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SORA(ソラ)

SORA  エピソード7

作者: 蒼井柚葉

エピソード7 おすすめの本教えてよ


 綾瀬は最寄り駅の改札を通り、ポケットの奥で丸まっていたイヤフォンを携帯に刺した。そのまま家には帰らずに公園に向かった。外は太陽が傾きかけていて、公園の中央に立つしだれ桜から長い影が伸びていた。公園の遊歩道をランニングするおじさんの背中は、見事な夕焼け色に染まっていた。


 イヤフォンに付属した小さなマイク穴に口を近づける。そして、

「セナ、今日も夕日が見事だね。今なら人殺しをしても夕日のせいにできそうだね。」とつぶやいた。


「物騒なことを言うんじゃない。浅はかな読書で得た知識はそんな風に使わない方がいいよ、アヤ。」

「いいじゃない。カミュは私には難しすぎるわ。」

「そうかなあ。僕にはとてもしっくりきたんだけど。」

「セナの頭にはついていけないよ。」

「とんでもない。僕はただの能無しさ。」


 綾瀬は携帯をポケットにしまった。河原に続く石段をゆっくり降り、平行脈の雑草がイヤフォンのコードに絡まらない様に注意しながら、せせらぎの近くまで歩いた。


「そこの石に座るんだ。その方が足が楽だよ。」

「うるさいなあ。いちいち指図しないで頂戴。」

「この前来たときもそこに座っただろう?アヤのお気に入りのスカートが泥で汚れちゃうよ。」

「ハイハイ、分かりましたから。」


 綾瀬は言われた通りの石に座り、少しずつ色を失っていくオレンジ色の水面を眺めた。


「セナのせいで、おとといの実力考査がつまんなかった。」

「悪かったよ。でもアヤったら計算が遅すぎるんだ。英語の長文だって簡単な単語ばかりだったよ。」

「確かにそうかもしれないけれど、セナのせいで国語の評論が全く集中できなかった。」

「心配いらないよ。僕が見た限り今回のテストも君が全教科満点さ。」

「だから余計なお世話だって・・・」


 綾瀬が口を開きかけた時、突然背後からガサガサ、と草がこすれる音がした。


「誰だ。そこにいるんだろう。出て来いよ。」と綾瀬は鋭く言った。すると、草をかき分けて一人の青年が現れた。ランニングの途中だったのだろうか、首筋に少し汗が浮き出ていて、いかにもスポーツブランドで全身を固めたような恰好をしていた。


 青年はとても慌てた様子で、

「ご、ごめん!別に、のぞき見していた訳じゃなくて、ちょっとすぐ傍を通りかかったから・・・」とくぐもった声で言った。どこかで見たことがある男の子だな、と綾瀬が思って見ていると、

「僕、菅井孝弘。小学校から同じだったけど、分かる?」と不安そうな顔をして聞いてきた。

「・・・ごめん、わからない。」と綾瀬が無表情のまま答えると、

「え!嘘でしょ?七年間同じクラスなんだよ?」と言い、ちょっとショックかも、とつぶやいて笑った。


 綾瀬と孝弘はしばらく沈黙して、川の流れを静かに眺めた。山に帰るカラスの最後の鳴き声が途絶えた時、

「おすすめの本教えてよ。」と孝弘が突拍子もなく言った。綾瀬が驚いて彼の方を見ると、

「西宮さん、いっつも本読んでたでしょ。それも、大人が読みそうな難しい本を。」と、川の方を向いたまま言った。日が落ちた四月の夜はまだ肌寒く、孝弘は薄いナイキパーカのポケットに手を突っ込んだ。


「俺、国語ダメなんだ。おとといの実力考査、多分赤点。」と言い、綾瀬の方を向いてニッと笑った。

「だからまずは本を読もうと思ってさ。」


 遠くでお寺の鐘が鳴った。孝弘が「まずい、もう晩飯だ。」と言って帰る準備を始めた。孝弘のポケットからしゃらしゃらと鈴の音がして、綾瀬は「ああ、自転車の鍵か。」と思った。

 綾瀬が何も言わないで孝弘を見ていると、彼は少し残念そうに「またね」と言った。河原の雑草をかき分けて綾瀬から離れていき、石段の一段目に足を置いたとき、

「あさって!今日と同じ時間にここに!」と綾瀬が手をメガホンのようにして叫んだ。


 孝弘は後ろを振り返ると、「応!」とだけ言って遠くに立っている綾瀬に手を振り、駆け足で石段を上った。


「いい人だったね。」とセナがつぶやいた。

「私が一人でブツブツやってたの、見てたはずなのに・・・」と綾瀬が驚いた顔で言うと、セナは

「アヤ、ああいう人はこれからも大切にした方がいい。」とだけ言った。


 あやうく信号を無視するところだった、と孝弘は肝を冷やした。西宮綾瀬と会話したさっきの時間が、未だに現実の物として受け止められない。ぼんやりと物思いに耽っていると、

「あんちゃん、何ニヤニヤしてんだい。」と信号待ちのじいさんに笑われた。

 

 先ほどの「実力考査、国語が赤かもしれない」発言は出任せで口走った嘘だ。孝弘は少し罪悪感を感じながらも、自分の窮地で発動する底力に驚いた。


 様々な感情が頭の中を巡っていた時、自転車が電柱に突撃しそうになり、孝弘は再び肝を冷やした。

 

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