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10.だから、あなたも生え抜いて

 アルモーのつぼみが色づく頃――


 イナサーク辺境伯領では、トールが意味もなくうろうろと、田んぼや屋敷の周りを徘徊していた。

 

「問題は、芽が出てくれるかどうかなんだ……」


 ぶつぶつと、そんな独り言を口にしながら。

 見た目はまごうことなく不審者だ。

 領民が居ないからいいようなものの、他人が見たら通報される事案であった。


 トールが一番心配しているのは、召喚された稲が、異世界でもちゃんと成長するか否かだ。

 同じく日本から来た自分が、この世界で問題なく生きているのだから、稲だって大丈夫だと思いたいが。こればかりは分からない。



 種籾は計画通り、半分を乾田直播し、もう半分は育苗しているところである。

 トールの記憶によれば、まく前に塩水選(塩水に入れ、中身の詰まった種籾だけ選抜する)や、種子消毒(稲の病気を防ぐ。異世界には薬がないので、お湯で殺菌する温湯消毒になる)といった工程が存在していたが。


 今回は優秀な魔法使いであるフェンとセレストが魔法や魔術を駆使し、さっくりと済ませてしまった。

 二人ともトールによる自称・地球式の物理で戦う農業に付き合ってくれてはいるが、もともと魔法大好きなラクサ人。

 ちまちました作業までやりたくなかったらしい。


「魔法は魔法でも、これは農業魔法〈マギ・カルチュア〉ではありませんから。よろしいですねトール様?」


「タンボづくりに散々オレの魔術を使っといて、今更ダメとは言わねえよな?」


「はいかイエスで答えろみたいな圧が強過ぎる……」


「「返事は?」」


「はい……」


 二人がそろって良い笑顔を向けてくるので、トールはうなずくしかなかった。

 すると塩水選はフェンの魔術、消毒はセレストの清浄魔法で、サクサクと完了できてしまった。

 さらに、苗箱に土を入れたり種籾をまいたり、きれいに並べ直したりするのも、魔法があると恐ろしいスピードで片付いてしまう。


 苗箱は、庭のそばにこしらえた育苗ハウスに、ずらりと並べられている。ただしビニールは存在せず、ガラスは高価なので、代わりにセレストの結界魔法を応用して簡易的に被覆していた。


「めちゃくちゃ楽だなコレ……そりゃあみんな魔法一本になるよな」


 田植え機やコンバインから手植え・手刈りに戻れないのと同様、魔法/魔術の凄さを体感してしまうと、人力の作業なんてやってられない気持ちは分かる。


「それはいいんだけどさ……」


 「水生成」の魔法で苗箱へ水やりをしながら、トールはふと考え込んだ。


「どうかしましたか、トール様?」


 作業を見守っていたセレストが声をかけてくる。


「いや、何か忘れてる気がするんだよね……」


 そこはかとなく漂う違和感。しかし作業工程を思い返してみても、これと言って心当たりがない。


「考え過ぎかな……うわっぷ?!」


「トール様!」


 魔力はあるが、制御に難ありの勇者。集中力が途切れた瞬間に「水生成」がぶわりと膨らんで暴発し、トールは瞬く間に全身ずぶ濡れとなった。


「まあ! 乾かさないといけませんね。少しお待ちを」


 セレストが屋敷へ戻っていき、タオル……ではなく便利な魔術師を連れてくる。


「水生成ごときで何やってんだ、馬鹿野郎が」


 フェンがぶつくさ言いながら、魔術を使う。


「ほんと、あれもこれも魔法と魔術だよな。あちっ」


 ドライヤーどころか容赦なく熱風を吹き付けられ、ちょっと焦げそうになるトール。


「勇者だからいいけど、ちょっと熱くし過ぎなんじゃ」


「うるせえ黙って灰になりやがれ、嫌なら二度とこんな基本中の基本でつまずくんじゃねえ。三歳児かお前は」


「さらに温度が上がった?!」


「フェン、いくらなんでもやり過ぎです!」


「乾いた! もう乾いたから!」


「チッ、仕方ねえな」


「あーもう、考え事してたのに、一緒に蒸発しちゃったよ……」


 トールは結局、思い出すことができなかった。

 「芽出し」と呼ばれる作業のことを――。



 芽出し。

 文字通り、種籾に芽を出させる工程であり、催芽(さいが)ともいう。

 ぬるめの湯に浸しておくと種籾が成長し始め、籾が膨らんで少しずつ根が出てくる。龍造のような稲作農家はこれで苗の生育をそろえ、作業効率や米の収穫量、品質の向上に役立てているのだ。

 もっとも、やらないと米が収穫できない、というほどではない。

 だが、勇者の異世界if作では、一つだけ無視できない弊害があった。



「ちゃんと生えてくれるかな、苗……」


 日を追うごとにトールの不安が増していく、という大問題である。



 現在、トールは苗を気にするあまり、半刻、つまり一時間に一回程度は状態を確認しており、明らかにやり過ぎだった。


「肥料が使えればなぁ、でもダメなものはダメだし」


 肥料の代わりに、セレストに農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使ってもらうことも考えたのだが。

 それは他ならぬイクスカリバーによって否定されていた。


『聖なる武具たる我等を使って耕したのであるぞ? あのタンボには既に、勇者の無駄に旺盛な魔力が注がれまくっておる。隅々まで、見境なく、たっっっぷりとな。これ以上はもうナニも入らぬぞ』


 やはりというか、聖剣の言葉遣いは何となくエロい。

 だが、言っている内容自体は妥当である。

 世界最強の勇者が本気を出してしまうと、いかに聖女セレストが優れた農業魔法の使い手でも、上書きは不可能なのだ。


『勇者たる汝が、稲なるものが実るよう願い奉り、あれほどの力を込めた。十分、十二分というものよ。むしろ、やり過ぎを気にした方が良いであろう。おのれを信じよ』


 イクスカリバーに断言されたため、トールもひとまず様子を見ることにしたのだが――



✳︎✳︎✳︎



 七日後。


「トール様、まだ時間はありますから。そう落胆なさらず」


 励ますセレストの傍らで、トールはどよーんとして苗箱の前に体育座りをしている。国民にはお見せできない勇者の姿だ。


 苗箱に一度まいた後でほじくり返す訳にも行かず、トールは恨めしげに、黒々した土の表面を見つめるばかりであった。


 苗箱に加えて直播田の方もまるで変化がなく、トールには焦りが出てきている。


「はあ……。なあセレスト。俺の故郷にはアニメっていう、動く紙芝居みたいなものがあったんだけど。その有名な話で、こんなシーンがあってさ」


 トールは遠い目で、かつて見た国民的アニメを思い出す。


 ――田舎に引っ越してきた姉妹が、お隣に棲むトトr……ではなくてオバケにドングリをもらう。庭にドングリを植えるのだが、なかなか芽が出ないので、妹は毎日「まだ出ない」「まだ出ない」と言い続けていて――


 というストーリー展開である。


「俺、今ならメイちゃ……じゃない、あの子の気持ちが分かる気がするんだ」


「はあ。人ならざるモノが木の実をくれるというのが、よく分かりませんが。魔物の襲撃が起こる前兆か何かですか?」


「あー。いや、そうじゃなくて」


 異世界人には全く通じない話題であった。

 ほのぼのアニメのはずがパニックホラー風味にされてしまい、トールは苦笑いする。


「まあ、待つだけなのはツラいって話だよ。魔王なら頑張って倒せばよかったけど」


「その喩えが使えるのは、世界でトール様だけだと思いますが」


 セレストも似たような笑みを浮かべる。


「ですがこれ以上、大地に魔力を注ぐのは禁止ですよ。イクスさんもおっしゃっていたでしょう、やり過ぎはかえって良くないと」


「分かってるよ。でもアニメの続きだと、トト……オバケとダンスを踊って、不思議な力でドングリを成長させるんだよね。踊ってみるだけならいいかな?」


「勇者としての立場をお考えください」


「ちょっとだけだから」


「いけません。駄目、絶対に!」


 いつぞやと同様、真顔で制止されるトールであった。



✳︎✳︎✳︎



 さらにその三日後。


「駄目だと申し上げたでしょう?!」


「うう、だって心配で」


 トールはこっそりと「オバケがドングリを成長させた時の不思議な踊り」を真似しようとして、セレストに叱られた。



✳︎✳︎✳︎



 さらにその三日後。


「フェニックス大先生! 便利な魔術でどうにかしてください!!」


「うっせぇわお前が思うより気色悪いんだよ! オレは農業なんざ専門外だ。得意なやつでよければ、いくらでもやってやるがな?」


「うわ、炎上はちょっと?!」


 ブチ切れたフェンの火力で、トールはこんがりと炙られた。



✳︎✳︎✳︎



 さらにその翌日。


「ただいま……」


 トールは相変わらず灰色に染まったオーラを漂わせ、屋敷の食堂に現れた。

 今日も今日とて一日中、田んぼと苗箱を観察していたが、全く進展が見られなかったのだ。


「辛気臭えツラだな、おい」

 

 湯気の立つ鍋の前で、フェンがおたまを手に立っていた。彼も彼で不機嫌であり、無造作に鍋の中身を皿へ盛り付け、二人分を食卓に並べる。


「とりあえず飯を食うぞ」


「……あれ? セレストは?」


 食堂を見渡しても、聖女セレストの姿がない。彼女がいつも座っている椅子は空っぽで、所在なさげに見えた。


「やっと気付きやがったか」


 フェンは荒々しく鼻息を吹く。


「あいつなら昨日の夜から、ずーっと女神に祈ってるぞ。ろくに飯も食わずにな」


「え」


「え、じゃねえよ。何をそんな必死になって祈ってるのか、分からねえはずはねぇだろうな?」


「昨日から飯がフェンの煮物ばっかりだなとは思ってたけど……まさか」


 魔術師のフェンはもちろん魔力の操作に長けており、ラクサ的な調理も朝飯前だ。

 特に火属性を得意とするだけあって、大きい塊肉やケーキなどを焼く際は、絶妙な火加減で仕上げてくれる……のだが。

 性格が短気かつ、魔術以外のことには面倒くさがりと来ている。普段の食事は手抜きの極致で、彼にやらせるといつでもどこでも、肉や野菜を雑に切って煮た物になるという欠点があった。


 しかし、責任感の強いセレストが、食事作りさえしないのはどういうことなのか。

 一度は椅子に腰を下ろしたトールが、再び席を立つ。


「俺のせいなんだな?」


「他にあんのか? 青い顔して床に這いつくばって、どうか勇者サマの農業がうまく行きますように女神のご加護を、って祈り続けてるんだよ。止めても聞きやしねえ。おまけに肝心のお前は腑抜けやがって」


「――行ってくる!」


 トールは椅子を蹴り倒す勢いで駆け出した。



✳︎✳︎✳︎



 トールは屋敷を破壊しない程度の最速で、セレストの部屋の前へ移動する。

 ドアは閉められていたが、耳を澄ますと、かすかにセレストの声が聞き取れた。


「セレスト! 聞こえるか?」


 何度か強めにノックするが、返事がない。

 試しにノブを回してみると、鍵はかかっていなかった。

 普段なら女性の部屋へ無断で入ったりはしないが、今はそうも言っていられない。トールはドアを開けた。


「セレスト!」


 彼女は部屋の中央にひざまずき、両手を胸の前で複雑に組み合わせて、一心に祈りを捧げている。

 目は閉じたまま、唇を動かして聖句を囁くように唱え続けていた。

 トールの自動翻訳能力は大陸共通語に限定されているらしく、聖句だと全く何を言っているのか分からない。だが、ところどころで「トール」「ルリヤ」「イネ」といった単語が聞こえてくる。


「セレスト……」


 声をかけたが、セレストは深く集中しているようで、全く反応しない。トールはやむを得ず、そっと彼女の肩を叩こうとした。

 しかし。


「――うっわ!」


 パシンッという音と共に、静電気を強くしたような衝撃が走り、彼の手は弾かれてしまった。

 セレストはそれでも気付かず、微動だにしない。


「うん、なるほど。フェンが『止めても聞かねえ』って言う訳だ」


 セレストは、恐らく無意識のうちに結界魔法を行使してしまっている。これは彼女が戦闘に参加する時、自分を結界で守りつつ、前へ出て回復・支援を行うのが習慣となっているからだろう。


「セレストの結界って凄い強度だもんな。いくらフェンでも無効化は厳しいか」


 より正確にはフェンが無効化しようとすると、セレストとの魔力勝負になってしまうのだ。二人とも優れた魔法使いであるから、下手をすると屋敷が吹き飛ぶ。


『ふむ、我の出番であるな』


「ああ。頼むよイクス」


 トールはセレストの前へ回り込み、イクスカリバーを抜いた。


「――せいッ!」


 振り抜かれた聖剣が蒼くきらめき、結界だけを斬り裂いていく。

 勇者ならではの理不尽である。

 聖剣イクスカリバーは、魔法相手にも驚異的な切れ味を発揮できるのだ。フェンですら手を焼くレベルの結界魔法が、ガラス細工も同然だった。


 不可視の結界は粉々に砕け散って消えていく。

 セレストのまつげが揺れ、ようやくその両目が開いた。


「トール様?」


 セレストは夢から覚めたような顔をした。


「良かった。身体は大丈夫か?」


 トールは聖剣を異空間に収納し、セレストを助け起こす。


「わたくし、夕刻の祈りを捧げていて……。なのになぜ、まだ夕刻のままなのでしょうか?」


 セレストは、自分がずっと祈り続けていたことに気付いていなかった。


「覚えてないか。昨日からお祈りで部屋にこもってて、飯も食わないってフェンが心配してたんだけど」


「一日経っているのですか?! そんな馬鹿な」


「俺も稲に気を取られて、全然知らなかったんだ。すまない」


「いえ、トール様のせいではありません。食事のことも忘れていたなんて、あり得ない失態です」


 セレストは真剣に祈りを捧げるあまり、ランナーズハイならぬ祈祷ハイとでも言うべきトランス状態に陥っていたらしい。


「見習い神官の頃ならまだしも、今になってこんな不覚を取るなんて……先日のトール様を笑えません」


 神官にとって初歩的なやらかしとのことで、恥ずかしそうに顔を赤くするセレストであった。



 トールは、身だしなみを整えたセレストと共に部屋を出た。


「それにしても、結界まで張ってるから驚いたよ。フェンなんか、セレストが思い詰めて引きこもったみたいに言うし」


「フェンにも心配をかけてしまいましたね。食事の支度も彼が?」


 ほぼ一日絶食状態だったセレストだが、神官の修行には断食も含まれているそうで「このくらいは序の口です」とピンピンしている。足取りも普段と変わらない。


「うん、いつもの煮物だけど」


「わたくしは割と好きですよ、フェンの煮物」


「味はおいしいと思うけど、食べてると飽きてきちゃうんだよな。醤油をかけたくなる」


 日本人あるあるを言い出すトール。


「フフ、トール様の口癖ですね。ショーユが欲しいって」


「ほんと、どっかに売ってないかなぁ醤油。どうにかして造るしかないのか……」


 フェンが苛々しながら待っているであろう食堂へ、二人は連れ立って歩いていった。



✳︎✳︎✳︎



 そして翌朝。


「め……芽が! 芽がぁぁ――――!」


 育苗ハウスの真ん中に、どこかで聞いたようなセリフを絶叫する勇者トールの姿があった。


 苗箱のあちこちで、稲が小さな芽を出している。

 すんなりと伸びる子葉は、細っこく頼りないようにも思えるが。朝の光に照らされて、萌える緑は目に鮮やかだ。


「よっしゃあああああ!」


 雄叫びを上げるトールを、セレストがにこやかに祝福した。


「良かったですね、トール様……本当に」


 屋敷の中から、寝ぼけ眼のフェンもやってくる。


「馬鹿でかい声で騒ぎやがって、安眠妨害で燃やしてやりたくなるぜ」


 朝が弱いフェンは、大欠伸をしながらトールを見やった。


「ようやくイネとやらのお出ましか。思ったより時間が掛かったな」


「そうですね……トール様には申し上げにくいのですが」


 セレストはやや眉を下げ、困り顔を見せた。


「あの稲はトール様の願いを受けて召喚されましたので、魔法的にトール様の強い影響下にあります。言ってみればトール様が彼等の『王』または『親』……絶対的な主人ですね」


「まあ、そうなるな。ってことは――」


「トール様が『芽が出ないかも』と思っていますと、彼等もなかなか、出るに出られなかったのではないかと」


「ふーん……イクスカリバーの姐さんもそんなことを言ってたな。『おのれを信じよ』だったか」


「そういうことなのでしょう」


 フェンとセレストは、スキップしながら苗箱を見回っているトールを眺めた。


「やっぱ馬鹿だなアイツ」


「真っ直ぐなのがトール様の良いところなのです」


「セレストの勇者びいきも、そこまで行くと逆に凄えよな……」


 きっぱりしているセレストに苦笑しつつ、フェンの視線は案外に柔らかい。


「おーい! 俺、ちょっと田んぼの方も見てくるから!」


 トールが笑顔で手を振っている。



 庭先でアルモーの木が一輪だけ花開き、桜によく似た五枚の花びらが、暖かな春風に揺れていた。


米の名は…「はえぬき」(山形県)

 粒が大きく、しっかりしているのが特徴。「つや姫」「雪若丸」と共に同県の三大品種。

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