65.晴れ渡る空、翔べたなら(三)
フェンはトールのスキルの真似事を、二度とやるつもりはなかった。
理由はセレストにも言った通りだ。
大魔力を消費する割に効果が低く、敵に与えられるダメージが小さい。
魔法を無効化する敵は稀で、あの多頭蛇が例外。
使う側の負担も激しい。命を削ると言っていい。
だから次はない、はずだった。
だが、トールと酒を呑んだあの日に知ってしまった。
自分とセレストが生存する可能性は、本当にごくわずかだったらしい、と。
消えてしまった未来のどこかで、魔術師フェニックスも聖女セレストも命を落とした。
他の仲間達も、親しい者達も、みんな。
はっきりとトールは言わなかったが、たぶんそうだ。
勇者自身がどうなったのかは分からないが、およそ碌な結末ではあるまい。
今回は針の穴を通すような確率で生き残った。
いや、トールがそうした。
(これからも何があるか分からねえか……)
あの多頭蛇のようなスキル持ちの魔物など、そう簡単に出てこられては困る。
が、絶対にないとは言い切れない。
その時にまた、あんな思いをするのは……守れずに後悔するのは御免だ。
――それなら対抗手段として、もう少し使えるようにしておかなければ。
以来、暇を見つけては改良の仕方を考え続け……理論上はできる、という段階まで来た。
問題はその先だ。
ものがものだけに、実地で試す際にはトールの協力が要る。
だから田植えが終わったらそのうち、と言ってあったのを――
この馬鹿は半分しか聞いていなかったらしい。
(見せ物じゃねえんだよ! 特に! 王族だの魔術師だのを相手に!)
スキルの模倣をするなど今まで前例がない。
多頭蛇戦でこの技を見たのは、セレスト一人。
国と師団への報告書にも、詳細は書かなかった。
追及されると面倒だったのもあるが、危険な技だけに扱いを慎重にしなければいけないからだ。
未完成のあやふやな状態で、次期国王と研究塔でも一番の変人に見せると騒ぎが大きくなって……非常に不味い。
フェンにしては最大限に気を使ったものを、トールが盛大に自爆してくれたのだ。
(紙飛行機の件と言い、迂闊過ぎる)
しかしトールが口に出した時点で、何かあるのは露見してしまった訳で……まんまと模擬戦に引っ張り出されたフェンは、開き直って全力でぶつかることにした。
どんなに高度な魔術でも、トールは聖剣の一撃で吹き飛ばせる。
だが魔術師が使うのは魔術ではなく、勇者の装備も聖剣ならぬ木の棒だ。
どうなるか少し見てみたい。
ベルクートとシャダルムも近くにいるが……勇者が馬鹿力で解決するだろう、と知らぬ振りを決め込んだ。
渦を巻いていたフェンの魔力が収束し――真紅の光に変わって空を駆ける。
のちに〈紅翼〉と呼ばれるようになる技が、初めて人目に触れた瞬間であった。
「ちょっと待った――っ?! めちゃくちゃシャレにならないやつじゃないか!!」
珍しくトールがわめく声を聞いて、フェンはニヤッと笑った。
✳︎✳︎✳︎
同じ頃――
ベルクートとシャダルムが繰り出す攻撃は、一層苛烈になっていた。
重い防具を着けて動き回っているにもかかわらず、スピードが全く鈍らない。二人が怪物じみた体力と魔力を誇る上に、セレストの支援魔法が何種類も重ね掛けされているためだ。
支援魔法は、闇雲にかけても効果が薄い。魔法をきちんと調節しないと相手に負担が生じ、筋肉痛や倦怠感が出るなど逆効果になってしまう場合もある。
その辺りを完璧に制御しているのがセレストだ。
「うへー、聖女ちゃんの魔法は病みつきになっちゃいそーだねえ。慣れちゃうとアブないわーこれ」
マイカも聖女の恩恵を受けて元気いっぱいであった。彼女も頭が良い。すぐに支援魔法による能力の底上げに慣れ、魔術の爆撃を繰り広げる。
変わらずトールには当たらないが、牽制と割り切った。マイカが攻撃している間は、ベルクートとシャダルムが一息つける。
それを何回か繰り返し――しかし一向に決着が見えてこない。
「ぬぅん!」
「往生際が悪いぞ、トール! はぁっ!」
「ちょ、危なっ! 殿下が横暴だ!」
マーシェの閃光弾と騎士二人の攻撃を弾いているトールも、防戦一方に見えて実は一歩も譲らない。
ハンデをつけた結果、負けましたでは格好が悪過ぎる。
わざと花を持たせたところでベルクートは喜ばないだろう。トールもそこまで器用な真似はできない。
(掛け値なしに本気なんだけど……やっぱり木の棒が持たないかもなあ……)
少し前から打ち合うたびに、木の棒がぎしぎしと軋んでいる。
いくら強化していても元がただの木材。そう遠くないうちに折れ砕けてしまいそうだ。
(この辺でケリをつけるか……?)
目を細めたその時、後方で寒気のするような魔力が膨れ上がった。
「フェン?!」
トールが知っている魔法や魔術のどれとも、根本的に何かが違う。
そんなフェンの膨大な魔力が収束し、組み上げられ。
紅い光に変わって飛んできた。
色鮮やかで綺麗だが、一瞥しただけで「ヤバい」と分かる代物である。
「ちょっと待った――っ?! めちゃくちゃシャレにならないやつじゃないか!!」
わめきながらもトールの決断は速い。
木の棒で対抗するのは不可能。
回避はできるが、ベルクートとシャダルム……マーシェまで巻き込まれる危険がある。
トールは両足に力を込めて地面を蹴りつけ、瞬間移動に近い速度で仲間達から距離を取った。
「――――イース!」
勝敗を投げ捨てて、聖鎧装を呼ぶ。
『任せよ!』
気合一閃、イージィスが盾の姿で勇者の前に顕現し、光の奔流となって殺到する〈紅翼〉と激突する。
真正面から受け止める形になった。
イージィスは魔法や魔物の吐息などを受けた時、相手の力を周囲に散らしたり、逸らしたり、跳ね返したりすることもできるのだが――今回は周りに被害を出したくない。トール以外の皆が巻き込まれると大怪我では済まないだろう。
トールはイージィスの権能を発揮して押さえ込んでいく。
ばりばりという轟音が響くので聴覚の強化は解除しているものの、鼓膜が破れそうだ。
蒼い稲妻が生まれ、紅い光を相殺する。
光と光が互いを喰らって、視界を白く染め上げた。
「――ぜんっぜん火加減しないな! フェンは!」
イージィスの本気で防ぎ切ったトールは、ふーっと長い溜息をした。
長い時間のような気もしたが、実際はそれほどでもない。
フェンの大技はベルクートの妹姫、リディアがかつて聖騎士達と共に放った極大魔法に劣らない威力があった。
聖光王龍大爆炎撃が、フェンに言わせれば旧式の魔法だからなのか。
たった一人で、極大魔法を上回る攻撃力を叩き出したフェンがとんでもないのか。
(賭けてもいいけど後者だよなあ……)
静かになったところでイージィスの障壁越しに眺めると、ベルクート、シャダルム、マーシェは魔法使い達の近くへ移動していた。何かあった時に備えていたのだろう。
フェンはちゃんと自分の足で立っていて大丈夫そうに見えるものの、近寄ったセレストに魔法をかけられているようだ。完全に無事ではないかもしれない。
ひとまず模擬戦は終わり、と判断したトールは防御の構えを解いた。
イージィスがひとりでに宙へ浮かび上がり、ほのかな輝きを放って人間形態に戻る。
「イース、ありがとな。助かったよ」
「大事ない。久々に心が躍ったぞ」
イージィスは薔薇色の唇をぺろりと舐め、ウインクを寄越した。ご満悦の様子である。
「フフフ。我もそのうち、聖剣として本気を出したいものよ」
やってきたイクスカリバーも冗談めかして言っている。
「無茶を言うなよ……」
聖剣イクスカリバーの本気は、斬れ味が良過ぎて怖い。
トールは呆れつつ、彼女等を連れて仲間達の下へ歩いていく。
離れて観戦していたエレイシャとタームも合流している。改めて全員がそろった格好だ。
「フェン、大丈夫か? みんなも怪我はない?」
声をかけると、マーシェが軽く手を上げた。
「お疲れさん。殿下もあたしらも問題ないよ。フェンは回復魔法を掛けてもらってるけど、念のためさ」
「なら良いけど……」
トールの視線を受けて、セレストが小さくうなずいた。
多頭蛇戦でフェンは敵の攻撃よりも、勇者スキルの再現を強行したために回復不能なダメージを負った。
そこをトールが〈献身〉で肩代わりして難を逃れたのだ。
だが改良を加えたという今回、心配は無さそうであった。
「トール様は、お怪我はありませんか?」
「ああ、俺は平気だよ」
「そうだろうと思ったよ。まあ、みんな無事で何より」
「――ふん、かすり傷もつかねえってか。嫌味なぐらい頑丈だな、お前はよ」
横合いからフェンが憎まれ口を言う。
全力で〈紅翼〉をぶつけたのに、トールが涼しい顔をしているのが気に入らないらしい。
トールは、にへらっと笑っておいた。
「なに言ってるんだよ。フェンのせいでビックリしたし、ちょっと冷や汗もかいたし。イースを使っちゃったから俺の負けだろ」
あっさり降参する勇者であった。
「フェンのあの技がなくっても、木の棒がもうヤバかったけどな。どっちにしても勝てなかったよ」
トールは木の棒を持ち上げて仲間達に見せた。
木の棒は短時間で大小のヒビだらけになっている。
「うむ! もう何回か打ち合えば、へし折ってやれそうだと思っていたぞ! いささか惜しかったな!!」
兜を脱いだベルクートが豪快に笑った。
力を出し切ったからか、すっきりした表情だ。
激しい戦闘で汗だくになっているが、さっさと自分で清浄魔法を使って解決する。
隣でシャダルムも同じことをしていた。
「……って言うかさー! フェニックスがやったアレなに? ずぇーったい聞かせてもらうからねっ」
騒々しくマイカが言う。杖を持っていない左手をわきわきさせているのが見てとれた。
「そうですね、これはちょっと。マイカだけですと色々よろしくないでしょうから私も同席します。殿下もお聞きになった方が良いかもしれません」
普段ならばマイカを止めるエレイシャまで、この態度である。
「うーん、あたしは正直ぴんと来ないんだけど……フェンがやったことはそんなに問題なのかい?」
「ええ。魔法使いではないマーシェさんには分かりにくいかもしれませんが……むしろ問題しかございません」
「ふぅん。じゃあ立ち話も難だね。いったん屋敷に戻りましょうかねえ」
マーシェの提案で、場所を変えることになった。
✳︎✳︎✳︎
屋敷に戻った一行はいったん、それぞれの部屋に戻り、身なりを整えてから食堂に集合した。
ネイとランがお茶と軽食を出してくれる。
時刻は昼前。
ラクサは昼食を取る習慣がないのだが、身体を動かすと腹が減るだろうと思って準備を頼んでいたのだ。
「お、チーズ餅っぽいやつ」
「はい! トール様にお話を聞いて、やってみましたぁ!」
ランが笑顔で皿を差し出す。
餅はまだ作れないので普通のご飯をすり潰し、醤油を塗って軽く焼き、チーズを載せてある。
海苔もないため、チーズ入り磯辺餅とはちょっと違う。アレンジした五平餅ともお焼きともつかない食べ物だが、美味いのだから何も問題はない。
他にラクサで一般的なサンドイッチなども出され、つまみながら話し合う形だ。
「おいしー! 魔力使うとお腹が空いてしょうがないんだよね。ありがたいわー」
マイカはぺろっと軽食を平らげた。マイペースな彼女だが、健啖家で食べ終わるのがやけに早い。
「お腹に入れば何でもいーけどさ、美味しいに越したことないよね! 勇者君のところ、食事がいいから特にそー思うわぁ」
「……研究中だと食事を忘れた挙句に腐りかかったものでも口にしかねなかったマイカが、ずいぶん進歩しましたね……」
「エレちゃん酷い〜。そんな失敗、もうしないよお。お腹が痛くなると研究が進まないじゃん。胃が丈夫だから、だいたいヘーキだけど」
「俺の故郷は割と、食べる物にうるさかったんで……って、理由そっちですか?」
「はっはっは! ニホン人といい魔術師といい、おれ達には想像もつかぬモノを食していそうだな!」
「殿下……さすがに一緒にされるのはちょっと」
「ですがトール様の国でも、豆を腐らせて食べるのですよね?」
「いきなり納豆の話するとごちゃごちゃになるぞ?! 腐敗と発酵は別なんだってば」
「勇者君! それ詳しく教えて!」
「え、いや、それは。とりあえずフェンの話を聞いた後ですよね?」
トールは慌てて、フェンの方を見る。
「チッ。蒸し返しやがったか」
フェンの顔には「面倒くさい」と書いてあるかのようであった。
「それもそーだね。じゃあフェニックス、そもそもアレさあ。魔術でも魔法でもないよね?」
ようやく本題の話し合いが始まった。
マイカが口火を切り、フェンは「そうだな」とうなずく。
「トールの……より正確には勇者スキルを再現したってのが基本だ」
「なんで再現できちゃうのさー! フェニックスが農業魔法を使ってるところも見せてもらったけど、ここまでとは思ってなかったよ?」
魔術は魔法から生まれ、発展していった……言ってみれば「魔法を効率よく行使する技術」である。
だが現在のラクサにおいて両者は既に別物だ。
フェンやマイカのように純粋な魔術師も、簡単な魔法を使う分には問題ないが……難しい魔法はできない。
例えば回復魔法なら、小さな傷の出血を止める程度。
農業魔法も、土や作物の状態をいくらか良くするレベルが限界。
無理をすると「本業」である魔術の行使に影響が出かねない。
これがスキルとなると、さらに異質な構造をしている。
模倣などあり得ない、とマイカは言うのだ。
(車が運転できるからって、電車や飛行機が動かせる訳じゃない……みたいなイメージか?)
何とか話題について行こうと、トールもあれこれ考える。
「オレの意見もこの間、言った通りだ。魔術でも魔法でもスキルでも、小さい単位の魔力を繋ぎ合わせてできてるのは同じ。それぞれの構造に組み立てれば、似たように創れるぜ。ただし効率は良くねえ。よっぽどじゃなけりゃ、わざわざ他人の真似なんざする必要はない」
「だからー! その発想がそもそも! おかしーんだってば! 昔からじゃないよね? 勇者君のせい?」
「……まあな」
「え? 俺? 魔法のことはさっぱりだけど」
門外漢のはずが巻き込まれ、トールは目を白黒させた。
「いつだったか、コイツが言いやがったんだよ。世の中のあらゆる物質は、目に見えない物凄く小さな粒が寄り集まってできてる、ってな」
「――ん? 原子と分子の話か?」
言われて思い出した。
まだ魔王討伐の旅をしていた時、何がきっかけだったかは忘れたが、そんな話題を出したことがあった。
だが仲間達の反応は良くなかった。馬鹿にされたりはしなかったものの、彼等の常識と違い過ぎて信じられないという様子だったのだ。
フェンにさえ「聞いたこともねえぞ」と難しい顔をされた記憶がある。
単なる雑談だったため、トールも「みんな驚かせちゃってゴメンな、忘れてくれ」と言って終わりにしたのであった。
「そう簡単に忘れられる訳ねえだろうが。魔術師なら当然だ」
「えええええ……」
今になって驚くトール。
まさか自分が何気なくこぼした一言がきっかけであったとは。
「いや、でも魔法や魔術と関係ないって言うか。正反対の話だよな……?」
「そこは魔術師の性と申しますか、たとえ些細なことでも魔術に結び付けて考えるようにできているのですよ。初級の私でさえ、そうですから――」
エレイシャが補足し、中級魔術師のタームも首肯する。
そしてもう一人の上級魔術師、マイカは――
目を見開いてぷるぷるしていたが、突然ヒヨコ頭を掻きむしって苦悩し始めた。
「そそそその話ぃ! なんで! なんで! もっと早く言ってくれないのおっ?! 私とフェニックスの仲じゃんんん?! 女ゴコロを弄ばないでよおー!! ひっどい! ひっどいわぁああ!」
「一切そんな仲じゃねェから面倒で言わなかったんだが?」
フェンはこの反応を予想していたらしく、極めて冷淡である。
「ハァ。理屈は分かって……いえ理解できな……いえいえ分かっていても、まるで実践できる気が致しませんが! ひとまず分かった、ということにして横に置きましょう。もっと大きな問題がございます」
エレイシャが長い溜息をした。
「先日の多頭蛇の一件は私も聞き及んでいます。魔法無効の敵に魔術師でも対抗する手段として、あの技が創られた。ですが――フェニックス、貴方も当然分かっておりますよね?」
訊かれて、フェンは軽く肩をすくめる。
「そりゃあな。トールのスキルと同じだ……まだ試してねえが。あの技は恐らく、あらゆる魔法と魔術を無効化する」




