しかし最新の設備も、最新の理論も触れることのない田舎町に変わりはなかった。数々のスポンサーがつく学都と比べても不毛なだけだと、わかっているけれど。
進学したい、と常々リッセは叫んでいた。学都は大企業のバックアップがあるのだ。志を同じとするものたちで溢れているのだ。能力があると証明されれば、学都への門は開かれる。あといくつ資格を取れば入学試験を受ける段階へ進められる?
暗澹とした苦い思いがリッセの胸を過ぎった。普通なら進学者は十八歳以上となるが、浪人を続けてやっと入ったものもいるし、飛び級を重ねて十歳ほどで入学を果たすものもいると言う。……千鶴もその類だった。推薦がかかるほど、千鶴は目をかけられていた。学都からも、地域からも。
自分と幼馴染は決して対等ではない。その事実は重たいしこりとなっていた。しかしコンプレックスを表に出さず、親友として今まで接していられたのは、千鶴が進学を望まない変わり者だったせいだ。リッセがいくら怒鳴っても、のらりくらりとかわされるばかりだった。千鶴には叶えたい夢や願望がないのだ、と罵ったことさえあった。
なぜ今になって?
「トリビトが捕縛されたって知ってるぅ?」
唐突な話題に、少女は眉をひそめた。星間列車については詳しい彼女も、それ以外となればてんで疎い。千鶴が意味ありげに目線を空に向けた。
「簡単に言えば、翼の生えた、人間」
「それって――天使じゃないの。そんなのがいたなんて」
「だけど彼らは、神の御使いじゃないんだよねぇ。厳密に言えば人間っぽく見えるとこもかなり違いがあるしぃ。中身も心のありかたも、ぜんぜん違うんだよねぇ」
なのに、人間は天使じゃないのか、と彼らに集る。トリビトを「人間にしよう」と研究をする。トリビトを狩り、収容し、実験を繰り返す。そこに彼らの意思は反映されない。――トリビトは原始的な種族で、言葉を持たないからだ。
台詞に不快なものを感じ、リッセは眉間にしわを寄せた。さわさわと、風は二人の周りを流れていくが、生暖かくて気持ちが悪くなる。
「なによそれ。他種族に対する規制の意味は? あたしたちは侵略者になるために宇宙へ出たわけじゃない。友好を語った舌の根も乾かないうちにそれ?」
はき捨てた台詞にさえ、千鶴は冷静に言葉を返してくれる。
「そんなもので俺たちの好奇心がおさまるなら、人間はここまでバカなことはしなかったよ。規制? ちがうねぇ。保護なんだって。実際トリビトは急激に進化を遂げているらしいよ。人に近づくために、変化させられているんだ。そう遠くない未来、彼らはここにだって現れるかもねぇ。言葉を持って、意思を持って」
少女はおぞましいことを聞いた、と顔に書いた。暗い眼差しを一転させ、少年は少し笑って肩をすくめた。
「これ以上……争いのもとをばら撒いてどうしようっていうの。いつまで王者気取りでいるつもり。あたしたちのほうが、種として危ういっていい加減気づきなさいよ。そんなに難しいことなの、友好的でいることは。他種のほうが優位性のある種族だと認めるのが、そんなに怖い!?」
人間は、とっくに王の座を引き摺り下ろされた。なのにどうして、手を取り合おうとしないのか。
これ以上、諍いの原因を作って何になる。また戦争を繰り返すのか。くすぶる炎に油を注いでどうしようと言うのだ。
(父さんの開いた道が、争いを呼んでいる)
悔しさがこみ上げるのは、父の悲しげな背中を知っているからだ。英雄として祭り上げられ、勲章をいくつも手にした父の、ふと零した本音を知っているから。――父さんは夢を求めただけだった。その事実をわかっているから、リッセは開拓者の道を選ばなかった。単身当てのない宇宙へ飛び出す勇気も、持ち合わせていない。
「じゃあ、そういう世界を止めるには、どうしたらいいと思う。俺たちに、何ができると思う?」
リッセは言葉に詰まった。どうすればいい、だなんて考えたこともなかった。
なぜなら、いつも強大な渦に巻き込まれる木の葉の一つだったからだ。あの渦を止めるだなんて、できっこない。
うろたえたリッセに、千鶴は言った。
「リッセは星間列車を造りたいんでしょう? 人以外の種族との交流を求めて」
平和を信じて、架け橋を担いたいんでしょう?
リッセは千鶴を見つめた。幼馴染は、相変わらずのほほんとした表情を浮かべていた。
「――そう。自分のできることしかできない。あたしは、自分のこの手がどんなに小さいか知っている。守れるものと、守れないものがあるって」
大きな渦を止めようと両腕を目いっぱい広げたって、なにも引っかかってはくれない。むしろ押しつぶされて、呑まれてしまうに違いない。だけど星間列車なら、違う。紛争地帯だって飛べるあの列車なら、きっと大きな意味がある。一つ一つの世界をつなげて、きっと輪を生み出せる。
だから父さんは航路を探した。世界を広げようと。
望んでいたものは、誰かの悲鳴でも、涙でもなかった。
「俺は、階段を上がるしかないって思ったんだよねぇ。ちっぽけなままでいたら、守れるものも守れなくなるんじゃないかって」
ちづる、とリッセは幼馴染を呼んだ。
笑みを引いた千鶴は、静かな目をしていた。穏やかだけど、遠くを見つめる目だった。
「ごめんね、リッセを待つつもりだったんだ」
千鶴が、リッセとともに上へ向かおうとしていたことは気づいていた。その気持ちに感謝しながら、リッセは足掻いていたのだ。だけど、どんなに努力したって千鶴には追いつけない。
千鶴は、姿を見なかったこの一週間ほどの間、学都へ断りのあいさつをしに行っていたのだと言う。断る前に街や学校、研究所を回って欲しいと言われ、案内されるままに歩いたらしい。そこで見たのは、好奇心をうずかせる技術と設備、理論。大勢の研究者たちと、学生。だが、千鶴が嫌悪したのは異種族の研究についてだった。
「俺ねぇ、トリビトを見ちゃったんだ」
研究所で、空ろに身体をいじられている翼を持つ種族を。
彼らは言葉を発さず、何も見つめず、何も聞かず、ただそこに存在していた。狭い小部屋に閉じ込められ、四六時中監視されているのだ。天井近くまである大きなはめ殺しの窓は、彼らを観察するためのもの。千鶴がそこからトリビトを見つめていると、案内人はぺらぺらとしゃべった。
あれはトリビトです。天使ではありませんが、天使のように美しい翼を持っているでしょう? ここから何億光年と離れた星に生存する珍しい種族なのです。不思議な能力を持っており、それで空を飛びましてねぇ。今、彼らを教育しているところなんですよ。まだ少々舌足らずですが、しゃべれるようになったところです。やっとここまで彼らは成長できましてね――
そう嬉々として語った案内人に、千鶴は怖気がした。案内人は、にこやかな笑みを貼り付けていた。トリビトを見る目は、実験動物や愛玩動物を見るそれだ。
「俺、なんとかしなきゃって思ったんだよねぇ。あんな目にあっているのはトリビトだけじゃないんだよ。きっと知らないだけで」
だから、と千鶴は大人の目をしてリッセを見る。
そんなことをしてはいけないという倫理観や正義感もあっただろう。しかし、それよりリッセに響いたのは『守れるものも守れなくなる』と言った彼の言葉だ。千鶴の言う守れるものとは、千鶴の守りたいものとは、いったい何?
(あたしのバカ。そんなの、知っているじゃない)
なんのために、こうして千鶴が話してくれているかなんて。
わかっていた。男女の差だけじゃない、埋められない何かもこの世には存在するのだ、と。思いだけでは、願いだけではどうしようもない壁が、立ちふさがっていることも。学都への道を望みながら、進めない者だってリッセ以外に大勢いることも。千鶴がくすぶり続けるには、もったいないほどの才能を持っていることも知っている。
それでも、女だから、という一点で損をしてきたのは事実だ。いくら髪を切ったって、少年のように振舞ったって、男にはなれないのと同じで。
「……それを言いに?」
こくん、と幼子のように彼はあごを引いた。才気あふれる親友は、恐る恐るリッセの様子をうかがってくる。
「怒る、」
「怒らないよっ」
すっくとリッセは立ち上がった。リッセ、と彼女を呼び止める声がする。少女は振り返らなかった。
「怒らないって言ったのにぃ」
ずんずん歩く彼女の背を情けない声が叩く。きっと声だけじゃなく、しゅんとした顔をしているはずだ。見なくても千鶴のことならなんだってわかる。わかるけど、止まってなんかやらない。
「怒ってないよ。怒ってない。ただ、くやしいだけ」
いつまでも傍にいてくれるものだと思っていた。
いつまでも応援してくれるものだと思っていた。
だけど、千鶴には千鶴の進む道がある。
その事実が、どうしようもなくショックだった。腹立たしい、甘ったれた根性が。千鶴だって大人になっていくのだ。いつまでも同じなはずがない。――そんなことぐらい、わかっていたはずなのに。
そして、千鶴について行くという道も、「行かないで」とすがることさえ選べないプライドの高さにも腹を立てた。ちっぽけな女にだけはなれない。千鶴が望んでいても、リッセは横に並んでいたいのだ。後ろに控えるのではなく。
(あたしには、それしかできないんだもの!)
たとえ、千鶴を失ったって。
「待ってなさい。絶対、追いついてみせるから。チィなんかに負けないんだから!」
リッセ、と呼ばれても少女は振り返ってやらなかった。取り乱しているところを見せたくなかったからだ。腕を引かれても、顔はそらしていた。くす、と仕方なさそうに笑われたって、ここだけは、ゆずれない。
――あたしは、茨の道を行く。
「出発、いつ」
「次の列車にしてって頼んだよ。船もいいけど、出発はアレじゃないとねぇ」
「……なんだって一緒って言ったくせに」
「だからぁ、俺もロマンって奴を感じてみようかなーって思ったんだよぉ」
帽子の下にかすかな笑顔を隠して、リッセは走った。これ以上千鶴と一緒にいたら涙があふれるんじゃないかと思ったからだ。
「リッセならできるから!」
いつものんびりした千鶴の大声を、はじめて聞いた。誰もが否定する少女の未来を、千鶴だけが後押ししてくれた。もう、この声は聞けなくなるのだ。リッセがそれを選んだのだから。
足を止めた彼女は、振り返らずにうなずいて丘を下りていく。
ただいまもなしに家へ駆け込んで、一目散に自室へ向かった。バタバタ音を立てたせいで母から苦情が届いたが、知るものか。呼気を乱して扉を閉めると、彼女は「ちぃ……」と漏らした。合図をしたように涙が落ちて、嗚咽を殺す。扉に額を打ち付けて、かぶっていた帽子ごと両手で顔を押さえて、細い肩を震わせた。
列車は夢と希望をつむいでいく。
出会いと別れを繰り返す、架け橋として。
カチ、コチ、と時計の針が動く。リッセはいつものように、その場所に立っていた。カウントを開始する。二十五、二十四、二十三、二十二……
雲ひとつない快晴と清々しい風の吹き抜ける朝だ。カウントゼロと同時に聞こえてくる汽笛。リッセの頭上を走り抜けていく長い列車。あれに、千鶴が乗っている――
リッセはホームへ行かなかった。代わりに昨日、思い切り背中を叩いてやった。逃げ帰ってきたら、ただじゃすまないから。と伝えながら。
それって脅しぃ? と眉尻を下げて笑った彼に、リッセだって言ってやった。
「千鶴なら上を目指せる。前へ進める。だからそこで待ってなさいよ。絶対に、あきらめないから」
千鶴は情けない笑顔を返してくれた。それを心に刻み付けて、リッセは帽子を振り回す。待ってるね。そう言った千鶴にも聞こえるように、のどを絞って「いってらっしゃい」を言うために。
「安全な、良い旅でありますように!」
いつものようにリッセは列車を見送った。いつか自分も、と夢を膨らませながら。
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橘高有紀