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理不尽な採点を擁護してみる

作者: 切咲絢徒

 まず、僕はインターネットの「先生の理不尽な採点」を晒すあの風潮が嫌いだ。なんというか、学校嫌いの大人が、直接自分が教わってない教員のミスを取り上げて嘲笑するという浅ましいものに見えるからだ。

 こういう嘲笑者達は言ってみれば先生方の敵である。僕は嘲笑者の敵になろうとしているので、「敵の敵は味方」という理屈に則り理不尽な採点をする先生方を擁護してみようと思う。

 とはいえ、どうしても擁護できないものもある。例えば、尊敬する人の名前を漢字で書いたら、「まだ習ってない漢字です」とか何とか言われるとかは、どうしようもない。こういうのは先生方に落ち度がある。しかし、それを省けば大抵は擁護できるし、むしろ、「理不尽」だとか言うのは筋違いである。これを示していこう。


 ひとつ目、さくらんぼ算は義務である。

 さくらんぼ算(正式な名前は知らない)をしていないという理由で減点されている(計算結果は合っている)答案があり、これを「数学的には正しいから減点するのは理不尽だ」とか何とか言うのは違う。

 テストというのはそれまでの授業内容が把握できているかを確認するのが目的である。算数の授業でさくらんぼ算を習ったならそのテストはさくらんぼ算を使うのは何ら不思議なことでは無いし、さくらんぼ算を使わなければ、授業内容を把握できてないとして減点されるのは妥当である。大切なのは答えが合っていることではなく、さくらんぼ算を把握できているか、である。(いかなるテストであれ、答えが合っていれば良いというものは存在しない。高校数学でも、解答への過程を書かなければ減点されるように小学算数でもさくらんぼ算を使わなければ、根拠なき解答、隣の生徒の解答を盗み見たと判断されてもおかしくない。)

 勿論、これはさくらんぼ算のみならず、分数で書くべき所を小数で書いて、減点されているのも同じである。分数の計算ができるかを問うているのに小数で計算されては、当の生徒が分数を理解しているかが判断できないからだ。

 また、一応、断っておくと、そのテストの「めあて」がさくらんぼ算を使えるか、分数計算ができるか、では無い場合は減点は妥当でない。


 補足。数学的に正しいなら構わない、という発想は危険。

 例えば、工場等で働くこととなり、機械の扱い方を教わったとする。しかし、どうも、必要性の感じない操作があったり、面倒くささを感じたりする。そういう部分を端折り、機械を操作する。後に正しい手順で操作していないとして工場長に怒られる。それまで安全に使用できていたからいいものの、実は端折っていた操作は安全性に関わる部分であったのだ、と分かれば、今度からは端折らずに操作する。

 つまり、ある方法が教えられるとき、当然そこには意図があるし、それがよく分からずとも、その方法を守るべきなのだ。さくらんぼ算が学校で教えられるのは当然、意図があるわけで、(勿論、さくらんぼ算をしなかったからと、怪我をすることはないのだが)それを尋ねることもせず、無駄だと判断するのは、近い将来、事故を起こしかねない。(理由を聞いた上で無駄だと判断したならば、これについては十分に議論し、さくらんぼ算を廃止すればよい)

 

 ふたつ目、地球は自転していない。

 運動場に棒を立てると、朝9時の棒の影の方向と夕方4時の棒の影の方向は異なる。何故か? という問があり、これの答えは「太陽が動いているから」である。しかし、これに、「地球が自転しているから」と答えた子がおり、案の定減点され、インターネットで波乱が起こる。この子供の学年はまだ、地球の自転について習っていなかった。未習の内容を書き、減点されたという寸法である。これについても僕は減点が妥当と考える。

 ここでは、「学校で習うことは正しい」という前提の下で考える。この前提が正しいかどうかについての議論はしないが、国がわざわざ誤ったこと(特に理数系)を義務教育で教える必要性がないから、凡そ真と見てよいだろう。

 かの前提に立てば、学校で習っていないことの真偽は分からないことになる。真偽の不明な事実を根拠に話す人間を作らないために、未習内容を書いた場合、減点をするのは妥当である。

 また「ひとつ目」で挙げたように、授業内容の把握ができたかという観点からもやはり減点は妥当と考えられるのだ。

 さらに言えば、そもそも地球が自転していることは果たして正しいと言えるのか、という問題もある。勿論、より上の学年になれば地球の自転を教わるので「正しい」ということになるが、教わっていない段階でどうして地球の自転を説明できようか。やはり、無根拠ということになる。

 根拠の無いことを語る子供を作ってはいけないのだ。


 と、こんな具合で擁護してみたが、どうだろうか。それでもなお「数学的に正しいから」「答えが合っているから」なんて言うことを言うだろうか。それは構わないけれど、向こうにも事情はあるし、理不尽な採点をした教員をマニュアル人間だとか何とか言うのは、まず不躾だし、ネットで騒いだところで彼らはそんな採点をずっと続ける。やるべきなのは理不尽だと嘆くのではなく、なぜ、減点されたのか、その計算方法や考え方は必要なのか、有用なのか、こいつを議論しないでは、「理不尽な採点」という言葉こそ理不尽にはならないだろうか。

 余計なお世話か。

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