39.こぼれ話 背丈は、追い越されても(中編)
本編13話のサイドストーリー。話の性質上、3話同時に更新します。2/3
「聖女に余計なことを言っておらんだろうな?!」
神殿長の部屋へ入った途端に怒声が飛ぶ。
どん、と背中を押されたサディはよろけたが、転ぶまいと両足に力を入れた。
「……何も言っていません」
目の前に豪華な机と椅子があり、そこに緩んだ体つきの中年男が座っている。
神殿長の服を着ているが、中身はそれにふさわしくない俗物だ。
人前で見せているにこやかさは跡形もない。たるんだ頬を震わせてサディをにらんでいる。
ところがサディはなぜか、恐ろしいと思わなくなっていた。
振り切れて恐怖を感じなくなってしまったのだろうか。
いや、違う。
(あの子の目の方が、よっぽど怖いよね)
ーー女神は全てをご覧になっておられます。
セレスト声が、耳の奥で甦った。
今の自分は、胸を張って女神の御前に立てるだろうか。
一人前の神官だというのに。
自然と背筋を伸ばした。
目に力を込めて、俗物をにらみ返してやった。
「あたいは何も言っていません。知られたら困るようなことなんですか、神殿長」
「な、何だと……?」
従順だったはずのサディが口答えをしたためか、俗物はたちまち動揺した。
「神殿長のお側に侍るのは、とても名誉ある神聖で特別な務めだとーーだからやれ、と散々あたいにおっしゃったでしょう。なぜ聖女様に言ってはいけないんですか」
「黙れ! ワシは神殿長だぞ。黙れと言ったら黙らんか!」
俗物は顔を怒りに染めて怒鳴った。
「サ、サディよ。失礼なことを申してはいかん! 神殿長にお詫びしなさい!!」
神殿長が俗物なら、日和見の副神殿長は小物だろう。
サディは冷めた気持ちで言い返した。
「あたい、聖女様にお会いしてハッキリ分かりました。あの人に知られたら困るようなことはできないって。聖女様だけじゃない、至高なる女神にも、です」
「い、いやそれは……しかしだな……」
腰巾着はごにょごにょと言葉を濁した。形勢が悪くなると逃げる、そういう人物なのだ。
サディは俗物の方に向き直った。
「神殿長。そんなに素晴らしい特別な務めだっておっしゃるなら、聖女様にもやっていただいたら良いんじゃないですか? 今からお呼びします?」
「……たわごとをッ! 貴様のごとき小娘は! ワシの言うことを聞いておれば良いのだ!!」
俗物は拳で机を叩き、立ち上がった。
「……何するつもりですか。騒ぐとそれこそ、聖女様にバレちゃいますよ?」
「フン! そんなもの、いくらでも誤魔化しようはある。たっぷりと躾けてくれるわ!」
どすどすと足音を上げ、俗物はサディの正面へ立つ。
腕が振り下ろされ、肉を打つ生々しい音が室内に響き渡った。
サディは神官だが聖女ではない。
気高くて優しく、そして強大な力を持つセレストの足元にも及ばない。
同い年の女性という程度しか共通点はなく、二人の差は歴然としている。
しかし、サディもまたスピノエス神殿で一、二を争う、優秀な若手であることに間違いはない。
ーー勇者トールは、召喚されて三年で魔王を討った。
これは歴代勇者の中では短い部類に入る。
もっと時間が掛かる可能性もあった。
もし長引けばサディも、ソーラも、クレイスも、魔王軍との戦いに駆り出されていただろう。
魔法の修練に手を抜く見習いはいなかった。
神官が行使する魔法は多岐にわたるが、中でも結界魔法は回復魔法、支援魔法と並び、神官の三大魔法とされる。
戦士ではなく鍛えてもいない男の、この程度の攻撃を。
サディの結界魔法が、防げないはずがない。
短い詠唱で生み出された不可視の障壁は、瞬時に展開し彼女を護った。
完璧に。
「ぎゃああああ!」
野太い絶叫が上がった。
神殿長の手は結界魔法にぶち当たり、あちこちが裂け、血がにじみ出していた。骨も折れたかもしれない。
躊躇なく力一杯、殴りつけようとしたためだ。暴力を振るうことに慣れていた証しでもある。
「ワシの手がッ、こ、この女ぁ! ただでは済まさんぞ! ぐっ」
「し、神殿長!」
腰巾着が駆け寄った。
「あっ、申し訳ありませぇーん! あたい恐ろしくて、ついうっかり結界魔法が!」
サディはぱたぱたと手を振って、結界を解除する。
部屋の扉越しに、複数の足音が聞こえてきた。
「神殿長! 何事ですか?!」
物音と男の絶叫に気付いて、神官や衛士達が集まってきたのだ。
「何でもない! 下がりなさい!!」
腰巾着が叫ぶ。
「ですがーー」
「も、問題ないと言っている!」
なかったことにしようとしている。
しかし無駄な努力であった。
「ーー何もないはずはありません。魔法の気配がしました」
扉の向こうで、凛とした声が響いた。
「良からぬ者が入り込んだのやもしれません。通してください。責任はわたくしが取ります」
ぎい、と扉が軋み、左右に開く。
セレストが落ち着いた態度で入室し、透き通った眼差しで周囲を見渡した。
「サディ。怪我はありませんか?」
「はいっ! あたいは大丈夫です!」
「あなたが無事で何よりです」
セレストはサディの隣で足を止め、寄り添うように立つ。
他の神官や衛士達もぞろぞろと部屋へ踏み込み、彼女や神殿長らを取り囲んだ。
「聖女様! サディは神殿長に怪我を負わせたのです! 罰を与えねばなりませんぞ!!」
腰巾着が唾を飛ばしながら言った。
セレストは形の良い眉をひそめる。
「小柄で女性の身であるサディが、どうやって? 神殿長は立派な体格をしていらっしゃる男性ですよ。無理があります」
「ま、魔法です。神殿の中で攻撃魔法を使ったのです。なんと罰当たりな!」
「……では神殿長の怪我を診せてください」
セレストが前へ出る。
「おお、聖女様。どうか回復魔法を……」
神殿長の手は赤黒く腫れ上がっていた。やはり骨が折れたか、ひねったかしたようだ。
セレストは冷静に見詰め、そして言った。
「何の魔法を受けたのですか?」
「い、一瞬のことでしたので……ワシは恥ずかしながら、魔法は不得手なのでございます。おお、痛い! 早く回復魔法を掛けてくださいませぬか」
「適切な治療のためです。熱かったか冷たかったか、切り裂かれたような痛みだったか、それでしたらお分かりになりますか?」
「は……」
神殿長が口ごもった。言えるはずがない。サディを殴ろうとして返り討ちに遭ったなどと。
「あ、熱かったような……?」
「火属性魔法ならば火傷や水ぶくれができます」
「い、いえ、冷たかった! 冷気の間違いです」
「氷属性なら凍傷になるはずです。切り裂かれたような痛みがあれば風属性魔法でしょうけれど、傷口はもっと、すっぱり切れたようになります。あなたの怪我は、そのどれでもありませんね?」
回復魔法の使い手である神官は、人体の構造や傷を受けた時の状態を熟知している。回復魔法が使えない者も指導は受けるし、患者の身体を押さえるなどの手伝いはする。自然と知識が身に付くものだ。
魔法の適性は生まれつきの要素が大きく、苦手があっても仕方ない。
しかし、真面目にやっていれば分かるはずのことさえ分からないとは。
神殿長ともあろう者が、今まで神官としての務めを全く果たしてこなかった。
その証明と言えた。
室内の空気が、しんと冷える。
俗物は腫れた手を押さえ、泣き声を出してみせた。
「うう、哀れな老人を責め立てて何になるのです!」
「哀れな老人、ですか。わたくしにはーー神殿長が何か硬いものを殴りつけたせいで、逆に手を痛めたように見えますが?」
「何をおっしゃいますか?! とんだ言い掛かりですぞ!! そんなことはどうでもよろしい、早く回復魔法を掛けてもらいたいのだ!!」
喚き散らす俗物。
傷が痛むのだとしても、日頃のにこやかな外面とはかけ離れた狂乱ぶりだ。
集まった神官達の目にも、困惑と疑念が浮かびつつある。品格ある神殿長に見えていたのに、これが本当の姿なのか、と。
セレストがサディを見た。
「サディ。知っていることを話してくれますね?」
「はい、セレスト様」
サディはうなずき、事実を一つずつ明らかにしていった。
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そこからは話が早かった。
サディが包み隠さず、神殿長の下劣な振る舞いを暴露したところーー「実は私も」と名乗り出る女性が三人も現れたのである。
二人は十代始めで、神官見習いの少女。
もう一人は下働きの娘。
いずれも引っ込み思案な性格で、悩んでいたのに誰にも相談できなかったらしい。
涙を流して感謝してくれた。
「えっ、凄いのはセレスト様で、あたいは何も」
「いいえ! 先輩が声を上げてくれたからです!」
セレストだけでなく、サディも尊敬の目を向けられるようになってしまった。
だがーー。
「い、言い掛かりだ! 女どもが結託してワシを陥れようとしておる! ワシは! 何一つ! やましいことはしておらんわ!!」
俗物は否認一点張りであった。
サディや三人の娘が嘘を吐いていると言い張っている。
「……確かに証拠がある訳じゃないから、な」
同席しているクレイスが、吐き捨てるように言った。
「あたい、本当のことしか言ってない。女神の御名にかけて」
神官として最大の誓いの言葉を、サディは口にする。
「そのくらい分かってる。でもあの男、そういう普通の論理が通じる相手だと思えないんだ」
「嘘でも大声で言い続けてれば本当になる、みたいな?」
「あまり言いたくないのですけれど、貴族の間では常套手段ですわ、サディ……」
ソーラが心配そうに、サディの手を握った。
「そんな……」
サディは、神殿長や幹部達と話し合うセレストの後ろ姿を見詰めた。
時折、神殿長の大声や、副神殿長の慌てた声が漏れてくるが、内容ははっきりしない。
現在のスピノエス神殿上層部は、神殿長の息が掛かった者ばかりだ。
いかにセレストが権威ある聖女でも、切り崩すのは難しいかもしれない。
「ーーお話は分かりました」
セレストのよく通る声が響いた。
「では、神殿長に回復魔法を。手を触れてもよろしいですか?」
「お、おお! ご理解いただけましたかな?! では早速」
俗物はたちまち勝ち誇ったような顔つきをし、手を突き出す。
そこにセレストのほっそりした手が重なる。
「あんの下衆……」
俗物が鼻の下を伸ばしている様子を見て、サディは密かに歯噛みした。
「いと高き女神の御名において、癒やしの奇跡を乞い願う」
セレストは俗物の様子に気付いていないのか、美しい詠唱を始めた。
「これなるは、忠実なる貴方の子。この者から全ての不調を取り除き、在るべき姿に戻したまえーー」
光の粒子がセレストの手許からあふれ出て、男の全身へ流れ込む。
「お、お、おおお……?!」
俗物が、戸惑ったような声をこぼす。
「終わりました。お加減はいかがですか?」
セレストが微笑を浮かべて問い掛けた。
「あ、は、はあ。よろしいかと……思いますが……」
腫れ上がっていた手は、きれいに修復されていた。文句のつけようは無いだろう。
「それは何よりです。ああ、ついでですので、神殿長が今後も末永く心穏やかに過ごせるよう、祈らせていただきました」
「おお……名誉なことにございます! 心より感謝を申し上げます。聖女様は何と慈悲深い!」
途端に俗物は手の平を返し、にこやかに頭を下げてみせた。
セレストも優雅に一礼し、サディ達へと歩み寄ってくる。
「あ、あの……セレスト様?」
「行きましょう、サディ。それにあなた方も」
口調は柔らかいが、有無を言わせぬ何かがある。
サディやクレイス達はそのまま、セレストに従って神殿長の部屋を後にした。
「どこか、落ち着いて話ができるところはありませんか?」
セレストに問われ、サディは近くにあった聖具室を選んだ。
神殿の儀式に使うさまざまな聖具や祭服、資料などを保管しておく部屋だ。
聖具の手入れや資料の確認にも使うため、広さがあり椅子も置いてある。人目にも付きにくいはずだ。
「セレスト様。そのぅ……」
「サディ。まず、あなたと女神に感謝を」
セレストがサディの手を取った。
「あなたが勇気を出してくれてよかった。それに無事でよかった……」
「いいえ、あたいは……何もできませんでした。セレスト様がいなかったら」
「わたくしだって、取り立てて何もできていません」
セレストは首を横に振り、悲しそうに言った。
「情理を尽くしてお話ししたつもりですが、どうやら神殿長には分かっていただけなかったようです」
「ああ、やはり……」
ソーラがつぶやく。
セレストは沈痛な表情で続けた。
「あと、わたくしができることと言ったら……王都の神殿と大神官様にお手紙を出す程度ですね」
「えっ?!」
本人を除く全員が絶句した。
「王都と……大神官様に、お手紙?」
「ええ。今のわたくしは、大神官様の直属として勇者トール様の補佐に就いている、ということになっていますから。時々、報告とは別にお手紙を〈伝書〉で差し上げています」
大神官。
言うまでもなく、ラクサ王国におけるルリヤ神殿の頂点に立つ人である。スピノエスどころか全ての神殿を統括する、サディ達から見れば雲の上の御方だ。
当代の大神官エミリアは、ラクサ国王ネマトの再従妹ーーつまり傍系王族の一人でもあった。「鋼鉄の淑女」の異名を持ち、辣腕を振るう女傑として知られているが、セレストにとっては育ての親でもあるという。
(やっぱりセレスト様は聖女だから……しゅごいわ……)
目の前でサディの手を握ってくれているのは、何かの間違いではないだろうか。
「ですが、大神官様はお忙しい方ですから……すぐにご対応いただくのは難しいかもしれません」
「い、いえいえ! 十分ですから! むしろ何も言わなくて良いですから! ほんとにっ!!」
辺境の神殿の、こんな問題でわずらわせて良い御方ではない。
サディはぷるぷる震えながら、セレストをなだめに掛かった。
「まあ、そのうちにでしょうか……ああ、それから。これは内緒にしてほしいのですけれど。神殿長は大変厄介な“呪い”に取り憑かれておいででした」
そのセレストはいきなり、とんでもないことを口にする。
「え? 呪い……ですか?」
瘴気に取り憑かれ、不調をきたす状態を呪いと言う。
人に憑くこともあれば物に憑くこともある。だが、かなり特殊な状態で、神官でも滅多にお目に掛かれるものではない。
神殿長も、まるきり呪われている兆候はなかったはずだ。
「聖女であるわたくしでないと分からないような、とても巧妙で、たちの悪い“呪い”でした」
しかしセレストはそう主張したのである。
「ええと、どんな呪いですか……?」
「表現が難しいのですけれど。有り体に言いますと、男性の身体の一部が元気になり過ぎる“呪い”です」
「えええっ?!」
サディは思わず頬を染め、ソーラと他の娘達も赤面した。
セレストだけが涼しい態度だ。
「ですのでーー解呪しておきました」
「解呪……?!」
「先程、祈りを捧げた際にこう……ぷちっと」
「羽虫みたいな扱い?!」
「そんなことができるんですの?!」
「わたくしはご存知の通り、スピノエスや色々な前線基地におりましたから……若い女には危険な場合も無くはないのです。それで覚えました」
それこそ虫も殺さぬような顔で、えぐいことを言う。
「今回は正式な詠唱をして回復魔法も重ね掛けしましたし、痛みを与えられないのが少し残念なのですけれど。その分、念入りに潰しーーいえ。丁寧に“解呪”しておきましたから。今後は神殿長も女神へ仕える者にふさわしく、心穏やかに過ごせると思いますよ」
「セレスト様……!!」
サディは感激して、慈悲深き微笑を浮かべた聖女に抱きついた。
そして叫んだ。
「あたい、セレスト様に一生ついていきます!!」
「わ、私も!」
「私もです!!」
娘達は手を取り合って喜んだ。
後に言う「聖女様の偉業を讃える会」が結成された瞬間であった。
「うわあああ……そんなの有りか……?!」
背後でクレイスが一人、青ざめていたのだが。
サディは全く気付かなかった。
✳︎✳︎✳︎
神殿長こと俗物は、うまく行ったと考えていた。
サディに糾弾された時は危うかったが、どうにか聖女を言いくるめることができたと思った。
そして手の負傷を治療させた上、聖女その人から祈りを捧げてもらうことさえできた。神殿長として権威が大いに高まるだろう。
ーー身体が少し、いつもと違う気はするが、痛みがある訳でもない。
こんなものか。
聖女といっても大したことはない。
澄ました顔をしていても、ただの小娘だ。
高を括ったまま眠りについた。
本当の地獄は翌朝にやってきた。




