16.悩み深き熊騎士、大草原の小さな家出
弓使いマーシェはそれから数日間、滞在した。
自らを「凡人」と称する彼女だが、仕事ぶりは抜かりがない。
そのためーー。
「で? そこの二人はスピノエスの宿屋で何をやらかして来たんだい? 隠しても無駄だからね、キリキリ吐きな」
早寝早起きのセレストが離脱した夜更け、トールとフェンが先日の買い物電撃作戦で起こった色々を白状させられたり。
また別の日には。
「セレスト、あんたもだ。向こうの神殿で暴れたらしいじゃないか」
「別に暴れてはいませんけれど。女神の教えを説いただけです」
「スピノエス神殿長が交代する騒ぎになってるよ?」
「あの方は、女性神官への態度が横柄かつ馴れ馴れしいというか……やたら身体に触れようとして来ますし、目に余るものがありましたので。説法の上で念のため、王都神殿などに報告はしましたね」
「ははーん。それでか、『聖女様の偉業を讃える会』ができてたのは。若い女の子中心で」
「大したことではありませんのに……」
「〈伝書〉の一発で神殿長の首を飛ばせるの、王国でセレストぐらいだからね? もうちょい自覚ってやつを持とうか」
セレストが何げなく、断罪の鉄槌を下していたことが判明したり。
……といったようなこともあったが、概ね愉快な日々だったと言えるだろう。
そして帰還の日。
「世話になったね。楽しかったよ、みんな。ありがとね」
マーシェはそう言って馬に跨った。
「これを持っていってください、マーシェ」
セレストとフェンは、魔力を込めたお守りのようなものを渡していた。彼等がスピノエスへ行く際に使ったのと同じ魔法や魔術を封じ込めてあり、二人が同行するのに比べれば威力は落ちるものの、旅程の短縮に役立つそうだ。
「お前も大変そうだからな。こいつでちったぁマシになるだろう」
面倒くさがりのフェンは、セレストに言われて渋々やった模様である。が、仕事に手を抜くタイプではないので、効果はきちんとしているはずであった。
「値段もつけられないような貴重品をポイっと渡すんじゃないってば。まあ、今回使うかは分かんないけど、ありがたくもらっとくよ」
マーシェが苦笑いしつつ受け取ったところを見ると、どうやら魔法使い二人は自重せずに己の能力を振るったらしい。
「俺は特に何もなくて悪いな。旅の無事を祈っておくよ」
「ああ、いいんだよ、それで。あたしの精神衛生上、とっても優しい対応さ」
トールには、そんな器用な真似はできない。無難に別れの挨拶をするだけにとどめた。
「じゃあね! 今後も一波乱どころじゃなさそうだけど頑張りなよ!」
マーシェは不敵に笑い、颯爽と馬を走らせて帰っていった。
これでイナサーク辺境伯領は、いつもの空気を取り戻したかに思えた。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかったのだ。
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草が生えた。
面白くも何ともないが。
ある朝、見回りに出たトールが気付いた。
水田の中にぽつぽつと、見慣れぬ雑草があることに。
「生えちゃったか。良いんだか悪いんだか」
トールは雑草の茎をつまみ、ぷちぷちと引っこ抜いた。丸みを帯びた葉がたくさん連なっている植物で、名前は分からない。
日本だと昔の偉い人が「雑草という名の草は無い」と言っていたらしいが、ラクサ王国は残念ながら違う。名前があるのは薬草や毒草、食べられる野草、花がきれいな草、くらいのもので、あとはひとくくりに「草花」であった。
農業魔法で雑草を寄せ付けにくくすることもできるので、あまり研究が進まないようだ。
そもそもラクサは日本よりもヨーロッパに似た気候で、放っておくとすぐ雑草だらけになる、という環境ではない。
魔族の侵略を受けたこの土地はさらに極端で、植物も魔力が薄いせいで全く生えていなかった。
雑草が出るのは開拓作業によって周辺の地力、つまり自然界の魔力が少しずつ戻ってきた証しでもある。
だが。
「田んぼの中だけ、やけに草が多くないか?」
今度はつる性の名もなき草を引っ張りながら、トールはうなった。
勇者スキルで強引に開墾して造った水田なので、魔力の配分を間違えたのかもしれない。
気温の上昇と共に、一斉に稲以外の植物も繁茂し始めているのだ。
「終わらない戦いの気配がする……」
これが真の大草原不可避というものか。
勇者の背中に、冷たい予感が走ったのであった。
数カ所の水田で草取りをし、そろそろ帰ろうと思った時、トールは地平線の向こうに土埃が立っているのを見つけた。
「またお客さんか?」
方角としてはマーシェがやってきたのと同じ、スピノエス方面である。
トールはあぜ道に立ち、目を凝らした。
「マーシェと同じで単騎だな。随分でっかい黒い馬、と」
巨大なのは馬だけではない。その背中に乗る人物もそうだ。
雄渾な体格からもたらされる、熊のようなシルエット。
ここにいるはずのない男である。
「おかしいな」
マーシェの情報によれば、王都を離れられない状態ではなかったか。
しかし見間違えようもない。
騎士シャダルム・ゼータであった。
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シャダルムの愛馬はバロックと言い、軍用で身体が大きく、力も強い。トール達が飼っている三頭も丈夫で賢い、良い馬だが、単純な馬力では敵わない。
よってトールが自分の馬を走らせて屋敷へ戻ると、庭先には既にバロックがつながれており、彼等を見てぶふふん、と鼻を鳴らした。
こんな田舎くんだりまで来てやったんだぞ、なのに扱いがなっとらんーーとでも言いたげな態度である。
主たるシャダルムの姿は見えないので、屋敷の中だろうか。
トールは、鼻息の荒い黒馬の機嫌を取りながら世話をし、自分の馬も一緒に厩舎へ連れていった。
それから食堂へ行ってみるとーー。
この世の終わりのような顔をしたシャダルムと、何とも言えない微妙な表情を浮かべたセレスト、フェンが座っていたのだった。
シャダルムは非常に寡黙だが、それは強力ながら扱いの難しいスキルを発現してしまったからであって、最初からこうだった訳ではない。
能弁とは言えないものの、それなりに会話もできた。
その彼の口が極度に重くなってしまったのは、例のお見合い事件がきっかけである。
相手は大人しく内気そうな令嬢で、初めから顔色が良くなかった。親に勧められて連れてこられただけで、恐らくは気に染まない見合いだったのだろう。
シャダルムは体格に恵まれ、顔もいかつく、さらに相手を威圧するスキル持ちである。元より女性には敬遠されがちだった。
そのためシャダルムにはこの時点で、罪悪感と同情心があったそうだ。
とは言え、家長である父の命令でやってきたのは彼も同じ。穏便に終わらせようと、時候の挨拶から始めた。
しかしその途端、令嬢は青白い顔をさらに白くして、花の茎が折れるように卒倒してしまいーー当然ながら見合いどころではなくなった。
無論シャダルムはスキルが発動しないよう用心していた。だが無意識のうちに、微弱なスキル効果が現れてしまった。そして令嬢もたまたま繊細な気質だった、らしい。
双方とも落ち度はなく、不幸な事故としか言えない。
「そんなか弱いご令嬢では、我がゼータ伯爵家の家風にも馴染めんだろう。気にせんでいい」
父であるゼータ伯爵も事態の収拾に動いてくれたが、何しろ年頃の女性に恥をかかせてしまったことになる。この件は顔に似合わず気が優しいシャダルムに、海よりも深い爪痕を残したのだ。
「またお見合いをするのが嫌で、避難してきたということですか?」
「うむ……申し訳ない」
ぼそぼそと話すシャダルムは、分厚い背中を丸めている。
「いくつのガキだよ、いい大人が置き手紙だけ残して家出とか。笑うに笑えねえ」
フェンがシャダルムの肩を小突いた。
なおシャダルムは、パーティー最年長の二十八歳だ。
セレストも軽く咳払いをする。
「シャダルム、お相手の女性の気持ちも考えないといけませんよ? いつまでも逃げていては駄目です」
「むぅ……」
余計にシャダルムが悄然とした。
「……その令嬢だ」
「え?」
「見合い相手……サンテラ子爵家のリンテ嬢なのだ……」
「例のご令嬢ではありませんか」
セレストは知っていたのか、驚いている。
「……合わせる顔が、無い……」
挨拶だけで破談になった因縁の相手と、もう一度お見合いをするよう言われたらしい。
「親父さんは味方じゃなかったのかよ?」
「……父上ではなく、伯母上が非常にやる気で……」
シャダルムを可愛がってくれる伯母ではあるのだが、ちょっと強引なところがあり、いわゆる世話焼きな性格だそうだ。シャダルムの父にとっても実の姉であるため、強く言えないとか。
「それはさすがに、シャダルムに同情するな。まあ、とりあえず気が済むまで居たらいいよ」
「……すまない、トール。感謝する……」
こうしてマーシェと入れ替わるように、シャダルムが滞在することになった。
物静かな彼は案外すぐに馴染んだ。
朝は早く起床し、裏庭で鍛練をした後、軽食をとってからバロックに乗って出掛けていく。
軍馬のパワーを生かし、誰もいない辺境伯領の奥地へ行ってスキルの修練をしているようだ。
夕方に帰ってきて馬の世話ーーバロックだけではなく、他三頭も引き受けているーーを丁寧にやった上で、力仕事があれば手伝い、なければ再び鍛練をして、トール達と四人そろって夕食をとる。
そんな毎日である。
シャダルムは魔法使いではなく、開拓作業はできないが、領内を見回ったり、地図を起こしてくれたりと、地味に貢献してくれている。
他にも、馬の運動場や水飲み場、餌を食べさせる牧草地の機能増強に取り組んでいたらしい。トールが気付いた時には、バロックがフンフンと鼻息を噴きながら、広くなった馬場を闊歩していた。
巨体の黒馬には少々手狭だったという事情もあったにせよ、シャダルムはこういう点でまめな性格なのだ。
トール達三人の日常も変わらない。
水田では稲もさることながら、その他の植物が勢いを増している。
トールは水管理に加えて草とも戦っているが、たとえ勇者でも一人では追い付かなくなりつつあった。
解決策を考えなければならない。
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「どう思う?」
トールはセレストに尋ねた。
「そうですね……魔力は、あると思います。かなり微弱ですけれど」
セレストは目を細めて、水田の稲を見つめながら答える。
「種籾は元々、地球から召喚したんだし、魔力はなかったはずなんだけどな……」
トールは魔法使い二人に頼んで、稲の様子を見てもらっていた。
「勇者は召喚される際に女神の加護を得ますが……種籾はどうなのでしょうね。前例が無いので何とも申し上げられません」
別の水田へ行っていたフェンが戻ってきた。
「向こうの稲も状況は変わらんな。お前があんだけ非常識なことをやりやがったんだ、何があっても誤差の範囲だと思うが」
さりげなく酷い発言である。
「記録にある限り、勇者は魔力の無い世界から召喚される。だが、召喚された後は魔力が扱えるようになる。そういう意味では、お前も種籾も同じなのかもしれねえな」
「現状、稲は魔力を持ってるけど、他の植物に比べるとかなり少ないってことでいいのか?」
「多分そう言っていいだろうな……今度はどんな無茶を考えてやがるんだ?」
「トール様、せっかく稲が成長しているのですから、そっと見守ってはいかがですか?」
あまり信用の無い勇者であった。
「いや、草を引っこ抜くのが間に合わないんだよ……」
田植えと一緒で、トールも最初は頑張れば除草もできるだろうと思っていた。
ところが、草どもは全く甘くなかった。いったん終わった、と思っても数日でまた別の雑草が生えてくるため、今後の見通しが立たない。
「シャダルムもスキルの制御を訓練してるし。俺も負けてられない。雑草だけ勇者スキルで退治してやる」
「志は素晴らしいのですけれど、稲まで除草してしまうと大変では……」
心配するセレスト。
「大丈夫だ、命より稲を優先するから」
「そこは命を大事になさってください」
「殺しても死なんようなやつの代表に言われてもな……」
やる気のあるトールに対し、仲間二人は両極端な反応を見せたのだった。
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選択性という言葉がある。
「じいちゃん、稲が除草剤かけても枯れないのって何で?」
トールがかつて、子供によくある素朴な質問をした時、龍造が教えてくれた単語である。
農薬には色んな種類がある。
虫という虫、草という草をまとめてやっつけるのは選択性の低い剤で、非選択性とも呼ぶ。
逆に選択性の高い剤は、決まった種類の虫や草だけに作用する。
非選択性除草剤は、駐車場のように植物を一本も生やしたくない場合には向いている。しかし、農地だと作物も枯らしてしまうから使えない。
だから雑草の生態に合わせて選択性の高い剤を選ぶ。
稲と雑草は同じく草だ。
だが、種類の違う草だ。
そのわずかな差を利用して、雑草だけを狙って撃ち落とす。
農薬も無限に使えるものではない。さまざまな農薬、そして農薬以外の手段をも組み合わせる必要があるのだとーー。
「じいちゃんって実はスナイパー?」
「んー、わなの免許は持っとるけどな。猟銃じゃあないな」
小学生男子の純粋な視線に対し、龍造は少々ずれた返答をしていたのだった。
ーー回想終了。
「ーーだから、一定以上の魔力がある草を絞り込んでターゲットにして、そいつらだけ殱滅すれば良いはずなんだ」
セレストとフェンを見送ったトールは、そろそろ飽きてきた草取りをしながら考えた。
抜いた雑草を集めて、水田から少し離れた空き地へ持っていって積み上げ、小さな山をいくつかこしらえる。
仕上げに、聖剣イクスカリバーを異空間から呼び出した。
『汝もまた、奇天烈なことばかり思い付くものよのぅ……』
イクスカリバーからも、呆れているような思念が届く。
『やっぱり聖剣で除草したらマズいかな?』
『ラヴァエロも大概であったがの。汝はその斜め上を行っておるわ』
『えー、あの人と同レベルにされるのはちょっとな』
『ふん、変態なのはさして変わらぬぞ。どうせ我等にとって、魔王討伐の他はおしなべて余興に過ぎぬ。さっさとやるがよかろう』
『制御訓練も兼ねてるから、威力は最低限に抑える』
『うむ』
トールは極小の魔力で、勇者のスキルを使った。
指先サイズの青白い電光が飛び、抜いた雑草の小山に飛び込んで破裂する。
『まだ強過ぎるか』
『見事に全て塵にしおったのぅ』
『駄目だ、地面に穴が開いた……これ以上どうやって出力を下げるんだ?』
『精進せい』
聖剣の答えは簡潔であった。
そこから半日近く、トールは試行錯誤を繰り返した。
ミサイルで蚊トンボを落とすような真似をしようとするから、割り増しで苦労するのだ。
しかし彼は真剣にやっている。
「これでどうだ?!」
もう何度目か数えてはいない。だが重ね続けた再挑戦の末に、トールはようやく手応えを得た。
さらに数回試してから、うなずく。
「本番、やってみるか」
トールは水田へ移動し、深呼吸した。
「異世界でもじいちゃんの知恵は不変! 総合的雑草管理ーー発動!」
トールの周りに無数の小さな光球が生まれ、水田へ飛んだ。
日本人がいれば、蛍のようだと言ったかもしれない。
瞬きながら宙を舞う『それ』は、稲の間を縫うように駆け回り、次第に速度を増して雷光のごとく目まぐるしい移動を始める。
そして魔力の濃い植物、すなわち雑草だけに食らいつき、次々と塵に変えていく。
やがて水田全体が、青白い閃光を放ちーー静かになった。
残る稲のみが、緩やかに葉をそよがせる。
「ーー完了!」
トールはぐっと拳を握った。
言うまでもなく、総合防除は通常、こういうとんでもない手段でやるものではない。
が、異世界には、勇者の勘違いを正せる人間が誰もいなかった。
ともあれ。
草との戦いはーーまたすぐに生えるので終わってはいないがーー、一応の決着を見たのである。
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「ーーあれ、シャダルム?」
トールが新技術で早速の雑草退治に勤しんでいると、遠くで動く影を発見した。
バロックに騎乗したシャダルムが、猛スピードで走ってくる。
「何かあったか……?」
トールが不思議がっているうちに騎影はみるみる大きくなり、大量の砂煙と共に彼の側で停止した。
「……トール!」
シャダルムが鞍から飛び降りた。
その巨体から鈍重そうに見えるシャダルムだが、実際の体捌きは極めて洗練されている。暇さえあれば鍛えているからだろう。
「シャダルム、どうしたんだ?」
「どうした、ではない……!」
シャダルムはトールをまじまじと眺めている。
「それは……私の質問だ……! 何が起きている……?!」
「あー……そうか。シャダルムには、見せたことなかったな」
勇者の物理的な農業を。
トールは日本人にありがちな、へらりとした愛想笑いを浮かべた。
「悪い。ちょっと草取りをしてた」
「な、何……?」
「俺は農業魔法が使えないから、代わりに勇者のスキルでさ。ちゃんと言ってなくてすまない」
「く、草……だと……草……」
シャダルムの太い眉が、困惑で上がったり下がったりした。
騎士である彼は、真面目で任務に忠実な半面、やや融通が効かないタイプと言える。己の常識と違うものを見せつけられて、かなり混乱しているようだ。
無理もない。
トールがスキル修行に使った空き地は、大小のクレーターででこぼこになっており、普通に考えれば農業ではなく戦闘の痕跡だった。
勇者スキルが発する閃光は、遠くからでも目視できただろう。
慣れているセレストやフェンはともかく、シャダルムには刺激が強かった。彼は大いに心配し、バロックの全力で急行したのである。
まさか除草作業とは思わずに、だ。
「あ、あはは……ごめんな」
乾いた笑いを発するしかないトール。
「……う、うむ……? 草……?」
まだ理解できずにいるシャダルム。
その隣から、黒馬バロックが進み出るとーー。
ドカッ。
「うぉわ?!」
懲りない勇者の胸の真ん中を、思い切り前脚で蹴り飛ばしたのであった。
米の名は…「クサホナミ」
極晩生の飼料用稲専用品種。長稈、極穂重型で、茎葉と籾を合わせた全重収量が高い。