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69.晴れ渡る空、翔べたなら(七)


「――ギア姉は戦士でアミスは魔法士。当たり前でしょ」


 翻訳魔法と口先の達者なアミスが、プリプリ怒りながらも解説する。


「それは何となく知ってる」


 トールもうなずく。

 魔族はその能力によって、前衛型と後衛型の二タイプに大別される――これは人族にもよく知られた事実である。

 前衛型は己れの肉体を魔力で強化し、接近戦を挑んでくるもの。かつての勇者パーティーにおけるトールやシャダルムのポジションである。

 ただし魔族は武器を持つという概念が薄く、肉体の一部を武器のような形に変化させて戦うことが多い。

 メルギアスも前衛型の戦士という訳だ。


 一方、後衛型の魔族はいわゆる魔法使いであり、魔術師のフェンのように魔法を用いて後方から攻撃してくる。

 魔族の間では魔法士という呼び方をするようで、アミスもその一人という。


 不思議なことにセレストのような味方の体力回復や攻守のサポートを担う支援職、マーシェのように何でもこなす遊撃手に当たる役割の魔族はほとんどいない。

 もっとも、攻撃魔法に秀でていれば弓は要らない、とも考えられる。

 魔族は手足を斬り飛ばしてもすぐに作り直して新しく生やしてしまうので、回復役も必要がないのかもしれない。

 ちなみに人族社会に潜り込んで破壊工作を行う魔族は撹乱型と呼ばれているが、魔王軍全体から見れば少数派であった。


「じゃあ、なんでギア姉のことは分かんないのよ?!」


 再びトールは叱られた。

 

「だから悪かったって。俺もようやく分かってきたところだよ。魔族ってマジで魔力が基本で、見た目にこだわらないんだってことが」


 優れた変身能力を持つ魔族にとって、姿を変化させるのはごく当たり前の行い、らしい。

 人間が時と場所によって服を着替えたり装備を変えたりするのと同じ感覚で、魔族は身体のつくりもガラリと変化させてしまうのである。

 全くの別人のように変身することも可能だが――


「魔力の波形(パターン)は一人一人みんな違うんだから! どんな姿をしててもギア姉はギア姉。魔力を見間違えるなんてあり得ないの!」


「フェンやマイカさん……俺が知ってる魔法使いもそんなこと言ってたような」


「ふん! アンタみたいなバカばっかりじゃなくて良かったわ。で、魔力の波形(パターン)には男女差もあるのよ。ギア姉はそこまで変えてない」


 つまり前衛型の戦士であるメルギアスが、戦闘に特化した中性的な姿をとるのは当たり前。しかし、別に女であることを隠してもいなければ捨てているのでもない。

 言ってみればメルギアスは、マーシェやフロウが動きやすい男性物の衣服を好んで着ているのと同じ状態なのである。

 ちゃんと魔力の波形(パターン)を視れば女性だと分かる。


 よって有罪(ギルティ)


「……っていうコトよ! 分かった?!」


「あ、はい……よく分かりました……」


 空気を読んで正座して聞いていたトール。少々足が痺れた。


「…………」


 当事者のもう一人、メルギアスは腕組みをして無表情に金色の目を光らせている。

 怒っているのかどうかは読めない。

 トールは恐る恐る声を掛けた。


「その、メルギアス?」


「謝罪、不要だ」


 いつも通り、ぶっきらぼうな返事である。


「……戦士として、扱え。これからも」


 男か女かは考えるな、今までと態度は変えるなと言いたいらしい。


「完全に考えないのは難しいな。なるべくやってみるけど」


「フン……それより、この水たまりや草は、なんだ」


 メルギアスは不意に話題を変え、周囲を指し示した。

 景色が一変しているので、気になっていたようだ。


「ああ。田んぼと草地のことか?」


「以前、なかったはずだ」


「そりゃそうだ。今日、俺が作ったから」


「つくった…………だと?」


 メルギアスの眉が寄った。


「早く着いちゃったもんだから暇でさ。それでちょっと」


「……やはりトールはおかしい」


 メルギアスが遅れたと言っても二、三時間の話である。

 遅刻としてはかなり豪快だが、荒地を田んぼと草地にする時間としては異様に短い。


「…………」


 もう一度、無言で周囲を確認してしまうメルギアスであった。


「ニンゲンってホント、ワケ分かんないことするわね?! 何の意味があるのよ」


 アミスも驚いている。


「意味はあるぞ、こっちの水たまりみたいなのは水田って言って、俺達が食べる作物を育てるための場所だ。草地の方は馬が食べるための草を生やしてある」


「スイデン、とやら、何も生えていないが?」


「種籾……まあ種だな、まいた直後だからだよ」


「はあ? こっちに生えてる草を食べればイイじゃない。バカなの?」


 草地を指差し、アミスが真っ向から喧嘩を売ってくる。


「あのなあ。そっちの草は馬用なんだよ。おいしくないんだって」


「またソレか。違わないだろう」


「違うよ?! だいぶ違う!」


 メルギアスの無頓着さに、トールはいささか嫌な予感がした。

 そう、魔族には食文化もへったくれも無いと言おうか。

 何でもかんでも「魔力に還元して吸収する」という味もそっけもないやり方だということを思い出したのだ。


「あのさ。二人とも『農耕』って概念、知ってる?」


 念のため訊いてはみたが。


「知らん」


「何よソレ」


 答えは予想通りであった。


「人族は魔力を直接吸収ってできないんだよ。これ大前提な」


 いつもはメルギアスに魔族のことを教わっているだけで、時間が過ぎてしまうが。

 今日はトールが人族について説明する。


「アンタがド底辺でできないだけなんじゃないのぉ?」


「俺の扱い酷くないか。いや、他の人もできないぞ? 俺が知ってる魔法使いって、みんな凄く優秀だけど無理だよ」


 セレスト、フェン、ロジオン、マイカ――トールと面識がある、大陸最高峰の魔法使い達を思い浮かべる。彼等にできないなら、ほぼ全ての人族ができない、と考えてよい。


「魔力吸収の代わりに食事をするんだけど……あんまり固いものとか毒があるものとかマズいものとか食べられないし、食いたくもないからさ、色々工夫をする。魔族みたいに狩をするだけじゃなくて、こうやって地面に食べられる植物を植えて増やしたり、肉を取る動物を飼ったりするんだ。それが『農業』ってやつ」


 トールは異世界の常識に疎いが、地頭は悪くない。

 やや大雑把ながら、ちゃんと説明した。


「その結果、こういうのができる」


 空間収納から、おにぎりを出した。

 今日はメルギアスに「食べて」もらおうと、わざわざ持ってきたのである。


「ベントウというものだったか」


「そうそう、覚えてたか」


「トール、大騒ぎしていたからな」


 前回の弁当のことを、メルギアスも覚えていた。

 あの時は弁当箱ごと魔力に換えて吸収されたのだ。教訓を生かし、このたびはシンプルな塩おにぎりであった。


「今回はさ、味見でちょっと口に入れて、歯で噛んでみてほしいんだよ! あとは魔力に換えるんでもなんでも」


 魔族は消化器官さえ退化しているらしいのだが、味見は恐らくできる――これはイクスカリバーとイージィスに教わった。

 武器防具の癖に酒好きな両名に、トールは訊いてみたのだ。呑んだ酒はどこへ行ったんだ、と。


『口に含んで味わったのち、魔力に換えて吸収しておるぞ』


というのが、美しきうわばみの答えであった。

 聖なる武具の人間形態も、魔力でできた仮想体(アバター)。魔族と似ている。

 その理屈を応用するとメルギアスと、ついでにアミスにも味の感想を聞けるはず……トールはそう考えた。


「まあ、何か口に入れるのが嫌だったら無理にとは言わないけど。良ければ試してもらおうかと思って」


「……取り立てて、問題はないが。やはりトールはおかしい」


 淡々とトールをこき下ろしつつ、メルギアスはおにぎりを受け取った。

 アミスにはどうしようか迷ったが、メルギアスが首を横に振る。


「今更トールを疑ってはいない。だがアミス、小さいから駄目だ」


 若く、魔法士のアミスは戦士より虚弱である。念のため、やめておくということだろう。トールも強制はしない。

 メルギアスは無造作に、おにぎりを一口かじる。

 もきゅもきゅと噛んだ。


「…………ふむ」


「どう? 美味い?」


 そわそわしてトールは訊いた。


「……分からん」


 メルギアスはもう一口かじった。


「味はするよな?」


「色々、刺激はある……が」


 さらに大きめの一口。


「……うまい……あじ……ミカク……?」


 最後の一口が消えた。

 指先についた米粒をぺろりと舐めてから、メルギアスは言った。


「…………トール。無くなった」


「そりゃ食えば無くなるよ」


「無くなるのか……そうか。残念だ」


「もう一個あるけど」


「…………」


 無言で手を差し出されたので、トールはおにぎりを載せてやった。

 するとメルギアスはそれをポイっと宙へ投げ上げる。


「あ、ちょっと待った! まさか」


 カッと空中で光る、おにぎり。

 魔力変換だ。

 さらに、しゅぱん! という音がして、光は瞬時にメルギアスに吸収されてしまった。

 止める間もない早業である。


「メルギアス、ちょっと酷いぞ?!」


「問題ない。これで波形(パターン)は覚えた。魔力の微細な差をミカクとやらに変換すればイイだろう」


 メルギアスはいきなり複雑なことを言い出した。

 おにぎりに含まれる魔力を解析して、味覚から得られる情報――しょっぱい・少し甘い・もちもちしている、などに当てはめた、という。


「今後はオニギリの魔力を吸収すれば、ミカクの情報も同時に得られるようになる」


 これで万事解決、とばかりにメルギアスは腕組みをする。

 いつも通りの澄まし顔ながら、ややドヤ顔に見えなくもない。


「そこ逆じゃないか……?!」


 トールが抗議すると、見ていたアミスがフンッと鼻を鳴らした。


「うるさいわね! ギア姉の心の広さに感謝するトコロでしょ?! フツーやんないわよ、下等なニンゲンのマネなんて!」


「よせアミス。人族の習性、文句はない。だが我、魔力に換える方が理解しやすい」


「あー。まあ魔族の文化だもんな」


 魔族は長年、食事代わりに魔力吸収を行ってきた。

 人族のやり方を試してくれただけ、メルギアスは柔軟な方なのだろう。

 味の感想を聞けないのは残念だけど……と思っていると、メルギアスが不意に笑った。


「だが面白かった。他にもキサマが美味いと思うもの、教えるがいい」


「え、じゃあ――また持ってきても大丈夫か?!」


「魔力の記録を増やしていけば、よりミカクも理解できるようになる……かもしれない」


「なるほど?! そうかAI学習みたいなものだな?! 分かった任せろ!」


「……えーあいとは何だ」


「あ、こっちの話。とりあえず次、具入りのおにぎり辺りだな」


 折れない心の持ち主、勇者。

 まだ終わった訳じゃない、と意気込む彼を、魔族の金眼が見つめる。


「トールは面白い」


 表情こそ変えないが、メルギアスはしみじみとつぶやく。



「……くっ、生意気なのよニンゲンめ。ギア姉もギア姉だわ、言うこと聞く義理なんて無いじゃない。嬉しそうにしちゃって……」


 その後ろでアミスがぶつくさ言っていた。



✳︎✳︎✳︎



 ひとしきり騒いだのち、メルギアスとアミスは空へ舞い上がり、連れ立って帰っていった。

 トールは出来たての水田をもう一度見て回り、水漏れなどが出ていないか確認してから馬上の人となり、何事もなく戻ってきた。


「――ん? あれってフェンか」


 屋敷が近付いてきた辺りで空を舞う影を見つけ、トールは馬の速度を落とした。

 フェンが飛行魔術〈風揚〉の練習をしているようだ。

 マイカが開発した魔術だが、フェンもいつの間にか当然の顔でものにしていた。

 と言ってもマイカに教えてもらったのではなく、使っているところを見て盗んだというのが彼らしい。


「あんだけトールを引っ張り回してフラフラ飛んでりゃ嫌でも分かる」


というのが本人の言い分だが、十中八九フェンでないと不可能というやつであろう。

 マイカの方もフェンなら説明しなくても分かるはず、程度の感覚で置き土産にしていったようだ。


「結構スピード出てるなあ。フェン、すっかり使いこなしちゃってる」


 最近のフェンは暇があれば〈風揚〉の習熟と改良に取り組んでいる。やはり魔術師として血が騒ぐらしい。

 マイカがトールを連れて飛行した時は動きが緩やかだったが、フェンはそこから色々と手を加えたと見えて速い上に鋭角的な飛び方をしている。

 トールが見ていると戦闘機のようにヒュンヒュン飛び回ったり急上昇と急降下を繰り返したりするので、少々心配になるくらいだ。

 もっともフェンのことだ、恐らく別の魔術をいくつか同時に行使して、風圧や慣性などから自分の身を守っているのだろう。


「トール、帰って来たか」


 フェンもこちらを見つけて飛んできた。

 ぴたりとトールの横につき、馬の速度に合わせて飛行し始める。


「もう慣れた感じだな、飛行魔術」


「まあな。他にも〈追風〉だとか、いくつか使ってるが」


「やっぱりか。結構速度が出てると思った」


「あとは魔力の消費を抑えて距離を稼ぐ方がいいと思うぜ。イナサまでは行けるようにしておきたいんでな。で? お前はどうだったんだ」


「んー……」


 言葉を濁すと、フェンはすぐにピンと来たようだった。


「……何かやりやがったな?」


 四年の付き合いで話が早い。

 トールは無駄な抵抗を諦めて白状した。


「フェンはさ、全く初対面の人に会った時に、その人が男か女かって魔力だけで分かる?」


「男女差より個人差の方がでかいが、だいたいは分かる。少なくとも人族はな」


 フェンはあっさり答えてから、トールを軽く睨む。


「そいつを訊くってことはアレか。メルギアスとか言うあの魔族だな?」


「うん、まあね、女だったみたい。全然気付かなかったよ……もう一人、魔族の女の子が来て教えてくれてさ。それでようやく」


「魔族が増えたのかよ。そっちを早く言え」


「あ、悪い。メルギアスの妹分みたいな感じ? あんま強くはなさそうだったけど、魔法が得意だって言うから一応用心はしてる」


「ふーん……後衛型か。前衛型と組んだ場合にどうなるかだな」


 フェンは顎を撫でてから言った。


「あのな、トール。オレもメルギアスって魔族は遠目に一度見ただけだ。あの時は多頭蛇(ヒュドラ)にやられて魔力も底をついてたし、魔族の性別なんざ気にしたことがなかった。そもそも男女の違いがあるかだって分からなかったようなヤツらだ」


「ずっと対話できなかったもんな」


 魔族は長い間、謎めいた敵だった。

 外見が男性的な魔族と女性的な魔族がいることは分かっていたものの「そういう姿をしているだけで、人族のような生き物ではない」という説が有力だったくらいだ。

 トールはなんの気なしに魔族と話をし、色々な情報を持ち帰ってくるが、実はそのたびに既成概念がぶち壊しになっている。

 魔族とこっそり接触するのが黙認されているのも、貴重な情報が得られるからという理由である。


「だから、そこは仕方ねえんだが……それとは別に、あのメルギアスはちょっと不自然だと思ってる」


「……不自然?」


「見覚えがねえんだよ、あの魔族。〈狂化〉が乗っかってれば間違いなく魔将級のはずだが、オレは見たことねえし噂を聞いたこともねェ」


 フェンはトールが召喚されるよりも前から、魔王軍と戦い続けてきた魔術師の一人である。

 そのフェンがメルギアスとまみえたことがない。

 また、手強い魔族や魔物がいれば手配書が出回る。

 外見や能力の特徴から二つ名が付き〈名持ち(ネームド)〉となるのだが、その中でもメルギアスらしき魔族の情報はなかったとフェンは言うのだ。


「後衛型や撹乱型なら無名でも分かるんだが、どう見ても前衛型だ」


「だな、本人も戦士だって言ってた。でも、それこそ魔族は変身能力が凄いからな」


 トールが知っているメルギアスの姿は、主に人族に一番近い通常形態と阿修羅像のような戦闘形態、翼竜の三種類だが……他にあってもおかしくない。


「……気ィ付けろよ。次はオレも連れてけ」


「え? フェンを?」


「向こうだって魔族が二人になったんだろうが。なら、こっちもそうする」


 これまでトールとメルギアスは一対一で会っていた。

 他の面々だとどうしても殺気や警戒が出てしまう上、魔族と戦闘になった場合に足手まといになったり、人質にされたりする可能性が捨て切れなかったためだ。

 一番冷静に話ができ、荒事に強いトールに任されていた。

 恐らくメルギアスも、似たような事情で仲間を連れて来なかったものと思われる。

 だが今回アミスが乱入し――メルギアスが意図して連れてきたのではないにしても――均衡が崩れた、とフェンは判断したようだ。


「いきなり攻撃魔術をぶっ放したりしないでくれよ?」


「向こう次第だな。まあ基本は黙って聞いとくぜ」


「分かった、次の連絡があったらメルギアスに言っとくよ」


「頼んだぜ。じゃあ先に戻ってる」


「こっちは近くの田んぼ見てから帰るよ」


「ああ」


 フェンは空中で加速して離れていった。

 ぶふん、とトールの馬が鼻を鳴らす。


「こっちはゆっくり行こう。別に急いでない」


 トールは馬の首筋を撫でてやる。

 馬にも身体強化魔法をかけているとは言え、長距離を走ってきた。無理はさせられない。


 人馬はのんびり進んでいく。



 ――一方のフェンは屋敷に向かって飛行しながら、顔をしかめていた。


「また引き寄せやがったな、トールめ」


 そうと知らずに女に会っていたとか、トールらしいと言えばらしいが一体なにをやっているのか。

 お人好しすぎるトールは、女性に関して品行方正というかヘタレだ。

 先代勇者がとんでもない女好きだった余波で、トールもまた英雄色を好むはず、と最初のうちは思われていた。そこで色んな女に揉みくちゃにされかかり、濃すぎる思惑に晒されたのが不味かったのだとは思う。

 ――日本に帰る時、心残りを作りたくない、とも言っていた。

 しかし帰還を諦めて事実上農家をやっている今になっても、女の影どころか出会いさえ無い訳で。


(心残りを作りたくねえのは……()()、そうなのか?)


 仲間達はひそかに心配しているのであった。

 そこに気が合う(かもしれない)女が現れたかと思ったら魔族とは。

 欠片も安心できる要素がない。


「アイツ、どこへぶっ飛んで行く気なんだかな……」


 魔術師のつぶやきは、風に攫われて消えた。



✳︎✳︎✳︎



 高い高い塔の上に、小鳥のように騒々しいあるじが帰ってくる。


「ふっはー! 懐かしの研究室ぅー! でも部屋が綺麗になってる、トラスかな?」


 ――ごみで遺跡を建造する才能がある、とまで言われる通り、マイカは片付けが大の苦手だ。

 普通なら人を使って掃除させるところなのだが、マイカの場合は描きかけた魔術陣などが混じっていて、下手に触ると大変危険であった。

 おまけに、彼女にとっては「ちょっとした思いつき」程度の書き付けが国家級の新発見だったりするケースまである。多種多様な罠が満載されている研究室なのだ。

 そこでトラスが副団長兼、マイカの夫として時折、強制的に部屋をチェックして片付けていくのである。

 

 いつものことなのでマイカは全く気にしない。

 持って帰ってきた荷物を置く場所ができていて助かった。ドサドサと雑に荷を下ろしてから、肌身離さず持っている研究ノートを手に、椅子へ座る。


「楽しかったなー……」


 ノートの内容を書き足しながら、ふと独り言がこぼれた。

 研究塔の魔術師はみんな引き篭もりで、滅多に外出しない。

 マイカもあまり気が進まなかったが、行ってみたら楽しかった。


 親友のエレイシャに、久しぶりに会った。変わらない様子が、あれこれ言いつつ面倒を見てくれる優しさが、何より嬉しかった。


 フェニックスと魔術の色んな話をした。マイカと対等以上に議論ができる魔術師は珍しい。脳内でも普段は使っていなかった部分を揺さぶられ、実に刺激的で面白かった。フェニックスはかなり嫌そうだったが。


 トールは異世界ニホンの知識を持っている上に、非常に大らかでマイカが何かやっても全然怒らない人である。

 上に立つトールがそういう性格だから、屋敷の中はとても風通しがよく居心地がよかった。食事も美味しい。ちょっと帰りたくないかも、とマイカでさえ心がぐらつくほどだった……


 もちろん自分の居場所は、この研究塔なのだけれど。


 そこまで考えてから、顔を上げると誰かが隣に座っていた。


「あれ、トラス? いたの?」


「ええ。今しがた来たところです」


 出発前と全く変わらない、一分の隙もない姿をしたトラスがいる。

 マイカはニヘラと笑ったが、トラスは眉も動かさずに言う。


「鼻歌が聞こえていました。楽しかったですか?」


「うん、とってもー。もうちょい居ても良かったくらい」


「〈伝書〉の報告は受けています。……色々やってくれたようで」


「あははーごめん。でもアレさ、私より勇者君とフェニックスだよ」


「でしょうね。影響が甚大です。成果も非常に大きいですが。あの火力馬鹿共め」


「うっへっへ! だよねー! 描きたい術が山ほどできちゃった!」


「――ならば結構。この僕が苦労した甲斐もあるというものです。ところで、この袋は何です?」


 トラスは、マイカが机の脇に置いた布袋を見た。魔法に関係ないものが混じっているのに気づいたようだ。


「それねー、勇者君が育てたおコメとかいうやつ。お土産にもらっちゃった。あとで食べよ、作り方教わってきたから」


「……マイカが研究以外でそんな調理用の魔法を使うとは。明日は嵐が来そうだ」


「勇者君ち、ご飯が美味しかったんだー。そんでね、みんなで食べると美味しい、みたいに言うんだわ勇者君が。トラスは行かなかったでしょ、だからね」


「フェニックスが居る限り、近寄る気はありませんね……では楽しみにしておきますが、その前に荷物を片付けるべきでは?」


 家主の帰宅と同時、瞬く間に雑然となった室内を、トラスは眼鏡越しに見渡した。


「あーあとでー。もうちょっと頭の中、整理するから」


 マイカは例に漏れず喋りながら書き物をしていた。

 時間が足りないのだ。書き出しておきたい内容が多過ぎる。

 トラスが小さな溜息と共に了承したので、マイカは再びノートに目を向けた。


 ――トラスはやっぱり、隣に居ても嫌じゃないね。


 マイカはさほど魔力の相性に左右されない方だが、研究室は彼女の聖域であり、他の魔力持ちがいたら鬱陶しい。それに危ない。断固拒否である。

 トラスだけが完全なる例外で、鍵を預け、いつでも好きな時に来て、帰って、片付けだろうが家探しだろうが何でもやってくれて構わない。

 男女の愛だなんて、マイカにはたぶん分からないし必要もない。

 しかし一番信頼しているのがトラスだ、とは言える。

 これからは、そこにもう一つ――「一緒にご飯を食べる人」を付け加えても良い。

 作業に没頭する傍らで、マイカはそっと微笑んだ。



✳︎✳︎✳︎



 ――鳥籠から出した小鳥は元気いっぱいに羽ばたいて、機嫌よくさえずりながら帰ってきた。

 それで十分だ、とトラスは思う。

 一時期マイカは落ち込んでいた。

 言うまでもなく、三年かけた研究の成果が上がらず中止されたからだった。

 最終的に中止を決めたのはロジオンとトラスだが、マイカ本人も分かってはいた。


 理論上はできる。

 だが、最後まで完成させてはいけない。

 描いてはいけない魔術だと。


 それで終わったと思っていたが――マイカは一人でこっそりと研究を続けていた。

 研究室から出て来なくなり、さすがにおかしいと思ったトラスが問い詰めてようやく発覚したのである。

 マイカは諦め切れなかったのだ。

 多少無理矢理にでも気を逸らせるべきだ、とトラスは考えて彼女をとりあえず研究室から引き剥がし、遠い勇者の領地へ行かせた。

 居着いてしまう可能性もあるか、と思っていたが――この通り戻ってきた。


(これで良かったのでしょう――ん? あれは)


 その時、トラスはあるものを見てスッと切れ長の目を細くした。

 机上に積み上げられている魔術書、その間から手のひらほどの紙片が覗いている。

 トラスはマイカに気付かれないよう、ゆっくりと手を伸ばして紙片をつまみ取った。

 小さな書き付けだ。

 描きかけた魔術陣。

 幾度も線を引き、修正しようとした痕跡がある。


 まだ残っていたか……


 マイカが不在の間に部屋中を捜索し、あってはならないものは処分したはずだったが。

 整理整頓の苦手な彼女の散らかしぶりは凄まじく、トラスの予想を超えた見落としがあったと見える。

 これが最後の一枚と思いたいが。


(憎まれ役はこの僕だけでいい)


 手の中にある小さな紙を。

 研究塔で一番の天才が三年を費やし、なお完成させることができなかった〈送還〉の魔術陣を。

 トラスはそっと握り潰した。


 紙がこすれる小さな音は、マイカがペンを走らせる音に紛れる。


「――あ、そうそう。勇者君にねえ、お礼言ってきたんだ」


 忙しく手を動かしながら、マイカがつぶやく。

 先程の行動は目に入らなかったようだ、と彼は何食わぬ顔で尋ねる。


「お礼というのは?」


「んー、色々、さ。私すぐ忘れちゃうから、トラスにも言っとくね。……ごめんね、じゃなくて……ありがと。ここに居てくれて」


「…………」


 トラスはしばらく黙り込み、やがて静かに返した。


「構いません。どこへ飛んでいっても、帰ってきてくれるなら……」



 窓の外に見える空は今日も晴れている。

 魔王が倒され、青空が戻り、勇者がこの世界にとどまって、二度目の季節が巡ってくる。



米の名は…「はれわたり」(青森県)

耐低温性などの育てやすさと食味の良さを両立させる品種として育成。2023年に本格デビュー。





※おまけのお知らせ※

女性主人公が日本の知識を生かしてサバイブする短編「いいえ、悪食令嬢です」を異世界恋愛にて投稿しています。2万字弱ですので、夏休み最終のお供にいかがですか。よろしければ感想など頂けると作者が喜びます。

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