1.聖女の一撃、青天の霹靂
「農家になりたい……ですか……」
聖女セレストは、可愛らしい顔をこてんと傾けた。
何を言われているのか分からない、という表情だ。
「うん。稲っていう、俺の世界にあった作物を育てたいんだ。こっちには無いみたいだけど、そこは何とかするから」
「イネという作物を……育てる……農家になる? 勇者であるトール様が?」
「そう」
「女神よ、どこから突っ込めばいいのでしょうか……うっ、頭が」
白い額を押さえ、プラチナ色の髪を揺らしながらセレストがうめく。
トール――徹は異世界風のイントネーションでそう呼ばれていた――は慌てて声をかけた。
「だ、大丈夫かセレスト? 回復魔法を」
「いえ、結構です。必要なら自分で致しますから。わたくしは『聖女』ですよ?」
「あ、そうだよな。悪い」
セレストはルリヤ神殿に所属する女性神官である。優秀な回復魔法や補助魔法の使い手であり、勇者トールの旅に同行して、癒やしの技でパーティーを支えた一人だ。
性格は真面目で温厚。さらに白い肌に金髪碧眼、可憐な容姿の持ち主で、「聖女」とまで呼ばれている。
討伐の旅を終えた直後は彼女も忙しかったようだが、ようやく時間ができたそうで、トールの様子を見に来てくれたのだった。
そのセレストが、こめかみの辺りを手で揉みながら溜息をつく。
「まず根本的なところから言いますね。トール様は勇者ですから、農家にはなれません」
いきなりの宣告であった。
「え、なんで?」
「勇者は、勇者の固有スキルと初歩の属性魔法しか使えません。他の魔法を習得できないのです」
「それは知ってるけど」
「ええ。ですから、農業魔法〈マギ・カルチュア〉も使えません」
「んん?」
トールは眉を寄せてセレストを見た。
「どうやって魔法で農業をするんだ?」
セレストもまた、眉を寄せてトールを見た。
「どうやって魔法無しで農業をするんですか?」
「え?」
「え?」
勇者と聖女は思わず見つめ合った。
しばらくの間、痛いほどの沈黙が流れた。
この世界には魔法があり、人は身分や国籍などにかかわらず、誰でも、ある程度の魔法が使える。
もちろんトールもそのことは知っていた。
旅の間、敵と戦う時に限らず、あらゆる場面で当然のように魔法が活躍していたからだ。
野営で火を起こすのは火魔法。料理を作る時、食材を刻むのは風魔法。飲み水の消毒や皿洗いは水魔法。体を清潔にするのも風呂や水浴びではなく、清浄魔法というものを使うことが多かった。
だが、まさか農業まで魔法を使っているとは……。
農村地帯を旅したこともあったが、勇者パーティーが赴くのは魔王軍との戦闘が激しかった地域である。
ほとんどの畑が荒れ、焼け野原になってしまっていた。
おまけに、あの頃のトールは魔王を討伐して日本に帰ることしか考えていなかったため、異世界農業のやり方まではよく見ておらず、全く気づかなかったのだ。
「農業魔法〈マギ・カルチュア〉はいくつかの系統に分かれていますね。土を肥えさせる魔法、作物の成長を促す魔法、雑草や虫を寄せ付けにくくする魔法が主に使われます」
セレストが説明してくれる。
魔法と言っても、地球のおとぎ話に出てくる豆の木のように、瞬時にニョキニョキ大きくする訳ではないらしい。
大量に魔力を与えて急成長させることもできなくはないが、無理に育てても味がとても不味い作物になってしまったり、大地の恵みを奪い尽くして畑が駄目になったりと、マイナスの方が大きいのだという。
「大地と作物が保有している魔力を健全に保ち、淀みなく循環させることが大切なのです」
「なるほど」
つまり、地球の農家が田畑を耕したり、肥料や農薬を使ったりすることと、基本は同じ。異世界では、農業機械や化学薬品ではなく魔法でやっているという訳だ。
『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』
そんな言葉が地球にはあったが、逆もまた真なのかもしれなかった。
「それにしてもセレストは詳しいな」
「地方の神殿では、農業魔法〈マギ・カルチュア〉で人々に奉仕するのも、神官の務めの一つですから」
「へえ、そうなのか」
この世界では、誰しもが初歩的な魔法である農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使える。
だが、生まれつき魔力が少なかったり、魔力の制御が苦手だったりして失敗することもままある。ベテランでもたまたま目が届かず、手に負えなくなる場合もあるらしい。
そんな時は最寄りのルリヤ神殿が、要請を受けて神官を派遣する。そして、さまざまな農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使って問題の解決をはかるのだという。
(じいちゃんが言ってた営農指導員みたいなもんかな)
ツナギを着たセレストを想像してしまい、トールは笑いをこらえた。
「――トール様?」
「あー、何でもない。セレストは地方の神殿に居たってことか」
「ええ」
セレストは、とある地方都市の出身だそうだ。才能を認められて王都の神殿に移るまでは、毎日のように農業魔法〈マギ・カルチュア〉で農民の手伝いをしていたという。
「そりゃ詳しくもなるよな、納得した」
「はい。ですから農業は……」
「待ってくれ。セレストも知ってると思うけど、俺が居た世界には魔法なんてなかったんだ。だから農業だって魔法を使わずにやってたし、こっちでも同じようにやればいいんじゃないかなと」
「魔法を使わない農業ですか……」
セレストはしばし考え込み、やがて恐る恐る、という風情で言った。
「トール様。まさかと思いますが、こう……」
彼女はすっと腕を伸ばして、両手で何かを振るような仕草をする。
「道具を手に持って直接、土を柔らかくしたりするとか……よもやよもや、そういうことではありませんよね?」
「いや、まさに基本はそういうやつなんだけど……」
「おうふ」
空想上の農具を放り出したセレストは、目をつぶって天を仰ぐ。
「なんという、原始的な! そんな遅れた農業で大丈夫だったのですか?!」
「……まあ一応は。確かに、食料自給率は低かったけどね」
苦笑いするトール。
地球には魔法が無い。
だが、こっちの世界には電話もインターネットも無い。自動車や飛行機も無く、ロケットが宇宙へ飛ぶことも無い。
食べ物だって、食べられないほど不味いまでは行かないものの、味わいは実に微妙だ。
パンも野菜も肉類も、基本的に固くて歯応えがあり、慣れるまでは食後にずいぶん顎が疲れていた。それに妙な臭み、えぐみがあったり、筋張っていたりする。
衣服も……トールにオシャレのセンスなんて皆無だが、それ以前の問題で肌触りや着心地があまりよくない。
総じて、魔法を抜きにした文明レベルは元の世界の方が上だったとトールは思う。セレストと言い争っても仕方がないので、口には出さないが。
(ナチュラルに遅れてる扱いされるとはなぁ。セレストも悪気は無いんだろうけど、言ってくれるよ)
裏を返せば、それだけ農業魔法〈マギ・カルチュア〉が重視されているのだろう。
農業も魔法が基本の異世界で、魔法無しの稲作(この世界には存在しない)に挑む――。
もしかしたらそれは、向こうで見ていた某テレビ番組のような――「農業機械も農薬も化学肥料も使わずに、一から無人島を開拓して農業をする」くらいの無理難題なのかもしれなかった。
(いや、あの番組だって重機は出てたような……でも違う企画だったかもな。こっちじゃ見れないから、もう覚えてないけど)
召喚されて三年。農家になるためには必要な回り道だった――。
などという訳がない。
「向こうには、魔法とは違う方法で動く大きな道具があってさ。それに、虫を追い払ったり退治したりする薬をまくとか、農業を楽にする工夫はしてたよ」
「ですが、そういう道具や薬は、こちらには無いと思いますよ?少なくともわたくし、聞いたことがありません。――そもそも」
セレストはやや半眼でトールを見る。
「以前伺ったお話では、トール様はガクセイという身分で、特になりわいを持っていなかったとか。農民の仕事をしたことがあるのですか?」
「あー、うん。無いな。じいちゃんの家へ行った時に手伝ったくらい」
「トール様。あえて申し上げますが、余りにもフワッとし過ぎではないかと」
「まあ、そうだけどさ……」
そう、トールは農業未経験なのであった。
帰省した時の手伝いと、後は本を読んで勉強した程度だ。一年を通して栽培したことも、体系的に稲作を学んだこともない。
さらにセレストには言いにくいが、就農は両親にも反対されていた。稲作で食べていくのは難しい、体力もいる、大変なばかりの仕事だから止めるようにと。
特に父は祖父の背中を見て育ち、それでも農業が嫌で会社員になったので、特に否定的だった。
そこを何とか説得して農業高校に転校するか、祖父の地元の農業大学校、もしくは地方大学の農学部に入る。
そして、ちゃんと勉強して卒業した後に農家を目指すというのが、高校生だったトールの計画であったのだ。
だが召喚されたことによって、そのプランは永遠に使えなくなった。
トールは農業知識も何もない状態で、異世界に来てしまったのだ。
――でも、諦めたくはない。可能性は低くても、完全なゼロではないのだから。
トールがそう告げると、セレストは再び溜息をついて髪をかき上げた。
「トール様。望めば、この世の栄華を極めることができるのですよ? 例えば、二百年ほど前に先代勇者様が、美女千人を集めた後宮を作られたという逸話のように、です。次の国王になることさえ簡単です。なぜ、わざわざ土にまみれる困難な道を選ぶのですか」
「……それは簡単だ。やりたいことだからだよ」
トールはそう言った。
「俺は別に後宮や王位なんか要らないよ。いろいろ大変そうだし。自分が好きなことをしながら、楽しく暮らせればそれでいい」
「そう……ですか。本当に、本心からそう思っているのですね?」
「うん。頼むよ」
セレストはじっとトールの顔を見つめていたが、やがて渋々と、実に不本意そうではあるが、頷いた。
「……仕方ないですね。他ならぬあなた自身が、そこまで言うのなら。でも、王国やルリヤ神殿にも立場というものがあります。魔王討伐の功労者であるトール様にろくな褒美も与えず、ただの農民に落としたなどと思われては困るのですよ」
「何とかならないか?」
「表向きはどこかに領地を賜り、開拓するという形ではないでしょうか。トール様がそれで宜しければ、大神官様や国王陛下には、わたくしからお伝えしておきます」
「ありがとう、セレスト」
「いえ。勇者であるあなたを補佐するのが、わたくしの役目ですから」
「ハハ、相変わらず真面目だな。旅は終わったんだから、もういいのに」
「好きでしていることです。お気遣いなく」
細々したことを話し合った後、セレストは「それでは」と一礼して部屋を出た。
ドアが完全に閉じたことを確かめて「聖女」はポツリとつぶやく。
「……わたくしがついていないと、あなたはまた、何をやらかすか分からないではありませんか。おそばに置いていただきますよ? これからもずっと」
米の名は…「青天の霹靂」(青森県)
青森の主役となる品種として開発。耐冷性、いもち病抵抗性に優れ、良食味。