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3.恋の予感、永遠にゼロ

 勇者 は 農地 を 手に入れた!


 これがゲームなら、景気のいい効果音の一つも鳴るところだろうか。

 セレストを通じた願いがかない、領地をもらえることになったのだ。

 賜る領地は魔族領の近くであり、今は少々荒れてしまったが、かつては農業も盛んで栄えていた場所らしい。

 トールとしては、場所はどこでも構わなかった。逆に、前の領主を追い出すようなことになっては寝覚めが悪くなりそうなので、丁度よかったくらいだ。

 とにかく、農業をするハードルその一……土地についてはクリアした。


 そうなると次の問題は、


「種籾をどうにかしないとな」


 種籾、つまり稲の種子である。


 トールの知る限り、こちらの世界には稲が存在しない。

 この異世界に、そもそも稲に似た植物が無いのか……

 あるいは、地球でも新大陸が発見されるまでトマトやジャガイモが知られていなかったのと同じように、ラクサ王国周辺には無いというだけなのか。

 はたまた、存在はしているけれど、食用と認識されずに「そこら辺の草」扱いをされているのか……。

 理由は分からないけれど。


 そもそも、地球だって稲作の主流は米粒が細長くて粘り気の少ない長粒種であり、日本人が好む短粒種は、実のところマイナーな存在なのだ。最近は世界的な日本食ブームで、短粒種も人気が出ているようだが……。


 つまり、異世界にもし稲があったとしても、トールが大好きな味や食感を備えた米が取れる可能性はかなり低いと言える。

 日本の米の旨さは、長年の品種改良のおかげでもあるのだから。


 こう言ったトールの農業知識は、大半が敬愛する「じいちゃん」こと伊奈佐龍造に教わったものだ。

 龍造は世代的に学歴こそ低かったが、大変に勉強熱心であり、農業の本やら雑誌やらを読むのが趣味の一つであった。


 よって祖父の薫陶を受けているトールは、異世界の探索ではなく、全く違う手段で種籾を獲得しようとしていた。

 そのために、ラクサ王国の王城へやって来たのだが。

 目指す場所へたどり着く前に、思わぬ寄り道をすることになる。



✳︎✳︎✳︎



 ラクサ王国は、日本と同様に四季がある。

 今は冬に当たる季節だ。

 だが王城の庭園には、色とりどりの花が咲いていた。

 よく考えれば、これは不思議なことだ。注意して探ってみると、庭園の中で、さまざまな魔力が働いていることが分かる。

 もちろん侵入者を警戒し、王族をはじめ王宮にいる人々を守るような魔法もあるはずだが、それだけではない。

 美しい庭園を維持するために、農業魔法〈マギ・カルチュア〉も細かく張り巡らされているようだ。


 そう思いながら侍従の先導で進んでいくと、瀟洒なガゼボと、その前にたたずむ少女の姿が見えた。

 少女は黄色のドレスをまとい、緩やかに波打つ栗色の髪を背に流して、姿勢よく立っている。


 第四王女リディア・リン・ラクサその人であった。


「ようこそお越しくださいました」


 リディアはドレスの腰の辺りに軽く両手を添え、優雅に淑女の礼を施す。

 トールも立ち止まり、頭を下げて返礼するが、正直、居心地が悪かった。

 この上なく洗練されている王城と王女に対して、自分が非常に場違いな気分になるからだ。

 女神に遣わされた勇者は身分を超越する者でもあり、相手が王侯貴族でもへり下る必要は無い。礼儀作法を知らなくても良いものとされ、思うように振る舞うことが許される。


 とは言っても、見るからに高貴なオーラを放つ美しい姫君の御前で、トールが気後れするのも当然であった。



 着席すると、控えていた侍女が茶を注ぎ、トールを案内してきた侍従と共に下がっていく。

 もちろん視線が届く範囲にはいるが、こちらの常識から考えれば王女と二人きり、と言っても過言ではなかった。


 リディアはすうっと手を伸ばし、音もなくカップを持ち上げる。白く、細く、労働を知らない、たおやかな手だ。

 カップの方も磁器のような薄いもので、金銀の縁取りに、薔薇に似た赤やピンクの花が描かれている。王女が使うのだから当たり前だが、見るからに高級品であった。

 リディアは典雅な仕草で茶の香りを楽しみ、ゆったりと口を付ける。林檎色をした健康的な唇に、カップが触れ、わずかに傾いてから離れた。それから再び、音もなくカップが受け皿に戻される。


(サラッとやってるように見えるけど。実は超絶技巧だよな、これ……)


 同じことをやれ、と言われてもトールには無理である。絶対にガチャガチャ音がしそうだ。それだけで済めばいいが、明らかに高そうなカップを割ってしまう可能性すらあった。

 トールが庶民出身であることはリディアも知っており、何より勇者であるから、仮にやらかしても見逃してはくれるだろう。

 だが、内心ではどう思われることか。

 トールは、少々負けず嫌いで諦めの悪い性格ではあるが、基本は真面目で、相手に気を使う典型的な日本人である。

 こんな状況で、平気で茶が飲めるような精神構造はしていなかった。


「勇者様」


 トールが固まっているうちに、リディアが口を開く。


「――勇者様が農民になられる、と御父様に伺いました。まことでございますか」


「はい。そうです」


「農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使わずに、土と戯れる前衛的な試みをなさるというのも、本当ですのね?」


「前衛的、ですか」


 トールはぎこちなくも、少しだけ笑った。


(セレストは原始的だと言ってたのに、今度は前衛的か……)


「勇者様?」


「は、いや、何でもな……何でもありません。姫様のおっしゃる通りです」


 トールは慣れない敬語でそう言った。

 異世界召喚された勇者は、ラグリス大陸で最も普遍的な人族共通語が理解できるようになっており、会話も読み書きも問題はない。が、敬語やことわざなどはなぜか、自動翻訳してもらえないのだ。

 旅の間は魔王討伐が優先で、礼儀作法を学ぶ暇は無かった。だが今後は、どこかで習った方がいいのかもしれない。

 トールがそんなことを考えていると、急にリディアが身を乗り出してきた。

 愛らしい小さな顔がずいっと突き出され、鼻先が触れ合いそうなほど接近する。


「お辞めになってくださいませ」


「はい?」


「そのような農業をなさるなど、勇者様の御身が危険ですわ! 例えば……」


「た、例えば?」


 ぐいぐいと近寄ってくる王女に、のけぞってひっくり返りそうになるトール。しかし、リディアはしごく真剣な表情で言ったのだった。


「――何故か飛んできた農機具が激突! 勇者様のお腹が破裂して死んでしまうかもしれないではありませんか。どうかお辞めになってくださいませ!」


「えっと……」


 どうしよう、この斜め上の展開。

 トールは助けを求めて侍女と侍従を見やったが、彼らは庭園の一部と化したように動かない。


「勇者様……」


 正面には、ぱっちりした目を潤ませながら迫って来る王女。


「ああ! リディアは勇者様が心配なのですわ!」


「ええと、ええ、あの、大丈夫です!」


 やけになったトールは大声で叫んだ。


「俺、じゃなくて私は勇者ですから! 物理耐性には自信があります! 魔王の攻撃にも耐えましたから! 農機具なんかで傷一つ付きません、安心してください!」


 背景に居る侍従と侍女の体がぐらりと揺れたが、トールは既にそれを見ていなかった。

 なぜなら、


「いいえ、いけません! それだけではありませんわ!」


 王女が抱きつかんばかりに、さらに距離を詰めてこようとするからだ。


「もしかしたら勇者様の畑に異形の魔族がやってきて! イナサクというイナサクを! お魚の切身(サク)に取り替えようとしてくるかもしれませんのよ!」


「姫様、それを言うならイナサクではなくて稲です……って、何をおっしゃってるんですか?!」


「きっと魔族はニタニタ笑いながら『コメよりもサクを喰らえ!』などと、おぞましいことをのたまうに違いありませんわ! 勇者様がそのような目に遭われるかと思うと、リディアは恐怖のあまり夜も眠れませんの。農民になるなんて、絶対にいけませんわ!」


「ちょっとあり得ない……いや、それは普通に討伐します。勇者ですから!」


「でも、リディアは心配なのですわ! ドラゴンに乗った蛮族が襲ってきて、悪臭を放つ汚らしい物を投げ込んでくるかもしれませんし。ああ、けがらわしい!」


「ええぇ……討伐します、勇者ですから」


「相手は蛮族ですもの、神聖なる農地に土足で踏み入った上、全開じゃあ! などと奇声を上げながら、世にも恐ろしい格好で、邪神を降誕させるかのような気味の悪い踊りをクネクネと踊ったりするかもしれませんわ!」


「無いと思います」


「……もう! どうして分かってくださらないのです! 魔法を使わない農業は危険極まりないのですわ!」


「姫様……」


 地団駄を踏む勢いのリディアは、それはそれで可愛らしいと言えなくもない。確かトールの二つ下で十七歳であるが、童顔と相まって、もっと幼く見えてしまう。末の姫で甘やかされて育ったとも聞くので、世間知らずもあるだろう。


 異世界育ちのトールも世渡りがうまい訳ではないが、勇者になってからはそれなりに鍛えられた。そんな彼から見ると王女は、


(子供っぽいんだよな……)


 苦笑いしか出てこないのだ。

 聖女セレストの方が年下だが、よほどしっかりしているのでギャップが目立つ。


 そのリディアが、つんと鼻先を上げて言い放った。


「勇者様にはリディアを妻に迎えて、次の王になっていただかないといけませんのに!」


「ちょ、姫様!」


 トールの苦笑が秒で引っ込んだ。


「お待ちください。私がなりたいのは農家です、王ではありません。姫様を農家の嫁にしようとも思いません」


「どうしてですの?! 私、母に似て美しいと言われておりますし、お胸だって大きい方ですわ。腰から下も」


「ひ、姫様、その発言は危険です! 慎みを持って!」


「でも!」


「とにかく、姫様には俺……私より、ふさわしい人が居ると思いますので! これで失礼します!!」


 トールはせっかくの茶を味わう暇もなく、必死になって逃げ出したのだった。



✳︎✳︎✳︎



「はあ。姫様、変な想像力あり過ぎだろ……」


 謎の超理論を振りかざす王女からどうにか撤退し、トールは疲労感を覚えながら歩いていた。

 王女が、あんなに強引な性格だとは思わなかったのだ。


「同情できるところもあるけどさぁ」


 リディアは十七歳。日本ならまだ小娘扱いだが、ラクサ王国のそれも王女となれば、結婚適齢期の上限ぎりぎりらしい。

 彼女に婚約者が居なかったのは、異世界から召喚された勇者――つまりトールが魔王討伐に成功したなら、その妻となるためだというから笑えない。


「勝手に召喚して勇者にして、おまけに結婚相手まで」


 トールとしてはそう思うが、リディアもまた巻き込まれた被害者ではある。


「姫様って美人だしスタイルも良さそうだし、見た目は最高だけどね、確かに。でも一緒に農作業とか絶対無理だろうし」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、ようやくトールは目的地へやってきた。

 王城の一角――そこにある重厚な木の扉をノックする。


「失礼します」


「トール君ですね。お入りください」


 聞こえるのは理知的な声。トールはゆっくりと扉を押して入室する。


「お久しぶりですね、トール君。元気になったようで何よりです」


 トールを出迎えたのは部屋の主、ラクサ王国の魔術師団長にして王国一の魔法使い、ロジオン・イプスだった。

 長い銀髪と線の細い容貌が印象的で、薄くだがエルフ族の血を引いているという。国王ネマトの父、すなわち亡くなった先王より年長にもかかわらず、二十代半ばの美青年にしか見えないという底知れぬ人物である。


 そして彼は、トールをこの世界に召喚した魔術師の一人でもあった。


「そちらの椅子にどうぞ。お茶でも淹れましょう」


 ロジオンが指を振った。


 すると何も無い空中に水球が生み出され、出力を絞った火属性魔術で熱せられて湯に変わる。

 そこに茶葉が列を成して飛び込み、熱水球と入り混じり、ゆらゆらと踊りながら、湯を鮮やかに染めていく。

 ロジオンがもう一度、指を振ると、今度は

ティーカップが飛んできてテーブルの上へ着地する。

 紅茶色になった熱水球から茶だけが螺旋を描いてカップに注がれ、出涸らしになった茶葉は再び宙を移動し、屑入れへ去っていく。


 トールの目の前には、香りたつ茶が入ったカップだけが残された。


「ハハ、やっぱり凄いや」


 一口、茶を味わってから、トールは笑った。


「憶えててくれたんですね、ロジオン師」


「それはもちろん」


 トールが召喚されたばかりで、この世界にまだ馴染めなかった時。ロジオンがこんな風に手を使わず、魔力操作を駆使して茶を振る舞ってくれたことがあった。

 トールは見たことも無い魔法に驚き、また物腰の柔らかいロジオンとは打ち解けて話せるようになったのだ。


「いつか俺も、こんな風に魔法を使いたいって思ったんですよね」


「トール君にもできますよ」


「三十年くらい真面目に修行すれば、でしょう?」


「ええ、まさに」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「さて、今日はどのような用向きでしょうか?」


 ロジオンに問われ、トールは表情を引き締めた。


「召喚魔術について、もう一度詳しく教えてほしいんです」


「……やはりトール君は元の世界へ帰りたいのですか?」


 ロジオンの声は変わらず穏やかだが、少しだけ眼光が鋭さを増す。


「いや、それは諦めがつきました。帰りたい気持ちが無いとは言いませんけど。理由は他にあります」


 トールはこれまでの事情を話した。


 稲作をしたいこと。勇者は農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使えないと言われたが、諦めたくないこと。国王から領地を賜わる見通しがついたことなどを。


「ほう。魔法を使わない農業ですか」


「駄目でしょうか?」


「成功するかどうかは分かりませんが、実に面白そうではないですか。決して駄目だとは思いませんよ。ただ、我が国の……特に貴族の理解を得るのは難しいかもしれませんね。ラクサは魔術や魔法を至上のものとする考えが強いですから」


 ――遥かな昔、この地には高度に発達した魔術文明が栄えていた。

 唯一の国であったため名前は無く、大陸の名をとってラグリスと呼ばれることが多い。

 だがラグリス文明は千二百年ほど前、魔族との戦や天変地異が重なって滅びてしまった。

 ラグリス文明人は散り散りになったが、やがて生き残った魔術師達の一部が、かつて首都があった場所へ帰還。新たな国を興した。

 それこそが、このラクサ王国の始まりとされているのだという。


 それゆえにラクサ王国では、魔術や魔法を尊ぶ気風が強い。

 真逆となる肉体労働や、魔力を介さずに動く道具は、下等で野蛮だと考える風潮さえあるのだとか。


「あー、それでセレストも反対してたと」


「そうでしょうね、あの子はまだ若いですし」


 見た目だけなら十分に若々しいロジオンが、そんなことを言う。


「そう言えば魔術と魔法って違うんですか?」


「魔術は古代文明、つまりラグリスで研究され、体系化された魔法の使い方のことですね。手順は複雑で難解ですが、消費する魔力に比して大きな効果を得られるのが利点です。トール君の国の言葉、ニホンゴでは確か……『コスプレがいい』でしたか?」


「そこは『コスパがいい』だと思いますけど……」


「これは失敬。魔術は『コスパがいい』手法だと言えます。後はそうですね、魔法はある程度なら誰にでも使えますが、魔術は専門的に学ばないと使えない、と表現するのが分かりやすいでしょうか」


「なるほど」


「失礼、話が少し逸れてしまいましたが。つまりトール君は……」


 ロジオンは色素の淡い、切れ長の目を動かしてトールを見る。


「魔術師団長たるこの私に、魔法を使わない農業を体験させるつもりなのですね?」


「違いますよ、ロジオン師!」


 トールは全力で否定するが、ロジオンは聞こえぬ体で肩をすくめる。


「肉体労働は苦手な老骨をこき使おうとは。しかし私は、トール君を元の世界へ帰してあげられませんでしたからね。この程度なら甘んじて受けましょう」


「だから違いますって! 耳が遠くなったんですか?!」


 ロジオンはにやりと笑った。


「フフ、冗談ですよ。その『イイネ!』という植物の種子を召喚したいということでしょう?」


「分かってるなら、始めからそう言ってください……それとイイネじゃなくて稲です」


 トールは気を取り直し、改めて尋ねてみる。


「俺が元の世界に戻れないのは、召喚の対となる『送還』に必要な魔力が足りないからでしたよね? 稲の種子は小さな物だし、魔力も持っていないから、召喚できるんじゃないかと思ったんです」


「ふむ、細かい部分を詰める必要はありますが――恐らくは可能でしょう」


 ロジオンもまた、魔術師団長の顔に戻って答えた。


「トール君の送還は、理論上は可能ですが、勇者として大きな力を持っているだけに莫大な魔力を必要とします。我々の試算によれば、ラクサ中の魔術師が全力で魔力を奉納し続けたとしても、術の起動だけで約九十年はかかる。これは以前にもお話しした通りです」


「はい」


「元々、勇者の召喚そのものが、数十年……下手をすれば百年近くかけて準備するものです。通例にない送還や新たな召喚は、それだけで未知の危険があると言えます。しかし植物の種子のように小さく、また魔法の無いチキュウから呼び出すのであれば、確かにそこまで魔力を注がずともよいでしょう」


「はい!」


「ところで、その稲の種子は具体的にどれくらいの大きさですか? 子供の頭よりは小さいと嬉しいのですが」


「あ、そんな大きくないですよ、全然。一粒は小指の先ぐらいです」


 トールは手を上げて、指先でつまむような仕草をしてみせた。


「それは重畳。ですが農業に使うなら、一粒だけという訳にもいきませんね」


「そうですね、できれば……。でも、俺がヒポネス遺跡で見つけたアレを使えば、増やせるんじゃないかと思ってるので」


「ああ、あの複製品を作る魔術装置ですか」


 トールがかつて旅の途中、古代の遺跡とやらを探索することになり、偶然発見した巨大な魔道具。今思えば、あれもラグリス文明の遺産なのであろう。

 使用にはいろいろと面倒な条件があることが判明しているが、物品を複製して増やすことが可能という規格外の機能を持っている。

 それを使えば種籾も増殖できるはず、とトールは計算しているのだ。


「なるほど、よく考えていますね」


 ロジオンも珍しく褒めている。彼は物腰こそ穏やかだが、魔術に関してはやはり厳しく、滅多に他人を褒めることがない。トールは照れ笑いして頭をかいた。


「ああ、それから。大事なことを聞いていませんでした」


「何でしょう、ロジオン師」


「その稲から取れる食べ物、コメと言いましたか……そんなにおいしいのですか?」


 茶目っ気のある笑みを浮かべ、ロジオンが問う。

 トールは満面の笑顔で答えた。


「俺は、大好きです!」



✳︎✳︎✳︎



 太陽が西へ傾いた頃――。

 勇者が去ったその部屋に、もう一人の来訪者がやってくる。


「ただいま戻りました、師団長。……師団長?」


 入室してきたその男は、トールよりは幾らか年上のようだが、まだ若い。炎のように真っ赤な髪と、やや吊り上がった鋭い目つきをしている。背が高く痩せ形の体型で、群青色を基調とした魔術師団のローブをまとっていた。


「どーしたんですか――うわ!?」


 男が素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 室内を風、に似たものが駆け抜けたのだ。

 風のようで風ではなく、音のようで音でもない、それは濃密な魔力の波動であった。

 そこらに置かれた本や書類や、片付けられていなかったティーカップなどがかたかたと震え、ざわざわと空気が鳴っている。


「ロジオン師団長!」


 男が大声で呼んだ。

 ざわめく魔力の中心に居る人影は、魔術師団長ロジオンである。彼は扉に背を向けて窓辺に立っていたが、ふと振り返って目を見開いた。


「おや、フェンではないですか。いつの間に?」


 声と同時に、あふれていた魔力はするすると収束して消えていく。


「ちょうど今しがた戻ったところです、我らが師団長。もう夕方でございますよ」


 フェンと呼ばれた赤毛の男は、ぶすっとした顔で返答した。


「おやおや。ちょっとした瞑想のつもりでしたが、そんなに経っていましたか」


「ええ、そりゃーもう。で、えらく物騒で気合いの入った魔力の練り込み方でしたが、なんか妙な依頼でもあったんですか?」


「そうですね。トール君が訪ねてきまして、また異世界召喚をすることになりそうです」


「はああ? まさか送還ですか?」


 フェンの顔色が青くなるが、ロジオンは首を振った。


「トール君は優しい子ですからね、違います。召喚するのは別のモノです」


「はー、驚かさないでください。心臓止まるかと思った」


「疑り深い私はともかく、フェンまでそんなことを言わないように。共に旅をした仲間でしょう」


 魔術師フェニックス――愛称フェン。

 彼もまた、火属性を中心に多彩な攻撃魔術を使いこなし、聖女セレストらと共に、勇者トールの魔王討伐に貢献した男であった。

 ロジオンがトールの異世界召喚で魔力を大幅に消耗してしまうこと、魔術師団を統率できる数少ない人材であること――魔術師団には一癖も二癖もある者ばかりそろっている――などの理由から、パーティーの同行者にはフェンが選ばれたのだ。

 口のきき方と目つきが悪く、態度もふてぶてしさがあるため不良のように見られがちだが、魔術師団でも師団長ロジオンに認められた実力者である。


「すいませんね、オレは師匠に似て疑り深いんです。それに帰れないと分かった時の、あいつの落ち込みっぷりも見てますし……」


「仕方のない弟子ですね、全く」


「どの口が言うんだか。んで? トールのやつは何を召喚したいんですか?」


「異世界の植物の種子だそうですよ。育てて食べるつもりのようです」


「はい……? あいつ何やってんの……?」


 素で呆れた声を出すフェン。ロジオンは笑いながら続けた。


「トール君は何でも農民になるのが夢だったそうで」


「なぜ農民……」


「帰れないなら、こちらの世界で農業をすることにしたようです」


「いやいやいや、あいつあれでも勇者ですから! 他にやることあるでしょうが。だいたい農業魔法を使えねーのにどうするんですか。頭がおかしい」


 聖女、国王、宰相、それに王女と魔術師団長――彼らがあえて口にしなかったその言葉を、あっさり言い放ってしまうフェンである。


「勇者は『諦めない者』ですからね。たやすく折れない心の持ち主でなければ、魔王とは戦えません。元からそういう素質を持つ者が選ばれるのか……女神によって、そのような加護を与えられるのか。そこは分かりませんが、とにかく強靭な精神を持っているのですよ」


「そりゃ、そうかもしれませんけど」


「こういうのをニホンゴでは『めんとすこーら』と言うらしいですね」


「師団長、それって『メンタルつよい』の間違いですよ。無理に新しい言葉を使おうとしないでください。返ってジジイ臭いんで」


「なんと冷たい。年寄りはいたわるものですよ、フェン? そもそも人は好奇心を失った時に老いるのです。私がこの年になっても若さを保っていられるのは、常に新しいものに興味があるからだというのに」


「師団長はそーゆーレベルじゃないでしょう、百歳近いのに若造りの化けもんじゃないですか。禁断の不老魔術を使ってるとか、夜な夜な乙女の血を吸ってるとか噂されてるくらいなんですけど」


「おやおや、そんな興味深い魔術があれば真っ先に研究していますがね。それはともかく、トール君は何が何でも農民になりたい訳です。勇者としての能力やら名声やら、使えるものはどんなものでも使う気満々でしたよ」


 元気で何より、とロジオンは満足そうだが、フェンは頭を抱えている。


「だからって師団長までこき使うとか……どう考えても使い方が間違ってるでしょうが! まさか、まだ魔王の呪いかなんかを喰らって正気をなくしてるんじゃ……」


「大丈夫ですよ、ようやく吹っ切れただけだと思います」


「吹っ切れ過ぎにも程があるって言ってるんです。もう分かりました、オレがトールにちょっと説教してきます」


「フェン、いけませんよ。君のお説教は『こんがり炙って上手に焼けました』とほぼ同じではありませんか」


「あいつは勇者です、そう簡単に焦げませんよ」


「とにかく駄目です。そこに座りなさい、フェン」


 ロジオンはぴしりと椅子を指差し、不満げなフェンを着席させた。


「身勝手は我々の方です。送還にしてもトール君が召喚された直後なら、まだ見込みはあったのです。彼の『力』が開花する前でしたからね。ですが魔王を討伐するために鍛錬を重ね、勇者として強くなった結果、送還が事実上不可能になってしまった……つまり最初から最後まで、我々のせいなのです」


「うっ……確かにそうですが」


「トール君が我々に怒り、絶望し、復讐の鬼となる可能性すらあるのですよ? 平和的な農業を手伝うくらい、大いに結構ではありませんか」


「魔法を使わない時点で、だいぶヤバそうな農業ですがね……言いたいことは分かりました」


「よろしい。そもそも、この依頼はですね……」


 ロジオンはいつになく真剣な眼差しをする。


「――滅多にない幸運な機会なのですよ? 何しろ異世界召喚の魔術装置に、もう一度触れられるのですからね。しかも報酬として、トール君が持っている貴重な素材も分けてもらえるのです。断るはずがないでしょう」


 フェンの神妙な顔が、じっとりしたものに変わった。


「師団長、そっちが本音でしょうが」


「失礼な。健気に頑張るトール君のお願いに全力を挙げて協力するという話ですよ。あくまでもそのついでに、ほんの少しばかり研究しようと思っているだけです」


「うわあ、嘘くせぇ……」


 顔の前で煙でも払うように、手をぱたぱたさせるフェン。ロジオンは肩をすくめた後、再び窓辺の外を見る。


「トール君本人もそうですが、元の世界にいる彼のご両親のことを考えると、とても心が痛みます。たとえ帰れなくても、せめて幸せになってほしいのですよ。フェンもいつかきっと、親になれば分かるでしょう」


「……師団長……」


 フェンは目元をぬぐう仕草をした。

 ただし、実にわざとらしい感じで。


「なんて白々しい……! 結婚したことも無い人がよく言いう。呆れを通り越してオレは今、猛烈に感動してます」


 魔術師団長ロジオンは若い頃から妻子を持たず、独身を貫いてきたことでも有名である。

 魔術の実力だけで爵位を得た天才であり、容姿端麗、物腰も柔らかな彼には降るほども縁談があった。

 だが「魔術の研究に生涯を捧げたい」という理由で全て断っているのだ。

 そのロジオンは、さらりと銀髪を揺らして答えた。


「別に結婚をせずとも親にはなれますが、何か?」


「…………はあっ?!」


 絶句する弟子を尻目に、彼は爽やかな笑顔を見せる。


「さあ、忙しくなりますよ。トール君の農業が滞りなく始められるよう、急いで種子を召喚しなくては。今回はフェン達にも手伝ってもらいます」


「いやいやいやいや! そうじゃないでしょう! 何ですか今の発言! ちょ、隠し子?! い、いつもの冗談ですよね?!」


「フフ、何のことやら。では、宰相閣下にご相談してきます」


 ロジオンはローブを翻し、優雅に手を振りながら部屋を出ていった。

 後に残るは、ぷるぷると震える赤毛の魔術師。


「ふざけんな――! あんの、クソジジイ――――!」


 夕暮れに沈み始めた王城の片隅で、魂の絶叫が木霊するのであった。


 米の名は…「恋の予感」(広島県)

 登熟期の高温に強く、いもち病、縞葉枯病に強い。大粒でもちもち食感。

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