私たちとエルフ 〜少女兵と無口な弟〜
雨が軍服に染み込み肌に張り付くこの感覚はいつも気持ちが悪い。靴下に水分が染み込み、足が重い。靴の間から泡のようなものが浮かぶが考える暇も無く足を前に。重いリュックに固い銃。腰を、腹を、体を締め付けるベルトは私の心まで縛るようで今すぐ解き、何もない海に飛び込んでしまいたい。
泥をが跳ね泥だらけの迷彩服に更に汚れを付ける。
皆は今どのへんだろか。後ろの皆と随分距離を離してしまった。私が早いのではなく皆が遅いのだ。
少女は前を向き再び足を進める。視界が悪い中、少女は覚えている道を淡々と走る。細い足を動かし、細い腕で銃を抱える。
左右は木々に囲まれ、閉鎖的に感じるが目の前に進む道が示されているだけで、私はとても楽だと感じてしまう。何も考えずただ走ればいい。重い荷物も気持ち悪い衣服も、走り切れば終わる。
少女は雨の中、前だけを向き走り続ける。しかし、その歩みは不意に止まることになる。少女は何も考えず止まりその者を見た。
木々の間に座り雨を回避している者。膝を抱え体を丸めているそれは、髪から出る耳はとがり、横に伸びている。長い髪は綺麗な銀色。小さな顔に丁寧な飾り付けをした、口や鼻。目は横に少しだけ長いと感じるがクリっと高級な実を付けているようだった。
胸がざわめく。
この世にこんな綺麗な者が存在していいものなのか。
私はいつの間にかみすぼらしい恰好をした何者かに目が奪われ足を止めた。
荒々しい呼吸音、雨が草木を叩く音、激しく鼓動する心臓が私の耳を掌握していた筈が、今は目の前の神々しい何者かに、視覚意外が奪われている。
私の心臓が元の心拍数に戻しているはずなのに、胸元がギュッと締め付けられる。誰だろうか。
この世の者ではないみたいな、でも、今ここに存在している。
少女は木々の間にいる幻想的な者から目を離せない。酸素不足に陥っているのか、鉄分不足の貧血か、血圧の低下によるものなのか、原因は定かではないが自分が見ている者はよくわからないものだった。
次第にグラっと頭が揺れ目に映るものが重複し始める。視界はモノクロで聞こえる雨音が力強く鮮明で、目の前にいる何者かは悲しそうに目尻を下げる。
その目をやめろ。
私は、可哀想ではない。軍人だ。今、お前の方がどう見てもみすぼらしく、飢えているのではないか。私は、国から食事は出るし、金も出る。
だからそんな目で見るな!
私は抱えている銃を力強く握ろうとするが手に力が上手く入らず滑り落ちた。
その時、足を止めている少女の背後をご飯を潰したような音と共にかけていく集団があった。
皆が必死な形相で走り、中には涙か雨か分からなくなるほど目元に水分を貯めいる者もいた。
少女はハッとし何者かわからぬものから目を離す。
すぐさま脹脛や太腿に力を込め柔らかい股関節を回した。抱える銃の銃口を斜め上に向け、走る。銃を両手で抱えている為、エネルギーは肩や体の揺れで生み出す。しかし、腕を振るよりも大きなエネルギーが生まれる事がない。
やっとの思いで追いついたはいいが、先頭には立てず目的地に着いてしまった。
やってしまった。
いつもなら膝に手を付かないのに何で今日は、こんなに苦しいんだ。くそ、優等生でなくてはここでは生きられない。
呼吸の乱れが止まらず、吸う空気が重たく肺を痛めつけた。疲労もいつもの何倍も蓄積し、直ぐにでも泥だらけの地面に倒れ込んでしまいたかった。
「余裕こいて止まってるからだ」
「いい気味ね。どうせ、体の不調とかいうんでしょうね」
「早く前線に送られれば良いのに」
うるさい。
頭の中で言葉が、何度もぶつかり響き渡る。頭の隅々まで駆け巡った言葉は耳から抜け、鼻から抜け、口から抜けるときに瞬時に口を押えた。「うる..ぃ」
「おい、あいつゲボでも吐くんじゃないか?」
「うわー汚い」
頭の悪い奴らの言葉は直接的で、意外と心に刺さってしまう。
いつもは遅いくせにこんな時だけよくエネルギーが出てくるものだ。そのエネルギーを敵国にでも与えればこの戦争の戦況も変わるだろう。
「おい、べリス。貴様、何故足を止めた」
どしりと内臓に響く声が頭の上から降り注がれ反射的にその場で直立し胸の中央に右掌を当てる。
べリスは呼吸を止め敬礼し、頭二つ分も大きな教官のガルサを見上げた。
軍服を着ていてもわかる締まった体は目の前に立たれると恐怖だけではなく、抗う事さえもやめてしまいそうになる。
べリスは声を出すために息を深く吸い発生した。
「すみません。体調が優れなく、足を止めてしまいました」
「それで、お前は何をしていた?」
「お前は何をしていた」この言葉に対し何を返せば正解なのだろうか。この世の者とは思えない程に綺麗な何者かを見たと言えば許しを貰えるのだろうか。
立ち止まっていたと言った時点で、許されるとは思っていない。でも、今までの努力を加味したら一日ぐらい鈍間達に負けても良いじゃないか。
早くどこかに行け。こっちを見るな鈍間達。お前らは速く家に帰り家族の温もりでも感じていろ。
「立ち止まっていました」
頬に強い衝撃を受ける。
唇のほかにも口内が切れたのだろう。口全体に鉄分の味が広がり、鼻には独特の匂いが刺す。
腹から息を強く出す気持ち悪い笑いが聞こえ、周りはべリスに口角を上げ下品な目を向ける。ガルサは冷淡な目をべリスに向け微動だにしない。
早く帰れクソども。私がいつ、お前らがはたかれる時に笑った。私は何もしていないだろ。大学を出ただけの上官もなんだその目は。小兵しか任されないただの筋トレ中毒野郎。日頃、自分が持つ劣等感を私で満たすな。
「次やったらその日にもう一度同じ訓練をやらす」
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
前線にも立たず、比較的安全な場所で教育している者が何様だ。いつも私より劣る人間が私を囲み下卑た笑みを向けるとは、気持ちが悪くて死んでしまいそうだ。
「了解しました」
べリスは踵を付け、つま先は拳一つ分、後ろで組んでいた手を崩し再び、胸中央に右掌を当て、敬礼をする。
ガルサは周りの小兵を一瞥し顎を前に出し戻れてと指示した。べリスを笑っていたの者はそそくさとリュックを背負い、銃を抱え走り出した。
べリスはそれに続くわけではないが直ぐに周りと同じように走り出し、訓練棟に戻る。
水分をたらふくに吸い込んだ服は脱ぐのに時間が掛かりいっそのこと破いてしまいたかった。靴下の変えも下着の変えもない。一日に二つ使ってしまっては洗濯も大変だ。
べリスは濡れた靴下と下着を身に着けたまま、来る前に来ていたTシャツとジーンズを着た。
濡れている下着が張り付き、乾いている服を侵食する。服が張り付き体のラインが出るが既にそんなことを気にする者はここにはいない。
明日をどう生きるか。もし、戦線に送られた際に生き残る方法はなにか、そんな事ばかり耳にする。そんな行き詰まった場所でストレスを溜め誰かを恨み、捌け口にしないと気が済まない。その標的がベリスになっていた。
私もただ相手を屠るよりも、自分が生き残る事を最優先にする。優秀者になり前線などに送られないのなら標的にされることも本望だ。
いつもはつまらない事しか言わない連中だが私も同じだ。生きる事だけを考えている。
もし、前線に出たって隠れてやるつもりだ。人生がどれだけ辛くたって戦争は時期に終わる。自殺なんてしてやるものか。戦死なんてしてやるものか。私は、生きる為なら敵に同情せず殺してやる。
べリスは自身のリュックを背負い更衣室から出る。廊下には同級生の小兵達が雑談しつつ、笑い合う。訓練でへばる者たちも終われば、現実を忘れる為に16歳の少年少女に戻る。
玄関を抜け訓練棟から出る。校庭を横切らず、隅にあるコンクリートで舗装された道を歩き門に近づいていく。整備されている校庭を雨は汚し、明日は校庭整備から訓練が始まる。
門を抜ける際に上官に敬礼をしたのち軍学校を出ていくと私の中に二つの反発する感情が入り込む。
それは、安堵と憂鬱。
この二つが校門をでた私に揃って襲い掛かる。
終わった安堵と明日への憂鬱。複雑に混じり合った感情が一番心を乱す。まだ、訓練している時の方が感情を失い何も考えなく楽だった。
何も考えたくもないのにどうしても頭に残っている、何者かが忘れられない。教官に怒られている時でさえ頭の中に浮かんでくるほどだ。余程自身の頭に残っているのだろう。
べリスの歩くスピードはいつもよりも遅く、歩幅も半分ほどだった。
「くそ、迷うならいけ」
口に出し自分を鼓舞するのは私の癖みたいなものだ。頭の中で唱えても何もならない。考えるのは良いが実現させるのならば口に出すのが私の考える成功法だ。
べリスは家とは真逆の方角に歩き始めた。
人気のない森を歩いていく。傘をさしながら歩くことができず、木々から落ちる水滴に当たりながら泥濘を歩く。
履き慣れた靴は既に耐水性能などは無く内側の濡れた靴下と外部の泥水で靴を重くした。足が取られ疲労が増していく。ただでさえ疲れている足に負荷がかかった。鍛えているはずが、歩くだけで必要以上に酸素を求め息が荒くなる。
視界が少しだけ開け歩くスピードを上げる。
抜けた先には先程訓練で使っていた木々の間にある道が現れ、べリスは足を踏み入れた。皆が忙しなく走ったせいもあり、足跡には水溜りができていた。
「この場所からだともっと西側か」
走る場所は既に記憶している為、べリスは今どの場所にいるのかは把握できていた。似たような木は沢山あるが所々に違う木が混じり込んでいる。
何者かがいたのは確か銀杏の木が二本連続して生えているところだったか。
べリスは太陽が沈む先に向かって歩き始める。太陽が沈みはじめ影が背を伸ばす。草木に付いた雫が視界の外で煌めきだす。
いつ以来だろうか景色に目を寄せたのは。これもあの何者かのせいなのかな。
べリスは辺りの風景を眺めゆっくりと歩く。訓練とは違い、本能に任せ目を動かし、立ち止まりたい時には立ち止まった。
べリスはその後も周りの景色を堪能しながら歩き、目的の場所に着く。
「あなたはここで何をしてるの?」
緑の葉を纏った銀杏の木。生い茂った葉の下に何者か分からぬ者が座っている。べリスの訓練時と寸分たがわず同じ場所に座り、口を塞いでいる。
「聞こえてない?」
何者かはべリスの声に反応しキョトンとした目を向けているが、口が開くことは無かった。
最低限の教育は受けているはずだが、喋れもしないのか。まるで弟と同じだ。喋れないことが悪いわけではない。でも、あんたのそんな表情じゃ何も伝わらない。
べリスはしゃがみ込み何者かに目線を合わせる。
何者かの白い頬を引っ張り反応を待つが、何も返ってくることは無かった。
「私も疲れて変になったのかな」
べリスは失笑し立ち上がろうとするが、行動をする前に何者かの手がべリスの頭の後ろに回された。
「何すんの」
何者かはべリスの驚いた声を防ぐように口を、自身の口で塞いだ。
言葉にならない音でもがく。
口を塞がれている時間は数秒だったはずだが、その一瞬が永遠の様に続くのではないかと思ってしまう。意識が遠のくような、何も考えたくないような、何も考えられないような不思議な感じが続いた。
「くはぁ..」
「ちょっと、何するの!」
ベリスは顔を赤らめ声高く怒鳴った。
口に感触が残り、何か複雑な気持ちだ。例えのない柔らかい感触が唇に残り、頭がぼんやりとする。
「何か言ったらどうなの?」
「あ、うん。これは、バラスラ語、って言うの?」
「何言ってんの、今あなたが喋ってるじゃない」
べリスは何者かの支離滅裂な発言に瞬時に返す。軍教育で鍛えられた、聞き取り反応を返すが身体に染み込んでいる為、答えに詰まることが簡単には起こらない。
「私は今、喋れるようになった」
先程よりも滑らかに口を動かし何者かはべリスの言葉に返す。
唇の綺麗なピンク色に目がれる。艶めかしい小さな口。言葉を発する際の口の形が分かりやすく、音を聞き取らなくとも何を言ったか分かってしまいそうだ。
「どう言う事?」
「私は、相手とキスするとその者がわかるの。このバラスラ国は初めてだからわからなかった」
どういうことだ。ただでさえ国境に関して繊細な時だ。昼夜問わず警戒が続き、人影が現れただけで銃口を向ける。いや、南側のメラスラ国から物資を運ぶ貨物列車に乗れば話は変わる。しかし、こんな少女が乗ってくるのか。作業員でもない者を乗せてくるとも思えない。
「ここにどうやってきた。名前はなんだ」
「淡白だね。ここに着いたのはよくわからない。お腹が減ったから止まってた。名前はメース。エルフだよ。あなたは?」
「エルフ..」
私の頭はとうとうおかしくなってしまったみたいだ。目の前の、メースと名乗った少女がエルフといった。ここへどのように来たかもわからない者。挙句の果てには接吻で言語を話せてしまう。
「知らない?キスは相手のことを知りたい時にするらしいよ。1800年くらい前かな。少女にそういわれた」
「だから何よ、てかエルフなんているわけない。変なこと言わないで」
「お腹すいたからご飯食べたい」
「人の話聞いてるの?」
呆けたメースに対しべリスは呆れながらも手を差し出した。手を握ったメースを起こし立たせる。身長は私の肩ぐらい、長く綺麗な銀髪は腰辺りまで伸びている。
私はなんでこの子に手を貸してしまったのだろうか。お腹が減ってるから?物語にしか出てこないエルフという存在に少しでも期待をしているからなのか。現状が変わるかもしれないと心の奥底で思っているのだろうか。
身体の疲れか、自分の意思が奥底に眠ってしまっているようだ。
「エルフってどういうの?私から見たら少し耳が長くて横にとんがっている少女にしか思えないんだけど」
「耳は皆こんな感じだよ?絵とか物語で見たことない?」
メースは横に長い耳に髪をかけ、自身の耳が際立つようにベリスに見せた。
「あとは長寿かな。かれこれ3000年かな。人類の誕生はとても奇妙だった」
メースは懐かしむように遠くを眺めてクククっと小刻みに笑う。
とてもじゃないが信じることのできない。街周辺の酔っぱらいの方がまだましな嘘を付く。三千年前の人類?千八百年前の少女?エルフがそんなに生きているのなら何故歴史の本には何も書かれていないのか不思議でしかない。
「1800年前の少女はどんな人だったの?」
「一つの国を治めていた少女。芯が通っていて皆が信用してたよ。でも、たった一度太陽が沈む前に姿を消した時、少女はこの世を去ったよ」
「権力があったのにそんだけで死んだ?反乱?」
「違うよ。今でいう自殺かな」
「自殺..?」
べリスとメースは木々の中を通り街中に来た。
街の中にはとても戦時中とは思えぬ賑わいが広がり、大人たちが騒いでいる。
暖色の灯のもと野外で酒を飲む大人たち。酒を出す若い女性、口元に髭を生やした男性。多種多様な者が酒やつまみを嗜むがそこに、ベリス程の子供達はいない。
新聞に書かれていることなんて、ただ文字を扱えるものが現状を解釈しただけのものだ。そんなものを見て何になる。アルコールを煽り、多量な塩味をとる。そうて、明日の活力、現実から目を逸らす。私達は何をしているのかと、目で訴えることさえできない。
「おい聞いたか、隣町に爆撃があったらしいぞ」
「隣は作物や配給物資の拠点がやたらと点在していたからな」
「ここが狙われるのも時間の問題かもしれねーな」
煙草を灰皿に捨てビールを呷る男性たちは新聞紙を捲り会話を続ける。
時間の問題という割には呑気な者だ。国際的に民間への武力行使は認められていないはずだが、そのような時期が過ぎていることに何故気づかない。
配給物資と言っても、銃や火薬が詰まっているわけではない。戦地になっている街、民間への食糧だ。担当者は武装もしていなければ、劣悪な環境化に置かれているのに何故殺されなくてはならないのだ。敵国が戦争に勝てば、事実は改変され民間への配送が前線への配送と記されてしまう。
だからしょうがない。だから、軍事法、国際法に乗っ取り爆撃をしたと民間人虐殺を正当化してしまう。くそみたいな現実を負ければ受け入れなくては行けなくなる。
「あははは、狙われるわけねーだろ。此処には石油も配給物資も弾薬も碌にきやしねえ。此処にあるのは山の中にある子供兵を養成する場所と、うまい酒と食べ物がある町場だけだろ?なぁ、嬢ちゃんら」
べリスとメースの間に肩を組む。
メースは男が持っている酒に興味を示し鼻を向け匂いを嗅いだ。
果実酒か。酒はいつの時代もいい商売になっているのか。まぁ、こ奴が持っている者が高価な物かはわからないがな。どうせなら、昔に飲んだ透明な酒を飲みたいものだ。
「手を離せ」
「あ?」
平坦のべリスの声が細い耳に伝わる。人間はいつも怒る時声を荒げるか、静かに感情を言葉に乗せ伝える。服装や髪型が変われど言葉に乗せる感情は、本当に変わらない。喜怒哀楽、目と同等にわかりやすい。
「今、国境付近では多くの自国民が死んでいる。お前が酒を飲み現実逃避をしている間に、民が撃たれ、爆ぜ死んでいく」
「それが兵士だろ?」
「この国では男も女も兵士になり死んでいる。医療現場は見たくもない死体をみて、触りたくもない汚物を処理しなくてはならない」
「それが仕事だろ?」
「お前はなんだ?」
「俺は商売人。わかるか?戦後に働く力になる人間だよ」
男はメースの肩から腕を離し酒を呷る。つんっと出た喉仏に油でも刺したのか滑らかに上下に何度か動く。
肉付きの良い腕。たんまりと至福を肥やした腹。こんな男でも、毎日湯に浸かれないのだろう。鼻に感じる独特な異臭が肩に付いてしまった。
メースは何度か肩を払い匂いを飛ばそうとするが、頑固な匂いは霧散することは無く、こびり付いてしまう。
「人間?豚の間違えじゃないか?」
「あ?」
男はべリスから腕を離し胸ぐらを掴み取る。ただでさえヨレテいる服が男の手で引き延ばされる。
べリスはこんな事を言ってどうなるのだろう。戦時中に国が纏まる事がないのは何度も見てきたつもりだ。確か、馬で戦う時代にも裏切者がいたし、師団を収めるだけでも手がかかるだろう。しかし、男が言う戦後という物も見据えなくてはならない。人は力だ。
「俺は金を、税金を払っている。お前が生きていける為の税金だ」
男の声は思っていたよりも平坦で感情が籠っていない。これではどちらが鬱憤を晴らしているのかわからなくなってくる。
「お前が多額の税金を払っているのか?こんな所で飲んだくれいる人間が、戦争に勝てば裕福な暮らしと、運が良ければ奴隷が手に入る」
「当たり前だ。金を払っているからな」
まただ。感情が感じられない。顔は起こっている。眉間には皺を寄せ、腕は震え、瞳孔が開いている。なのに言葉に、怒が入っていない。何だっけ、何だっけ、何か言い表す言葉があったはず。
「お前のチンケな税金で人一人の命と同じ価値だと思うなよ。お前の足元には戦死者がいるんだ」
「あぁ、先祖たちな」
下卑た笑みを見せた男に対し、べリスは震え掴まれた腕に爪を立てた。喰い込む爪に男は顔を歪ませ次第に指先が服から離れていく。
「お前の流れる血がこの国のものならば今すぐお前が前線で枯れるまで血を流せ!」
べリスの怒声が響き、男の体が宙を舞う。半円を描き男性はコンクリートの地面に叩きつけられる。腕が外に投げ出され持っていた瓶が割れる。瓶から洩れる果実酒が月明かりに照らされ色濃く地面を汚してしまった。
少女に投げ飛ばされる大人というのは滑稽だな。そうだ、思い出した。こういう男に与える名前。
べリスは男を飛ばし、要は済んだと言わんばかりに堂々と歩き出した。その様子を見たメースは小走で男に向かい一言、言葉を投げる。
「道化、もっと上手くやった方がいいよ」
メースは先に行ってしまったべリスを追うように歩いていく為、男の声は届くことが無かった。
「道化ってなんだ」
「君程戦争を憎んでるやつはいないって事」
「お前みたいな小さなものに何がわかるんだ」
「わかるよ。私は長い事生きているから。どうか、本当の精神は忘れないで。偽った精神はやがて本物になり、自分が狂っていることさえ忘れてしまうから」
ー1ー
「べリスは家族とかいないの?」
「弟が1人ね。てか、何でついてきてんの」
「ご飯をご馳走になろうと思って」
「なんでよ」
呆れたような声音を出すが否定的な文言は入っておらず態度にも見られなかった。
先程とは違い、一軒家が立ち並ぶ。一軒家と言えどつくりは簡単で、長年住むようにはできていなかった。
森の木々が家に置き換わる。
両側に立ち並ぶ家。その間の一本の道。二人が歩く道は先程の木々の間の様な一本道。しかし、木々の間よりも窮屈で空気がどんよりと漂っていた。
夕食の匂いが漂う。
この家は焼き魚だろうか。この家はスパイシーの効いた、何だろうか。それにしてもべリスの姿勢は崩れることがない。背中に一本の張りが刺さったように伸びてる。
何だったかな、周りから様々な影響を受けようが決してぶれる事無く回り続ける。私が手を触れたら弾き飛ばされるような感覚を表す言葉。
腹を鳴らしながらメースはべリスの後を追う。
日は既に落ち、辺りの街灯が照らす道は喧騒が少し、ご飯の匂いが少しばかりと様々なものにあふれていた。
「戦争中なのに食事はしっかりとあるんだね」
「ここの多くは兵士だから配給が他よりも豊富なんだ」
「優遇されてるんだね、兵士は」
「何言ってんの?人の方が価値が高いでしょ」
「まぁ、そうかも?私は人間ではないから沢山いる人間に価値があるかはわからない」
私は四千年もの時間を過ごして来た。エルフは数が少なく、争いも種族同士では起きなかった。私から見たら人間は他の生き物同然だ。牛や豚、鳥、言ってしまえば今、私の足の近くを歩く蟻と同じような存在にすぎない。60歳まで生きることの難しい人間に価値があるかはわからない。どうせ性効を行えば産まれてくるのだから。
それでも、優しくしてくれた人間の死はどうしても見たくなかった。そこら辺にいる人間に興味はないが、私が好きな、愛しい人間はどうしても生きていて欲しいとは思っている。
「てか、メースは私の事わかったんじゃないの?」
「あれは嘘」
「はぁ?」
こいつは本当にエルフなのだろうか。てか、エルフってなんだ?
物語上で描かれる架空の種族?いや、まずメースが本当のエルフかどうかも怪しいところだ。確かに耳は特徴的だし、綺麗な銀髪は普通に生活していたら見ない。しかし、世界は広い。今私たちが戦っている相手でさえ顔は変なのだから。
だけど、メースにはエルフと納得させるだけの何か不思議な雰囲気があるのは事実だ。
同じ家々が並ぶ直線道を尻目に二人は歩いた。べリスの後ろを歩くメースに時に視線が注がれるが、誰かが声を掛けることは無い。この場所は他人との距離を取り、立ち話することすら珍しい。
「ここに住んでいる人達は同じ民族なの?」
「まぁ、国としては同じ」
「国として?」
「五つの国が合体したんだ」
「ミラル・ガーラ・ベシット、あと二つはどこ」
「知ってんだ」
「何となく、周りの雰囲気からね。でも三国は仲が良かったはず」
ミラルは海がとても綺麗な国でとても海産物が美味しかった。ガーラは海には面していないが自然が豊かで植物がとても美しく生をなしていた。ベシットは畜産を国の力とし多くの者たちが生き物に対し真剣に向き合っていた。そんな三国は貿易を結び互いに生活に潤いをもたらしていたと私は記憶していた。しかし、ながら統合しバラスラという国になっていた。言語はミラルの言語を簡易にしたものだ。そこから、想像できることはミラルがガーラとベシットを修めていること。何処かで三国の均衡が崩れてしまったこと。
「ミラルが攻められたんだよ」
「ガーラとベシットではないよね」
ガーラとベシットが意味もなく今までの関係を崩すとは思えない。三国の同盟は固かったはずだ。更に互いが自身たちの強みを補完にしていたはず。互いが文化を持つため一つに統合することなく今まで過ごしていた筈だが。
「私たちが知ってることはキュロサルとミラルが交戦し、ベートルがベシットを攻撃した。それらを守るためにガーラが二つの国を支援したが、戦いに飲み込まれ合計5つの国家でバラスラを成立させた」
「5つの国で和解でもした?それともどこかの国が戦勝国として動かしている?」
話すことに情報がなさ過ぎて整合性どころか、戦争に陥った経緯すらわからない。数百年この土地付近に来ていないが故に全く状況が分からない。昔はミラルの海産物をご馳走になったし、ガーラには美味しい果実、ベシットにはお肉をご馳走になった。記憶に残る豊かな様がないのはつらいところだ。
「国を治めているのは五か国で話し合い決めた、キュロサルの人間。いまバラスラの国王はキュロサルの血、バラスラ家の血」
「そっか」
統合したからと言って自然や食料の質が落ちるわけではないだろうが、養っていく為の食料は多くなりそうだ。それによる環境のバランスが崩れることも起こるかもしれないが。
二人でそれなりに足を動かし直線の道を歩いた。そして、隣と同様の形をした家の前でべリスは足を止めた。南京錠がドアに二つ付き、一つ目の鍵を間違えたのかカチカチと固い音を何回か鳴らし南京錠を開錠する。
「弟いるけど気にしないで」
「はーい」
べリスは南京錠を家の中に持ち込み、内側から二つ鍵をかけた。
家の中は外見から想像した通り、調理場と大きな部屋が繋がり、おそらく玄関から右の扉はお風呂とトイレだろう。生活する分には苦労はしないだろう。それよりも、扉の角から見える本の山はなんだろうか。
「ただいま」
べリスが部屋の中に声を投げかけても返ってくる言葉は無かった。部屋は電気が付いており明るい為、誰かはいるのはわかる。しかし、誰もいないときの様に物静かだった。
中に入るとポツンと部屋の隅に本を持った男の子がこちらを見上げていた。
べリスの弟だろう。ハードカバーの本に栞がわりの細長い紙を挟み隣にあるスケッチブックを持ち上げた。
『ごはんはできてる』
スケッチブック一面に書かれた文字をみて、べリスは了解と声を漏らした。
「メースはどのくらい食べる?というかエルフって食べないと生きていけないの?」
「食べなくても生きては行けるよ。でも食べたい」
私たちは周りに溢れかえるエネルギーを取り込むことによって生きている。だが、私はご飯を食べたい。昔から、食事を摂っている。昔は土の様な皿でも食事をした。それから月日は経ち人間の進化は凄まじかったと思う。私は勝手に人間の進化は食と武器で表せると思っている。勿論、目覚ましい進化は他にもあるのだが。
「会った時からあなたは強引だよね」
「そんな事ないよ。毎日の食事が乏しい人間からは食事をもらわなかったから」
「ふーん、そうなんだ」
ベリスは鍋に火をかけ、おたまでカレーを混ぜる。部屋の中にふんわりとカレーの匂いが広がり鼻をつく。ギュルリとベリスのお腹は意志と反してなった。ソワソワと体を動かすメースも夕食を待ち望んでいた。
「どのくらい食べる?」
一煮立ちしたところでベリスはメースに声をかけた。
「普通くらいでいいよ」
「わかった」
それからしばらくして机に置かれたカレーは二皿だけだった。
弟は既に食べ終わっているのか、本から目を離すことなくずっと読んでいる。少しは私がいることに違和感を持つと思っていたが、気にする素振りもない。
「水は飲みたくなったら水道から注いでね」
「わかった」
言葉を何も言わずご飯を食べ始め口直しに水を含む。
スパイシーさは無いが匂いはカレーの匂い。味もカレーだが物足りない。それでも、特別不味くは無かった。美味しくっもなかったが。
「メースはなんでここにいるの?」
「んー眠くなって飛んでたら落ちて気が付いてたら木の間にいた」
「変な世界から来てるの?」
「いや、もう何千年も地球にいます」
「何千年も?」
「何千年も」
その時のメースの目はとても澄んでいて嘘を付いているとはとても思えなかった。そして、その時の弟の目は今でも忘れられない。死んだような目をしていたはずなのにその時の目は嬉々として彼女、メースを見ていた。あいつは目のあんな目を見るのはいつぶりだろうか。本に溺れ情報に溺れ生きているあんたが生きたような瞳をするのはいつぶりだ。
「べリスはいつから軍にいるの?」
「もうすぐ1年」
「戦地にはいつから行くの?」
「それは分からない」
手に持っているフォークが皿とかち合いカラント音を立てた。
「でも、今年で16歳になる私は戦地の状況によっては明日戦地に行ってもおかしくない」
「そっか」
その後二人には会話はなく執心の時間を迎えた。
薄い布団が三枚引かれ川の字になるように三人は寝た。
眠りに付く時に横になったのはいつ以来だろうか。エルフは基本的に睡眠を取らずとも活動することは出来る。しかし、私の体は人間の生活に慣れているのか食事と同じように睡眠を欲してしまう事がある。久しぶりの食事は美味しかった。
人の進化は凄まじい。
メースは物音一つしない小さな部屋で眠りに付いた。
ー2ー
「校庭を7周し狙撃。午前中は3セット。的を2以上外した者はグランド3週追加。始め!」
校庭にはガラスの張った声が広がった。その声の端を捉え訓練兵が一斉に走り出す。グラウンドは昨日の雨の影響が残っているのか太陽の光に反射し輝いている。だが、訓練兵には只々鬱陶しい重いグランドでしかなかった。
正直私は訓練の内容よりも履いている靴に苛立ちが溢れていた。前日の雨でしっかりと水分を含んでしまった靴は靴下を徐々に濡らしとても気持ちが悪い。グラウンドはぬかるんで走りづらい。
クソ、昨日のへまを挽回しないといけないのに足が前に出しづらい。
少し前までの訓練では毎回べリスが先頭を走り二番手とは大きく差をつけていた。しかし最近ではそのような状態も変化しつつある。
クソ、くそくそ、今までは聞こえなかった足音が近づいてくる。昨日だってそうだ、今までならあの程度の足止めをくらっても後ろとの余裕は大きくあった。抜かれたとしても追いつき抜き返すことは出来ただろう。それが今はどうだ、三人。いや、五人ほどが後ろにつき私を抜くことを考えている。
16歳の歳からは戦場に送り出すことができる。そして、みんな直観的に気づいているのかもしれない。戦況が悪化し前線に送られる可能性があることに。
だからこそ、いま成績の上位に行かなければ前線に送られてしまう。
べリスは一番に射撃をする場につき、ぬかるんだグランドにうつ伏せになる。的は三つ。30メートルから10メートルごとに遠く配置された的に順にあっていく。素早く射撃体勢を作った時、べリスの隣にも一人うつ伏せになった。
息を整えている暇などなく引き金に中指を添える。荒ぶる肺を無理やり抑えつけ息を飲む。べリスは自身で作った一瞬の静寂の中引き金を引いた。着弾し的が倒れた事を確認しすぐさま40メートルの的に銃口を向ける。二秒後には照準は40メートル先の的に向かい息を止める。息を止める数秒間、物音や他人の声などは聞こえない。わかるのは的と自身の人差し指の感覚だけ。
3つの的を正確に射抜いたべリスはすぐさま立ち上がり再び走り出す。
二週目は立ったまま射撃をし三週目はうつ伏せで射撃。べリスは全ての的を射抜き最終的に一番で訓練を終えた。
「べリスお疲れー」
「あ、カエラお疲れ」
座学を一時間こなし訓練兵は昼休みに入った。支給される食事はおにぎりが二つに栄養が詰まっているパックの飲み物だけである。昼休みは校内での自由が許される時間と言う事もあり多くの訓練兵がまばらに動く。
べリスもその中の一人であり、校舎の屋上で昼を過ごそうとしていた。そんな隣にお構いなしに座ったのが唯一と言っていい友達のカエラである。
雨粒が高いフェンスの目の間できらりと光っている。水が薄っすらと溜まる場所を避け二人は日の当たる場所に腰を下ろした。
「朝から合同訓練何て疲れるよねー」
「本当にいつ靴が乾くのか」
「ほんとそうだよね!もう一つくらい支給してくれればいいのに」
カエラは愚痴を空気の様な軽さで話おにぎりにかぶりついた。
カエラと出会ったのは訓練学校に入って3週間ほどたった時だった。
ー3ー
「あなたが3クラスの成績優秀者みたいね」
「だれ」
支給されたおにぎりの三つ目を食べ始めるときに彼女は私に降り注ぐ陽を遮った。上を見上げると黒く長い髪の影響か彼女の顔が遠くに見えた。
彼女は私の前で胡坐をかいた。長い髪に小さな顔。とても数年後には戦地に行く可能性がある少女の顔には見えなかった。そして、彼女は笑顔で私を見ている。
「私はカエラ・アラ。2クラスだよよろしくね」
彼女はビニールからおにぎりを出し食べ始めた。余り美味しくもないおにぎりを美味しそうに食べる彼女。顔も可愛く髪が綺麗で胡坐をかく彼女。すこしおかしくでも、嫌味のない彼女は少し羨ましく思えた。
私は最初の試験で座学も実技もクラストップの成績を取っていた。そこまでは冷たい目をされることは無かったが、誰とも絡まず一人で居たからだろうか。周りの目が冷たくなりいつの間にか私は訓練時、誰かと声を掛け合う事は無くなった。
「あなたは、えっとー」
「べリス。私はアラスト・べリス」
「べリスかーよろしくね」
何がよろしくなのかさっぱり分からなかったが彼女は何も気にせず私の前で昼食を食べる。それよりも何故私の居場所を知っているのだろうか。それと、なんで私の元に訪れたのだろうか。
昼食の時間はその日によって異なる。平均して25分程は用意されているのだが昨日はたったの五分しか用意されていなかった。即席麵を2分で作り同じ時間かそれよりも短い時間で腹の中に注ぎ込んだ。正直口の中が火傷をし味を覚えているはずもなく気持ちがいい物ではなかった。その後すぐに校庭を10周、筋トレと続き何人かは即席めんを気持ちよく吐いていた。
「昨日の昼食は大変で吐いちゃったから今日が天国の様に思えるよ」
そして、目の前の女も気持ちよく吐いた中の一人だった。
「戦争にこんなひ弱な女、使えるわけがない。子供を産める女性を戦地に送るなんて効率が悪すぎる」
こんなにもかわいい顔をして、堂々と毒を吐く彼女は少し可笑しかった。しかしながらその危険性も理解してもらわなくてはならない。
「カエラあまり多き声で今の話をしてはいけないよ」
「わかってるよー」
こんな軍や国を批判する言葉を言うとどのような状況に陥るか分かったものではない。戦時前はいくらでも話せたのだが今は肯定的な意見しか我々は認められない。今回の女性への徴兵も王妃が言い始めたと聞いている。男女平等な社会を作るのならば女性も戦うべきだと主張した。確かに男女差というものはあったかもしれない。しかし、戦う女性というのは意味がわからなかった。私は生まれた時からバラスラ王国で育ってきた。そんな国の中に敵がいる。外国の者ではない。性別が男の者だ。その感覚が私には分からなかった。
私が子供なのかもしれないが。
「よりにもよって女性を徴兵するとはね」
「やめな、カエラ。首が飛ぶよ」
「べリスは愛国心高いね」
「別に愛国心というか、単純に私が育った国だから大事にしないと」
「そっかーまぁ、私もそういう気持ちはあるよ。でも、私たちが死ぬことでどうなるの?」
私はその問いに答えを出すことができなかった。
私は訓練学校の話を聞いた時、優秀ならば軍の中、前線には出なくていいと聞いていた。私は2人いる兄弟の中で一番と言っていいほど運動神経が良かった。だから今回私は前線に出ることなど考えていなかった。たとえクラスメイトと言葉を交わさず、無口で訓練期間を終えようとも。
「ごめん、少し嫌な言い方だったね」
「いや、そんなことは無い。ただ、死ぬなんて考えたことなかったから」
「べリスは兄妹とかは?」
気まずい空気を切り裂くようにカエラはべリスに話を振る。
言葉は偶に私の内側を刺すが彼女は私の事をよく見ているのだろう。嫌味たらしくなくあくまでも自然に私の情報を引き出す。
「上に兄がが一人と下に弟が一人いるよ」
「じゃあ、お兄さんは既に軍か何かに行ってるの?」
「行ってない」
「弟は?」
「弟も行ってないよ」
私の兄弟は誰一人軍には行っていない。兄は頭がいい為、戦争への兵役は免れている。弟も喋れないことを理由に免れる。そして、何も持っていない私が軍に参加している。
「ベリスの親は女性も戦地に行く考えを持ってるの?」
「わからない。でも、戦争も好きではないと思う」
ベリスが続きを話そうとした途端、敷地内に放送がかけられた。
『訓練兵、一・二年昼休み終了10分前。直ちに各クラスに整列するように。繰り返すーー』
「今日のお昼は長いと思ったけど、もう終わりかー」
カエラはググッと腕を上に伸ばし身体をほぐす。ベリスはそんな彼女の体を見て自分の貧相な体つきに落ち込んだ。胸に綺麗な山もなく肌も綺麗とは言い難い。決して悪いわけではないのだが、カエラとは比較にはならないだろう。
「さぁ戻ろ。点呼に遅れると面倒だ」
「そうだね。これ以上スクワットや腹筋をやりたくない」
ー4ー
愚痴をこぼしながら昼食を流し込んだ彼女はいつもと違う話し方をした。目を落とし声から張りを消し困るような声でポツリと呟く。
「ベリス。私さ、戦地に行ってくる」
「え、なんで..成績だって」
「ベリスも気づいてるでしょ?」
カエラが顔を上げ私の間に合わせに来る。初めて会った時とは真逆の短い髪の毛。長いまつ毛の奥にある美しい瞳。声。それらは私の心を掴んで離さなかった。
「私達は兵隊だよ。死んでもまた新たな兵隊が補充される」
「いや、だから良い成績を収めて前線に立たなくたって」
「無理だよ、開戦してから既に1年。物資の補給もまた集まり始め戦いが激化する」
「わかってる..だからこそ、高めて安全な所に」
戦争に出る兵士が全て銃を持ち敵を殺すわけではない。頭脳も肉体も研磨すれば戦地から遠退くのだ。いずれ戦争は終わる。終わりの形はわからないが、自身に力がなければどのような状態でも立って歩けない。
「ベリス貴方はそのまま高めていけば良い。でも、私はそんな純粋になれないんだよ」
「私は純粋じゃない。とても、最低だ。私は他人を蹴落としてでも、前線に行きたくないのだから」
「それが普通だよ。でもさ、戦争はおそらく人が死なないと戦争じゃないんだよ」
「どう言うこと?前はあんなにも戦いで死ぬことに価値がないと言ってきたのに..」
ベリスはカエラの考えの変化に頭が追いつかなくなっていた。萎んでいく声に対抗できる言葉が探せない。何としても引き戻す気合が溢れてこなかった。
「私は戦況を変える程の力はないけど、他の価値を見つけたんだよ。私が死ぬことによって起こる価値に」
その言葉が終わると同時に昼休みの終わりを告げる放送が鳴った。2人は言葉を探しながに足を動かして前へ進めようとするが結局言葉を交わす前に点呼の列へと並んでしまった。
ー5ー
朝、私が体を起こす前に既にベリスは家を出ていた。睡眠をあまり必要としないエルフだが寝転がるのは好きである。私だけに限るかもしれないが。
メースは積み上げられた本を一冊手に取り、椅子に座る。『五国統一六項』古びた紙に手を添えゆっくりとページを捲る。手に取った本は物語とかではなく"国"の在り方を示した物だった。目次などは無く一行目には不思議な文が書かれておりメースは首を曲げた。
「ここに記す。三国ミラル・ガーラ・ベジット。二国キュロサル・ベートル。計五つの国を統合する。後にバラスラを国王とする」
統合する..国王とする..
他人目線な序文に違和感を持ちつつも次のページを捲ろうとした時、本が残像を残し消えていった。
「何すんの」
後ろでいるであろう彼に声を掛け本を返してもらうために振り替える。
そんな彼はメースが振り向くことを分かっていたのかスケッチブックを見せた。『勝手に触らないで』感情が乗らないはずの綺麗な字は突き放すように冷淡だった。
「それは何の本?」
そんなメースの言葉は届くことなくべリスの弟はスケッチブックを机に投げ出しキッチンに向かった。本は持ったままご飯をよそい水を注いでいた。
「私、結構長い時間寝てたんだよね。暇なら教えてくれない?今の状況を」
言葉は単純にべリスの弟の興味を引く。そして、メースが耳に髪を掛けるときには彼は口に咥えていたスプーンを落としていた。にたりと笑うメースを一瞥した彼はスケッチブックに勢いよくペンを走らせた。
『君は何者』
言葉を出さないべリスの弟にメースは少しのいたずらを試み、彼の頭の中に言葉を流した。
『私はエルフ。名前はメース。あなたのお姉さんに拾われた』
そして、先ほどよりもよろけた字が書かれたスケッチブックをこちらに見せた。
『よくわからない。なぜあなたがここにいるのか』
『それはどう言う事?』
『耳が横長に伸びている生物、エルフは地球を掌握しているのではないの?』
『ん?それは、物語の世界の話?それよりも、流石にそろそろ声で伝えてくれないかな。君喋れるんでしょ?ガイ・アストラ』
ガイは諦め、スケッチブックを床に投げ捨てた。
「これは小さくして喋ってください。他の人たちには言葉を話せなくなる精神障害と言う事で徴兵を免除っせて貰っているので」
「それで、べリスが徴兵されているのか」
メースの発言にガイは肩をピクリと動かすが一度深く呼吸をし平常心を保った。
「それは関係ないよ。この国では男女の平等なんだ。徴兵は家庭に複数人の子供がいる場合1人以外全員が出兵する。家は兄が頭がいい為逃れ、俺は障害を持っていると言う事で徴兵を免れている」
「それは、べリスがそうしろと?」
「いや違う。家の親だ」
人間は昔よりも様々な感覚を持ってしまったのだろう。私生まれた時の世界はとても危険で餓死寸前の者がいたが繋がりが強く、暖かい日々を送っていた筈だ。家族が広がり村ができ、国ができた。いくつもの戦いがあったが、私が目覚めた時代はとても奇妙だ。
「そっか。まぁ、そこには余り興味がない。興味があるとすればなんで戦争をしているのかってくらいかな」
「いや、エルフは掌握しているのではないのか?」
「だから何をさ」
「地球をだよ」
ガイは椅子から勢いよく立ち上がり山積みになっている本の下段を力強く引っ張る。勿論上から本を崩しって言った方が早い事はガイ自身も分かっている。しかし、そんな理性は一冊の本に取り払われた。そして、山積みの本が波打つように崩れ落ちた。
「これだよ、『生地書』人類の始まりの一歩が記された本。多くの人が初等教育で学ぶものだ」
「それにはなんて書いてあるの?」
ガイは暗記しているのか、生地書を閉じメースの目をじっと見つめ話始めた。
「人間が生まれた時、エルフが現れた。エルフたちは人間に生き方を教えた。そして、人間はエルフに貢、人間は地球で生き延びた。これは簡単にしたものだけど、要はエルフのおかげで人間は繁栄でき現状があるってこと」
「へぇー私がエルフの最初じゃないから分からないけどね」
「最近ではエルフが人間をコントロールして世界を動かしているとまで言われている」
「べリスはそのこと知ってるんだよね?」
べリスが知っているのなら何故私を家に泊めているのだろうか。何も文句を言わずさらには食事まで出してくれた。人間でもない私は正直面倒くさいに決まっている。彼女の何がそうたらしめたのか知りたかった。
「姉さんは知らないよ。初等教育を受けていない。エルフは物語の中の存在としか思っていない」
「男女平等なのでは?」
「その時はまだ流布してなかったんだよ。そんなことより--」
この後もガイは真実なのかもわからない話を続けた。小さな窓から日が消え、ドアが開くと共に会話は終わったが、ガイはまだ話したそうに口が緩んでいる。しかしながら、べリスがいる前では喋ることをしないのかスケッチブックに『おかえり』と一言書いた。
「おかえりべリス」
ー6ー
家のドアを開けても声を聞くことは無かったのだが、柔らかい声が飛んできてびくりとした。しかし、弟のスッキリと晴れた顔を見て嫌悪が湧き始めた。どこから溢れているかわからない嫌悪に思考が取られメースに返す言葉を見失った。疲れた肉体と頭と感情の隙間なんかは既になく弟さえ入れることは出来なかった。
「メース夜ご飯は食べる?」
「んーいいや。絶対食事を摂取しなければいけないわけではないし」
「そう」
その後会話などは無くただ淡々とべリスは食事を摂り、本を読み目を閉じた。
眠れる気がしない夜は久しぶりだ。
べリスは何度も意識的に寝返りを打ち気を逸らしていた。何度も何度も違う事を考えるが一向に頭から離れない。『私さ、戦地に行ってくる』頭の中で何度も繰り返されるカエラの声。私はこのまま行われる徴兵日程を上手くこなせばまず前線に送られる心配はないだろう。私もそのつもりで訓練に挑んでいた。現状のままでいいと何度も何度も自分に言い聞かせているはずなのに、一向に納得する答えが出てこない。
そんな悶々とするべリスの横でゴソゴソと音を立て誰かが起き上がった。そして迷いなくドアを開け外に出ていった。
夜目が効かない為、誰が出ていったのか分からないが鍵は私とガイしか持っていない。でも、こんな夜遅くガイになんの用事があるのだろうか。
私はいつの間にか体が動き家を出ていた。
外は無風で、光は月明かりしか頼る灯りは無い。しかし、夜目に慣れ始め歩く物体を見つけた。
「メース何してんの」
「ん?星を見に」
追っていたのはガイではなくメースだった。
メースはべリスに与えられた白いワンピースを身に纏いとぼとぼと歩いていた。
辺りの家から光は漏れておらず目の前の道すら余り見えていない。しかしながらエルフ、メースの存在はくっきりと確認できる。彼女から光が発されているわけでもない。ただ、彼女を確認できた。まるで初めて会ったときの様に。
そのまま歩きべリスが汗ばみ始めた時メースはベンチに座った。
「なんで星を見ようと思ったの?」
「なんで?別に意味なんてないよ」
二人は顔を上に向け会話を続けた。
「エルフはさどんな感じなの?」
「何が?」
「生き方というか。考え方とか。人間をどう思っているのかとか」
自分で言っといてなんだがとても抽象的なバカな発言だと思う。まず、私自身簡単にエルフを信じていること自体が不思議で仕方ない。
「生き方か。生まれた場所は言えない。考え方って言うのはよくわからないけど、エルフには男女っていうものは心でしかない」
「どう言う事?」
「人間は男女を分けるとき、外見的には生殖器と体つき、顔つきで判断するでしょ?」
「そうだね」
「でも、エルフは違う。女性という性に生まれているが、体つきは男性のエルフと変わらない。そもそも、生殖器がエルフにはないから」
私はここに来てやっと生物としての違いを理解した。しかしエルフは一体何をやっているのだろう。人間みたく戦争なんて起こしたら存在自体が明確になり人間社会に影響を及ぼすだろう。まず、エルフは人間みたいに沢山いるのかも分からない。
メースは様々なことを考えながらも話を逸らさず質問をぶつけた。
「じゃあ、どうやって性別を分けてるの?」
「エルフの性別は心だよ。ある日気づくの。私が女性だって言う事に」
私はその話を聞いてとても神秘的に思えた。だけど、よくよく考えれば私も同じなのではないか。私が女性と認識したのはいつだったか忘れたがいつの間にか女性だった。公衆浴場の女性に毎回入っていた事でもトイレを毎回女性用を使っていたことではない。女性と言われて、女性という性を刷り込まれていたのかもしれない。しかしながら今、そういった受動的な性ではなく自ら女性という性を認識している。
「そうなんだ。メース以外にも綺麗なエルフもいて外見は同じでも男性の性を持っていることもあるのか」
「そうだね。まぁ、外見は分からなくても声で分かると思うけど」
メースはそういうがおそらく男性のエルフも素敵な声をしているのだろう。
黙って空を見上げると夜空には沢山の星が光っていることに気付く。偶に泊りで演習を行う事もある。勿論、夜空なんか見上げる時間などあるわけがない。日々の訓練が終われば家に帰り、朝起きるまで外に出ることは無い。だから今見ている光景がとても不思議で仕方がなかった。私も感受性が高くなったのだろうか。おそらく、日々淡々と生活をしているならば、こんな夜空にも興味を示さなかっただろう。
「ねぇ、メース。私は死んだらどうなるの?」
私はその言葉にハッとし夜空から目を話してしまった。
今日は既に頭の中はそのことで一杯だ。
「さぁーどうだろうね。人間の寿命はよくて50年くらい?」
「うん。偶に60才くらいまでいるけど一般市民ではそうそうないかな」
「私が寝てた年月はおそらく300年。あくまでも記憶がないって事ね。私が記憶を失くしているうちに六世代ほどの人間が死ぬ可能性がある。勿論この300年も私からしたらそこまで大差はない。要は、人間の死ぬって事が分からないし死ぬことを考えたことがない」
死ぬことがないかも知れないと言う事は逆に怖くないのだろうか。そういう私も今日カエラの言葉を聞かなければこんなにも死についてヤキモキしなくても済んだのかもしれない。
「今日さ弟と話したよ」
私が考え込んでいたことに気が付いたのだろうか、メースから話が振られてきた。
「うん。何となくわかってた」
親の方針で喋る事が大好きなガイが会話を止められた。もし、男女平等が無ければ私が徴兵に行かずガイがいく事になっていただろう。
しかし、男女平等の名のもとに私は親から徴兵へ行けと言われてしまった。こんな男女平等何て矛盾している。もしも、私が戦争は男が行くものだと言えば、それもまた平等ではなくなる。これから戦後一家を養うための人材は男。だから、男を残すと言えばそれもまた不平等だ。こんな堂々巡りを繰り返す平等何て意味が分からない。おそらく平等なのは人が生まれ死んでいく事だけだ。
「性別には性別の役割があると思う。エルフには性別による役割分担は無いけど、神様がわざわざ手間をかけて二種類の性別を作ったんだから。何かしら意味があるんじゃない?平等を考えることも役割を考えることも。まぁ、私には分からないのだけど」
もう驚かないのだが、自分の考えを覗かれるのは恥ずかしい。
メースは星を見る事にも飽きたのか立ち上がり家へと戻っていく。べリスは隣についていく事も出来たが、一歩引きメースの後を歩いた。
心なしか行よりもハッキリと前が見え、足元を注意深く確認する必要もなかった。
ー7ー
「出発の日が決まったよ」
「そう。本当に後悔はないの?」
カエラから戦地に行くと告げられた日から三日が経ち、昼食を共に屋上という開放的な空間で取っていた。
「どうだろう。死ぬ時には後悔するかも」
「じゃあー」
「行かなくて良いなんて言わないでね」
こうも強く押し切られてしまっては何も言い言い返す事はできない。たった一年。昼時に合うだけの存在だが、それは私にとってとても大きな存在なのだと今更ながら気づいた。孤独でも構わない。だけど実際はそんな事はなかった。
私は私をまだ理解していない。
「私は行かないでとはもう言わない。でも、私はカエラのことを好きだし死んでほしくはないよ」
「うん。私もべリスを一番の友達だと思ってる。でも、私はやめないよ。私に幸福が残る事は無いかもしれないけれど、私の本望は大事な人の為に死ぬこと」
私は初めてカエラが目を外し話しとこを見た。それは嘘を隠すことなのか、本当の事だが心の奥底にしまうために起こした行動なのかわからない。
結局今日はそれ以外会話をすることなく昼食の短い時間を終えた。
昼食を終えた後の点呼で私は後悔してしまう。「カエラの出発の日を聞くのを忘れてしまった」
ー8ー
「今日も話をしない?」
メースが座る椅子の前にガイは座り食事を摂りながら話を振った。そんなメースはというと本に夢中になり声が耳に入っていなかった。
それを見かねたガイは粥を流し込みメースの本を引っ張った。机に置き読んでいた為、力など掛からず簡単に取り上げる事ができた。
「いいとこだったのに」
「それは申し訳ないと思うけど、君があとどれくらいいるか分からない。だから今のうちに話したいのさ」
「そうは言っても私の知識なんて少ないよ」
「それでも、俺よりは知っている」
大体二時間、ガイの質問に答え深い話になる事も多々あった。話すことを禁じられたガイだが口はよく回り知っている情報も多かった。しかしながら、答えを自身で出すことは出来ずにいた。そして、全ての物事に答えがあるとも思っているようだ。
「ねぇ、メースさん。人間はなんで生きているんだ?」
日が落ち外での会話が盛んになる中でガイは小さな声で囁いた。
「どういうこと?」
「人間は何のために生まれて死んでいくかって事」
私はこの質問の答えを持ってはいなかった。それは私たちエルフでさえ求めている答えなのだから。
「その答えを私は持っていない。でも、私が聞いたことあるそれっぽい答えなら持ってる」
「じゃあ、それを教えて欲しい」
ガイは会話をしていくと次第に大きく鳴り家の外に出てしまいそうだった。それに気づき声を絞る時は私の答えを聞きリアクションをする時。だが、今回は声が大きくなる事は無かった。
「私が聞いたのは『人に何かを与えそして、人から何かを受けるため』と言われたことがある」
「そうか」
「まぁ、これはその者の考えだから絶対ではない。ガイ達がどんな宗教を信仰しているか分からないけど、考える時間があるんじゃないかな」
ガイは言葉を探しているのか、考えを纏めているのかしばらく押し黙った。答え喉まで上がってきた時に顔を上げ声を出そうとするが結局そこから声は出ることは無かった。ガイにとって今が本当に声が出ないときであった。
「これは間違っていたら申し訳ないけど、ガイはべリスに罪悪感を持ってるの?」
「エルフは本当になんでも見通すことが出来るのか...」
「なんでもは無理だよ。戦争に行かない事はあなたにとって、とても負荷が掛かってる?」
決して戦争から逃げたことは罪ではないと思う。もっともそれは他者から見た感覚に過ぎない。国であったり友人など、限られた範囲内だけでは戦争から逃げることはとても自分の重荷になる。国を守らなかった無責任さ。同じ痛みを受けることをしなかった卑怯さ。生きている事による周りの目。死んでいない事の安堵。様々な要因が罪悪感を作り出しその者の体を重くしてしまう。
「わからない。でも、確かに言えることはあの時自分は家族に対して敵対できなかった」
「姉じゃなくて自分が戦地に行く事を伝えられなかったから?」
「声が出なかったんだ」
ー9ー
戦争が始まった。
ラジオから雑音と共に流れる声は戦地の状況を大雑把に伝えている。兵士が死んだこと。民間人が死んだこと。敵の武器。人数。国王の言葉。順序は違えど一回の放送で流れるテーマはある程度決まっていた。しかし、俺が欲しい情報は何故戦争をしているのかだった。
戦争が始まったその瞬間、民間の新聞社は自身たちで作った記事を売らなくなった。新たに得られる情報は出す物だけ。大人たちや知識人の考えは触れることができなかった。
「ガイ。ごはん運んで」
「わかった」
国が出す情報がびっしりと書かれた新聞を閉じラジオのつまみを右へ回す。ラジオの音が先ほどよりも大きくなりご飯を運ぶためその場を立った。
兄は勉強に勤しみ、もうすぐ国家試験が近づいていた。父はそんな兄に勉強を教える為、時として怒号を飛ばしていた。姉は母とよく結婚相手について話し合いをしているが一向に決まる気配はない。姉は頭の回転も速く身体能力も他者よりも優れていた。そんな姉は魅力的だと自分は思うのだが何故か結婚相手どころか恋人さえいなかった。
「兄さん父さんご飯ができた」
「あぁ、今行く。カゼお前はこの問題を解いてからこい」
兄はその言葉を無視するように黙々とペンを動かし続けた。
父の言う事は絶対である。
茶を出せと言われれば即座に注ぎ、食事が時間どうりに来ないとみるや皿を割る。しかし誰も言葉を付けてはいけない。茶が冷めていたら温めて、皿が割れたら片付ける。ただそれだけのこと。父は神様でも国王でもない。だが、父は絶対。これがアラスト家の普通。
母と姉と共に食事を運び、全ての物が並ぶ頃兄が席についた。
食事中は終始無言。俺はこの時が一番の苦痛だった。ただ口を動かす食事何て美味しいとは全く思えない。次第におかずが減っていても何も思わないただの食事だ。
同じような日々を過ごしたある日の夕飯、フォークをおいた父は言った。
「家から兵を出すことになった。べリス君が行きなさい」
俺は落としそうなフォークをしっかりと握った。誰かが声を出す前に自分が行くと手を上げたかった。いつも呼吸をするように出していた声がその時は意識しようとも出ることは無かった。
「ガイは声を出せない病気となったとし徴兵から逃す。そして、二人で生活していきなさい。住人はガイが喋っれることを知っている」
父に誰も声を掛ける事無く食事が再開された。
ー10ー
「自分が戦争で死ぬかと思った。でも、このまま言わなければ生きていけると心のどこかで思った」
「それは本当に思っていた事なの?」
「わからない。でも、俺は姉さんに沢山助けてもらった。今回もまた助けてっ貰っている。もしも、死んだら何も返せないままになってしまう」
時間が経ちそろそろべリスが帰る時間になった。
ガイはご飯を炊き、簡単におかずを作った。ある程度で来たときにべリスが家に帰り二人は時間をずらし食事を摂った。
私が来てから二人の会話は一度もなかった。勿論スケッチッブックで相手につたえることはあれど肉声で相手に意思を伝えることは一度もない。ただあるのは本のページを捲る音と天井につるされている電球のノイズ音だけ。
べリスが布団を引き始めるのに習いガイも布団を引いた。電気がパッチと切られ辺り一帯が暗くなり今日の終わりを感じる。私は眠らないが夜が好きだった。始めは何も見えなくなるが次第に見えてくる。今日も星を見に行こうと思い布団から抜けようと思ったが、手首をぎゅっと掴まれた。
べリスは目をあけ手首を掴んだと思ったのだが、瞳は見えず無意識化に体が動いていた。
手を剥がし外にいく事も考えたが、今日行かなくても夜はまた来ると思いそのままべリスをじっと見た。
ー11ー
何日か同じような日々が続き星の位置も変わり始めた。消えた星もあるかもしれない。それ程まで空の景色は変わったと思う。神様が作り出した世界は本当に美しい。人間の醜さすら時に愛らしく心を奪わせる。見方を変えるだけで正義が変わり意見が対立する。協調と調和を願い争いを起こすこともある。この世界に理想と意思、理性を持った種族は人間とエルフしか存在しない。神様が作った人間と..
「メース。私明日とうとう戦地にいく事になったよ」
「そう。寂しくなるね」
「本当に思ってる?」
「あんまり思ってない」
「なんだそれ」
べリスは私が座るベンチの隣に腰を下ろし夜空を見上げた。
風が冷たくなり、厚手の上着に黒いマフラーを渡してくれたべリスは自身の体を守る事はしていなかった。この一年で彼女の事が大分分かった。
人間としては限りなく善。人の為を思い行動を心掛けている。しかしながら、心の中では偶に毒を付く。とても人間らしい。コミュニケーションも取れるが、本物を見せないとても分厚い人だ。いっつも理性を使い本能を見せない。唯一見せえたのは私を見つけた時。
「メース、地獄はあるのかな」
「死んでみないとわからない」
「死んでみないとわかんないかーそうだよね」
「死ぬのは怖くないの」
「怖いよ!だから、死んだときのことを考えてる」
これで何人目だろうか。死んだときの事を聞く人は。人は年齢が短いことをとても気にしている。体が弱いことも気にしている。でも、皆が考えているわけではない。偶に生きている事すら忘れている人もいる。死ぬことは無いのだとはつらつと動く者もいる。
「でも、もう戦地に行くなら生き残る事だけ考えたら」
「そうだね。でも、もう無理かな。カエラも死んでしまったし」
それを最後に話すことは無く、夜空を見上げた。体を摩り寒さを我慢し夜空を見上げる。流石に寒さに耐えられなくなりメースのマフラーを半分とり自分の首に巻いた。
人間は体を合わせ熱を感じることがとても好きである。手を繋ぎ、抱き合い、キスをし温もりを感じることを大事にしている。これに関しては少し羨ましかった。
ー終ー
私は黒いマフラーを付け、上質のカーペットの上で胡坐をかく。私を囲み奇妙な目をしているのは夏物の薄いワンピースにマフラーを付けているからだろうか。しかし、それだけで囲む人たちが銃を持ちこちらに狙いを定める必要はあるのだろうか。
「お前は何者だ..」
格好のいい服とは違い震えた声で男は聞いてきた。
「私はメース。ただのエルフ」
そんな紹介に皆が口々に言葉を投げかけた。エルフとはなんだっと
「何がエルフだ」
「でも、兵士は分かってるよね?私がここまで来たって事は兵士を殺してここまで来たか、魔法を使ったか」
「ふざけるな!そんな事信用できるか」
言葉とは本音を隠すときにとても使えるものだ。私という未知の存在が目の前にいる。その事実は知っている。だが、言葉ではあくまで強気。声は震えているのだが。
「王妃を読んでほしい」
「なんのためー」
言葉は最後まで話せず王は倒れた。硝子が割れる音があとから聞こえ、皆が気づいたのだろう。王が死んだことに。
「王妃を読んで」
「おまえが、殺したのか..」
「私はなにも」
一人の兵士が走り、奥の部屋へ行った。
その数分後王妃がゆっくりと入り自身を守るはずの兵士を全員下げた。
「あなたに付いているエルフは誰?」
「べティスというエルフです」
「べティスが男女の平等を?」
「はい」
プログラムされたように淡々と答える王妃はもはや意思などは無さそうだった。
「やぁ、メース」
「久しぶりだね」
メースの耳元で聞き心地のよい声が聞こえ私は振り向かなくてもその声の主は分かった。
私より少し長く生きているエルフ。
「メースはまだ人間が好きなのかい?」
「そうだね。私はずっと人間が好きだよ」
「笑わせるね。人間は私たちエルフの敵だよ」
「神様が人間をエルフは悪魔が作った」
「そうさ。昔にエルフも神が作りしものだと言っているエルフがいたね。笑わせる。エルフは人間と根本が違うじゃないか」
「神様は人間を自分に模して作った」
「そうさ、しかも人間はあほな事ばかりする」
「神様は1人なのに様々な神様を信じ争う。我々が開いた勝手な宗教」
「今回の戦争もそうなんでしょ」
「あーそうさ。ラテラの国と遊んでいるのさ」
「でも、さっき王が死んだよ」
「あー我々の負けみたいだな」
そこからは特に会話などなく私は王城から出た。そして、酒を飲む男性に声を掛けた。
「戦争はどうだった」
「娘が死んだ。それで金を貰った。ただそれだけだ」
読んでくださりありがとうございました。