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5.いつかは、金色の風を

 そこには、何も無かった。

 森が途切れたその先に、ただ白茶けた地面だけが、地平線まで続いている。

 雑草の一本も見当たらない。

 かつて人が住んでいた痕跡さえ、まるで無い。


「ここがそうなのか……」


 乾いた風を頬に受けながら、トールはつぶやいた。

 この空白地帯とも呼ぶべき、まっさらな土地こそ、イナサーク辺境伯領である。


「トール様、本当にこんな場所で良いのですか……?」


 セレストはひどく心配そうにしている。無理もない。


「まあね、一応説明してもらった上で決めたから。さすがに、ここまでとは思ってなかったけど」


「説明……ですか?」


「ああ。実はマーシェが来てくれたんだ。でも、あんまり人に言わないでくれって口止めされてさ」


 黙っていて悪かった、とトールは付け加えた。


「ほら、マーシェは裏の事情にも詳しいだろ?いろいろ教えてもらってね」


 トールは、その時のことを思い出しながら説明することにした。



「久しぶりだね、トール。随分立派なお屋敷に住んでるじゃないか」


「マーシェ?王城の使いって、君のことだったのか」


 屋敷の応接間で迎えた王城の使者。それは一人の女性の姿をしていた。

 年齢は二十代後半といったところか。女性にしては長身で、引き締まった体つきをしており、褐色の肌と癖のある黒い髪を持っている。

 ラクサ王国は多民族の国であり、肌や髪の色、顔立ちなどは、実にバリエーション豊かなのだ。


 彼女は「弓使い」マーシェ。

 勇者パーティーの最後の一人である。


 身軽な格好を好むマーシェは、旅の間とあまり変わらない軽装であった。黒髪は後頭部で一つにくくり、着ているのは飾り気のないシャツとズボン。だが身体にぴったりしているため、すらりとしたボディラインがよく分かる。

 彼女はすたすたと部屋へ入り、無造作にソファへ腰掛けた。


「あの人らは、人使いが荒いのさ。大体あんた、何でそんなに緊張してるんだい?」


 ハスキーな声でマーシェが言う。


「いや、王陛下や宰相閣下からの使者だろ?緊張くらいするよ」


「やれやれ。魔王と戦った勇者サマが寝ぼけたことを言うじゃないか。謙虚も過ぎれば毒になるよ、偉そうにふんぞり返ってるくらいでちょうどいいのに」


 トールの言い訳は、即座にばっさりとやられてしまった。

 だが、勇者相手でも歯に衣を着せず、アドバイスをしてくれる彼女はトールにとってありがたい存在である。


「さて、とっとと本題に入ろうか。トール、あんたに与えられる領地についてだ」


 候補は二つある、とマーシェは言った。


 一つは王領、つまり王家の直轄地だ。何箇所かあるが、金や宝石の鉱山がある土地や国土防衛上どうしても必要な場所以外は、トールに譲り渡す用意がある。

 そしてもう一つは、広大な辺境の地だという。


「面積だけなら、こっちの方がずっとデカい。ただし、今はなーんにも無いけど。魔族のヤツらは本当に何でも、根こそぎ掠奪して更地にしちまうからね」


 戦争の前はそれなりに栄えていたが、魔族領と近かったため、真っ先に魔王軍の侵略を受けた。



 魔族というのは謎めいた種族である。

 普段は魔族領という人族の支配が届かない地に住んでおり、そこから出て来ない。

 だが、およそ二百年に一度、魔王と呼ばれる存在が出現すると、途端に人族の諸国へ侵攻して来るのだ。

 この侵略者は魔王軍と呼称されるが、彼らには支配という概念がない。捕虜も取らない。建物も道路もあらゆる物を破壊し、奪えるものは全て奪う。非戦闘員の女性や子供、そして家畜なども関係なく生き物を鏖殺し、遺体さえ残さず塵に変えてしまう。

 これまで魔族との対話に成功したことはなく、彼らがなぜ、非道を繰り返すのかも不明だ。


 魔族、そして魔王軍は、そのように残虐で苛烈な存在であった。


 最初の侵攻を受け、この地を治めていた領主の一族も文字通り消えてしまった。そのため、土地はいったん王家の預かりとなっているという。


「訳ありの場所ではあるけど、本音を言えば、ここを引き受けてくれるとありがたいんだよね。あんたがやる『農業』だって問題がありまくりだから、あんまり目立たない方が良いだろ?」


「そんなに問題かなぁ」


「問題に決まってるさ、全くもう。それに、トールはリディア姫との縁談を断っちまっただろ。辺境に引っ込むくらいしないと、他のご令嬢がわんさか押しかけて来ると思うよ?」


「ええぇ」


「王領は条件が良い場所がほとんどだから、しがらみも多いんだよ。貴族や商人からの色んなお誘いも、たんまりあるだろうね。トールの苦手なヤツだよ、勇者サマ勇者サマ〜ってワラワラ寄ってくるアレ」


「マジか……」


「相変わらず自覚が無いね。で、どうする?」


「どうもこうも……」


 トールは溜息をついた。


「辺境へ行くことにするよ。せっかく、いろいろ考えてもらったんだし」


「そうしてもらえれば助かるね。陛下やオルトラ宰相閣下の頭痛も少しは軽くなるだろうさ」


 マーシェはそう言って、にやりと笑ったのだった。



「――そういう訳で、領民も居ないし何もないのは分かってたよ。一応は」


「マーシェは相変わらず事情通ですね。どこから、そんな情報を仕入れているのか不思議なくらいです」


 セレストは素直に感心している。


「まあ、マーシェは腕の良い『弓使い』だから……」


 トールは曖昧に言った。


 「弓使い」――。

 その職業名には、もう一つ裏の意味がある。

 マーシェのメインウェポンは確かに短弓だが、状況に応じてナイフやスリングショットなども使い分けており、厳密に弓専門、では無いのだ。さらに彼女は罠の感知や敵の偵察、鍵の解錠、潜入調査、遊撃なども器用にこなす。


 こういう職をゲーム的に言えば、まさに「盗賊(シーフ)」だろう。

 ただし、ラクサ周辺で「盗賊」は非合法の犯罪者を意味するため、実態はともかく表向きは「弓使い」または「軽戦士」を名乗るのである。建前というものは異世界にも存在するのだ。


(昔、マーシェにうっかり『盗賊みたい』って言ったらメチャクチャ怒られたんだよなぁ)


 ほろ苦く思い出しながら、トールは再び、何も無い土地を見渡す。


「セレスト。ここって以前は農業をしてたんだよな?」


「ええ、資料にはそう書いてありました。小麦の他、芋類や野菜を栽培していたはずです。特産というほどのものはなかったようですが、品質の良い物を安定的に産出していたようですね」


「じゃあ、ラクサ的には農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使って農地に戻す訳か」


「ええ、もちろんです。手間はかかりますが、よろしければわたくしが」


 セレストは自信ありげに進み出るが、トールは首を横に振る。


「セレストの気持ちはありがたいけど、俺なりに試してみたいことがあるんだ。様子を見てからにしてくれないか?」


「は、はい……」


 セレストが俯いてしまったため、トールは慌てて言い添えた。


「いや! セレストの力を疑ってるんじゃないから!いざとなったら思い切り頼りまくろうと思ってるからな?」


 聞いていたシャダルムが大声で笑い出し、荒野に轟音が響き渡る。


「……もう! トール様、わたくしを子供扱いしないでください!」


「あ、いや、そんなつもりじゃ」


 拗ねてしまったセレストに、たがが外れた勢いなのか爆笑し続けるシャダルム。

 個性豊かな仲間に挟まれて、トールは苦笑いしながら空を見上げた。


(ここから始めて、いつかは――)


 地平線の向こうまで稲穂を実らせ、金色の風を吹かせたい。

 かつて日本で、祖父の田んぼで見たように。


 トールは内心の決意を新たにし、そっと拳を握ったのだった。


 米の名は…「金色の風」(岩手県)

 「ひとめぼれ」を超える同県のフラグシップ品種として開発。極めて良食味。

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