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幻想々話

光は、霧の向こうに

作者: 荒木田久仁緒


「あの子が……死んだ……?」


  いわゆる悪いニュースというやつを、少々気を重くしながら伝えにきた私の前で、彼女は予想どおりの表情で目を見開きながら、小さな居室の中にうわずった声を響かせた。


「そんな」


  わななく口元が、ゆがみ、引きつる。

  笑おうとして、笑えなかった。出来損ないの道化の面のような。


「冗談……でしょう?」


「残念ながら。早々に八雲が確認しましたし、後の調査でも裏づけが取れてます」


  (  )竹林の人狼、罠にかかる!?(  )

  そんな大見出しが踊る新聞を、震える手で私から受け取った彼女は、それを読み進めながら、へなへなと床にへたりこんだ。



  話の始まりは、今からちょっと前──いや、だいぶ前、と言うべきだろうか? 私の感覚では、ちょっと前だ──ある白狼天狗の女が、人里の男と情を交わし、妖怪の山を追放されたという事件にさかのぼる。


  正確に言えば、追放というのは処分上のことで、実際のところは駆け落ちしたのだ。人妖の関係を揺るがしかねない椿事(ちんじ)に、政治的な配慮──天狗界のだけではなく──が働いて、事件の詳細は隠蔽された。

  やがて時が経ち、掟に従い(みそぎ)を済ませた女は、ひそやかに罪を許され山へと戻った。それが彼女だ。


  天狗の社会は、常に真新しく騒々しいゴシップを追い求め、過去の醜聞などすぐに忘れてしまう。とはいえ、一度は山を追放までされた者が、そうすんなりと戻れるものでもない。今のところは、名目上は私の家がある一帯の警備担当、実質的には私の預かりで、素行観察の身となっている。


  厄介な事後処理の引き受け先として、私に白羽の矢が立ったのは、品行経歴と人脈のほかに、かねてから彼女との間にちょっと特別な関係があったからだ。もっとも、私自身はそう貧乏くじとも思っていない。家事が楽になったし。

  鴉天狗と白狼天狗。一風変わった組み合わせの、女二人の奇妙な共同生活も、なんだかんだで馴染んできてしまっているが、それはともかく。


  そんな彼女が山から姿をくらましている間に、その人間の男との間に儲けた娘。

  それが、先日の事件で退治された、竹林の人狼だったのだ。



  獣人。半分は人の身である者として、人に紛れて生きる道もあったが、あの娘は長じてのち、人里の外で生きていくことを選んだ。里にほど近い竹林に居を構え、立ち入る人間を積極的に脅かし追い返しつつも、さして重篤な危害は加えないという、そこらの妖怪よりも妖怪らしい、ある意味では模範的な生き方をしていたのだが。


  だからこそ気に入らない────そう思う者もいたのだろうか。


「そんな……そんなっ……」


  蒼白な顔でかすれた声を上げ、ぺたりと板の間に座りこんだまま、新聞を握りしめて震えていた彼女だったが、やがてその表情はじわりと煮え立つ血の色に染まり、口の中でかたかた鳴っていた音が、ぎりぎりと牙を(きし)らす響きに変わる。


「これをっ……仕組んだのはっ……!」


「まあ、おおよそのことは、そこにある通りですけど……証拠がないんですよ。詳細に調査すれば見つからなくはないでしょうが、あったとしても、明確なルール違反ってわけじゃないですしね。

 いずれにせよ、妖怪が一匹ヘマをして人間に退治された……そういうことにしか、なりようがない」


「っ……!!」


  記事は、この事件の顛末をほぼ網羅して、さらに背景の疑惑についても触れてある。少し頭の回るものなら、何が起きたのかは容易に察せられるはずだ。もっとも、この新聞は人里にも出回るので、後日の(  )狼の(たた)(  )が八雲の仕込みであることは伏せてあるが。


「一応、言っておきますけど。白狼天狗が山を降りるのは禁則ですよ。特にあなたは……破れば今度こそ、ただでは済まない」


「……わかって……いますっ……!」


  喉の奥から声を搾り出しながら、彼女は新聞を思い切り握りつぶした。

  爪が手のひらに食いこみ、紙に血がにじむ。


  けれど、ふと。


「……っ!?」


  何かに思い当たったふうで、くしゃくしゃになった新聞を慌てて開きなおし、改めてそれに目を走らせる。食い入るように、隅から隅まで。


  やがて、


「……娘は」


  ぼそりと呟くように言った直後、勢いよく顔を上げ、つかみかかるように詰め寄ってきた。


「ちょっ……!? こら、やめなさい! 血が付くでしょうが!」


「あの子の娘は!? 一緒にいたはず、黒毛の、まだ幼い、私のっ……!!

 どうなったんですかっ、その子はっ!!」


  必死の形相で。今にも泣き崩れそうな瞳で。

  手を払いのけられながらも、身を乗り出し、私を問いただす。


  ああ、なんとも哀れなものだ。

  一度でも、人を知ってしまった者は、やはり完全には戻れないのだろうか。

  実に愚かで度し難く、悲しいほど滑稽で……。


  だからどうしても、目が離せない。


「無事ですよ。事件の要点じゃないので、記事には載ってませんけど。

 直後は八雲に保護されて、今は霧の湖にいるようです。あそこなら力のない妖怪でも、そこそこ安全ですからね」


「そう……ですか……」


  絶望と悲嘆に満ちた顔に落ちる、一滴の安堵の表情。


  けれどそれも、すぐに果てしない憂いの色に塗りつぶされ、嘆きの吐息を漏らしながら床に座りこんだかと思えば、またふらりと立ち上がり、焦点の合わない目で部屋の中をうろうろし始める。時に顔を手で覆いうつむき、時に天を仰ぎつつ、端に行き当たれば、ごん、ごん、と額と拳を壁に打ちつけて。


「……改めて言いますが」

「わかってますっっっ!!」


  がり、と立てられた両手の爪が、壁に傷を残した。


  鬼女の面相で歯を食いしばり、なお傷の本数を増やす彼女を少し眺めてから、私は軽くかぶりを振って戸口へ向かった。



  わかってます、か……。


  もちろん、わかっているに決まっている。どうなるか理解している、という意味では、間違いなく。


  しかし……わかっていながら、突き進んでしまう。そういう、どこか破滅的な(さが)を持っているのだ、この人は。

  なんといっても、前科がある。


  狂おしいほど何かしたいのに、何もできない。そんな状態が、このまま続いたなら……遠からず、それは暴走する。その結末は当然────きっと彼女自身は、それを甘んじて受け入れるだろうけど。


  でも、それはやっぱり、もったいない……な。


  だから。


「……ああ、ところで」


  私は戸口で振り向き、口を開いた。


「何か言伝(ことづて)でもあるなら、ついでに伝えておきますけど」


「……え?」


  行き場のないままに、渦巻く想い。それが決壊しないよう……少しでも、吐き出す先を作ってあげなければ。

  下手をすると、私まで責任を問われることになるし。


「今から、取材にいくんですよ。その生き残った娘のところへ。

 直接、記事になるようなことはないでしょうが……予備調査、あるいはコネを作りに、と言ったところですかね」


  私の読みでは、その娘は近い将来、号外の主役を張ることになる。その時、この事前の接触が生きてくるというわけだ。

  起きてしまったことばかりを追いかけている連中など、記者としては二流以下である。どんな未来もいつか必ず、現在(いま)の事件となるのだから。それを見通し、そこへの道筋をつける力が、私にはある。


「言伝……を」


「ええ、何かあれば。あ、もちろん、問題のない内容にしてくださいね」


  その娘と彼女との間には、何の関係もない。おおやけには、そういう事になっている。すべての事情を知っているのは、私を含め、ほんの数人だけだ。


  彼女は少しの間、うつむき何かを考えていたようだったが、やがて顔を上げ、


「……はい、お願いします。それともう一つ……渡してほしいものが」


  涙の膜の向こうで、なお深く澄んだ瞳が、私をまっすぐに見返した。



  どきりと胸が高鳴る。


  寒気(さむけ)がするほど美しい、どこか振り切れた眼差し。

  吹雪に耐えて雪原に立つ、一本の樹のような凛々しさ。


  ああ────そう、その瞳を、あなたのその熱さを……まだまだ私は、見つめていたいのだ。


「渡す……ですか。まあ、ものによりますけど、構いませんよ。何ですか?」


「少し、待ってください。いま作ります」


  石が砕けるような鈍い音と共に、床に鮮血が散った。






  ◆ ◆ ◆






「ほう、魚と間違えて?」

「そう、すっごく痛かったんだから。ほらここ、まだ歯形が残ってるの」

「うー、悪かったってばぁ。お腹ぺこぺこだったんだもん」


  ぱしゃりと水面から尻尾を上げて、怒ったふりをした笑顔を見せる人魚の横で、小さな黒い人狼の娘は、両手の人差し指の先をぐりぐり突き合わせながら、うつむきがちに口をとんがらせた。


  しかし、間違えるもなにも、そこは魚そのものだと思いますけど。なんてことは口に出さずにおき、時に質問をはさみながら、二人の話に耳を傾け、メモを取る。


  途中あちこち道に迷いながらも、なんとかこの湖に辿りついた少女は、初めて目にする世界にかなり戸惑い、まだまだ先住者たちの輪には入れずにいるらしい。けれど運良く、この妖怪にしてはかなり穏やかな気性の人魚と知り合い、友達になったことで、ひとまず自分の居場所をつくることはできたようだった。


「そういえばそちら、なかなか小洒落たお洋服で。よく似合ってますが、どちらで仕立てられたものですか?」

「えっ……と、その、これは……もらい物、だから」


  胸元に手を当て、嬉しそうな照れているような、同時にちょっと困ったような表情を浮かべる。ふんわり広がったスカートの下で、おそらく尻尾がもぞもぞ動いているのが可愛らしい。

  目で見たかぎりではあるが、布も意匠も上質で、人狼程度がそうそう袖を通せるような品ではない。推察するに出所は八雲あたりだろうか? こんど直撃してみることにしよう。


  それにしても、むず痒いな、と思う。

  この二人とは関係ない。私の背中と、その背後にあるものの話だ。


  遠く霧のベールの向こう、湖畔に建つ紅の洋館から、わかるものなら感じる程度の小さな妖気の槍が、誰だお前は、挨拶に来い、とでも言いたげに、ぷすぷす突き刺さってくるのである。それをやんわり払いのけつつ、今あなたに興味はありませんよ、という矢羽をこちらも打ち返しながら、何食わぬ顔に営業スマイルを貼りつけて、私は取材を続けていた。

  しかし、あんまり長居していると、直接こっちに出向いてこないとも限らない。日の光もかすむ霧の湖とはいえ、流石に日中の吸血鬼に遅れをとる気はないが、記事にもならない面倒事などごめんである。適当なところで切り上げたほうがよさそうだ。


「ところで、あなたはこれからずっと、この湖に住むつもりですか?」


  頃合を見計らい、その言葉を放った私の顔を、ぱちりと一つまばたきをしてから、少女は見上げた。


「……え?」


「あなたは以前は、人里ちかくの竹林に住んでいましたよね? それが最近、こちらに越してきた。ここを住処と定めるつもりかと、そうお聞きしているのですが」


  重ねた問いに、今度はややうつむいて眉を立て、細めた上目づかいで、低く答える。


「……なんで、そんなこと聞くの?」


  思わず────口角が、作り笑いではなく上がってしまうのを感じる。悪い癖だ。


「それはね、あなたがいずれ新しい記事を運んできてくれるからですよ」


  身を屈め、顔を近づけて、しっかり視線を合わせながら、私はさらに言葉の道標(みちしるべ)を刺す。


「この事件は、これで終わりではない。

 あなたは、このまま終わらす気などない……そうですよね?」


  その言葉を吸いこんだ耳がぴんと立ち、大きな眼が丸く見開かれる。


  そして少女は、けわしく光る瞳で私を見返し、しっかりと唇を結んだ小さな顎が、力強く頷いた。


  その瞳が秘めた輝きは、決して強者のものではない。けれど、それより遥かに価値がある光。


  物語を作る者の光だ。


  自らの意思で、未来を変えようとする者。退屈なこの世界に波風を立てる者。私の心を躍らせる、刺激的な音を奏でる者。

  それに勝る輝きなど、この世にはない。いかな強者であろうとも、現状に満足し、何もせず寝そべっているだけならば、そこらの石ころと何の違いがあるだろう。


「期待してますよ」


  そう言って立ち上がりかけた私は、もう一つ大事な用があったことを思い出し、少女の前にしゃがみなおした。


「そうそう。言伝を預かっているんです。ある人から、あなたへ」


「え? ことづて?」


「人里のはずれで、変な店をやっている半妖を、知っていますか」


  ええと、と小さく首をかしげる。


「うん……確か、母さんが昔、世話になった人だって、言ってたような……」


「もし、どこにも居場所がなくなったり、進む道に迷ったりしたときは、その人を頼りなさい。きっと良くしてくれるはずだから。

 ……と、そういう言伝です。それから、預かっているものが、もう一つ」


  私はポケットからそれを取り出し、少女の目の前に差し出した。


  一尺ほどの長さの、輪になった紐。その先に、白く光るものがぶらさがっている。


  鋭く尖った、獣の牙だ。

  その表面は濡れたように(つや)やかで、真新しく透明感のある輝きを放っている。


「これ、は……?」


「お守りだそうです。あなたに、持っていてほしいと」


  少しのあいだ、魅入られたような瞳で、揺れる牙の先端をじっと見ていた少女は、やがておずおずとそれを手に取った。


  横から手元を覗きこんだ人魚が、囁くような声をかけてくる。


「……すごい妖力が、こもってるね、それ」


「うん。少し、怖いくらい……。でも、なんだか……あったかい。

 ……母さん……と似た匂いが、する」


  ややあって、手の中で熱を放つ牙を見つめたまま、少女はまた口を開いた。


「あの……これ、くれた人って、いったい誰……?」


「あなたのお母様の、古い知り合いだそうです。事情があって、あまり人前に出られない身ですけどね」


「母さんの……? ……あ」


  は、と顔を上げる。その瞳には、いつかどこかの遠い風景が映しだされているようだった。


  あの二人はその後、普通に母子として会うことは叶わなかったけれど、たまに山の辺縁を訪れては、互いに姿を見る程度の邂逅を重ねていた。一度か二度、連れられていったとき、遠目に見合った相手のことを、この子は覚えていたのだろう。


「……えと。お礼、言ってほしい……です、お願い、その人に。ありがとう、大事にします、って」


「ええ、伝えておきましょう。それでは……また、いつか」


  メモ帳をしまい、ぴしりと軽く片手を挙げて、そのまま私は地面を蹴った。

  飛び立つ私を見上げる二人の姿がすぐに小さくなり、霧の向こうにかすんで消えてゆく。


  深い霧を抜け、晴れた空へ高く昇りながら、私はまだしばらくの間、静けさに包まれた湖を見下ろしていた。



  未来はいつも、霧の中にある。

  はっきりと見通せる者はいなくとも、確かにそれはそこにある。


  いつか来たるその時を、心待ちにしていよう。願わくば、落胆ではなく、驚喜と共にあらんことを。


  私だけがつかんだこのネタを、どうか無駄にしないでもらいたい。いや、きっと無駄にはならないだろう。


  私の勘は、よく当たるのだ。



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