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15.星空で華麗にダンス、ダンス、ダンス

 イナサーク辺境伯領に帰ってきた。

 スピノエスという都会に行くのも楽しくはあったが、気苦労も多かった。

 我が家に戻ることができて、トールはほっとしている。


 アルモーの木はとっくに花を終え、葉を茂らせている。

 水田の稲も青々として、ひとまずは元気そうだ。

 しかし、新たな悩みもある。


「水管理が全然分からない……!」


 水稲栽培の基本にして一番の難所で、思い切りつまづいているのであった。


 田んぼに水を入れる。

 あるいは水を抜く。

 水を溜める。

 または掛け流しと言って、田んぼの中を水が流れていくようにする。


 トールが祖父に教わった水管理の基本は、大まかにこの四つだ。

 これを気温であったり、水温であったり、稲の生育具合であったり、雑草の有無であったり……に合わせて、水をたくさんにしたり少なくしたり、そういう操作をしていくのである。

 ところが、簡単なようで難しい。

 まず、田んぼはデカいので水を入れるにせよ抜くにせよ時間がかかる。ダンツ工房で購入した魔道具は優秀で、スムーズに水を出してくれるが、それでもすぐ、とは行かない。

 田んぼを見回りながら、一箇所ずつやらなければいけない。


 ざっくり言えば水を増やすと、稲を保護して雑草も抑えられる。

 だが稲も植物、水だけでなく酸素も必要だ。様子を見て水を抜いて、ちゃんと酸素も供給しないと、よく育たない。

 まさにバランスの問題で、地形や気候条件などにも左右され、必勝の攻略法というものはない。

 祖父・龍造にしても、長年の知識と経験と、そこから生み出される「勘」で行っていたのである。

 龍造は田んぼ一箇所につき、最低でも一日二回は見回りをやっていた。離れた場所の田んぼもあったので、朝早く出掛けて夕方までずっと、あちこちの水管理をしていることも多かったのだ。


 そして龍造が稲作をしていた日本の某県と、このイナサーク辺境伯領では前提条件がまるで違う。

 仮にトールが祖父の技を受け継いでいたとしても結構な難題だっただろうが、現実はさらに酷いもので、彼は全くの農業素人である。水管理という概念を覚えていただけでもマシといったところか。

 祖父にくっついて田んぼへ行ったこともあるが、トールも当時は小学生。カエルやトンボを追いかける方が楽しかった。

 そんな中で龍造がしてくれた説明も、子供向けに分かりやすく簡略化したものだったはずである。

 それが、どこまで通用するか。


 日本ではあまりに大変過ぎる水管理をどうにかするため、機械やらアプリやら、さまざまな技術開発が進んでいるがーー文字通り異世界(ちがうせかい)の話。


 イナサーク辺境伯領においては新米……の収穫にも未だたどり着いていない、半農半勇者の正念場なのだった。



 考えるべきことは多いが、水田の他にやることも多い。

 例えば、セレストが始めた菜園の手伝いもそうだ。

 新鮮な野菜類を食べるため、セレストが屋敷の隣に小さな畑を作った。彼女の本領である農業魔法〈マギ・カルチュア〉が惜しみなく振るわれ、ラクサ式の農業が営まれている。

 トールが運搬してきた物資には、野菜の種や農業魔法を補助する魔道具なども含まれていたそうだ。


 なお、超便利スキルである空間収納にも制限はあり、トールの身長を超える大きなもの、そして生き物は収納することができない。

 植物の種は乾燥していればセーフだが、根っこや芽が出てしまうとアウト。芋類も同様で、食用のものでも生だと収納スキル側に拒否されてしまい、乾燥芋などの加工品でないと危ない。

 種芋は完全アウトのため、二十個程度を袋に入れ、馬に積んで帰ってきた。これで栽培して増やしていけば、芋も気兼ねなく食べられるようになる、という訳だ。


 トールは変わらず貯蔵庫代わりとしてセレストに必要なものを渡す他、農業や魔力制御を学ぶため、畑仕事の助手もしているのだった。


「今日はブロカールの種をまきたいので、出していただけますか?」

「ブロカールって、あの緑色でもしゃもしゃしてるやつ?」

「はい。栄養が豊富で味も良いですし、育てやすいので。お嫌いでしたか?」

「日本というか地球にも似たような野菜があったし、大丈夫」


 ブロカールはブロッコリーそっくりの野菜で、トールも食べたことがある。もともと彼は好き嫌いが少ない。


「じいちゃんも家庭菜園やってて、ブロカールに似たやつを作ってたよ。あいさつする野菜なんだって笑ってたな」

「野菜があいさつ……? 魔物が取り憑いたのですか?」

「いや、単に品種名で『おはよう』とか『こんにちは』『こんばんは』ってのがあって……って言っても分かんないか。じゃあこれ」


 トールは、袋に入った種をセレストに手渡した。


「ありがとうございます。トール様は今日、どうされますか?」

「畑もやるけど、その後は田んぼを見てから開拓に行ってこようかな」



 トールの仕事、二つ目ーー。

 セレストとフェンがやっている地力回復を支援することだ。

 菜園の手伝いを終え、フェンも交えて三人で軽食を取った後で、作業にかかる。


「トール様……申し上げにくいのですが、やり過ぎないでくださいね?」

「お前がやるとシャレにならん場合があるからな……」


 二人とも手伝い自体は歓迎してくれたが、くれぐれも威力は落とすように厳重注意された。以前のやらかしを踏まえての対応である。


「じゃあ、薄く広く、効果範囲を拡大する感じか?」

「そうだな。お前もいい加減に制御を覚えねえとこの先、大変だろうし。まあ頑張れ、応援してやるぞ。ただし遠くからな」

「申し訳ありません、トール様。お側に在りたかったのですが」


 田んぼの開墾では至近で巻き込まれ、本気で防御する羽目になった仲間二人。無理もないが、穏便に距離を取られた。


「はっきり言ってくれるだけ、二人は優しいと思うことにするよ……」


 トールはちょっとだけ心で泣きながら、イクスカリバーとイージィスを携えて出掛けたのだった。



✳︎✳︎✳︎



『ふむ、一時のラヴァエロのように扱われておるのぅ』


 右手のイクスカリバーから、そんな思念が伝わってくる。


『あの人もスキル制御に苦労してたのか?』

『いや。ラヴァエロは貴公と違って器用なたちでな。そういうことは無かったが』


 左手で盾の姿をとるイージィスからは、否定の思念。


『あやつに女を近付けると孕まされるというので、どこへ行っても遠巻きにされておったのだ』

『だから、それと一緒にするなって……! ラヴァエロさんも口説くんならまだ分かるけど、その上というか下というか最低じゃないか』


 何度聞いても、先代勇者の逸話は酷かった。


『実際に孕ませた女がそうそう居た訳でも無かったのだが、噂は無責任なものであるからな』

『いなくはないのか……』

『フフ、そこは女どもの名誉もある。黙っておく方がよかろうな』

『真っ黒な感じが漂ってくるぞ?!』


 トールは田んぼを確認した後、イクスカリバーとイージィスを連れて、開拓地の端まで走って移動していた。

 馬に乗っていくことも考えたが、開拓の際スキルに巻き込んでしまう危険があるため、自分で走った方が確実で安心という泥臭い結論である。


『だいぶ距離を稼いだから、こんなものかな?』


 屋敷と水田が完全に見えなくなった辺りで、足を止める。


『で、あろうな。聖女が言うておったことを忘れるなよ』

『了解』


 イクスカリバーとイージィスを構え、集中する。

 トールは前回、問答無用で最大出力の魔力を叩き込んだのだが、それは勇者限定の荒技である。

 専門家であるセレストによれば本来、一人の人族が持っている魔力など、たかが知れている。

 だから魔法使いが捧げる魔力は呼び水に過ぎず、そこから大地に宿る自然の魔力を活性化させるのが農業魔法なのだという。


「魔族に収奪されてしまった土地ですと、ここが難しいところなのですが……地中深くにはまだ、自然の魔力が眠っているはずです。この魔力を呼び覚まし、少しずつ地上へ引き上げていくイメージになりますね」

「それで、普通より手間がかかるんだな」

「そうですね、菜園程度なら良いのですが。辺境伯領は広大ですので、常識で考えれば一生涯を捧げても終わらないかと」

「で、勇者スキルってことなのか」

「あの水田は少し……いえ、だいぶ……大変に非常識なのですけれど、結果として稲は根付いて成長していますし。試してみる価値はあります」

「分かった。やってみるよ」


 ……そういう経緯で、トールもセレストのアドバイスに沿って勇者スキルを使いながら、じわじわと移動する。

 時々、落雷や暴風雨や衝撃波が発生しては消えていくがーー。


『一応、前回よりは抑えておるかのぅ。まだまだまだ足りぬが』

『貴公にも同情の余地はあるのだがな、精進せねばならぬぞ』

『全力出すより疲れる……ん?』


 何かに気付くトール。


『向こうの方角、誰かいるような』

『ほう、客人とは珍しいな。しかし、あの者は……』

『貴公の朋友、弓使いの女ではないか?』


 イクスカリバーとイージィスが、声をそろえた。


『え? もしかして、マーシェ?』



✳︎✳︎✳︎

 


「ーーぷはぁ! 死ぬかと思ったよ!」


 突然の天変地異ならぬ、勇者の開拓作業に巻き込まれた仲間がまた一人。

 弓使いマーシェは、駆け寄ってくるトールを見て事情を察したようだ。


「あんたの仕業かい、トール?! 随分と熱烈な歓迎じゃないか」

「悪かったよマーシェ。無事で良かったけど、何で急に?」

「『さぷらいず』のつもりだったんだけどねェ……次からはやめとくよ、命がいくつあっても足りやしない。んで今のは一体、何なんだい?」

「……農業の修行、かな?」


 トールは頭をかいた。


「はぁ、あたしが知ってる農業じゃなかったけどね、あんなの。小トカゲとドラゴンくらいは違うよ」


 マーシェは長い溜息をつき、雨で少し湿った黒髪をかき上げた。


「ま、あんたが元気そうで何よりさ。セレストとフェンは一緒じゃないのかい」

「今日は別行動なんだ。屋敷に戻れば、そのうち来ると思う」

「なるほどね。んじゃ、ちょっと寄らせてもらうよ」


 マーシェは王都からスピノエスを経由し、トール達三人の様子を見に来たという。


「あたしもいつの間にか、陛下や宰相のじーさまから便利屋扱いされちゃってねー」


 勇者パーティーに「弓使い」、内実は密偵(スカウト)役として入ったマーシェ。魔王討伐の後は、何でも卒なくこなす有能さで、王国上層部から重宝されているらしい。


「今回は王国からの調査依頼だよ」


 イナサーク辺境伯領は王都から遠い。セレストやフェンが〈伝書〉で報告はしているが、魔法的な限界で、あまり複雑な話はできない。

 王国としてもトールの動向が気になるので、細かな状況を把握するために彼女を派遣したのである。


「仕事っちゃ仕事だけど、あんたらに会って話を聞くだけだし。半分は骨休めってところさ」


 馬を歩かせながら、そう言って笑う。

 トールはその横を早足で歩き、開拓地や水田のことを説明しながら屋敷へ向かった。



「マーシェ? どうした、連絡も無しで」


 屋敷には既にフェンがいた。


「ちょっとした用だったんだけどねぇ。トールの農業とやらで、えらい目に遭ったのさ」

「あー、オレとセレストはこの間、その十倍ぐらい強烈なやつを間近で食らったからな。お前はまだマシな方だぜ?」

「……あんたらも大変みたいだね」


 そうこうしているうちにセレストも帰宅する。


「マーシェではありませんか。いつこちらに?」

「やあセレスト。ついさっき着いたところさ。あんたも一人で気が効かない男どもの面倒を見てるだなんて、苦労が多そうだね」

「そのようなことは……多少はありますけれど。問題になるほどではありませんよ?」


 セレストはつんと澄ました顔をした。だが、マーシェと仲が悪い訳ではない。

 旅の間は女性二人で行動する機会が多く、さらに当時は未成年で世間知らずだったセレストを、マーシェが何かと気に掛けていたのである。


「ふふ、立派になったじゃないか。何日かお邪魔する予定だから、よろしくね」



✳︎✳︎✳︎



 その日の夕食は四人で、にぎやかに食卓を囲むことになった。


「シャダルムがいなくて残念だなあ」


 騎士シャダルムも加われば、全員が再会できたのだがーー。

 トールが言うと、マーシェは飲み物のコップを手にニッと笑った。


「忙しいのもあるけどね。あいつ今、見合い話が殺到してるんだよね」


 シャダルムは貴族の端くれ。戦功を立てたこともあり、その手の話があってもおかしくはない。


「シャダルムには例の、見合い相手のご令嬢を気絶させちまったっていう件があったからね、本人は全然乗り気じゃなかったんだけど」


 マーシェもせっかくならシャダルムを連れてきたかったのだが、王都から引き剥がすのは諦めたそうだ。


「ご令嬢がたの恨みを買うのはごめんだからね。こちとら普通の冒険者稼業だし」

「マーシェも特級冒険者になったんだろ?」


 冒険者と呼ばれる者達はラグリス大陸各国にも存在する。国によって微妙な違いはあるが、星一から星五というランク分けが存在し、卓越した能力や功績のある冒険者は「特級」と扱われるルールは共通していた。

 以前のマーシェは「星四」、つまり中〜上級クラスの冒険者だったが、トールの魔王討伐に貢献したことで特級に昇格しているのだ。


 だがマーシェは、


「そんなの、あんたらのおこぼれだよ。名ばかりの特級に決まってる。調子に乗ったらお仕舞いさ」


と言って肩をすくめるばかりである。


「謙虚だなぁ……それこそ、もっと威張ってもいいんじゃないか?」

「マーシェらしくないではありませんか」

「現実主義と言っとくれ。ま、人前ではそれなりに格好つけるけどね」



 マーシェが勇者パーティーで果たした役割は大きいが、同時にこれといって分かりやすい功績が見当たらないのも彼女の特徴である。

 トールとフェンが攻撃、セレストが回復・支援、シャダルムが防御、とはっきりした分担があったのだが、マーシェは「その他全部」だったと言っていい。

 何でも一定以上のレベルでこなす万能型であり、個性的なメンバー達の調整役(バランサー)であり、他の四人全員が認める影のリーダーなのだ。


「王都は、最近どうなんだ。他に面白い話はねえのか?」


 フェンが話題を変えた。


「そうさねぇ……例えば、リディア姫様が聖騎士見習いになった件とか?」

「姫様が?!」


 驚くトール。


「勇者サマとの婚約話は流れたからね、トールがぶっちぎったからだけど。じゃあ自分も好きに生きるって姫様が言い出して、陛下と揉めに揉めてね。押し切ってアプロードスへ行ったって顛末らしいのさ」

「えええ……俺のせい……?!」


 ラクサ王国第四王女、リディア。勇者の結婚相手として用意されていた姫君だが、トールが就農を優先して「お断り」をした経緯がある。


「しかし聖騎士ですか……思い切りましたね」

 セレストが息をつく。



 聖騎士はアプロードス聖王国が擁する、特異な騎士団である。騎士でありながら魔法にも長け、また各国の貴族が出家するような形で入団することも多い。

 実力さえあれば女性騎士の入団も認められているが、あの我が儘姫に務まるのだろうか。



「大丈夫なのか、それ……」

「だからって今更、トールにはどうにもできないからね? そんで、次はどの貴族家がトールの妻候補を送り込むか、水面下で綱引きしてるよ」

「ーーッ!」


 トールは思い切りむせた。


「じょ、冗談じゃない!」

「ほー、羨ましい身分だな」

「それならフェンが代われよ。俺は嫌だ」

「こらこら、喧嘩はやめな。二人してガキじゃないんだから。まあね、こんな何も無いところに来る令嬢なんて、普通はいないけどさ」

「普通ではない女性が来る可能性はありますね?」

「そういうこったね。気を付けな」

「もちろんトール様のことは、わたくしがお守りします」

「ええと、ありがとう……?」


 頭を抱えるトールに対し、セレストがふんすと胸を張る。

 フェンとマーシェがゲラゲラ笑った。


「逆だろうが、そこは普通……」

「あっはっは、変わってないねえ」


 楽しい夜だった。



✳︎✳︎✳︎



 翌朝からマーシェはてきぱきと働き始めた。


 セレストの菜園を手伝う。

 トールの水田を一緒に見て回る。

 フェンの開拓作業にも同行する。


「あんたらがやってることは全部、調査対象だからね?」


 そう言いつつ、本人も楽しんでいるようだ。

 屋敷の掃除や食事の支度などにも手を出している。


「トールにフェン! あんたらの住処だろ、協力しな」


 日頃、自分のことは自分でやるスタイルで生活している三人だが、暮らしていれば手が行き届かないところも出てくる。マーシェはそういう部分に目敏く気付いて、男二人を駆り出した。


「マーシェがいると空気がピリッとするな……」

「違えねえ」


 小声で言い合いながら、大掃除をする二人である。

 ラクサ式に水魔法、風魔法、清浄魔法を使う。

 トールはまた制御を失敗しそうになり、危うくフェンにどつかれるところだったものの、ぎりぎり無事に終わらせた。


「ふう、すっきりしたじゃないか。この後はどうするんだい?」

「俺はもう一度、田んぼの巡回だな」

「じゃ、トールに同行させてもらうかね」


 フェンとセレストに留守を任せ、二人は屋敷から出掛けた。



 だいぶ日が傾いてきている。



 水田にやってきたトールは、あちこちの魔道具や給排水を調節した。マーシェは、最初のうちこそ見ているだけだったが、途中から自分もやってみたいと言い出したので手伝ってもらう。


「ふうん。正解が分からないから、色んな水管理とやらを試してるってことかい」

「じいちゃんがどうしてたかなんて、見当もつかないからさ。とりあえず田んぼごとに、ちょっとずつやり方を変えておけば全滅しにくいかなって」

「なるほどね。それにしてもトールはまあ、とんでもないことをやってくれたねえ……」

「そうかな?」

「そうだよ」


 マーシェは呆れとも畏敬ともつかない眼差しで、広がる水田を眺めた。


「ま、今だから言うけど。あんたの農業が成功するだなんて正直、誰も思っちゃいなかった」

「え? でも領地をくれただろ」

「こんな訳アリの不毛の地だよ? あたしらはね、何だかんだでセレストがどうにかするって見込んでたんだ」


 辺境伯領は扱いの難しい地だ。

 魔族領と近く、広大な面積を持つことから、代々王族が臣籍降下して治めてきた。以前の領主も国王ネマトの叔父、つまり先王の弟に当たる。

 決して無能な人物ではなかった。それがなぜ、魔族の侵入を許してしまったのかは未だによく分からない。元王弟も、彼が率いた騎士団も、魔王軍に飲み込まれ「消えて」しまったからだ。

 その影響は甚大であり、ラクサ王国は威信にかけて、この地を奪還しなければならなかった。

 特に魔法使いは若年でも戦える者が召集され、フェンは成人したての十六歳、セレストに至っては後方支援中心の神官とは言え、未成年の十二歳でそれぞれ戦線に投入されている。まさに総力戦だったのだ。


「トールが召喚された後もね……あんたは最後の切り札だ、そう簡単にゃ頼れなかった」


 勇者に頼るのは、自国の戦力不足を認めることでもある。魔術大国であるラクサがそれを行うのは、事実上の敗北を意味した。

 だからトールは、スピノエス方面に派遣されたことがない。フェンとセレストが勇者パーティーに選ばれて離脱した後も、残りの面々が戦線を支えたのである。


 だが、そうして死力を尽くし、奪還した後も問題だった。


 荒廃してしまった土地を引き受ける貴族家がある訳もない。いても何か条件をつけるだろう。便宜を図るなど譲歩しなければならない。王家の借りは相当に大きくなる。

 その一方で魔族領への警戒も必要であり、空にしておくのは国防上難しい。

 今の王家には、都合よく余っている王族もいない。


「だからトールに頼んだのさ。本当にぴったりだった」


 トールは、どの貴族の派閥にも属していない。

 魔王討伐が成った今、勇者に権力が集まることを警戒する者もいるが、辺境で静かに暮らすというなら誰も反対はしない。

 仮に何か魔族や魔物絡みの異変が起こっても、最高戦力である彼なら対応できる。


 欠点は辺境伯領が完全に沙漠化していることだが、これはセレストを補佐にすれば解決する。

 セレストは聖女と称されるほどの優秀な神官である。どんなに枯れきった土地でも蘇らせる力の持ち主だ。

 当初、トールは小さい面積でやると言っていた。

 だから、仮に物理的農業が失敗してもーー九割九分九厘、そうなると思われていた訳だがーー、最終的にセレストが農業魔法を使えば、作物の栽培自体は可能だ。


 あるいは「やっぱり駄目だった」とトールが諦めて王都へ帰って来るかもしれないが、それならそれで代官を派遣するなど、やりようはある。

 人目につかない辺境伯領なら、どう転ぼうが誤魔化すのもたやすい。

 国王ネマトや宰相オルトラはそこまで計算した上で、トールの希望を叶えたのだ。


「ところがだよ? あんたは結局、ほぼ自力で成功させちまった。陛下もじーさんも喜べばいいのか呆れればいいのか分かんなくなって、複雑怪奇な顔をしてたさ」


 眉間に皺を寄せて半眼になり、口許は半笑いとも呆然とも言い切れない微妙な開き具合、という、実に表現に困る表情だったらしい。

 王や宰相としての威厳は欠片も無かったそうだ。


「まだ成功って決まってないぞ? 水管理って半端なく難しいし」

「あのねぇ、この場所で曲がりなりにも農地ができて、作物が根付いたってだけで奇跡の大盤振る舞いなんだってば」

「そんなに?!」

「そうさ。セレストはあんたが嫌がるのを知ってるから口には出さないけど、フツーの神官さんなら五体投地して勇者サマを崇めに来るレベルさね。んで、あの子まで『わたくしも負けていられません』みたいなこと言って気合入れて農業魔法を使うもんだから、菜園といい開拓地といい、おっそろしい速度で地力が回復してる」

「やっぱりアレ、普通じゃないのか……」


 種まきしたばかりの野菜が、たった数日でつやつやしながら芽を出し葉を茂らせていくさまを見て、トールも思わないではなかった。『ちょっと成長が速過ぎるんじゃね?』と。


 だが、何しろ異世界農業。トールが知らないだけで通常運転の可能性もあり、セレストも常に良い笑顔で菜園の世話をしているので、迂闊に突っ込めなかったのだ。


「開拓はフェンまで手伝ってるから、余計にね。まあ攻撃魔術にしか興味が無かったあいつが、随分と丸くなったもんだけど」

「ああ、あれはセレストと売り言葉に買い言葉っていうか」


 フェンが屋敷で暇そうにしているのを見つけたセレストが、

「あなたも魔力は多いのですから役立ててください。魔術は魔法より高等技術だと常々言っているくらいです、農業魔法くらいできるでしょう」


ーーなどと、あえてなのか素なのかは不明だが、煽るような言い方をした。

 それで、負けず嫌いのフェンが引けなくなったのである。


「アハハ、セレストも男を転がすのが上手になってきたじゃないか。あれこれ教えた甲斐があるってもんさ」


 マーシェは笑いながら田んぼを出て、あぜ道へ上がる。トールもそれに続いた。



 今日の見回りはこれで終了だ。辺りも薄暗くなってきたので、そろそろ帰る時間だった。

 トールとマーシェは再び、連れ立って家路につく。

 その途中でマーシェがつぶやいた。


「でも、いい傾向ではあるね。魔王が倒れたからには今後数十年、魔物の出現はぐっと減る。攻撃系しか使えない魔術師は、身の置き所が無くなっちまうんだ。戦争の間は英雄だって持て囃されてたんだけどね」

「フェンなら大丈夫だろ。農業魔法もだいたい覚えたって、こないだ言ってた」

「トール……あんたね、それはフェンだからできるんであって、並みじゃないんだって。あいつは百年に一人って言われた魔法使いだよ? セレストもそうさ。こりゃ、勇者と天才と天才を混ぜるのは危険過ぎたかもしれないねぇ……」


 ストッパーの不在に、深く嘆息するマーシェであった。


「ほんと、あたしみたいな凡人にとっちゃ、あんたらは遠い空でキラキラしてるお星様みたいなもんだった。それが今や、あたしもその一員なんだ。昔の自分にそんなこと言っても、信じなかっただろうね」

「それは俺もそうだよ……まさか異世界召喚されるとか」

「ふふ、でも、最初の顔合わせへ行った瞬間に分かったさ。ああ、こりゃあ一人くらい普通のやつがいないと回んないなって」

「確かにパーティーができたばっかりの頃はなぁ。セレストは勇者様勇者様で大変だったし、フェンは今の倍くらい刺々してたし、シャダルムはずーっと黙ってるし、俺も何が何だか分からないし。マーシェがいてくれなかったら、すぐ崩壊してただろうな……」

「だろう?」


 マーシェがひらひらと手を振った。


「あんたらが分かってくれりゃ、それでいいさ。王都にゃ、あたしに色々絡むやつもいてね、鬱陶しいったらない。ここに来たら、そんな気分は跡形もなく、どっかへぶっ飛んでいったけど」


 トールはやや目つきを鋭くする。


「もしマーシェが俺達のおまけだとか、そういうことを抜かすやつがいるなら叩き潰しに行くよ」

「あぁあぁ、んな殺気を出さなくていいんだって、ちょっとした愚痴なんだから。大丈夫、あたしはどんな星空でも華麗に踊ってやるさ」


 照れ臭そうに、彼女は笑った。



 完全に日が沈み、気の早い星が瞬き始めた空の下を、彼等はゆっくりと歩いていく。

 行手に見える屋敷で、あちこちに明かりが灯った。フェンとセレストが、魔力で照明をつけたのだろう。

 トールとマーシェは、どちらからともなく顔を見合わせ、笑って仲間達の元へ戻っていった。


米の名は…「星空舞」(鳥取県)

 同県が全域で美しい星空が見られることから命名。夏場の高温に強く、短稈で倒伏しにくい。

 「華麗舞」

 日本で市販されるカレールウに調和する米を目指し、カレー向け米飯用品種として開発。とろみのあるカレーに合う。

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