22.太陽が照らす、その下で
サンテラ子爵家は、非常に厄介な呪いを持つ一族である。
爵位こそ高くはないが、歴史のある貴族家だ。
その祖先の誰かが、おとぎ話のように精霊と妙な取引でもしたのだろうか。
歴代、サンテラの名の下に生まれる者は、一人の例外もなく美形であった。
子爵という低い身分にもかかわらず、男なら妖精王、女なら妖精姫と呼ばれることもあるほどーー繊細で、儚げで、触れれば落ちそうな容姿に、必ずなる。なってしまう。型枠で押したように。
そして、その美貌ゆえに数々の災難が降り掛かる。
そういう家系なのである。
「ーーお兄様。今度はどなたに目を付けられたんですの?」
当代子爵の末娘であるリンテも、もちろん典型的なサンテラの女であった。
いかにも可憐で愛らしい顔立ちと、ほっそりした身体つきをしている。
彼女の問い掛けに、兄クリスはぐったりして答えた。
「ヨーバル伯爵令嬢ユージェ様だ」
「よりによって一番、お断りできない厄介な方ですわね」
クリスもまた、リンテを男にすればこうなるであろうと思われる、線の細い優男である。
「夜会で挨拶しただけなのに……うん。嫌な予感はしたよ」
「いつもの不運ですわね」
「走って逃げればよかった。我が愛しの人になんて言おう」
「そのまま申し上げる他ないのでは? おねえ様なら許してくれますわ」
おねえ様、と言っているが、実際は兄がお付き合いしているご令嬢のことだ。サンテラの不幸体質ゆえに、結婚に至っていないだけで、義姉も同然の人である。だからリンテはそう呼んでいる。
「リンテ。自分は関係ないと思っているね?」
「関係がありますの?」
「お前も共に行くことになっている」
「というと?」
「私が逃げられないようにするため……だろうね」
「まあ」
リンテは頬に白い指を当て、憂愁を含んだ溜息をついた。
そして言った。
「全力で走って逃げるか、さもなくば殴り倒したい気分ですわね」
妖精の中身は、よく鍛えられた脳筋であった。
さもないと、降り掛かる火の粉を払えないからだ。
見掛けとは裏腹に、頑丈な鋼鉄の精神を持っているからこそ、サンテラ家は今日まで命脈を保ってきたのである。
「ーーという訳で、兄の人質……ではなくて、おまけでこちらにおりますの。あなたのお邪魔をするつもりではありませんでしたわ。どうかお許しくださいませ」
リンテは淑女そのものの礼をした。
礼を受けた相手は、分厚い本を抱えたまま、ぷるぷると震えている。
「お、お嬢様のせいでご迷惑が掛かったんですね。すみません……」
リンテは表向き、ヨーバル伯爵令嬢ユージェの話し相手として、伯爵邸に呼ばれている。
しかし、ユージェ自身はあまりリンテに興味がないようだ。
それは側仕えにされたはずの兄クリスも同じで、強引に呼び付けられた意味が分からないとこぼしていた。
結局、相手にされないリンテは暇を持て余し、先日から伯爵邸の図書室で過ごし始めた。
名家たる伯爵家の蔵書は大変立派なもので、本を汚損しなければ読んでも構わないと許可ももらっている。
(使用人の皆様と、ユージェ様ご本人。何だか行き違いがありますわね)
クリスを側仕えにしたい、と考えたのは恐らくユージェ自身ではなく、その周囲、しかも一部の者の暴走だろう。
見目が良い男を差し出せば姫君が喜ぶと思った、そんなところか。
巻き込まれたクリスとリンテにはよい迷惑だが、身分が高い者にはままある現象だった。
もっとも、サンテラの呪い体質を考えれば、まだ最悪ではない。
ユージェに気に入られ、離してもらえなくなる方がよほど厄介だ。
これは静かに嵐が過ぎるのを待つしかない。
そう開き直った矢先、リンテは興味深い人に出会った。
「まあ。それでは、イヴ様は伯爵家お抱えの魔術師なのですね」
「さ、様はやめてください。そんな大したものじゃないです」
図書室の中でも薄暗い隅の方で、じっと本を読んでいた人。
イヴと名乗った若い女性だが、服装や髪が全く手入れされていないことからして、令嬢ではない。かと言って使用人にも見えない。
魔術師と言われれば半分は納得できるものの、もう半分では、
(随分、腰が低くて大人しい方だこと)
と思ってしまう。
しかし、好ましい人柄には違いない。
伯爵家の使用人達は居丈高な者が多く、仲良くなれそうになかったので、これは嬉しい。
リンテはイヴと色々なお喋りをした。
楽し過ぎて、危うく帰る時間を忘れるところだった。
「ごめんなさいお兄様。お友達ができたものですから、久しぶりのお喋りが楽しくて、つい」
待たせてしまった兄にリンテは謝った。
「……男性ではないだろうね、リンテ?」
「違いますわ、もう。とっても可愛らしい女性の方ですから心配なさらないで」
「お前の悪い病気も程々にね。どんな相手でも、あのヨーバル伯爵家の縁者だということを忘れてはいけないよ」
「分かっておりますわ。でも本当に愛らしい方ですのよ」
自分の容姿は棚に上げて、リンテは可愛いものが好きだ。
可愛いものを、もっと可愛くするのも大好きだ。
雲間から光が射したように、その日からは行くのが楽しみになった。
イヴは可愛い人である。
ヨーバル家の中では例外的に温厚で、優しく、他人を思いやる美徳の持ち主だ。
だが残念なことに、自分の身なりには全くこだわりが無い。
魔術師として生きてきたからだろうか。
くすんだ灰銀の髪は少し癖毛のせいもあって、もさもさと伸びっぱなしに見える。前髪も長くて顔の上半分を隠しており、そこから覗く頬や口許も日に当たらないせいか、肌が荒れ気味で血色も良くない。
しかしリンテに言わせれば、そんなものはどうとでもなる。
髪は香油を付けてとかせば、だいぶましになる。元の顔立ちがよほど不味いのでもなければ、肌の色合いなんて化粧一つで変えられる。
そう思って、少しお節介を焼きたくなってしまった。
『お前の悪い病気も程々にね』
兄に忠告されたことも忘れて。
(ごめんなさいお兄様。私、生きて帰れないかもしれません)
恥ずかしいと言っていたイヴの前髪をつまんだまま、リンテはぴたりと固まってしまっている。
イヴが前髪を上げない理由が分かった。
分かった時には手遅れだった。
顔を晒すと、一目で明らかになってしまうからなのだ。
彼女が、伯爵の隠し子だということが。
ばれたら、問答無用で消されかねない秘密である。
「ご、ごめんなさいリンテさん。本当にごめんなさい。見なかったことにしてください……」
イヴが消え入りそうな声で言った。
ユージェや伯爵と同じ、すみれ色の目に涙が溜まっていた。
その涙を見た瞬間に、リンテの動揺は引っ込んだ。
リンテ・サンテラともあろう者が、このくらいでびびってどうする。
この程度の逆境なんて、今までにも腐るほどあったではないか。
「ーーイヴさん」
泣きそうな友人の目を見て、リンテは笑顔を作った。
「イヴさんがあんまり美人だったので、びっくりしてしまいましたわ。嫌だったならごめんなさい。前髪はこのままにしますけど、とかすくらいは良いかしら?」
「えっ……ええと。はい」
イヴがぱちぱちと瞬きをした。
リンテは櫛を出して、静かにイヴの癖毛をとかし始めた。
イヴは緊張しているようだったが、しばらくして小さな声で話した。
「この髪は、他にも理由があって」
「ええ」
「色々なものが視え過ぎるので、あまり視たくないんです」
「どんなものか聞いても?」
「えっと、魔力だったり……」
「ええ」
「感情が魔力に乗る人って結構多いですから、それが視えちゃったりです」
「考えていることが読めてしまうんですの?」
「そこまで行かないです。でも怒ってるとか、私のことが嫌いだなとか、嘘をついてるとか、何となく」
出てくるのが負の要素しかない。
「それは……」
リンテは考えてから言った。
「便利そうな気もしますが、きっとつらいこともあるでしょうね」
「そうですね、時々……」
イヴは悲しそうに答えた。
リンテは黙って、灰銀の髪に櫛を通し続けた。
やがてイヴはつぶやいた。
「……人に髪を手入れしてもらうなんて、子供の頃以来です……」
「いつもはご自分で? 侍女はいないのですか」
「着替えを持ってきてくれる人はいます」
「お母様は?」
リンテは努めて、何でもない世間話のように聞いた。
「私を産んで、すぐ亡くなったそうなので……」
「まあ。淋しかったですわね」
ーーリンテの知る限り、ヨーバル伯爵が愛人を持ったことはない。正妻はバイエル侯爵家の姫君だが、子供は一人娘のユージェだけ。愛人を迎えて男児をもうけては……という話もあったようだが、伯爵は主家に義理立てしたのか、結局そうしなかった。
ユージェに婿を取るか、縁戚から養子を迎えるかして家を継がせるはずだと言われている。
だが本当はもう一人、伯爵の娘が存在していた訳だ。社交界でも、ほぼ知られていない事実ではあるが。
(ーーでしたら、イヴさんはなぜ)
令嬢の教育も受けず、ただ放置されているのか。
血筋ではユージェに劣るが、十分に美人で、性格も良く、魔力にも優れている逸材である。
普通の貴族なら、政略結婚に使える娘とみなすであろう。子供を政略の道具としか思わない、悪い意味で貴族らしい貴族というのは珍しくない。幸いなことにサンテラ家は違うが。
ヨーバル伯爵はやり手で知られており、イヴの「使い道」を考えない方がおかしい。
あえて全く光を当てようとしない理由があるとすれば、それはーー。
(手許に置いておきたいから……? いえ、まさかですわね。でも……)
リンテは身をもって知っている。
大輪の花というよりは可憐な容姿で。
気弱で大人しそうに見えて。
そして、身分もそこまで高くない、という女性には。
絶対にロクでもない男が寄ってくるのだと。
例えば、外面はいいが影では暴力を振るうとか、実は借金を繰り返しているとか、女癖が悪くて浮気ばかりするとか。
そういう屑がなぜか引き寄せられてくる。
リンテをはじめ、サンテラの女は見た目が見た目なので、こういうハズレに引っ掛からないよう徹底して教育される。
だがイヴは……。
(食い物にされる未来しか見えませんわね……)
伯爵の考えなど分かるはずもないが。
いずれにせよリンテにできるのは、こうして髪をとかすくらいなのかもしれない。
考えているうちに、イヴの髪はさらさらになっていた。
「ほら! 随分良くなりましたわ。いかがですか?」
イヴはぺたぺたと頭を触って、自分じゃないみたいです、とつぶやいた。
「ーーそろそろ帰らないと。兄が心配しますから」
リンテが言うと、イヴがはっとして顔を上げる。
「リンテさん。そのぅ、また、来てくれますか」
「もちろんですわ。あなたが許してくださるなら、ですけど」
リンテは唇に人差し指を当てた。
ーー「あのこと」は二人だけの秘密だ、という意味を込めて。
「いつか、あなたのお化粧もさせてくださいね」
「そ、そんな日が来るか分かりませんけど……えっと、嬉しいです」
イヴは口許だけで、おずおずと微笑んだ。
この時から二人は、本当の意味で親友になったのだ。
✳︎✳︎✳︎
ヨーバル伯爵家に通う日々は、半年ほどで終わりを告げた。
クリス・サンテラを令嬢ユージェの側仕えにしても、大して旨味は無い。
そういうことになったからだ。
無論、クリスが持ち前のしぶとさを発揮して、そう思われるように立ち回ったからでもある。
ともかく、リンテが親友に会う機会はなくなってしまった。
それで、定期的に手紙を書くことにした。
イヴからもちゃんと返事が来る。
細い糸だけれど、まだつながっている。
「友達もいいが、そろそろ自分のことも考える時期だよ」
兄にさりげなく諭された。
「分かっておりますわ」
つまり結婚相手を探せということだ。
リンテは考えた。
結婚するなら、どんな人が良いだろうか。
(サンテラの呪いに負けない人、かしらね)
美形は兄や父や一族のみんなで見慣れていて、もうおなかいっぱいだ。
大きくて、強そうで、災厄の方から逃げていくような、こわもての人が好ましい。
どこに行けば、そういう男性が見つかるだろう。
リンテは兄への差し入れにかこつけて、騎士団へ足を運んでみた。
クリスはああ見えて騎士の一人なのだ。
騎士としては小柄で細身だが、その外見に似合わず、えげつない手を使ってでも勝ちを拾いにいく男として有名だという。実にあの兄らしい。
だが顔は良いので、他の令嬢等が兄を見てはきゃあきゃあ言っている。
それを黙殺しつつ、リンテは理想の人を探し、そして見つけた。
「シャダルム・ゼータ?」
「ええ、あの方が良いですわ」
「よりによって、あの熊か……?!」
「問題がある方ですの?」
「無いから困る。伯爵家だけれど次男坊だからそんなに不釣り合いでもないし、スキル持ちだし、私でも滅多に勝てない強さだし、真面目で浮いた噂も無いし……品行方正な熊だね。まあ欠点は人型の熊というか熊型の人というか熊なところだが」
「なぜですの? そこが一番、点数が高いのですが」
「妹の将来が心配になってきた。熊のせいか」
「小姑が片付きませんと、おねえ様にも迷惑ですし。何とかしてくださいな、お兄様」
「やってはみるけどね……」
兄と、義姉になる人も、サンテラならではの不運に見舞われつつ、先日どうにか婚約までこぎ着けた。
リンテも兄の荷物になりたくはない。利害は一致している。
クリスはやればできる男だ。
見合いをすることになった。
だが、いつもの侍女が当日になって、風邪をひいて休んだ。
若い侍女が着付けをし、くびれを作るためにコルセットを締めてくれる。
少しきついかな、と思ったが問題になるほどではないと思い直した。
ところが、支度が進むにつれて少し具合が悪くなってきた。
これは、コルセットと言うよりも。
(いつもの侍女の風邪、もらったかもしれませんわね……?)
あまり考えたくない可能性だった。
「リンテお嬢様、顔色がよくありませんが……大丈夫ですか?」
若い侍女が心配している。
「……緊張しているだけよ。多分、きっと……」
結論から言えば、ちっとも大丈夫ではなかった。
サンテラの呪いは強力だったのである。
✳︎✳︎✳︎
「絶対に駄目だよ」
妹には甘いクリスが、この時は譲らなかった。
「一言、お詫びしたいだけですのに」
「謝罪ならやっておいた。お前の兄として、子爵家の後継ぎとしてね」
「ですから……!」
見合いがうまくいかなかった。
いや、正直に言って稀に見る大失敗だった。
リンテが気を失った上に寝込んでいる間、後始末をしてくれた兄には申し訳ない。
そして見合いに来てくれたのに、こんな目に遭わせてしまった騎士シャダルムにも申し訳ない。
だがリンテが謝る必要はない、とクリスは言うのだ。
クリスはかなり怒っている。リンテにではなくシャダルムに。
「可愛い妹に何してくれてるんだ、あの熊」
これである。
「シャダルム様の落ち度ではないんです」
リンテの説明はやや苦しい。
風邪気味だったと言うと、リンテに風邪をうつした侍女のせいになってしまうからだ。
侍女は運悪く風邪をひいてしまったが、長年誠実に仕えてくれている人だ。自分が原因だと知れば気に病んで、辞めるくらいは言いかねない。
それでリンテは、単にとても緊張していただけだ、と主張することになるのだが。
兄は兄で、リンテが見合いくらいで緊張して倒れるような女ではない、と知っている。
そのため、シャダルムを庇っているとしか思ってくれない。
「……熊野郎め……」
全くの逆効果でこうなる。
騎士シャダルム・ゼータが、威圧系のスキル持ちであったことも災いし、すっかり彼の責任になってしまっていた。
(シャダルム様はちっとも悪くありませんのに!)
ひたすら申し訳ない。
リンテは溜息が止まらなかった。
✳︎✳︎✳︎
半年ほど経った。
リンテはあまり外出や社交をしなくなった。
イヴに手紙を出す他は、付き合いのある令嬢と茶会に出るくらいだろうか。
シャダルムとの見合いの一件は、社交界でそれなりに騒がれたようだが、リンテはどちらかと言えば同情されている。
美女と野獣ならぬ妖精と熊の扱いだ。
シャダルムへの申し訳なさが募る。
「もうお見合いは懲り懲りですわ」
「だからリンテは悪くないと言っているのに。お前らしくないね?」
「その話はもう結構です」
兄妹の会話は平行線をたどった。
「ようやく結婚できたお兄様達の邪魔をするつもりはありませんもの。どこかの家へ行儀見習いにでも行こうかしら」
「サンテラの女がそれをやると、必ず問題が湧いて出るだろう。駄目だよ」
困った表情をするクリスである。
「あの熊のせいで、見合いがそんなに嫌になったのか。やはり一度くらい半殺しにしておくべきだったかな。まあ一服盛れば、私でもどうにか……」
「ですから、あの方は何の落ち度もありませんわ。他の男性でも、ああいう目に遭わせてしまうのは気の毒だと言ってるんです」
「リンテ。あんなスキル持ち、滅多に居ないからね? ゼータ伯爵家でも三十年ぶりだそうだ」
「……ええ。そういう最強と言われるような方でも、この厄介な呪いを振り払えないのですよ? 他の方なら尚更でしょう」
クリスは、おや、という顔をした。
「次の誰かは、要らないということかな?」
「……きっと、うまく行かないと思うだけですわ」
リンテは、ふいと横を向いた。
「この方なら、と思ったのに、一言も話せずに終わりましたのよ? もう自信なんてありませんわ。結婚相手は、お父様やお兄様が決めてくださいませ」
「うーん。では、あいつになら会っても良いと?」
「……今更、何をおっしゃいますの。既に切れてしまった糸ですわ」
「そこは別に、やりようはある。でも、そうか、兄としてものすごく複雑だが仕方がなさそうだね……」
「急に納得しないでくださいまし。だいたい、こんな大恥をかかせた女ですのに」
「いや。これは何とかしないと、私の可愛い奥さんから死ぬほど怒られるような気がするよ」
クリスはそう言って騎士団へ出掛けていったが、だいぶ経ってから浮かない表情をして帰ってきた。
「だから言いましたでしょう、断られるに決まっていますわ」
「そうではないんだ。そもそも、連絡が取れなかった」
「え?」
「特殊な任務に就くと言われた。任地も期間も、公表できないと」
「そんなことがありますの?」
「私も初めて聞いたよ。ただ心当たりはある。少し前に、勇者召喚が行われたという話があったから」
勇者パーティーの一人は騎士団から出すらしい、と噂されていたそうだ。
「では、そちらへ行ってしまうのですね」
「恐らくはね」
「いつ帰っていらっしゃるか、いいえ、帰ってこられるかも分からないと」
「そうなる」
「……サンテラの呪いですわね。私、血が濃いのかしら」
「そのことだけどね、リンテ」
クリスはわざとらしいくらい明るく言った。
「呪いは確かに強力だけれど、なんだかんだ言って、想い人と死に別れた者はいないらしいよ。私も随分調べたから間違いない」
空元気だとリンテにも分かった。
彼女も、無理矢理に微笑んでうなずいた。
「では、待ちますわ」
✳︎✳︎✳︎
三年が経った。
リンテは二十歳になっていた。
貴族女性としては婚期を逃しつつある。
だが、それで罪滅ぼしになるなら良いかな、とリンテは思っている。
サンテラの男達も出征したが、何とか全員が帰ってきた。
近しいところで言えば、父が兄に爵位を譲って自分が行った。
「若いのを出すと、魔物以外の災難が多過ぎてロクな結果にならん。我が一族は年を食っているジジイからにしないと不味い」
そう言って飄々と出掛け、けろりとした顔で戻ってきたのが、サンテラの代表格たる父らしかった。
シャダルムも勇者と共に帰還している。
一時期、縁談が殺到していたが、途中から王都に姿を見せなくなった。
(お兄様、何かしたのではないでしょうね)
手段を選ばないところがある兄を、リンテは少しだけ疑っている。クリスが義姉や父母と、こそこそ話していたのを知っているからだ。
ゼータ家とも縁がある方に、伝手を使って頼んでみるーーというようなことを言っていたと思うのだが。
みんなリンテに気を遣っているらしく、教えてくれない。
イヴの方から手紙が来た。
しばらく王都を離れるので、手紙が出せなくなるという謝罪の内容だった。
(イヴさんが?)
結局この数年、彼女が日の当たる場所へ出てくることはなかった。
外出するのも、常に異母姉たるユージェの影としてである。
そのイヴが王都を離れる。
どういうことかと思っていると、社交界に一つの噂が流れ始めた。
ユージェ・ヨーバルが、勇者の領地へ代官として赴くと。
(前代未聞ですわね……)
恐らく、イヴも同行するのだ。
勇者トールがどういう人物なのか、リンテは知らない。
遠目に見たことがあるくらいだ。
しかし、魔王を倒し太陽と青空を取り戻した英雄だから、そう酷いことにはならないと思いたい。
(大丈夫かしら。勇者様が、イヴさんを助けてくれる人だと良いのですけれど)
リンテは親友を心配するあまり、手紙に書いてあった一文を見落とした。
『リンテさんのために頑張ります』
イヴには珍しい、濃い目の筆圧だったのだが。
この時のリンテはまだ、シャダルムが身を寄せている先が、勇者の領地であることを知らない。
✳︎✳︎✳︎
陽射しの強い夏が来た。
貴族令嬢は日焼けをしないように、なるべく屋内で過ごす。
その日のリンテもそうだった。
昼下がりになって、急に窓枠がカタカタと鳴った。
「風が出てきたかしら」
たまたま侍女は席を外している。
リンテが立って窓を閉めに行くと、風がくるくると吹いて、彼女の髪を揺らした。
『ーーリンテさん』
風の中から聞き覚えのある声がした。
「イヴさん?」
窓から顔を出してみるが、どこにも人影はなかった。
『リンテさん、それ、落ちちゃうから駄目です。戻って。私、お屋敷の通用門の前に居ます』
「イヴさん……?!」
子爵邸の通用門は、リンテの部屋からは見えないはずの場所である。
イヴはどこから、どうやって話し掛けてきたのだろうか。
よく考えればイヴは魔術師だ。
そのくらいはできて当然なのかもしれない。
リンテは急いで肩掛けを羽織り、部屋を飛び出した。
「リンテお嬢様?! どうなさいました?」
すれ違った侍女が驚いている。
「お客様よ……多分!」
「た、多分?」
きょとんとする侍女を置いて、淑女らしくなく走って屋敷を出た。
ささやかな庭も走って、使用人等が出入りする通用門まで行った。
懐かしい人が旅装で立っていた。
リンテは思い切り抱きついた。
「イヴさん!」
「リンテさん、良かった! おうちに居なかったらどうしようかと」
イヴも控えめに喜んだ。
その横で、サンテラ家の門番をしている男が言う。
「あのー、お嬢様? その娘さん、リンテお嬢様のお友達で合ってますんで?」
「ええ、そうよ」
「そんなら良いんですがね。お嬢様が来るはずだから開けてくれとか、変なこと言うからびっくりしましたよ」
「えっと、すみません……どうしてもリンテさんに会いたかったので……」
謝るイヴ。
「構いませんわイヴさん。どうして、こちらにいらしたんですの?」
「ええと、その、すごく色々ありまして、トールさ……勇者様の領地から戻ってきたんです。あちらの人と一緒に」
「えっ?」
リンテはイヴの視線を追って、その人を見つけた。
数歩離れた場所で、どうやったのか巨体の存在感を消していたシャダルム・ゼータが、うっそりと頭を下げた。
「ええっ……?!」
リンテは固まった。
(今の、淑女らしさの欠片も無いところを見られてましたの?!)
イヴが小さい声で言った。
「あのねリンテさん。私、シャダルムさんにね、リンテさんにあげるなら何がいいか、好きなものを訊かれたんですけど」
「え、ええ」
「思いつかなくて。シャダルムさんが早く行くのが一番良いんじゃないかなって思って、無理を言って着いてきてもらったんですが」
「まあ」
「……でも、やっぱり、その、余計なお世話でした?」
「……いいえ」
自信が無さそうな親友の声を聞いて、リンテは慌てて首を横に振った。
問題は、あると言えばある。貴族としては本当にあり過ぎる。
でも。
「よろしかったら、お茶でも飲んでいってくださる? お話したいことがたくさんありますの」
リンテは微笑んで、その人を招く。
呪いが晴れて、会いたい人に会えたのだから、もう気にしないことにした。
米の名は…「ヒノヒカリ」(宮崎県)
九州悲願の良食味米として誕生。育成地のみならず熊本、福岡、大分など九州各県および西日本で栽培される「西の横綱」。




