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14.異世界和食、理想と現実

 さまざまな思惑と共に、太陽が高くなった頃。


 トールは神殿の一角で、セレストが手配していたという食料を空間収納に積み込んでいた。

 市場を回るのかと思っていたが、手間を省くため、神殿に頼んで事前に集めてあったそうだ。積まれている物資の箱にトールが手を触れると、それらは吸い込まれるように異空間へ消えていった。


「おお、勇者様の奇跡の技を目の当たりにできるとは! 女神よ、感謝いたします」


 セレストと共に立ち会っている中年の男性神官が、過剰なレベルで感動している。

 全員が全員ではないものの、神官にはこういう人が多い。信仰心が篤いからなのだろうが、女神の加護を受けた勇者というものに、やたらポジティブな幻想を持っているのである。

 セレストでさえ、最初は似たようなものだった。隙あらば勇者を讃えてこようとするのを、仲間達が総出で――シャダルムは会話が苦手なので、主にフェンとマーシェだったが――説得を重ね、どうにか今のレベルに落ち着いたのだ。

 だが、セレストのような柔軟な神官は少数派。大抵は、そんな大袈裟にしないでくれと頼んでみても無駄である。


 召喚されて三年、トールもとっくに諦めている。おっさん神官のキラキラと暑苦しい視線を受け流しつつ、彼は無心で空間収納を続けた。

 大きめの部屋いっぱいに並んでいた木箱は、さほど間を置かずに片付いた。


「セレスト。前より量が少ないような気がするけど、いいのか?」


「ええ。一度に買い込むと、保存が利くものに偏ってしまいますので」


 大きな買い出しは今回だけで、今後は月に一度くらいのペースで、イナサーク辺境伯領へ食料その他を届けてもらう段取りを整えたそうだ。


「トール様の手を煩わせずに済む方が良いですし。と言っても、目で見て買いたいものもありますから、時々はまた、スピノエスへ来ることもあるとは思います」


「分かった、そこは任せるよ」


「ありがとうございます」


 セレストは嬉しそうにうなずいた。


「じゃあ、買い出しはだいたい、これで終わり?」


「ええ。後はせっかくなので、市場を見て、良いものがあれば買おうかと。トール様のおっしゃるショーユも探したいですね、案外こういう地方都市の方が見つかるかもしれません」


「あ、それはいいな。あったら嬉しいよ」


 トールは王都でも醤油らしきものがないか、随分と探し回ったが見つからなかった。

 大豆に似た豆はある。ラーハ豆と言って、(さや)が淡い青、豆は真っ白、とファンタジーな見た目をしているが、豆の大きさや味はかなり大豆に近い。

 ラクサ王国では茹でて食べるかスープの具などにするのが一般的で、調味料に加工するという発想はないようだ。

 残念なことに、トールは醤油の造り方を知らない。大豆を茹でて塩と混ぜ、発酵させるらしい……という程度である。

 農業よりもさらにイメージが掴めないので、不可能を可能にする勇者スキルを応用しようにも、ラーハ豆の醤油醸造は厳しいものがあった。


 現状、頑張って探すしかない。


「では参りましょうか。ところでフェンは?」


「まだ寝てるんじゃないかな」


「一人だけ惰眠を貪っているのですか?」


 セレストの眉がくいっと上がる。


「あー、いや、収納にしまうのは俺しかできないんだから、フェンが居てもしょうがないだろ。やることないうちは寝かしておこうかなって」


 トールはそう答えたが、実のところフェンは少々寝起きが悪い。頑丈が取り柄のトールでも、朝から焼き肉にされたくはなかった。

 後は昨夜の借りもある。ただしセレストには秘密だ。


「そろそろ起こしてくるよ」


「起きないようなら嫌でも目が覚める魔法を使います、と言っておいてください」


「だ、大丈夫だって……」


 トールは早足で、仮眠室に向かう。

 おっさん神官が後方で「勇者様はなんと慈悲深い!」と、見当違いな感激に打ち震えている声が聞こえた。



✳︎✳︎✳︎



 どうにか穏便にフェンを起こしたトールは、三人で市場を訪れた。

 なかなかに混雑している。


「昨日よりにぎやかだなー」


「朝の市が立っているようですね。スピノ伯爵は、派手さはありませんが実務能力に優れた方だと聞きます。奥様も大変有能な女性だとか。戦後の復興が早いのも、お二方の手腕なのでしょう」


「朝から小難しい話をするなよ。頭がついていかねえ」


 真面目なセレストの傍らで、フェンはまだ欠伸をしている。


「わたくしは、とうに目が覚めています。あなただけですよ、フェン」


 若干、険悪なセレストとフェンに挟まれて、トールは慌てて話題を逸らす。


「あ、あの屋台! いい匂いがするから買ってみよう。フェンもどうだ?」


「そうだな。朝飯食ってねえし」


「セレストは?」


「あれは汁物を売っているようですね。身体が温まりそうですから、わたくしも」


 三人は屋台で、木のカップに入ったスープを購入した。

 ほかほかと湯気が立っていて、少し胡椒っぽい香りがする。色はトマトのような赤だ。

 屋台の横にある椅子に座って、木製のスプーンですくってみる。


「色々と具が入ってるんだな。野菜と燻製肉とラーハ豆と……麦?」


「大麦でしょうね。なかなか美味です」


「値段の割に悪くねえな」


 スープという名前で売られているが、汁気が多い洋風雑炊のような料理だ。昼食の習慣がないラクサ王国なので、食べ応えのあるものが好まれるのかもしれない。

 米を入れても良さそうだな、と思うトール。手元の種籾は全部植えてしまったので、秋に収穫できればの話だが……


 三人は食べ終わった食器を返却し、市場散策を再開した。


 セレストが調味料の店を見つけ、乾燥させたハーブ類やスパイスを買う。

 だが、醤油に似たものは見当たらない。店の主人にも尋ねてみたが、


「豆から作る、しょっぱいソース? 聞いたことないねぇ。豆は豆、ふざけたこと言っちゃあいけないよ」


とあしらわれてしまう。


「そんなにうまくは行かないか……」


 残念だが、無いものは無いということか。

 しかしセレストは諦めなかった。


「せっかくスピノエスへ来たのです。もう少し探してみましょう」


 さらに数軒で小さな買い物をしつつ、情報収集した結果――。


「工房?」


「はい。スピノエスには、チーズなどの専門工房があるそうです。ショーユも豆を発酵させて造るという話ですから、何か分かるかもしれません」


 セレストが、そんな情報を仕入れてきた。

 だが、フェンは難しい顔をしている。


「ああいう工房もチーズやら酒やら幅広いからな、一緒くたにしていいのかどうか……正直、何とも言えねえ。どうする、トール」


「うーん、完全に手詰まりだからな。ヒントだけでもないか、行ってみるか」



✳︎✳︎✳︎



 発酵と腐敗は、現象としては同じである。

 つまり、食べ物に限らず有機物が分解されていくということだ。

 そのうち、人間に有用なものを発酵と称しているだけに過ぎない。自然現象の大半は、有用でも何でもない腐敗だ。


 この異世界では、それだけではなく――自然の中に存在する魔力も、腐敗に伴って瘴気に変質してしまうことが知られている。瘴気は魔物を呼び寄せるので、忌み嫌われる存在である。


 では「有用な腐敗」である発酵が必要な食品は、どうやって造るのか。


「魔法だな」


「魔法ですね」


「だと思った」


 醸造魔法と呼ばれる魔法の出番であった。



 レンネ工房。

 市場からは少し離れた、閑静な場所に、その工房はあった。

 灰色の石でできた重厚な建物だ。

 セレストが門を叩くと若い男が顔を覗かせた。ひょろっと背が高く、人の好さそうな丸っこい顔つきだ。シャツとズボンの上に前掛けをつけているので、工房の関係者だろう。

 だが男はセレストの顔を見た瞬間に、


「ひぃえっ?!」


と奇声を上げて、のけ反った。


「せせせ、聖女様っ?!」


「お静かに願います」


 慌てふためく男に対し、セレストは唇に指を当てて、落ち着き払った態度で言った。


「こちらの工房に、お願いがあって参りました。このことは内密に」


「ははははは、はいぃ?!」


「工房主様は今いらっしゃいますか?」


「いいい、居るけど、いいえ、居ます! ちょ、ちょっとお待ちくださいぃ!」


 男は動転した様子で、門を開け放したままドタバタと駆け戻っていく。


「と、と、父さぁぁあん! ななななんか、すごいお客さんがぁ――――!」


 工房主の息子だったようだ。

 やがて、小太りの中年男性が汗を拭き拭き、突き出た腹を揺らしながら走ってきた。


「ふう、やれやれ、お待たせしました。私めが工房主のレンネでございます」


「ご足労いただき、感謝申し上げます」


 セレストは優雅に一礼する。

 工房主はいやいやと手を振って、三人を中に案内した。



「先程はせがれが失礼しましたな。して、何やらお尋ねになりたいことがあるとか」


「はい。実はこちらの……」


 セレストの目配せを受け、トールは頭巾を取って顔を見せた。


「トール様の故郷にあったという調味料を探しています。ですが全く手掛かりがなく……。豆を発酵させて造るそうなのですが、何かご存知ではありませんか?」


「ほう、豆を発酵。……うん?」


 工房主はトールの姿をまじまじと眺める。


「こちらの青年はもしや、勇者様ですかな?」


「――わあああ! 父さん、何やってんだよぉ!」


 飲み物を運んできた息子がお盆を置き、素早く工房主の脳天にチョップを繰り出す。この息子、気弱な性格かと思いきや案外にアクティブであった。


「さっき言ったでしょ、聖女様と勇者様と魔術師様が来てるって!」


「ワーワーうるさいと逆に分からんよ。チーズの具合に集中しとったし」


「ちゃんと聞いて! あのぅ勇者様! 父は工房にこもりっきりで世間に疎くて、ご無礼はわざとではないのです! どど、どうか平にご容赦を!」


「ああ、はい。全然大丈夫です。いきなり押し掛けたのはこっちなんで」


 仲良し親子だな、と思いながらトールはうなずく。

 王都・魔道具工房のダンツもそうだったが、どこにでも職人気質というものがあるようだ。


「ううん、それで、豆を発酵させた調味料の話でしたな」


 飲み物を口にしてから、工房主が話を元に戻す。


 ちなみに飲み物は、さすがというか甘いミルクティーのようなもの。お茶請けもミルクとバターの風味豊かな焼き菓子であった。

 チーズ造りはレンネの親戚からミルクを仕入れて使うのだが、自分達もこうして飲食する他、菓子店などにも乳製品を卸しているという。


「――まことに申し訳ござらん、聞いたことはありませんな」


 その工房主が、すまなそうに息を吐いた。


「そうですか……」


「ですが、興味深いお話ですなぁ。勇者様、いくつかお尋ねしても?」


「俺が答えられることなら……」


「無論、勇者様は醸造の専門家ではありませんからな。分かる範囲で結構です」


 工房主はあれこれと質問してきた。

 醤油の材料。味や匂い。液体か固体か。また、トールの国には他にも発酵食品や酒類が存在していたかどうか、などなど。


「ふーむ。魔法が無いことを除けば、他の条件は似ておるようだ。ということは、そのショーユとやらをラーハ豆から造ることも、理論上は可能と思われます。このレンネ、未知の挑戦に心が躍りますなぁ」


「醤油醸造を試してくれるんですか?」


「それはもう! 勇者様のためですからな!」


 工房主はミルクティーをぐいっと飲み干すと、椅子から立ち上がった。


「早速やってみましょう。ちと失礼しますぞ」


「え? いやあの、今から?」


 トールの疑問に答えることなく、工房主は小走りに部屋を出ていき、ドアがぱたんと閉まった。

 早回しかと思うような、実にあっけない退場である。

 ぽかんとして見送ってしまうトール達。


「ああー、申し訳ありません。父は筋金入りの発酵馬鹿……いえ、その、醸造魔法が大好きでして。多分、しばらくはショーユの試作で高速醸造を回し続けると思います……」


 苦笑いしながら、息子が頭を下げてきた。


「なんか、こっちこそすみません……」


「これは父の生き甲斐みたいなものですので、気にしないでください! 勇者様はこの後、どうされるご予定ですか?」


 これにはセレストが「スピノエスにもう一泊してから、イナサークへ帰還する」旨を伝える。


「では、試作も試作ですが、今夜にでも一度、ご連絡を差し上げますよ」


「そんなに早くできるんですか?」


「先程、申し上げた高速醸造という手法がありまして……」


 息子の解説によると、醸造にかかる時間を短縮する裏技があるのだそうだ。

 ただし、短縮すればするほど、出来上がったものの風味や食感などが低下していくので、あくまで試作品になるとのこと。


「今回は、僕達にもショーユがどんなものなのか分かりませんから……。方向性を絞り込むための、ほんの取っ掛かりです。味は本当に期待しないでください」


 息子はにこっと笑った。美男子ではないが、好感の持てる笑顔だった。



✳︎✳︎✳︎



 トール達はその後、工房主の息子ディーリと打ち合わせをした。

 話してみると、ディーリは頭の回転が早く、てきぱきと物事をまとめていくのが上手だった。

 最初に挙動不審だったのは勇者一行に突撃されて仰天していたからであり、本来の彼の姿ではなかったのだ。


「父の暴走、じゃない、やり過ぎを防ぐのが僕の役目なんですよ」


 ディーリは照れ臭そうであった。


「あんたも苦労してんだな」


 フェンの言葉には何やら実感がこもっている。


「大変だと思うぜ、暴走しがちな馬鹿の見張り役って」


 言いながらトールを見る。


「え、俺?」


「他に誰がいる。馬鹿力があって余計面倒な馬鹿が」


「ははは、魔術師様にもそんなお悩みがあるんですか、親近感が湧きますね。多分、同年代でしょうし」


「それは違わねえか? あんた年下だろ」


「僕はこう見えて二十五です」


「待て、むしろ年上じゃねえか。三歳差」


「あー、フェンってちょっと老け……年上に見えるもんな」


「態度が大きいからではないでしょうか」


「うっせぇぞ、お前ら。誰のせいだ」


「はははは! そこは僕と反対なんですねぇ。僕はこの通り童顔でして」


 ディーリは年少に見られがちで困っている、と話す。


「僕もいつか工房を継ぐ必要があるのに、威厳がまるで出ないんですよねぇ。女性にも子供扱いされちゃって、ちっともモテませんし」


 そんなしょうもない話もしつつ、ディーリは醤油醸造計画の経費や成功報酬をセレストとすり合わせていく。


「現状ではこんなところでしょうか」


「はい。結果が出せるよう励みます」


 お互い満足いく取引というものを終え、トール達は工房を後にしたのだった。



✳︎✳︎✳︎



「良い報告と悪い報告があります……」


 そのディーリがやってきたのは、トール達が昨日とは別の宿屋に腰を落ち着け、夕食を済ませた頃合いだった。

 トール達は例によって目立たないよう、酒場の隅にあるテーブルを囲んでいたが、少し詰めて彼が座る場所をつくる。


「いや、そんな。皆様と同じ席につくなんて」


 遠慮するディーリを座らせ、詳しく話を聞いた。


「悪い方から聞いとくか?」


「試作品の醸造なんですが……」


 ディーリは丸顔をくしゃりと歪め、頭を下げた。


「あれだけ大きな口を叩いておいて、申し訳ありません。満足いくものができませんでした」


「あぁあぁ、ディーリさん、顔を上げてください。試しにやってくれただけで十分なんで」


 トールが急いで元気付ける。

 見たことも聞いたこともないものを造るのだから、うまく行かなくても当たり前であった。


「どういった部分で、思うようにならなかったのでしょうか?」


 セレストが質問する。


「醸造自体は働いています。例えば瘴気が出てしまったり、他の有毒ガスが出たり、爆発したりした訳ではありません。ですが、勇者様から伺ったショーユの特徴にそぐわないモノができてしまったので……成功とは言えないですね」


「どの辺が醤油と違うんですか?」


 今度はトールが尋ねる。


「まず、液体になりませんでした。柔らかいのですが固形物です。色がなぜか緑色で、ちょっと独特のニオイがします」


 聞くからに怪しい雰囲気が漂う。


「それと……『精霊』の影響力が強かったですね。試作なので大きな問題にはなりませんでしたが」


「精霊……ですか? あれは空想上の存在では?」


 セレストが不思議そうな顔をした。


「え? 俺、魔法がある異世界なら精霊や妖精もいるものだと思ってたけど」


「奇跡を為せるのは至高なる女神ルリヤのみ、というのが神殿の教義ですね」


「子供向けの寓話には出てくるがな。存在証明はされてねえ」


 セレストの夢も希望もない言葉に続いて、フェンの答えも実に素っ気ない。


「聖女様の前で言いにくいんですが、僕達も醸造がいつも思うようにいく訳じゃありません。そういう場合、かつては『女神様のご機嫌が良かった』または『悪かった』などと言い表していた時代もあったようなんですが」


 それでは女神に不敬である、という考え方が主流になっていった結果、物語で女神のしもべとして描かれる「精霊」に見立て、発酵の良し悪しを表現するようになったらしい。


 ディーリはセレストの顔色を伺いつつ、懸命な説明を続ける。


「で、今回はそういう精霊と言いますか、発酵具合の力が強かったということです。隔離した部屋でやりましたけど、チーズの精霊力よりも多分強いです。影響しないように抑え込んでますが」


「ヤバそうなブツに仕上がったな」


「すみませんすみません、まさかこうなるとは」


 ディーリがひたすら謝っている。


「うーん。でも話を聞くだけじゃ、何とも言えないな。実物ってあります?」


「一応、持ってきてはいますけど。お見せしていいモノかどうか」


「あ、俺なら別に大丈夫ですよ。いきなり爆発するとか、すごいニオイするとかじゃなければ」


「そこまでではないですが……」


 ディーリはためらいつつも、手のひらに載るサイズの壺を差し出した。コルクのような木材で蓋がしてある。

 トールはそれを受け取って、そっと蓋を持ち上げた。


 ディーリの言葉通り、柔らかそうなペーストが詰まっている。色は薄緑だが、ディーリの話と違って、おどろおどろしい印象ではない。枝豆のような感じだ。

 臭いは確かに独特だ。トールにはそんなに不愉快ではなく、どこかで嗅いだことがあるように思うが、何だったか出てこない。


(高速醸造だと臭いは薄くなるって話だったっけ。そのせいか?)


 眉根を寄せつつ、トールは指先で「それ」をつまんでみた。


 ねばーっと糸を引いた。


「なんか分かった気がする」


「待て待て、どう見ても食い物じゃ……おい、トール?!」


「トール様?!」


 トールはその一つまみを、躊躇なく口に放り込む。


「変なもん食うなお前、三歳児か!」


「ゆ、勇者様は開拓精神が旺盛ですね?!」


「あんたも単なる馬鹿を無理に讃えるなって」


「トール様、解毒魔法を――」


「いえ、あの、聖女様、さすがに毒はないですよ?!」


 騒がしい仲間二人と客一人の前で、トールはもぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込む。


「ひきわり納豆だ、これ……塩味の」


 緑色になってしまった理由は不明だが、大豆ならぬラーハ豆の特性か何かだろう。色合いを除けばトールが知る納豆に、それは酷似していた。

 つまり。


「めちゃくちゃ醤油が欲しくなるやつ……!」


 負のスパイラルに陥ってしまう魔性の食べ物だ。


「え? 勇者様の故郷ですと豆の発酵食品に、さらに豆の発酵食品を掛けて食べるんですか?」


「引っかかる言い方だけど、まあ、そうなるかな?」


「お前の国、米と豆しか食わねえのか?」


「何言ってるんだよフェン。野菜とか肉とか魚も食べるって」


「どうせ全部ショーユ掛けるんだろうが?」


「そんなことは……あるけど……」


「ほれ見ろ」


「新しい発想ですねぇ」


 ワイワイ言っている男どもの横で、セレストが溜息をつく。


「――良い報告についてもお聞かせくださいますか、ディーリさん?」


「そ、そうでした!」


 ディーリはハッとなって、話題を切り替えた。


「ええと。皆様がお帰りになった後、牧場から僕の従兄が来まして」


 レンネ工房は親戚筋から原料を仕入れている。

 レンネの兄に当たる人が牧場主で、スピノエス近郊の村で酪農を営んでいるそうだ。そしてその息子、すなわちディーリの従兄が、ミルク類の納品に来たらしい。

 ディーリは良い機会なので、発酵させて造る調味料について聞いてみたという。

 すると。


「従兄のお嫁さんと三番目に仲が良い友達のお姉さんの旦那さんの姪っ子が、トレヴォンの南部へ嫁いだそうなんですが……。そちらではどうも、魚を塩に漬け込んで発酵させたものを、調味料として使っているそうなんですね」


「色々と濃ゆい情報が来やがったな」


「なるほど、魚醤か。それは考えてなかった」


 日本の「しょっつる」「いしる」、東南アジアのニョクマム、ナムプラー。トールはあまり馴染みがなく忘れていたが、これは異世界にも似たものがある、とみていいのかもしれない。

 なおトレヴォン連合王国は、ラクサの南にある友好国である。


「当地では『ゾルソー』と呼ばれているそうで。今は手元に無いんですが、伝手で取り寄せて研究できないか、やってみようと思います」


「有望な情報と言えそうですね」


「ちょっと希望が見えたかも。ありがとうディーリさん!」


「いやいやいや、あの、まだ始まってもいませんので!」


 ディーリはしきりに恐縮しながら、急ぎ足で帰っていった。

 新しい玩具(おもちゃ)、ではなく研究対象を得てしまった父レンネが、無茶をしていないか心配なのだそうだ。


「あんたも強く生きろよ……」


 フェンがまたしても同情していた。



✳︎✳︎✳︎



 あっという間に、イナサーク辺境伯領へ帰還する日がやってきた。

 トール達は早朝に宿を後にし、馬をひいて領門へと向かう。


「色々あったけど、楽しかったな」


「そうだな。まあ、ここからまた強行軍で帰る羽目になるんだけどよ」


「フェンだって一週間も野宿したくないだろ?」


「否定はしねえ。ただウンザリするだけだ」


「二人ともお静かに。手続きをしてきますので」


 来た時と同じように、セレストが警備の兵へメダルを見せ、通行の許可を得る。


「今日は、あの隊長はいねえみたいだな?」


「いや。多分これは――」


 三人は何事もなく領門を通過し、スピノエスの外へ出た。

 草原の中を延びていく街道の脇に、景色を眺めている男の姿があった。


「やっぱり」


 トールは頭巾の下で目を細めた。



 ――監視の目が付いていることは、スピノエスに入った時から分かっていた。


 だが、それは当たり前だ。トールは勇者という重要人物であり、形ばかりではあるが辺境伯で、スピノ伯爵領の隣地を治める領主なのだから。

 お忍び状態でフラフラさせてもらっているだけでも、破格の対応である。だから、悪事を働くつもりも無いし――聖なる武具達の大はっちゃけという想定外はあったが――、基本的に尾行者がいても、見て見ぬふりを貫いてきた。

 だから、スピノエスの警備隊長だというこの男が、トール達の出立を知っていても不思議ではない。


 不可解なのはむしろ、この男の存在そのものだ。


(何でこんな強そうな人が、ここにいるんだろうな。諸侯軍の軍団長レベルだろうに)


 警備隊長は腕組みを解き、ゆっくりと歩いてきた。


「帰還されるのか?」


 口調は変わらず淡々としている。


「はい。これより帰領いたします。大変ご迷惑をおかけしました」


 セレストが代表して答えると、男は小さく首を横に振る。


「いや。実りある滞在であったならば、それで十分だ。伯爵は、手落ちが無かったか気にされているが」


「手落ちなど一つも。心より感謝している旨、お伝えください」


「承知した」


 セレストと男が礼を交わした。

 後はそのまま馬に乗り、去るだけだ。


 しかしトールは、あえて男の前で足を止め、頭巾を少し持ち上げた。


「隊長さん。どこかで、会ったことがありましたか?」


 半分くらいは勘だった。

 トールは勇者として、魔王軍との戦闘が激しかった地域のいくつかに行ったことがある。ラクサ王国だけでなく、近隣の国にも。

 その中のどこかは分からないが、これほどの戦士なら、顔を合わせていてもおかしくはない。


 男は微かに目を見開いてトールを見やり、そしてこう言った。


「思い出していただく必要などはありません。勇者殿のお陰で生命を拾った者は数多くおります。私はそのうちの一人に過ぎません」


「……隊長さんは、どうしてスピノエスに?」


「もう以前のように身体が動きませんので退役しました。その後スピノ伯爵家から仕官の声掛けをいただき、現在に至ります」


「今でも十分、戦えそうですけど……」


「買い被りです。それに」


 男は片頬だけで笑った。


「ここは、勇者殿の領の隣ですので」



✳︎✳︎✳︎



「意外に単純な話だったな」


 ぽくぽくと馬を歩かせながら、フェンが言った。

 人目があるうちは常識的な速度で移動するので、会話をする余裕もある。


「トール様に恩義を感じて、ということなのでしょうね」


 セレストも相槌を打った。


「買い被りは隊長さんの方だと思う……」


 持ち上げられるのが苦手なトールは、馬上で心なしかぐったりしている。


「俺、やっぱり農家が合ってるよ。勇者より」


 相変わらず、勇者らしくない勇者であった。

 二人の仲間、セレストとフェンはほぼ同時に苦笑いを浮かべる。

 勇者の近くに在る彼等は、トールの功績について、誰よりもよく知っている。

 そして、トールが目立ちたがらない性格であることも、非常によく知っている。

 それゆえの苦笑だった。


 馬は進み、やがて周囲は草も疎らな荒地へと変わっていく。


「そろそろ伯爵領を出ます。準備はよろしいですか?」


「面倒だが覚悟は決めねえとな。いつでもいいぜ」


「よし、じゃあ帰ろうか」



 ――イナサーク辺境伯領へ。

 三騎は風と化して駆け出した。


米の名は…「和みリゾット」

 リゾットの調理に適する国産米品種として開発。非常に大粒。リゾットはもちろんパエリアなどにも向く。

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[一言] 豆で作った調味料(味噌)と豆で作った製品(豆腐)で味噌汁作ったり豆はすべてを支える…!
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